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雑談しよー2 (3)

627 :名無しさん:2024/03/20(水) 13:20:49.61 ID:4XFdhkk1C
特集1 戦後70年 「泣き声が耳から離れない」 戦地で出会った「慰安婦」 元従軍看護婦 中里チヨさん
 今年は戦後七〇年にあたります。「戦争を知らない世代」が増えたのも、不戦を誓った日本国憲法第九条の存在があってこそ。
ところが安倍政権は、日本をふたたび戦争のできる国にするため憲法改正をねらっています。過去の戦争で日本が犯した過ちについても、“日本軍が性奴隷にした”というのは
「言われなき中傷」(「慰安婦」問題について二〇一四年一〇月、安倍首相)と述べるなど、真実を歪めようとしています。
 中里チヨさんは、元従軍看護婦。「日本軍の管理下に慰安婦さんがいた」と証言します。

中里チヨさん 1926年新潟生まれ。
 私が従軍看護婦として、中国の海南島に行ったときに見聞きしたことをお話しします。
18歳で従軍看護婦に
 私は一九四四年三月二五日に看護学校を卒業し、志願して軍属の従軍看護婦になりました。一八歳でした。
 四月一日からは、従軍前の訓練を受けるため、東京の目黒雅叙園にあった海軍第二病院に召集され、「日本の軍隊として恥ずかしくない看護婦になれ」と指導されました。
私は日赤の看護婦ではなかったので、丸い赤十字の帽子ではなく、三角巾をかぶり白衣を着ていました。
毎日の朝礼では「一、軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ…」と、とても速いスピードで軍人勅諭を暗唱させられました。
 一一月五日朝、まだ夜が明けないうちに、トラック四台に八〇人の看護婦が乗せられ、横須賀港へ行きました。そこから船に乗り、台湾へ。高雄海軍病院で働いたあと、
中国・海南島の三亜海軍病院で働きました。ここで慰安婦さんたちと出会ったのです。

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