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本能のままに生きた母

1 :次男:2018/05/22(火) 07:10:19.29
俺の母親の話をしたい。

幼き頃、我が家は七人家族だった。
母方の祖父母、両親、姉、兄、俺。
まぁ、昭和末期によくある、核家族とは無縁の至って普通の家庭だった。

父は所謂サザ○さんのマスオさん状態で、養子。
この事がのちに俺の家庭環境をややこしくする要因の1つになる。

幼い頃は本当に普通の家庭だった。
俺は末っ子なので、皆んなに可愛がられながら育つ。

家族七人もいると、多少の派閥みたいなものも生まれがちだ。
例えばウチの場合は祖母は姉を可愛がり、祖父が兄を贔屓する、みたいな。

そんな中、俺は家族の誰からも愛されw順調に幼少期を過ごしていく。
他の家族もなんら変わらない様に生活していた様に思う。

そして母の本能が覚醒する最初の出来事があった。

2 :次男:2018/05/22(火) 07:47:05.38
小学校3年くらいの時に、地域の子供会イベントで某基地へ2泊3日のお泊まり会へ行った。
各自母親同伴で。

数日の共同生活なので、初日の始めに基地の方々とご対面式?みたいなのがあり、そこで俺ら児童をお世話してくれる隊員のお兄さん三人が紹介された。

リーダー格ぽい、Hさん。
背が高く明るいMさん。
三人の中では印象の薄めなIさん。

以上が俺ら糞ガキのお世話担当のラインナップだった。

この頃幼少期の俺は、神経質な子(母曰く)で、車酔いは凄いしこういったお泊まり会的な時も具合悪くなってしまったりがよくあった。

この時もそうだ。

初日か2日目か忘れたが、夜に体育館で隊員達の演奏会があり、その最中に気持ち悪くなってしまった。
パイプ椅子に座りながら少し離れた保護者達の席にいる母に「HELP!(゚Д゚)」と視線を送ると、母はすぐに俺の異変に気付いてくれて隊員にレスキューを求めてくれた。

そのまま俺は背の高く明るいMさんにお姫様抱っこで体育館から運び出され、部屋へ連れ帰られ1人休むことになった。
ちなみに遠足熱みたいなもので休んでいれば治る。

俺はこの時お姫様抱っこで救出してくれた、Mさんの事が好きだった。あ、変な意味じゃなくてねw
Mさんも何かと俺を気にかけてくれ、俺を下の名前で呼びかけてくれ、肩車してくれたり優しく可愛がってくれてたのだ。

そんなこんなで基地での体験生活も終わり、数ヶ月が経った頃、この時お世話になった3人の隊員お兄さんを招いて、我が地域の子供会でBBQをやる事になった。

3 :次男:2018/05/22(火) 07:49:01.62
今自分が、その頃の母親達の年になってみれば、少し下心や冒険心、大人の事情みたいなものもあったのか?と邪推してしまうが、先日のお泊まり会がお互い楽しかったので仲良くなったから、というのが、建前上の理由だった。

そして地元の貸し出しBBQ場にて例の3人を招き盛大な会が催された。

俺は変わらずMさん派だったので、Mさんに思いっきり遊んでもらった。
散々遊び、この会が終わっても隊員3人と各母子みんな、また遊びたいね、などと言い合い、あの3日だけのお泊まり会がかなり仲良い素敵な出逢いと化していた。

しかし、やはり大人の事情は存在したのだ。

詳しい日程は忘れたが、それから程なく母からこんな提案があった。

母「ねぇ、あの時のお兄さん覚えてる?今度ネズ○ーランドへ連れてってくれるからあんたらも行くよ!」

続く

4 :次男:2018/05/22(火) 08:00:55.07
子供の頃の俺は、当時最先端の遊園地だったネズ○ーランドへ行ける、というだけで楽しみだった。しかし、少し残念なのが連れてってくれる隊員さんが俺の好きなMさんではなく、あの時一番地味だったIさん…
そこは少し残念だったが、子供心のネズ○ーランドへの憧れはハンパない。すぐにランドへの気持ちに囃し立てられ、「隊員のお兄さん、最高!」と俺の中でお兄さんの存在価値は上がっていた。

その後も、半年に一度くらいのペースで母と俺ら子供、Iさんとのネズ○ーデートは続いた。俺は皆勤だったと思うが、兄、姉、俺の仲良い友人など、メンバーは、その時によってだった。
しかし、子供心にもこう何回もネズ○ーにいってると、疑問も芽生えてくる。俺からしてみたら俺という子供のために奇特にもネズ○ーへ連れてってくれる優しいお兄さん。
しかし、おかしいのが夜俺らを家まで送ってくれた後、必ず母とどっかへいってしまうのだ。
母「ちょっと、お兄さんにご飯食べさせてあげにいってくるね!」とファミレス行くノリで行ってしまうのだが、確か数回目の時に家の前でそう言って立ち去る車のテールランプを見ながら、子供心にこう思ったのを覚えている。
俺「……こいつら、デキてるな!……( ?° ?? ?°)」

なんか、まだあまり母の話ぽくないけど、これから本格的に始まります!

続く

5 :名無しさん:2018/05/22(火) 12:28:55.96 ID:rBdIRP3sf
>>1
支援
釣りだとしても面白い

6 :次男:2018/05/22(火) 14:02:37.26
>>5さん
ありがとうございます
初めての投稿で色々わからないので、皆様にご迷惑をおかけしないように、そして見てくださってる方がいらして安心しましたので頑張って書きたいと思います。
ただ、書き溜めしてないのと、実話なので話は完結まで書けるのですが、割とゆっくりな更新になってしまうかもしれません。

7 :拡散を全国に:2018/05/22(火) 14:23:22.58
豊崎(とよさき)1979年生まれ
神奈川県横須賀市横須賀定時制高校
金を恐喝・少女猥褻
私達従業員で全国に拡散してます。

8 :次男:2018/05/22(火) 23:24:00.31
4の続き

そう、母は不倫をしていた。

子供会の体験入隊(?)をキッカケに、自分より一回り以上若い青年を見初め、実に巧みに虜にしたのだ。
ちなみにイニシャルで登場したお世話がかりのお兄さん達は、体験当時20そこそこの歳り母はおそらく35歳前後。

今思えば、俺は母にある種の洗脳を施されていたのかもしれない。
これはこの話のラスト寄りに登場させる予定の、叔母(母の姉)の証言だが、「あの子(母)は子供を味方につける術に長けてるね」という言葉通り、俺や姉・兄も本当なら悪いことをしているはず(社会的に)の母側の人間に仕立てられていた。

当然当時は思いもしなかったが、やはり前述した叔母の発言通り、母からの多少の洗脳みたいな事にもなってたのだろう。
簡単に記せば、ネズ○ーランドへ連れてってもらえるようになってから以降、
親父→仕事ばかりして面白くもない冴えない男
Iさん→若くて俺に遊びを提供してくれるナイスガイ
という風な洗脳がなされていたかもしれない。

従って、母の不倫(当時はこんな言葉も知らずにいたが)に気付きながらも、「ま、あの親父じゃそうなっても仕方ないのか…」くらいな気持ちであったかもしれない。
ある意味、母の洗脳作戦は功を奏していた。

続く

9 :次男:2018/05/22(火) 23:36:24.99
そのまま、数年が経過して、俺は中学生になる。

この間、変わらぬ頻度で俺はIさんと母に遊びへ連れてってもらい、それとは別で母も不倫行動を続けていたはず。
祖父母に対して母がIさんの存在をどのように話していたのかはわからない。まあ、恐らく「子供会を通じて知り合った友人」程度な解釈で認知されていたのだろう。

そして不倫を続ける母は着実に不良主婦への道を突き進んでいた。
変化の1つは、タバコを吸うようになった。
パチンコも頻繁にするようになった。
俺ら子供が寝てしまっている様な、深夜遅くに帰宅する日も増えた
Iさんと旅行へ行く回数を増え、その度に母は幼馴染のEちゃんとTちゃんと旅行へ行ってる、という事になっていた。
ちなみにこの幼馴染達は子供ぐるみで俺らも面識もあり、一緒に旅行するような仲だったので疑われる率の低い当て馬だったであろう。
俺的には、母のこの時期の変化を「40歳デビュー」と名付けているw

しかし、悪いことはやはり隠しきれないものなのか?
遂に親父に不倫がバレてしまう日が来た。

続く

10 :次男:2018/05/23(水) 00:02:37.54
Iさんとの不倫旅行を幼馴染と行っている、としてたのが仇となった。

いつもの様に《幼馴染と旅行に行ってしまっている》母。
この日が仕事上がりだったのか休みだったのかはわからんが、親父がとある飲み屋に一人で飲みに行った。
飲み屋、と言うかスナックのような所だったのだろう。このお店で、なんと自分の妻と一緒に旅行しているはずの母の幼馴染であるEちゃんに会ってしまったのだ!(-.-)y-., o O

続く

11 :名無しさん:2018/05/23(水) 02:48:46.81 ID:8Cc/jWitf
人生ゆったりありのままが最高

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