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本能のままに生きた母

1 :次男:2018/05/22(火) 07:10:19.29
俺の母親の話をしたい。

幼き頃、我が家は七人家族だった。
母方の祖父母、両親、姉、兄、俺。
まぁ、昭和末期によくある、核家族とは無縁の至って普通の家庭だった。

父は所謂サザ○さんのマスオさん状態で、養子。
この事がのちに俺の家庭環境をややこしくする要因の1つになる。

幼い頃は本当に普通の家庭だった。
俺は末っ子なので、皆んなに可愛がられながら育つ。

家族七人もいると、多少の派閥みたいなものも生まれがちだ。
例えばウチの場合は祖母は姉を可愛がり、祖父が兄を贔屓する、みたいな。

そんな中、俺は家族の誰からも愛されw順調に幼少期を過ごしていく。
他の家族もなんら変わらない様に生活していた様に思う。

そして母の本能が覚醒する最初の出来事があった。

120 :次男:2018/07/13(金) 00:44:54.49
>>119
寝る前に少しだけ続けます!


118の続き

とっくに終わってるはずの時間でも手術が終わっておらず、俺も些か「今回はヤバイのか…」と少し不安が増幅した。
ただ、腹を開けてみて「ダメだ!」となっていないのは確かだ。

ひたすら、待つしかない。

俺が駆けつけてから1時間ほどもするとやがて、手術が終わった。
長引いた理由の一つとしては、今回の場所的に癌を摘出した後に膀胱ら辺に負担がかかる為、術後に尿袋?を脇腹に取り付け、尿を人工的に出すようにするか?という判断があった。

それを母が拒否したために腸をアレコレ切ったり繋げたり、複雑な手法を取らなければいけなくなった事も要因であった。

それでも、執刀医の頑張りと母本人の踏ん張りから手術は無事に成功。

癌を取り除く医師と、腸を繋げる医師とが別で2人がかりでの手術となった事なども長時間に及ぶ大手術となる要因でもあった。

2人の医師に経過と手術の成功の説明を受け、安堵する我ら身内。

大手術の後だけに前回より少し時間は要したが、退院も無事に終え母は再度、スナック復帰に向け抗がん剤治療など闘病生活を送り始める。

続く

121 :次男:2018/07/13(金) 00:52:12.78
120の続き

こうして闘病生活を続けながら、なんとか普通の日常生活を取り戻しつつ、スナックを以前よりは休みながら開けられるようになった。

旦那とは湯治場へ行ったり、暇を見ては昔からよく行っている旅行を、今までより噛み締めるような思いで満喫したりしていた。

相変わらず続ける抗がん剤治療も相当に辛いらしく、何度か母も「もう、抗がん剤治療やめようかな…」と弱音を吐いていた。

実際、前回の時より今回の方が重症だったため、抗がん剤治療もキツくなり、母の髪の毛はみるみる抜け落ち、一時期はほぼ坊主に近い感じになってしまっていた。

よく話には聞いたりはしていたが、実際に自分の母親の方がどんどん無くなり、痩せていたのも含めて骸骨のような姿になってしまって、俺はなんとも言えない気持ちになった。

60半ばくらいになっても女性である母も、髪の毛がなくなっていくのは相当に辛かったと思うが、それでも、数ヶ月経つと髪の毛もまた生え始め、順調に回復への道を歩き始めていた。

続く

122 :次男:2018/07/13(金) 01:04:08.46
121の続き

この頃、俺的にもう一つの葛藤があったのが、母が続けているスナックに、身内が訪れてくれた時である。

元々結びつきの強い、母の従兄弟にあたるオジオバ連中が、母の見舞いがてらスナックに来てくれた。

だがそういう時は大概皆がその場での楽しさをいつまでも続けたいと思うあまり、母の帰りも遅くなってしまうのだ。

以前よりスナックも早い時間に閉めて極力身体に負担のかからないようにしていたのだが、こーゆー身内の集まり的になってしまうとオジオバ連中も帰りたがらない。

母もいつ別れが訪れてしまうかわからない不安からか、この一瞬を1秒でも大事にしたいかのように店を閉めようとしない。

俺はなるべく夜、車で迎えに行ってあげてたのだが、身内が来てくれてる日はほぼ俺からの「もう閉める?迎えいく!」というメールに対し「まだみんないる!まだ閉めないから来なくていい!」という返事が来て、最終的には「遅くなるからタクシーで帰る!」となっていた。

母の身体を思えばいくら名残惜しくても早めに店は閉めて身体をいたわって欲しかったが、滅多に会わないような身内連中と名残惜しく、今という時を共に過ごし続ける気持ちも痛いほどわかったので、俺としてはやきもきするしかなかった。

続く

123 :次男:2018/07/13(金) 01:11:45.00
122の続き

そうして数ヶ月が過ぎ、相変わらずの抗がん剤治療なども続けて、その度に「また腫瘍マーカー下がりました!」と母からの朗報に少し安心する、という日々を繰り返していく。

この間、癌の再発はなかったが時折、腸閉塞の手前?くらいな症状になってしまい、少しの入退院を何度か繰り返していた。

特に、湯治場へ行くのに長距離移動して遠い地方へ行った時など、母の体調が悪くなり、そのまま現地で入院、腸閉塞のカラミだった、とゆー事も増えていた。

まあ、これは尿袋を拒否し、無理くり腸を繋げまくった報いのようなものだ。

そうして二度目の手術から1年が過ぎ、幸いにも癌の転移・再発はなかったものの、辛い抗がん剤治療などの闘病生活に対して、ついに母の体力に限界が見え始めだした。

続く

124 :名無しさん:2018/07/13(金) 18:06:30.53 ID:HSeTAPe8W
ゆっくりで良い

待ってるよ

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