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本能のままに生きた母

1 :次男:2018/05/22(火) 07:10:19.29
俺の母親の話をしたい。

幼き頃、我が家は七人家族だった。
母方の祖父母、両親、姉、兄、俺。
まぁ、昭和末期によくある、核家族とは無縁の至って普通の家庭だった。

父は所謂サザ○さんのマスオさん状態で、養子。
この事がのちに俺の家庭環境をややこしくする要因の1つになる。

幼い頃は本当に普通の家庭だった。
俺は末っ子なので、皆んなに可愛がられながら育つ。

家族七人もいると、多少の派閥みたいなものも生まれがちだ。
例えばウチの場合は祖母は姉を可愛がり、祖父が兄を贔屓する、みたいな。

そんな中、俺は家族の誰からも愛されw順調に幼少期を過ごしていく。
他の家族もなんら変わらない様に生活していた様に思う。

そして母の本能が覚醒する最初の出来事があった。

2 :次男:2018/05/22(火) 07:47:05.38
小学校3年くらいの時に、地域の子供会イベントで某基地へ2泊3日のお泊まり会へ行った。
各自母親同伴で。

数日の共同生活なので、初日の始めに基地の方々とご対面式?みたいなのがあり、そこで俺ら児童をお世話してくれる隊員のお兄さん三人が紹介された。

リーダー格ぽい、Hさん。
背が高く明るいMさん。
三人の中では印象の薄めなIさん。

以上が俺ら糞ガキのお世話担当のラインナップだった。

この頃幼少期の俺は、神経質な子(母曰く)で、車酔いは凄いしこういったお泊まり会的な時も具合悪くなってしまったりがよくあった。

この時もそうだ。

初日か2日目か忘れたが、夜に体育館で隊員達の演奏会があり、その最中に気持ち悪くなってしまった。
パイプ椅子に座りながら少し離れた保護者達の席にいる母に「HELP!(゚Д゚)」と視線を送ると、母はすぐに俺の異変に気付いてくれて隊員にレスキューを求めてくれた。

そのまま俺は背の高く明るいMさんにお姫様抱っこで体育館から運び出され、部屋へ連れ帰られ1人休むことになった。
ちなみに遠足熱みたいなもので休んでいれば治る。

俺はこの時お姫様抱っこで救出してくれた、Mさんの事が好きだった。あ、変な意味じゃなくてねw
Mさんも何かと俺を気にかけてくれ、俺を下の名前で呼びかけてくれ、肩車してくれたり優しく可愛がってくれてたのだ。

そんなこんなで基地での体験生活も終わり、数ヶ月が経った頃、この時お世話になった3人の隊員お兄さんを招いて、我が地域の子供会でBBQをやる事になった。

3 :次男:2018/05/22(火) 07:49:01.62
今自分が、その頃の母親達の年になってみれば、少し下心や冒険心、大人の事情みたいなものもあったのか?と邪推してしまうが、先日のお泊まり会がお互い楽しかったので仲良くなったから、というのが、建前上の理由だった。

そして地元の貸し出しBBQ場にて例の3人を招き盛大な会が催された。

俺は変わらずMさん派だったので、Mさんに思いっきり遊んでもらった。
散々遊び、この会が終わっても隊員3人と各母子みんな、また遊びたいね、などと言い合い、あの3日だけのお泊まり会がかなり仲良い素敵な出逢いと化していた。

しかし、やはり大人の事情は存在したのだ。

詳しい日程は忘れたが、それから程なく母からこんな提案があった。

母「ねぇ、あの時のお兄さん覚えてる?今度ネズ○ーランドへ連れてってくれるからあんたらも行くよ!」

続く

4 :次男:2018/05/22(火) 08:00:55.07
子供の頃の俺は、当時最先端の遊園地だったネズ○ーランドへ行ける、というだけで楽しみだった。しかし、少し残念なのが連れてってくれる隊員さんが俺の好きなMさんではなく、あの時一番地味だったIさん…
そこは少し残念だったが、子供心のネズ○ーランドへの憧れはハンパない。すぐにランドへの気持ちに囃し立てられ、「隊員のお兄さん、最高!」と俺の中でお兄さんの存在価値は上がっていた。

その後も、半年に一度くらいのペースで母と俺ら子供、Iさんとのネズ○ーデートは続いた。俺は皆勤だったと思うが、兄、姉、俺の仲良い友人など、メンバーは、その時によってだった。
しかし、子供心にもこう何回もネズ○ーにいってると、疑問も芽生えてくる。俺からしてみたら俺という子供のために奇特にもネズ○ーへ連れてってくれる優しいお兄さん。
しかし、おかしいのが夜俺らを家まで送ってくれた後、必ず母とどっかへいってしまうのだ。
母「ちょっと、お兄さんにご飯食べさせてあげにいってくるね!」とファミレス行くノリで行ってしまうのだが、確か数回目の時に家の前でそう言って立ち去る車のテールランプを見ながら、子供心にこう思ったのを覚えている。
俺「……こいつら、デキてるな!……( ?° ?? ?°)」

なんか、まだあまり母の話ぽくないけど、これから本格的に始まります!

続く

5 :名無しさん:2018/05/22(火) 12:28:55.96 ID:rBdIRP3sf
>>1
支援
釣りだとしても面白い

6 :次男:2018/05/22(火) 14:02:37.26
>>5さん
ありがとうございます
初めての投稿で色々わからないので、皆様にご迷惑をおかけしないように、そして見てくださってる方がいらして安心しましたので頑張って書きたいと思います。
ただ、書き溜めしてないのと、実話なので話は完結まで書けるのですが、割とゆっくりな更新になってしまうかもしれません。

7 :拡散を全国に:2018/05/22(火) 14:23:22.58
豊崎(とよさき)1979年生まれ
神奈川県横須賀市横須賀定時制高校
金を恐喝・少女猥褻
私達従業員で全国に拡散してます。

8 :次男:2018/05/22(火) 23:24:00.31
4の続き

そう、母は不倫をしていた。

子供会の体験入隊(?)をキッカケに、自分より一回り以上若い青年を見初め、実に巧みに虜にしたのだ。
ちなみにイニシャルで登場したお世話がかりのお兄さん達は、体験当時20そこそこの歳り母はおそらく35歳前後。

今思えば、俺は母にある種の洗脳を施されていたのかもしれない。
これはこの話のラスト寄りに登場させる予定の、叔母(母の姉)の証言だが、「あの子(母)は子供を味方につける術に長けてるね」という言葉通り、俺や姉・兄も本当なら悪いことをしているはず(社会的に)の母側の人間に仕立てられていた。

当然当時は思いもしなかったが、やはり前述した叔母の発言通り、母からの多少の洗脳みたいな事にもなってたのだろう。
簡単に記せば、ネズ○ーランドへ連れてってもらえるようになってから以降、
親父→仕事ばかりして面白くもない冴えない男
Iさん→若くて俺に遊びを提供してくれるナイスガイ
という風な洗脳がなされていたかもしれない。

従って、母の不倫(当時はこんな言葉も知らずにいたが)に気付きながらも、「ま、あの親父じゃそうなっても仕方ないのか…」くらいな気持ちであったかもしれない。
ある意味、母の洗脳作戦は功を奏していた。

続く

9 :次男:2018/05/22(火) 23:36:24.99
そのまま、数年が経過して、俺は中学生になる。

この間、変わらぬ頻度で俺はIさんと母に遊びへ連れてってもらい、それとは別で母も不倫行動を続けていたはず。
祖父母に対して母がIさんの存在をどのように話していたのかはわからない。まあ、恐らく「子供会を通じて知り合った友人」程度な解釈で認知されていたのだろう。

そして不倫を続ける母は着実に不良主婦への道を突き進んでいた。
変化の1つは、タバコを吸うようになった。
パチンコも頻繁にするようになった。
俺ら子供が寝てしまっている様な、深夜遅くに帰宅する日も増えた
Iさんと旅行へ行く回数を増え、その度に母は幼馴染のEちゃんとTちゃんと旅行へ行ってる、という事になっていた。
ちなみにこの幼馴染達は子供ぐるみで俺らも面識もあり、一緒に旅行するような仲だったので疑われる率の低い当て馬だったであろう。
俺的には、母のこの時期の変化を「40歳デビュー」と名付けているw

しかし、悪いことはやはり隠しきれないものなのか?
遂に親父に不倫がバレてしまう日が来た。

続く

10 :次男:2018/05/23(水) 00:02:37.54
Iさんとの不倫旅行を幼馴染と行っている、としてたのが仇となった。

いつもの様に《幼馴染と旅行に行ってしまっている》母。
この日が仕事上がりだったのか休みだったのかはわからんが、親父がとある飲み屋に一人で飲みに行った。
飲み屋、と言うかスナックのような所だったのだろう。このお店で、なんと自分の妻と一緒に旅行しているはずの母の幼馴染であるEちゃんに会ってしまったのだ!(-.-)y-., o O

続く

11 :名無しさん:2018/05/23(水) 02:48:46.81 ID:8Cc/jWitf
人生ゆったりありのままが最高

12 :次男:2018/05/24(木) 23:03:35.95
10の続き

直近の出来事は割と鮮明に覚えているが、この話の初期となる昔の話は色々とうろ覚えです。なので、あまり記憶に自信がないが、この不倫がバレたくだりは確か祖母から聞いたと認識している。

母の実母である祖母は、現代で言えば大家族である7人家族の中では、所謂[一番普通の人]であった。自分を含め、それ以外の家族は正直言ってそれぞれ長短のある、よく言えば個性が強い、あまり一般社会において[普通の人]とは言えないと思う。

そんな我が家では唯一と言っていい[普通の人]である祖母が血相変えて俺に話して来たのはなんとなく覚えている。

祖母「俺ちゃん!お父さんに母の(嘘の)旅行がバレちゃったよ!(;ω;)」
まあ、この物言いだと前述した「祖父母がどう捉えていたか…」と言うのはわからないが、ジジババも良い歳だし母がしているのがイケナイ事である事、そして相手のIさんの印象が悪くなかった事などが推測される。

なにしろこの時に、数年続いた母の不倫があっけなくバレた経緯を俺も聞いたのである。

続く

13 :次男:2018/05/24(木) 23:05:46.98
>>11さん
本当、ありのままが一番ですね。
ただし私の母はあまりゆったりではなかったかもしれませんねw

14 :次男:2018/05/24(木) 23:15:34.26
12の続き

当時は携帯などなかったので、衝撃の事実(幼馴染との旅行という嘘)を目の当たりにした親父はおそらく帰宅するなり家にいた祖母に話したのであろう。「幼馴染と会ってしまったが、母は一体どいつと旅行中なのか?」と。
ノーマルヒューマン・祖母のこの時の狼狽ぶりは相当なものだったのだろうw

とにかく、母の不審な行動がバレてしまった。

細かいやりとりなどこの当時アレコレあったろうが、俺には詳細を語れるような情報と記憶がない。なので、詳しい話は省略させてもらうが、まあ普通に旅行から帰った母は親父に問い詰められたのだろう。そしてまだその時には白状しなかったであろう。

そして母はある行動を取る。

政治家などがこーゆー時(後ろめたい何かがあり逃げ出したい状況)取る行動の筆頭に、入院します!とゆーのがあるが、生憎俺の母は政治家ではない。

一般の主婦が出来る逃亡………

家出をしたのである。

続く

15 :次男:2018/05/30(水) 23:28:41.04
14の続き

この家出は確か1〜2週間ばかりだったと記憶している。この時、やはり狼狽していたのは我が家唯一の普通人、祖母である。
祖母「どうしよう!1ちゃん、お母さんがどこか行ったきり帰ってこない!泣」
俺「……まあ、そのうち帰ってくるよ…」
そんなやりとりが何度かあった。

ちなみに俺がそう答えていたのも訳があった。
おそらくこの時我が家で母の家出先に気づいていたのは俺、と、姉(姉が知っていたのは理由があるのだが)の2人だけだった。
単純に不倫相手のIさんちにいたのだ。

俺の場合は消去法による推理。
不倫がバレた、家出とゆー名の逃亡、行先は不倫相手のIさんちであろう、と。俺もなんとなくはIさんちは知っていた。同じ市内の、車で20〜30分のところにある。

当時、高校生だった姉は10歳くらい年上のバイト先の社員と付き合っていて、この彼氏がIさんと同い年だったことから、母子よろしく互いの彼氏(?)を含め仲良く遊んでいたらしい。
なので姉も共犯となり、この時の母の家出時の潜伏先も当然把握していたらしい。

ただ、俺からして見たらわかり切った潜伏先も、そこまで頭の回らなかった祖母や兄からしてみたら、かなりの大事として捉えていたらしい。

そんなこんなで、1〜2週間してひょっこり帰ってきた母。

と、思ってたが、後年兄から聞いたところによると、親父が不倫相手のヤサまで突き止めたらしく、兄が踏み込むのに付き合わされていだと言う事実が発覚。当時は俺はその辺聞かされてなかった。

続く

16 :名無しさん:2018/05/30(水) 23:32:42.38 ID:5Ac4+2tZ9
>>15
読んどるよ

17 :次男:2018/05/30(水) 23:36:11.73
15の続き

このくだりは少しTVとか出てくるドラマ仕立てぽいなー、と聞いた時に思った。とゆーより、これを話してた時の(その場に居合わせた)兄が言っていた。

不倫相手のヤサを突き止め、兄も同行させ踏み込む親父。
この信号を曲がれば家は目の前…とゆー正にその時、親父と兄の乗った車が赤信号で止まっていると、家側からIさんの車が出てきたらしい。助手席にはもちろん母。
それを目の当たりにした瞬間、
親父「!!お、おおおい!!!」
と奇声を発しながら、プアー!ぷぁぱぱーーーん!とクラクションを鳴らしていたらしいw

そこで、不倫中の2人はあえなく御用となったようだ。

兄曰く、「あの時ほど《あちゃー(;ω;)》と思ったことは今までない」らしい状況だったと。

続く

18 :次男:2018/05/30(水) 23:40:41.70
>>16さん
どーもです。
少し間空けてしまうと、話のまとめがうまくいかない気がしますがなんとか続けさせてもらいます(>人<;)

19 :次男:2018/05/30(水) 23:51:58.57
描き忘れに気づいたので追加させてもらいますが、過去のBBのくだりの時、その後男女の関係に発展したのはウチの母だけではなく、斜め後ろの御宅のお嬢さんも隊員のリーダー格Hさんと多少のお付き合いがあったらしいです。
ちなみにそのおつきあいは長くは続かなかったそうな…

20 :次男:2018/05/31(木) 00:01:19.05
17の続き

その後、我が家では深夜に母と親父の口論が毎夜続いていた。
俺はもう勘弁してくれよ…と、寝ようにも寝れない騒音に辟易し、口論の続く二階から一階へ避難して寝るようになった。

正直、我が家が心地の良い場所ではなくなっていたが、今でも心の中で勝手に感謝しているのだがこの頃は中学校が楽しくて仕方なかった。友人にも恵まれ、充実した学校生活を送っていたのだ。
特に友人達に我が家の事情など話していなかったが、毎日が楽しく、バカばかりやりながら学校生活を謳歌出来ていたことから、劣悪になり始めていた家庭環境にも惑わされず、この当時は生きていた。

やがて両親のバトルも終息を迎え、離婚する事となった。こうなると哀れなのは親父で、始めの頃書いた通り養子であった親父は妻に裏切られた上に離婚となると家も出て行く羽目になった。
大人になって色々と理解できるようになってからは親父の悲惨さに同情したが、この当時は俺はそこまで思わなかった。洗脳されてたのもあるし、すまんね、親父…

そして母はIさんと暮らすために家を出る。同じ頃、姉は結婚する為に家を出る。いきなり俺と兄、祖父母の4人暮らしが始まった。ちなみに姉の結婚相手は先述した彼氏とは別。

続く

21 :次男:2018/05/31(木) 00:11:53.13
20の続き

これにより、俺らは今まで通りの姓、母はI、親父は旧姓となり、結婚した姉を含めるといきなり身内の苗字が4つに分かれてしまったw
これは後ほど高校生になってからネタにさせてもらったw
Iさんは晴れて母の旦那となったので、これからは旦那と呼ばせてもらう。

この辺がウチの場合ややこしいのだが、よくある離婚→再婚話だと、義父であったり義母と表し一緒に暮らして、となるのだが、我が家の場合は両親共に家からいなくなり、それぞれ苗字まで変わりやがった。
なので、これはこの先数十年と母の旦那を見た職場の人らから「俺くんのお義父さんか…」みたいな言われ方をしてきたがどーもしっくりこない。
おとーさん、オヤジと俺の中で言えるのは旧姓に戻ってしまった親父だけだ。

母の旦那が若かったこともあるだろうが、一緒に1つ屋根の下に住んだこともない状態だったので、旦那の事をお父さん、と呼ぶのには抵抗があった。
ちなみに旦那とは俺は大人になってからも良好な関係で、一度「母親をとってしまった、みたいな事はお前らにも悪い事をしたなーと思っている…」ような事を言われた事もあるが、それは気にしないでくれ、と言っておいたり

22 :次男:2018/05/31(木) 00:24:01.14
21の続き

この後、たまに母は実家である我が家へ顔を出す。あくまで旦那んちで暮らしてはいるが。

親父は同市内で一人暮らしを始めた。

俺はとりあえず、年老いた祖父母が可哀想だったのでなるべく洗濯だの家事を手伝うようになった。
そうこうして月日は流れ、親父は結婚相談所で新たな奥さんを見つけたようだ。
不器用なりに、離婚後荒れまくった生活にも終止符を打つべく、アクションを起こしていたのだ。

そして我が道を行った母に1つの転機が訪れた。

旦那の転勤で寒い地方へ引っ越すことになったのだ。

続く

23 :次男:2018/05/31(木) 00:32:52.56
22の続き

これは信憑性がある話なのかわからないが、旦那の職業は独身のままでいると地元へと配置転換される仕組みがあるらしい。
なので母が早く籍を入れてしまおう!と言っていた。しかし、旦那には旦那側の事情もあるらしく、もたもたしているうちに、同棲はしていたが正式な夫妻になる前に旦那の地元である寒い地方へ異動指令が出されてしまったのである。

これには母はいつまでも文句を言っていた。
自分が生まれ育った土地を離れたくなかったのと、寒い土地はやだからなのだろうが、元はと言えば自分で蒔いたタネなのでわなかろーか?…と俺は思っていた。

確か俺が高校を卒業して、19.20くらいの頃だったと思う。

そして田舎にありがちな、車がないと何もできない!とゆー理由から、母は50手前にして車の免許を取りに行くことになった。

続く

24 :次男:2018/05/31(木) 00:45:47.39
23の続き

我が家にいた頃から、家族内でも運転に一番向いていない母が40後半になって免許を取りに行く事は我ら身内からしたらかなりの衝撃だった。
まあ、免許はなんだかんだ取れたが、初めて母の運転に乗った時の違和感と言えば恐怖しかなかった…

この頃は、母が年に数度帰省してきたり、逆に俺が北の方へ遊び行ったりと年に数度は会っていた。
そして、俺が21歳くらいの時、母から衝撃の話を聞かされた。
これは今でもネタとして使えるはなしであるw

続く

25 :次男:2018/05/31(木) 00:50:58.80
24の続き

俺が母のところへ呼ばれる時は、決まって旦那が仕事で山籠りのために1ヶ月ほど留守にする時。単純に雪国で1人だと寂しかったのだろう。

そんな雪国でのとある夜、母と2人で夜ご飯を食べて飲みながら話をしていたら、酔いも手伝いだんだん母の話が熱を帯びてきた。
この頃になると俺も成人していたし、母との会話も大人同士の会話が出来て子供の頃の会話よりも花が咲くものである。

スイッチの入った母ひ何故かラジカセの演歌を爆音で流し始め(スナックを演出したかの様にw)、おもむろに語り始めた。

母「あんたの高校の学費はねー、私がパチンコで全部稼いでやったのよ!」

俺「ふぁぁぁぁーーー?!(゚ω゚)」

続く

26 :名無しさん:2018/05/31(木) 22:34:59.95 ID:7Or20iDJV
ここまで読んだが、面白いなw

27 :名無しさん:2018/05/31(木) 22:53:18.92 ID:zkm5jYkoW
>>26
同意

28 :名無しさん:2018/06/01(金) 18:47:11.85 ID:HEAGnUqXK
日本IBMの大森一治さんの職務専念義務違反
就業時間中に会社の設備を利用して継続的に株取引を行っていた。
長期間ほぼ毎日。
経済行為であるため、
職務専念義務違反に加えて
二重就職や副業をやっているとみなされる可能性すらある。
日本IBMの大森一治さんの社内情報漏洩
騙して交際していた女性宅の固定電話で
2時間にも及ぶ社内電話会議や取引先との折衝をしていた。
電子社員名簿を開示し閲覧させた。

29 :名無しさん:2018/06/03(日) 09:25:28.53 ID:hzfOvGOyX
>>25
次男続き待ってるぜ

30 :次男:2018/06/05(火) 19:48:28.69
>>29
お待たせしました。

31 :次男:2018/06/05(火) 19:54:02.41
25の続き

その発言を聞いた時、「なんと地に足の着いていない育てられ方をしていたんだ!」とゆー思いが湧き上がり、なんとなくその時の自分の足元とゆーか、下半身付近がフワフワとした感覚に襲われた。

結果的には、学費が滞ることもなく高校生当時の俺はそんなこと知る由もなく、無事に卒業を迎えるのだが、途中、少しでも母のパチンコ稼業に負けが込んで学費が払えなかったりしたら俺の高校生活は途中で挫折していただろう。
まあ、本題とされるので掘り下げないが、中学が楽しかった反面高校はつまらなかったので、そうなったらそれはそれでありだったのだが…

続く

32 :次男:2018/06/05(火) 19:59:51.91
31の続き

ここで母のパチンコ歴に焦点を当てたい。
こんな話を聞いて、多くの方が「パチンコだけで数年もそんなに稼げるわけがない!」とお思いだろう。

母が不倫を始め、パチンコも始め、と書いたが、正確にはたまに昔からパチンコはやっていた。
ただ、今の旦那との交際がスタートしてから本格的にパチンコに精を出すようになっていた、とゆーのが正確な表現だろう。

そして、母のパチンコ稼業の変わっているところは、同じ店の同じ台を7〜8年に渡りほぼ毎日打ち続けた所だ。

たまに旦那と旅行へ行く数日以外、雨の日も雪の日も、朝から晩までひたすら同じ台を打ち続ける。
これは後年母から聞いた話だが、最大で月300万ほど勝った、と言っていた。
平均でいうと50万くらいは月に稼いでいたらしい。

続く

33 :次男:2018/06/05(火) 20:07:27.23
32の続き

あまり詳しくはわからないが、おそらく現代のパチンコ業界では同じような事は出来ないであろう。
しかしまだ昭和の匂いの残る、1990年代のはなしで、チェーン店みたいなのも少なく、当時のパチンコ屋も地元密着型な感じのファミリー感溢れる経営だったらしい。

母は店の従業員達とも仲良く、終わったら夜飲み行くほどだった。

母曰く、「たぶん、あの当時店からしたら私はサクラみたいな扱いだったんだろうねー」らしいが、まさにその通りだったのであろう。
それでなければ、そんなに勝たせてはもらえないはずだ。

もちろん、時折他の客から「なんでいつもあの台だけ出てるんだ!」などとクレームがあり、1週間くらいまったく出ない時もあったらしい。

そんな時も、店の従業員がこっそり「…Iさん、あと数日頑張ってください…絶対、出だしますから…」と耳打ちしてくれて、実際その通りになったらしい。

本当にパチンコだけでそんなに数年稼ぎ続けられるのか?と思う方もたくさんいると思うが、現実として母は俺の高校学費と、親父への慰謝料を払い続け終えたのである。

続く

34 :次男:2018/06/06(水) 13:25:09.44
33の続き

なんちゅー不安定な収入源から俺の教育費は出ていたのだ…と、ビックリする反面、結果オーライではないが既に終わった話だし、むしろ話のネタとして使えまくったので今に至るまでオモシロ話の一つとして色々な場面で使わせてもらっている。

衝撃の事実発覚から数年すると、母の居住地がまた代わり、もう一つ北の県へ引っ越すこととなった。

その後も年に数度母が実家へ帰ってきたり、俺らが遊びに行ったりと疎遠になることもなく月日は流れて行った。

続く

35 :次男:2018/06/06(水) 13:33:37.26
34の続き

母が雪国地方へ引っ越してから10年近く経ち、俺も27.8歳くらいになっていた頃、祖母に異変が起き始めていた。

一言で言えばボケ始めてしまったのだ。

中学入学頃から両親が家からいなくなり、祖父母と兄と暮らしてきた。
一つ屋根の下で共に暮らしている期間で言えば、両親よりも長い。

これは今でも思うのだが、俺は両親と祖父母、どちらの存在が大きいか?と問われれば祖父母>両親と答えるであろう。

死に別れではなく、両親ともに健在なのだが、やはり一つ屋根の下に暮らし続ける祖父母に対する俺の家族愛は、普段顔を合わせることのなくなった両親よりも大きなものになっていた。

そんな祖母が徐々に変わり始めた。
夜中まで起きているかと思えば、自分1人のために作った夜ご飯を食べながら寝てしまったりしている。
その内、意味不明な発言をする事も増えてきて、さすがにおかしい、と感じ始めた母が病院へ連れて行くと「痴呆症(当時の診断名」のレベル2くらいであることが判明した。

時を同じくして祖父の体調も悪くなり始め、寝たきりに近い状態になり始めると母が面倒を見るために、とゆー名目のために実家へ無期限の帰宅を果たすこととなった。

続く

36 :次男:2018/06/06(水) 13:37:37.61
35の続き

この頃は俺も兄も働いていたので、あまり多くは祖父母の介護に時間を要してはいなく、所々記憶も曖昧だ。
祖父は喉頭癌が見つかり、完全に寝たきりに。
祖母のボケはひどくなり、家の外へ出ようものなら徘徊、家にいても支離滅裂な事ばかり話、<普通の人>ではなくなっていった。

この頃の話で印象に残っているのが、介護疲れになった母が酔っ払って熱くなったのか、包丁を握りしめ「今からあのババア殺してやる!」とキレた事である。

続く

37 :次男:2018/06/06(水) 13:44:32.81
36の続き

とある夜、俺と兄が2階でTVを見ていると、酔っ払った母が包丁を握りしめ俺らのところへ来て、
母「もう、あたしゃー限界だ!今からあのババア刺し殺して、私も死んでやる!」
と宣言して、一階へ戻っていった。

俺と兄はポカン…と顔を見合わせた後、慌てて下の階へ降りていった。

ちょうど母が玄関の外へボケた祖母を連れ出して、包丁を手に何かわめき散らしながら出ていった所だ。

俺は少し驚ききながらも、まあ、母が包丁で祖母を刺し殺すようなことはあり得まい、と冷静に判断しながら、とはいえ包丁持ってるので怪我したら嫌だな…などと思い、母を抑える役目は頭は悪いがパワー系の兄に任せることにした。

案の定、口ではあーだこーだ言いながら一向に包丁を使おうとしない母を兄が抑え、俺が祖母を保護して一件落着。

ただ、母も興奮状態にあったし、少し頭を冷やさせるために近くに住む親戚のウチに母をこの日は泊めてもらうことにした。

続く

38 :次男:2018/06/06(水) 13:52:05.61
38の続き

親戚の家に母を預け、そこにいた従兄弟と俺と兄、男4人で外へ飯を食いにいった。
祖母を一人にしておくのもどうかと思ったが、とりあえず家の外へ出られないよう、部屋に閉じ込め状態にして出かけた。

が、これが更なる参事を巻き起こす事となってしまった。

男だけの夕食を終え、俺と兄が帰宅すると、祖母を閉じ込めていた部屋のど真ん中に像のウ○コのようなご立派な排泄物がドドーーーン!と君臨していたw

催したボケた祖母が、部屋から出られなかったのでソコでしてしまったのである。

祖母に俺が問い詰めると、ボケてはいるとはいえ恥ずかしいのか「あたしゃーしらないよー…(゚ω゚)」と惚けている祖母。
とはいえ拭いてもいないお尻周りをなんとかしなければならないので、赤ちゃんのオムツを取り替える要領で俺が祖母を寝かし、ク○まみれになったお尻を拭いてやった。

すると、祖母が「俺ちゃん、ごめんねぇ〜…(;ω;)」と謝ってきた。
この時ばかりは、何故だかボケた祖母が以前のように普通な祖母に戻った感じがして、何故か涙ぐみながら俺は「…俺ら赤ん坊の頃から散々やってもらったじゃん?!全然大丈夫だよー(;ω;)」と祖母のシモの世話をしながら、泣くのを必死に堪えていた。

続く

39 :http://i.imgur.com/PzO390z.png:2018/06/07(木) 23:11:28.64 ID:NZQM80/RU
http://i.imgur.com/wM7nV44.png
マリオブラザーズ風にウズリム退治しにきたロクロル
(蒸し暑いのでパンツ一丁)
http://i.imgur.com/j9qSy0t.png
器用なウズリム相手にゲームオーバーなロクロル
「パンツ盗られた〜(泣)(恥)(悔)」

40 :名無しさん:2018/06/11(月) 19:14:16.80 ID:hU49fjaqG
続きww
早よ!!

41 :名無しさん:2018/06/11(月) 20:28:25.08 ID:qhMj24Gl5
わいも陰ながら期待しとるで

42 :次男:2018/06/13(水) 19:58:38.99
>>40
>>41
うわぁ〜!ありがとうございます!
ちょっと、しばらく書き込めてないなぁ〜…と思って開いてみたらお待ちして頂いてるとわ…(;ω;)
続き、頑張ります!

が、一つ質問なんですが、携帯(スマホ)で投稿してるのですが、長く書くと「行が長すぎます!(?)」みたいなのが出てしまい長文が投稿出来ません…
携帯からだと文字制限とかあるのでしょうか?

43 :次男:2018/06/13(水) 20:24:18.16
38の続き

そんなこんなの数年間を過ごしながら、やがて俺の愛すべき祖父母とのお別れの時がやってくる。

祖母はボケが酷くなり、晩年は近所の施設に入る事に。
おそらく末期の痴呆症患者が収容されるような施設だった。

ボケてしまって数年間、たまに寝る時に「…もう、ガキの頃から知っている普通のばあさんとは会えないのか…」みたいな思いに駆られ、ねれなくなった時もある。
家に祖母が居なくなった事も違和感があった。

そして一度、施設へ祖母へ会いに行く事になった。
何度も行っていた母と訪れると、施設のロビーのような、テーブルがいくつもある所に入所者(かなり歳行ったばあさんばかり)が何人も座っている場所で、母が言った。

母「あ、あそこだ、ほら、ばあちゃんあそこにいるよ」

確かに髪は真っ白になり、顔もシワクチャになったばあさん達がそこかしこに点在しているのだが、ぱっと見俺にはどれが俺の祖母であるのか見分けが付かず、「え?!どこにおるんじゃ、ばあちゃん!!(゚ω゚)」と、テンパってしまったのを覚えている。

続く

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