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本能のままに生きた母

123 :次男:2018/07/13(金) 01:11:45.00
122の続き

そうして数ヶ月が過ぎ、相変わらずの抗がん剤治療なども続けて、その度に「また腫瘍マーカー下がりました!」と母からの朗報に少し安心する、という日々を繰り返していく。

この間、癌の再発はなかったが時折、腸閉塞の手前?くらいな症状になってしまい、少しの入退院を何度か繰り返していた。

特に、湯治場へ行くのに長距離移動して遠い地方へ行った時など、母の体調が悪くなり、そのまま現地で入院、腸閉塞のカラミだった、とゆー事も増えていた。

まあ、これは尿袋を拒否し、無理くり腸を繋げまくった報いのようなものだ。

そうして二度目の手術から1年が過ぎ、幸いにも癌の転移・再発はなかったものの、辛い抗がん剤治療などの闘病生活に対して、ついに母の体力に限界が見え始めだした。

続く

124 :名無しさん:2018/07/13(金) 18:06:30.53 ID:HSeTAPe8W
ゆっくりで良い

待ってるよ

125 :名無しさん:2018/07/26(木) 09:24:08.29 ID:oUdhAzw6f
どうしたんだ?
続きは!!!

126 :次男:2018/07/26(木) 21:59:49.38
>>124
お言葉に甘えちゃっててすいません!
ぼちぼち続けられそうです。

>>125
すいません!
少々プライベートでバタバタしてまして…
間空けてしまってますが、なんとか再開します!

127 :次男:2018/07/26(木) 22:11:14.62
123の続き

これはあくまで、母の件に関しての俺の私見です。

癌という、人間の3分の2くらいの死因である、大多数の人が直面するであろう、事象に対して、こう言ってしまうと不謹慎かもしれないが、母の一件を踏まえ俺はどのような結末になるのか?検証みたいな感覚を覚えていた。

祖父も癌で亡くなったが、高齢も手伝っていて、例えば医者から「余命数ヶ月」などの告知もなく、自然と衰え亡くなっていった…様な状況だった。

しかし、母の場合はそこまで高齢でもなかったので医者からの余命宣告などもなく、治っていってる様な様相を見せつつも、淡々と絶命への道を辿って。いってい。るようだった。

続く

128 :次男:2018/07/26(木) 22:24:30.97
127の続き

母の癌に関して言わせて貰えば、完全なる<体力の限界>であったと思う。

具体的に言えば、ガンに侵される→食欲も奪われる→病原をシャットアウトする為の体力を養う行為(食事)がままならない→食事を満足に取らなくなってくるので、体力も衰える→癌の進行が勝つ→………

という図式だ。

回りくどく説明してしまったが、結果を先に明かしてしまうと、母は癌で亡くなった。

齢66歳。

癌が判明してから、約2年10ヶ月の闘病生活の末、天に召されたのだ。

今まで投稿した流れをおさらいしながら時系列で追って行くと、

1 末期癌が発覚する
2 手術成功(後、抗がん剤など闘病生活)
3 1年後転移見つかり2度目の手術成功
4 以前より体調不良などでの緊急入院が増える
5 2度目の手術から1年ほど経ち、体力的にキツくなってきて、食欲の減退、癌治療の減少、見るからに痩せ細りだす
6 1から約2年半ほどの時、入院、後、約2ヶ月後亡くなる

以上が母の晩年を略した時系列だ。

続く

129 :名無しさん:2018/07/27(金) 17:10:22.23 ID:gOX6/kacH
最後まで付き合うで
続きよろ

130 :名無しさん:2018/07/27(金) 21:15:30.74 ID:w2lnkoChy
ありがとう
ちょっと質問だが>>38の従兄弟と俺と兄、男4人でのシーンで
兄が二人なのか
それともいとこが二人なのか
細かいとこだが教えてくれ

131 :次男:2018/07/29(日) 01:37:47.45
>>129
ありがとうございます。
まもなく終焉を迎えますが、後日談みたいなエピローグも書いたらもう少し続くかもしれません。

>>130
兄は1人だけです。
ご質問のシーンは、俺と兄、従兄弟2人の男4人ということになります。

132 :名無しさん:2018/07/30(月) 16:40:04.16 ID:d5k1JSQWF
楽しみにしとるで!

133 :130:2018/07/31(火) 17:03:18.96 ID:cOPDHsGsw
>>131
回答ありがとう
楽しみにしてるよ!

134 :次男:2018/08/01(水) 22:31:16.24
>>132
ありがとうございます!

>>133
完まで頑張ります!

128の続き
結果を先に晒してしまったが、話を少し戻します。

2度目の手術から一年後(癌発覚から一年と2ヶ月ほど)、再発の様なハッキリとした絶望感はなかったが、母の食欲が明らかに細くなってきていた。

母は外食が好きで、俺をパチンコの稼ぎだけで育てた事もあり、闘病しながらもパチンコへほぼ毎日出かけ、夜には仕事終わりの俺と夕飯を外食で済ますことが多かった。

とはいえ、食の細くなってきた母は一人前の半分も食べられず、夕飯に付き合う俺はほぼ2人前を食さねばならない。

幸い、<痩せの大食い>を地で行く俺は、2人前を平らげていたが、何より、食欲の起きない母に何とかして食事を取ってもらう事が第一義で、自分の暴食は二の次に考えていた。

そうこうしながら、月日は経ち母は食が細くなりながら身体も徐々に細くなって行った。

続く

135 :次男:2018/08/01(水) 22:38:01.11
134の続き

その間にも通院や湯治場への旦那との旅行を重ねていたが、この頃になると湯治場へ行く度に現地で軽い腸閉塞を発症し、現地で入院を繰り返す。

実際のところはなんとも結論を出せないが、俺的にはもう、体力をすり減らしに行くように見える湯治場通いはやめた方が良いのでは?と思っていた。

湯治場を否定するつもりはない。

しかし、こうも体力か減り、湯治場へわざわざ5〜6時間かけて新幹線を乗り継ぎ、バスに乗りつつ湯を浴びに行っても、その都度体調不良を訴えていては元の木阿弥である。

もっと体力が回復してから、湯治場も再開するなどした方が効率の面でも良い気がしていたが、旦那も必死だったのだろう。

2〜3ヶ月に一度くらいの湯治場通いを続けていた。

が、その度に母の体調は悪化しているように見えた。

続く

136 :次男:2018/08/01(水) 22:42:15.69
135の続き

そうして一夏を越すと、母は俺との外食時にもほぼ一口ほどしか食事が喉を通らないようになってきた。

俺が休みの時に昼食を共にしたが、ほぼ食べない。
とゆーより、食べられない。

そしてその頃に通院した時に、脱水症状になっている、との診断を受けて、その日に即入院となった。

その知らせを受け、なんとなく「これが最後の入院かも…」と直感した俺は仕事を早引けして病院に駆けつけた。

続く

137 :次男:2018/08/01(水) 22:48:31.06
136の続き

俺が病院に駆けつけると、母ひ苦笑いをしながら「遠いのに、わざわざ来なくても良いのに…」と言っていた。

自分でいうのもなんだが、でも、本心では子供の中で一番可愛がっていた末っ子である俺が来てくれて嬉しかったのもあるであろう。

結局この入院を最後に、母は退院することはなかった。

それから約3ヶ月近く、入院中の母を見舞いながら、俺も仕事に勤しむ。

おそらく一番遠い場所にいたことから、姉や兄より俺が見舞える回数は一番少なかったと思う。

それでも、母はたまに見舞いに来る俺の顔を見ると嬉しそうに微笑んでくれた。

もうこの頃になると、体力の著しい低下から抗がん剤治療なども施さなくなっており、ただただ、母の体力の低下を眺めているしか無くなっていた。

続く

138 :名無しさん:2018/08/02(木) 09:52:58.88 ID:VCqLQqFzY
涙がぁ・・・

139 :名無しさん:2018/08/13(月) 10:09:16.71 ID:vrqTPMHMt
待ってるで・・

140 :sato:2018/08/13(月) 18:34:53.06
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141 :名無しさん:2018/08/20(月) 18:18:47.73 ID:6kO+yGUgC
続けてくれ!

142 :名無しさん:2018/09/03(月) 14:37:29.12 ID:Sslptlmcs
終わり?
続かないの?

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