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立トスてレテス・備忘録

402 :カワイイ名無しさん:2019/07/16(火) 14:11:23.62 ID:0ZV/sUlFh
test

403 :◆p132.rs1IQ:2019/08/08(木) 03:44:57.00 ID:/VOhxRxdH
エイリアン2
アラン・ディーン・フォスター
野田昌宏[訳]
p141
 「かわいそうに。あなたはお話しするのが嫌いなのね? いいのよ、気にしなくても。黙っ
ていたければ黙っていていいのよ。私にはよくわかるわ。おんなじだから。たいていの人はた
っぷりお喋(しやべ)りするのに大事なことはあんまり言わないまま終るものなのよ。とくに大人が子供
にお話をする時がそうね。子供に向かってお喋りをするのが好きで、子供とお喋りをするのが
好きじゃないのよ。皆、あなたになにか聞かせたくて、あなたからなにか聞きたいわけじゃな
いの。とても馬鹿げてると思うわ。あなたが小さいからって、大事なことを知らないっていう
理由なんかにはならないのにね」

404 :◆p132.rs1IQ:2019/08/10(土) 06:28:54.90 ID:fg8IULB9K
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p1
明治二十七年(一八九四年)…………21(目次)
 海苔の村の雨乞  電話交換手、男子は夜勤もある  布哇の邦人は二万人  東京の電燈やっと二万
伊勢のあぶらや広告  皇太后陛下と能楽保存  金玉均上海で暗殺  金玉均の遺骸に惨刑  東学党
暴れ放題  朝鮮援を清国に請ふ  清国朝鮮に出兵  帝国政府出兵の理由を発表  朝鮮の官吏米穀
を売放つ  大鳥公使海兵を率いて京城に入り韓廷驚愕  広島第五師団出動  熊本の梅干騰貴  参
謀本部東亜大陸の地図を完成  朝鮮は独立国  閔泳駿巧に国王を籠絡  閔一派大院君守護の我兵に
発砲  国王大院君を召す  新聞の号外売  布哇共和政府確立  日清両国遂に開戦  宣戦の詔勅
韓国大改革開始  大院君新政の詔勅  渡韓は御法度  大院君が陸海軍を指揮  陸軍最初の会戦、
成歓陥る  在留清国人の保障  韓国民の階級  豊島沖海戦  清国の宣戦布告  上京中の郡司大
尉寂しく上野を出発  牛肉缶詰払底  日韓両国盟約成る  新聞の掲載禁止事項  平壌陥落  黄

405 :◆p132.rs1IQ:2019/08/10(土) 06:30:26.66 ID:w2Qcl3ANL
海大海戦、帝国海軍大勝  金鵄勲章年金令  山サ醤油二百五十年祝  まだ定遠は沈まずや  玄武
門一番乗りの原田重吉  大連湾占領  旅順口陥落  閔族再び抬頭して大院君引退  韓国の弊政改
革を井上全権公使国王に奏議  百一発祝砲の由来  荷車の据風呂で抜目ない戦場稼ぎ  海州東学党
猖獗  メッケル少将叙勲の理由

406 :◆p132.rs1IQ:2019/08/10(土) 06:32:16.76 ID:t25W+5EMe
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p2
明治二十八年(一八九五年)…………45(目次)
 アイヌが従軍志願  朝鮮独立誓告式  有栖川大将官薨去  アイヌ滅亡の叫び  威海衛遂に陥落
聯合艦隊伊東長官が清国丁汝昌に与へたる勧降書  北洋艦隊水師提督丁汝昌自殺  英雄に贈る日本軍
艦の弔砲  敵の北洋艦隊全滅  世界に誇る帝国軍隊の行動  講和使節李鴻章馬関に上陸  日清両
国全権第一回の会見  暴漢、李鴻章を狙撃  李鴻章狙撃事件に関し聖上御軫憂  我が艦隊澎湖島を
占領  休戦条約の要領  李鴻章遭難事件と欧米新聞の論評  京都電気鉄道開通  米国婦人に日本
服流行  李鴻章負傷後最初の会議  日清講和条約調印  講和使節去る  大院君の愛孫李〓鎔の叛
逆  平和克復の大詔  黒田清輝の裸体画問題化  大臣枢密顧問官何事か重大会議  日清講和条約
遼東半島還附  三国の干渉来る  李〓鎔一味に宣告  近衛師団台湾に上陸  台湾受領  屈辱外
交非難の演説中止又中止  日清戦争の我軍死傷二千七百人  朴泳孝と王妃衝突の由来  富士山頂に

407 :◆p132.rs1IQ:2019/08/10(土) 06:34:09.45 ID:Q+qPBgAck
測候所  悪徳記者横行  沖縄に徴兵令  京城に又も大事変  朝鮮事変の原因  閔妃兇変  日
本刀の暴漢王宮に閔妃を弑殺  日本壮士闖入事件  台湾の劉永福条件づきで降伏申出  朝鮮大君主
を皇帝と称す  韓王妃経歴  征台百五十日近衛師団凱旋  前特命全権公使三浦梧樓拘引さる  北
白川宮能久親王台湾に薨ず  韓国太陽暦採用  韓国王后崩御  学士の特権廃止運動

408 :◆p132.rs1IQ:2019/08/12(月) 03:37:02.04 ID:ySvgWRhDS
>>129-130
ちょいテスト

409 :◆p132.rs1IQ:2019/08/13(火) 05:42:16.80 ID:HrJ3PJufx
別冊1億人の昭和史 日本ニュース映画史
p218
●ジャワニュースの思い出 高場隆史氏談
 昭和十七年四月頃、私は陸軍報道班員
を解除されて日映に入り、ジャワで日本
の宣伝活動用の現地語ニュース「ジャワ
ニュース」製作を、東宝にいた監督の故
伊勢長之助さんと組み、月に二回発行し
ていました。なぜニュース製作ができた
かというと、ジャカルタ郊外にオランダ
人の経営していたマルティフィルムとい
うスタジオがあり、そこには白黒の自動
現像機やデュポンのフィルム、録音機は

410 :◆p132.rs1IQ:2019/08/13(火) 05:43:57.95 ID:+g0b1VFLn
ウエストレックスそしてミッチェルと立
派な機材が揃ってましてね。日本の機材
は使いませんでした。そのスタジオの主
人はJ・C・モールといい、以前ルネ・ク
レール監督の映画「巴里の屋根の下」の
録音技師をしていた人で、戦争で帰れな
くなり敵国人として、日本軍の捕虜にな
っているところを故大宅壮一さんが、技
術者だから日本に協力してもらおうと頼
み込んで、スタジオ接収の時モール氏は
家を与えられ一応軟禁のような形で釈放
されていました。モール氏には映画の技
術的な面倒を見てもらい、オランダ人を

411 :◆p132.rs1IQ:2019/08/13(火) 05:45:34.31 ID:lK4/fYaMc
チーフにロシア人、インドネシアの録音
技師、カメラマンを使ってニュースを作
ってました。当時、一番面白かったのは
東宝で製作された「支那の夜」主演・李
香蘭(山口淑子)が、日本からプリント
で送られてきまして、それを現地語に吹
き変え、日本人が中国人をなぐるという
問題の場面を除きまして、送られてきた
ポジフィルムを、スタジオでデュープし
たのですが、これがオリジナルよりたい
へん奇麗でした。やはりモール氏が技術
的にたいへん優れていたからデュープが
うまかったのですね。

412 :◆p132.rs1IQ:2019/08/14(水) 05:02:46.73 ID:WanWHxdFL
エイリアン2
アラン・ディーン・フォスター
野田昌宏[訳]
p254
 緩慢なプログラミング。人間の子供は本能という形でプログラミングされてこの世に生まれ
てくるが、環境、友達、教育、親などによって急激なプログラミングができる。ビショップは
自分のプログラムが環境に影響されないことを知っている。彼の遠い先代、なんでも狂ってし
まって、リプリーが自分を嫌う原因となったやつはいったいどんな状態になったのだろうか?
プログラムの破壊、あるいは悪意を持った人間による巧妙なプログラムの改変だったのか?
だとすればなんで人間はそんなことをするのだろうか?

413 :◆p132.rs1IQ:2019/08/16(金) 02:09:47.56 ID:vB3/qYNWh
もっとも危険なゲーム
ギャビン・ライアル
菊池 光[訳]
p200
「事の起こりはつりあい作戦(オペレーシヨン・カウンター・ウエイト)だった。きみ以前のことだが 聞いたことはあるだろう、ジャ
ッド?」彼は静かにうなずいた。「イギリス外務省のアイディアで、戦後のロシアの影響範囲を
押えこもうというのだ。連中は事態を見透していたのだ。ロシアによって解放された国はみんな
共産ブロックに入れられてしまうと考えた。そこで一九四三年の終わり頃にその作戦を開始した。
ロシアが侵入しそうな国々へ工作員を入れて、地下抵抗組織の中でもより保守的な分子と連絡を
とって、解放直後まっさきに政府を樹立することを勧めたんだ。イギリスが必ず承認するから、
などと保証をしたものだ」

414 :◆p132.rs1IQ:2019/08/16(金) 02:11:25.49 ID:i7cZhAhl3
もっとも危険なゲーム
ギャビン・ライアル
菊池 光[訳]
p203
 彼女は理解に苦しむ表情で私たちの顔を見比べていた。「どうしてもわからないわ。これが俗
に言うイギリス風のフェア・プレイなの?」
「秘密機関の仕事がフェアだと、誰が言ったんですか?」私が反問した。
 ジャッドがまたうなずいた。「秘密であるというだけですよ。もちろん任務を果たすことが必
要ですがね」

 彼女はながい間私たちの顔を見ていたが、「まだわからないわ」と言った。
「私自身フェアな扱いをうけることなど夢にも考えていなかった。どのようなきれいごとに仕立
ててみても、秘密活動というのは国家がおこなうギャング的な活動なんです。どこで仕事をして
も常に違法行為をやっている。それで何がフェアだといえるか? いったいどんなルールがある
というのだ? 唯一のルールは人に知られないでやるということだ。だから、失敗はもちろんの
こと、成功すらひた隠しにする。SISの記録を見れば大半は失敗の記録かもしれない。私はそ
の中の一つにすぎないのだ。戦後連中がフィンランドへやって来て、あれはどうだったのだ?

415 :◆p132.rs1IQ:2019/08/16(金) 02:13:38.25 ID:utk6/CvOS
などときいてくれるとは、毛頭考えたことがない。何かがあったということすら肯定できないの
だから。私はそんなことであろうといつも思っていた。フェアな扱いはまったく期待していなか
った」
「秘密活動をやっていくのには、それしかないんでね」ジャッドが言った。
「あなたはよほど献身的な人間だったのね」夫人が言った。
「雇われていただけですよ。雇われている人間が自分のやっていることに疑いをもつことは許さ
れません。そんなことで雇われているんじゃないのだから」
「戦争というものは、どんな場合でも正しい戦争なのです。もちろんこれは勝者の側からのみ言
えることですがね」ジャッドが言った。

秘密情報部 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8

特殊作戦執行部 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BD%9C%E6%88%A6%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8

416 :◆p132.rs1IQ:2019/08/17(土) 13:51:31.69 ID:RJc9hzPaB
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p329
 王妃はそのとき四〇歳をすぎていたが、ほっそりしたとてもきれいな女性で、つややかな
漆黒の髪にとても白い肌をしており、真珠の粉を使っているので肌の白さがいっそう際立っ
ていた。そのまなざしは冷たくて鋭く、概して表情は聡明な人のそれであった。王妃は濃い
藍色の紋織り地の、ひだをたっぷりとって丈の長い、とてもゆったりしたハイウエストのス
カートと、たっぷりした袖のついた深紅と青の紋織りの胴着という衣装だった。胴着の打ち
合わせは衿もとを花型の珊瑚(さんご)の飾りでとめ、六本ある深紅と青の飾りひもをそれぞれ珊瑚の
花飾りでとめるようになっており、飾りひもには深紅の絹のふさがついていた。髪飾りは毛
皮をまわりにあしらった黒い絹の縁なし帽で、ひたいにかかる部分がとがっており、前部に
花をかたどった珊瑚と赤いふさが、また両サイドには宝石の飾りがついている。靴は衣装と
同じ紋織りのものだった。話しはじめると、興味のある会話の場合はとくに、王妃の顔は輝
き、かぎりなく美しさに近いものを帯びた。

417 :◆p132.rs1IQ:2019/08/17(土) 13:53:19.39 ID:XsDi+b1tZ
 国王は背が低くて顔色が悪く、たしかに平凡な人で、薄い口ひげと皇帝ひげを蓄えてい
た。落ち着きがなく、両手をしきりにひきつらせていたが、その居ずまいやものごしに威厳
がないというのではない。国王の面立ちは愛想がよく、その生来の人の好さはよく知られる
ところである。会話の途中、国王がことばにつまると王妃がよく助け船を出していた。国王
と皇太子は白い革の靴と絹のキルティング地の靴下にゆったりしたキルティングの白いズボ
ンをはき、白い絹のチュニック、ついで淡い緑のチュニック、そして紋織りの濃い藍色の袖
なし長衣という衣装だった。衣装全体がえもいわれず斬新で目に快かった。頭には馬毛を織
った極上生地の網巾(マンゴン)をつけて、帽子と毛皮で縁どったフードをかぶっていた。というのも気
温が華氏マイナス五度[摂氏マイナス二〇度]だったのである。皇太子は肥満体で、あいに
く強度の近視であるのに作法上眼鏡をかけることが許されず、そのときはわたしにかぎらず
だれの目にも完全に身体障害者であるという印象をあたえていた。彼はひとり息子で母親に
溺愛されていた。王妃は皇太子の健康についてたえず気をもみ、側室の息子が王位後継者に

418 :◆p132.rs1IQ:2019/08/17(土) 13:54:57.28 ID:+S0T2zrvA
選ばれるのではないかという不安に日々さらされていた。頻繁に呪術師を呼んだり、仏教寺
院への寄付を増やしつづけたりといった王妃の節操を欠いた行為のなかには、そこに起因し
たものもあったにちがいない。謁見中の大部分を母と息子は手をとり合ってすわっていた。
 王妃はわたしに親切なことばをさまざまかけて丁重かつ明敏なところを示したあと、国王
になにか言った。すると国王がただちに会話に加わり、おしゃべりはさらに半時間つづい
た。謁見のおわりにわたしは池の亭を写真に撮らせていただけないかと許可を請うた。国王
は「あの亭ばかりではなく、何度も来ていろいろなものを撮りなさい」と建物の名前をいく
つか挙げたあと、「しかるべき世話役をつけてあげよう」とつけ加えた。とても楽しくまた
興味深い一時間をすごしたあと、わたしたちはおじぎをして退出した。たそがれどきだった
ので、国王の配慮で護衛と、赤と緑の薄絹をふわふわと漂わせた何人ものちょうちん持ちを
つけてもらった。

419 :◆p132.rs1IQ:2019/08/18(日) 12:45:38.55 ID:8FDPX7Rjb
Rare! Seung Hee Choi A Garden In Italy 1936
http://www.youtube.com/watch?v=Y9NSx6Sm-DY
https://i.ytimg.com/vi/Y9NSx6Sm-DY/hqdefault.jpg

420 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:09:37.86 ID:S2znNT8N/
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p332
 はたして二日後、「しかるべき世話役」とは数が多すぎてじゃまになるほどの人々だとわ
かった。なにしろ五人の将校、一個連隊の半分もいそうな兵士、それに宮廷従者多数という
集団なのである! わたしは建物内部のある種豪壮さにとても感銘を受けた。花崗岩の石段
を三連つなげた高台にある、とてつもなく大きな《謹政殿》は均整のとれた気品のある建物
で、ふんだんに彫刻をほどこした複雑な網状の天井は赤と青、緑に彩色され、巨大な円柱は
赤く、基部が白い。そして入口に面したほの暗く広々とした空間に、華麗な玉座がひっそり
とある。簡素さと剛健さで威風を漂わせているのは夏の高殿《慶会楼》で、石畳の島を二つ
置いて伝統美を添えた矩形(くけい)の蓮池に建っており、三つかかっている花崗岩の橋を渡って出入
りする。この建物はじつに気品がある。二階の大広間は広大な屋根とともに高さ一六フィー
ト、基部の一辺が三フィートの石柱四八本で支えられている。石柱は花崗岩製で、すべて一
枚岩である。建っている場所も眺めも美しい。

421 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:11:25.33 ID:n3vNQM64r
 その後三週間にさらに三度わたしは謁見をたまわった。二度目は前回と同じくアンダーウ
ッド夫人とごいっしょし、三度目は正式なレセプションで、四度目は厳密に内々の面会で一
時間を超えた。どのときもわたしは王妃の優雅さと魅力的なものごしや配慮のこもったやさ
しさ、卓越した知性と気迫、そして通訳を介していても充分に伝わってくる話術の非凡な才
に感服した。その政治的な影響力がなみはずれてつよいことや、国王に対してもつよい影響
力を行使していること、などなどは驚くまでもなかった。王妃は敵に囲まれていた。国王の
父大院君(テウオングン)を主とする敵対者たちはみな、政府要職のほぼすべてに自分の一族を就けてしまっ
た王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。王妃は毎日が闘いの日々を送ってい
た。魅力と鋭い洞察力と知恵のすべてを動員して、権力を得るべく、夫と息子の尊厳と安全

422 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:13:07.34 ID:buUcvArK/
を守るべく、大院君を失墜させるべく闘っていた。多くの命を粛清してきたとはいえ、その
ために朝鮮の伝統と慣習を破るということはなく、また粛清の口実として、国王の即位直後
に大院君が王妃の実弟宅に時限爆弾をひそませた美しい箱を送り、王妃の母、弟、甥をはじ
め数名の人間を殺害したという事実がある。その事件以来大院君は王妃自身の命をねらって
おり、ふたりのあいだの確執は白熱の一途をたどっていた。

423 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:15:39.69 ID:S2znNT8N/
 王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。そ
してその傾向は王妃の影響力がつよまって以来ますます激しくなっていた。わたしは国王が
心底ではその知力と相応に愛国的な君主であると信じている。国王は国政改革にもむしろ乗
り気で、申しだされる提案のほとんどを承認してきている。しかし不幸にも、また国にとっ
てはさらに不幸にも、その声明が国の法となる立場の人間にしては、彼はあまりにも人の言
いなりになりすぎ、気骨と目的意識に欠けていた。最良の改革案なのに国王の意志が薄弱な
ために頓挫(とんざ)してしまったものは多い。絶対王政が立憲政治に変われば事態は大いに改善され
ようが、言うまでもなくそれは外国のイニシアチブのもとに行われないかぎり成功は望むべ
くもない。

424 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:17:20.82 ID:mkhlYHraV
 国王は四三歳で、王妃はそれよりすこし年上だった。国王がまだ未成年で例にもれず中国
式の教育を受けているうちは、国王の父であり、ある朝鮮人作家の評するところによれば
「鉄のはらわたと石の心」を持つ大院君が、摂政として一〇年間きわめて精力的に国を統治
した。一八六六年には二〇〇〇人の朝鮮人カトリック教徒を虐殺している。辣腕(らつわん)であり、強
欲であり、悪を省みない大院君の足跡(そくせき)はつねに血に染まっていた。彼はみずからの息子すら
亡き者にしている。摂政時代が終わってから王妃暗殺まで、朝鮮政治史はおもに王妃および
その一族と大院君の激しい確執の歴史であった。わたしは宮殿で大院君に拝謁し、その表情
から感じられる精気、その鋭い眼光、そして高齢であるにもかかわらず力づよいその所作に
感銘を受けた。

425 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:19:09.19 ID:5VQuwfxFu
 それにひきかえ国王の表情は温和だった。国王はすばらしい記憶力の持ち主で、どんな事
件やしきたりについてきいても、だれの治世のいつに起きたことかを含めて仔細に答えられ
るほど朝鮮史にくわしいと言われている。《宮廷閲覧係》という官職は名誉職ではなく、ま
た景福宮で最も美しい建物に数えられる《王室書庫》はおびただしい量の漢籍を蔵してい
る。国王は反外国的な感情はまったくいだいていない。外国人に対してはなみなみならぬ好
意を示し、さまざまな危険に直面したときは、外国人の助力を遠慮なく頼りとしてきた。わ
たしが二度目に朝鮮を訪れたのは日本が支配的立場にあったときで、国王夫妻は西洋人に対
して格別の気づかいと思いやりを示し、外国人社会全体を池でスケートを楽しむパーティに

426 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:20:55.32 ID:OCUF02SyZ
招待すらした。キリスト教伝道団に対する国王の態度はきわめて好意的で、その寛容さは本
物である。他の外国人もそうであるが、国王夫妻と平素接していたアメリカ人侍医は、夫妻
に対して温かな情愛をいだいていた。思うに、朝鮮国民が王室に対していだいている一般的
な気持ちは、情愛のこもった忠誠心であって、圧政的で誤った行為の責任は大臣にあるとし
ているのではなかろうか。

427 :◆p132.rs1IQ:2019/08/20(火) 04:22:45.08 ID:jHS1M9FDn
 国王の人柄について長々と記したのは、国王が事実上朝鮮政府であるからである。それも
たんに名目上の首長にとどまらない。成文化されているにせよいないにせよ、憲法がなく、
議会も存在しないのである以上、国王の公布した勅令以外に法律はないといえる。国王は統
治者としてきわめて勤勉で、各省庁の業務全般について熟知し、膨大な報告と建白を受け、
政府の名のもとに行われるすべてのことがらを気にかけている。細部を仔細に考慮すること
にかけては国王の右に出るものはいないとはよく言われることである。同時に国王は全体的
にものごとを把握することには長(た)けていない。あれだけ心やさしい人であり、あれだけ進歩
的な考えに共鳴する人なのであるから、そこに性格的なつよさと知性が加わり、愚にもつか
ない人々の意見に簡単に流されるところがなければ、名君になりえたであろうに、その意志
薄弱な性格は致命的である。

428 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 04:22:25.28 ID:WJyAuUlfo
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p57
 一一月の睡蓮(すいれん)の池のような、あるいは笠の開いたきのこの大群のような観のある、この大
いなる都を峠から眺め下ろしていると、視線は自然に城壁をたどる。城壁は辺鄙(へんぴ)な場所で目
につき、南山(ナムサン)を一方向に上がったかと思うと、べつの方向では北漢山(プツカンサン)の尾根にくっきりと伸
び、こちらでは森を取り囲んでいるかと思えば、あちらでは空き地を囲み、かと思えば峡谷
をくだり、眺めている者の意表を突いて消えたりあらわれたりする。ややもすればめぐって
いる山腹なみに堅牢に見えるこの城壁は、高さが二五フィートから四〇フィート、周囲が一
四マイルあり(イギリス領事部フォックス氏による)、全長にわたって銃眼が備わっている。
八つの通路がうがたれ、石積みの頑丈なアーチやトンネルの上には一重、二重または三重の
反り返ったかわら屋根の高楼が建っている。これらの通路は日没から日の出までどっしりし
た門でふさがれている。城門は木製で、鉄で補強し鋲(びよう)を大量に打ってあり、中国式に《彰義

429 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 04:24:04.23 ID:s9Irr+VlT
門》、《崇礼門》、《興仁之門》といった仰々しい名前が記されている。
 城壁には盛土の表に石を積んだ部分と頑丈な石積みだけの部分とがあり、全体に手入れは
まずまず行き届いている。城外ソウルが広がってきたのは、河に近い側(がわ)と《北京パス》[義
州街道]の方向の先である。城門のひとつは《死者の門》で、これ以外の城門を遺骸が通る
のは王家の場合をのぞいて許されない。またべつの城門からは打ち首に処せられる罪人が出
て行き、打たれた首は処刑後数日間、さらにべつの城門の外でキャンプのやかんかけ状に棒
を組んだ台からつるしてさらされる。北漢山中にある北の城門はふだん閉まったままで、国
王がこの山にある要塞とやらに逃げださざるをえなくなった場合にのみ開かれる。

敦義門 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%BE%A9%E9%96%80

崇礼門 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A4%BC%E9%96%80

興仁之門 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BB%81%E4%B9%8B%E9%96%80

430 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:07:05.23 ID:5zbstTv/Y
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p338
 三度にわたる謁見での話題は、役に立つ情報を求めての知的な切望があらわれているばか
りでなく、日本人が国王に強要している国政改革を反映していた。わたしは清とシベリアで
見聞したこと、シベリアと日本の鉄道とその建設費、戦争に対する日本の一般大衆の反応な
どについてくわしい質問を受けた。またイギリス人はどのようにして官職に就くか、「貴族
ではない階級」が政府高官の地位まで昇りつめることは可能か、「特権」という点でイギリ
ス貴族の置かれた立場と目下の者に対する彼らの態度はいかなるものかについてもきかれ
た。ある日など国王と王妃の関心はイギリス女王と内閣との関係、とくに王室費についての
関係に集中し、国王の質問があまりに多くてとめどがないのでこちらが当惑するほどだっ
た。国王は《大蔵大臣》(財務府長官のことだと思う)は女王陛下の個人的な支出にも管理
権を行使できるのかどうか、女王の個人的な勘定を支払うのは女王自身かそれとも国庫かを
とくに知りたいようだった。さらには各大臣の権限について一連の質問がつづいた。

431 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:08:53.50 ID:UgHXkgZax
 質問の多くは内務大臣の職務、首相の地位、首相と他の大臣および女王との関係について
のものだった。大臣が女王の意向を実現できなければ、女王はその大臣を罷免できるのかど
うかについて国王は興味津々だったが、概念そのものになじみのない国王を相手に、通訳を
介して立憲君主制を説明したり、君主は大臣を選ぶ権利を名目の上でしか持たないことを伝
えるのは不可能だった。

432 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:10:34.38 ID:WJyAuUlfo
 朝鮮を発(た)つ直前、お別れの謁見の呼び出しを受けたわたしは、公使館の通訳官を同行させ
る旨許しを得た。かつぎ手八人の輿で参内し、いつものように丁重な出迎えやら捧げ銃やら
を受けたものである! このときは従者の集団もいなければ、長く待たされることもなかっ
た。数人の宦官と将校にともなわれて屋根のあるベランダに行くと、国王が戸を開けてわた
しをなかへ促してから戸を閉めた。なかは王家の人々がいつもすわっている上段の間だった
が、謁見の間との境の仕切りは閉まっており、上段の幅は六フィートもない程度なのでしき
たりどおりの深いおじぎはできなかった。いつものように従者や宦官や、丈を一ヤードもひ
きずる絹衣を着て、重たいかもじで髪をふくらませたり巻いたりした女官や特権階級の人々
の群れが、国王夫妻のうしろに立ったり、たくさんある戸口に集まったりしていることもな
く、この日は王妃の乳母とわたしに同行した通訳官しかいなかった。通訳官は王妃の姿の見
えない仕切りのすきまに立って卑屈なほど深々と身をかがめ、目は終始伏せたままで、声も
小声を通した。とはいえ予防措置をとっても、国王夫妻の望んだようなプライバシーは確保

433 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:12:11.08 ID:ZL0QHmTlQ
できなかった。仕切りのあいだからわたしは謁見の間に人影があったのをたしかに見ている
し、通訳官があとで「きょうは王后陛下に通訳申し上げるのがとてもたいへんだった」とも
らしていたのもどうりで、聞けば、その「人影」は国王からことに信用されていない大臣の
一派であり、その大臣はのちに、国王夫妻が話した内容をある外国公使に流したとされ、国
外へ逃亡せねばならなかったのである。

434 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:20:35.93 ID:1jlqq1B8v
 国王がなにを話したかについてはここでは触れられないが、一時間つづいた謁見はきわめ
て興味深いものだった。ある点で国王は他の人々にもそうしたように、とてもつよくみずか
らの考えを表明した。正式に清から独立した以上、朝鮮は専任の朝鮮駐在公使を派遣される
資格があるというのが国王の考えで、ヒリアー氏に対する深い敬意をあらわし、氏が最初の
専任朝鮮公使として着任されれば、これほど歓迎すべきことはないと述べた。

435 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:23:02.81 ID:tz4jfvqL8
 王妃はヴィクトリア女王について語り、「あの方は望みのものをすべてお持ちです――偉
大さも富も権力も。ご子息とお孫さんは王なり皇帝におなりだし、お嬢さまは女帝におなり
です。栄光のなかにいらっしゃる女王陛下に哀れな朝鮮のことをお思いくださいとお願いす
るのはむりでしょうね。女王陛下は世のためになることをいっぱいなさっています。立派な
人生を送っていらっしゃいます。女王陛下のご長命とご繁栄をお祈りします」。かの古い歴
史を持ちながらもぐらついている玉座の占有者からこのようなことばを述べられては、まさ
しく心に熱いものを覚えずにはいられなかった。

436 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:24:41.01 ID:5zbstTv/Y
 このとき王妃は琥珀(こはく)色の紋織りサテンの胴着と裳裾(もすそ)のついた濃い藍色の紋織り地のスカー
トという衣装で、深紅の飾りひもは五つの留め具と珊瑚(さんご)の房がついており、胸もとの留め具
は珊瑚製だった。帽子はかぶらず、たっぷりある黒髪はうしろでまげにまとめてあった。頭
のてっぺんを真珠と珊瑚で飾っている以外、宝飾品はなにもつけていなかった。わたしがい
とま乞いを告げると国王夫妻は立ち上がり、王妃とわたしは握手をかわした。夫妻からわた
しは、またもどってきてもっと朝鮮を見てほしいとの思いやりあることばをたまわった。九
ヵ月後わたしが朝鮮にもどったとき、王妃は惨殺されたあとで、また国王はみずからの宮殿
に実質的な囚われの身となっていた。

437 :◆p132.rs1IQ:2019/08/21(水) 09:26:23.09 ID:YyulLtf0r
 朝鮮国王に招かれた旅行者は往々にして謁見や周囲のようすや宮殿をあざ笑う。わたしは
わが国とは異なった国の習慣や礼儀作法が必ずしも嘲笑には値しないかぎり、あざ笑うべき
ものはなにひとつ目にしなかったと言わねばならない。むしろ反対にあったのは、簡素さ、
威厳、親切心、丁重さ、そしてたしなみのよさであり、こういったものはわたしにとても快
い印象を残している。四度にわたる宮殿での謁見は、わたしの二度目の朝鮮訪問の大きな特
色となった。

興宣大院君 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%A3%E5%A4%A7%E9%99%A2%E5%90%9B

438 :◆p132.rs1IQ:2019/08/23(金) 04:14:07.09 ID:t6s3q3lv4
What should I do
http://www.youtube.com/watch?v=8_rmD345qiQ
https://i.ytimg.com/vi/8_rmD345qiQ/maxresdefault.jpg

439 :◆p132.rs1IQ:2019/08/24(土) 08:31:46.93 ID:CtoEVKd3l
フルメタル・ジャケット
グスタフ・ハスフォード
高見 浩[訳]
p55
精神異常者とは、何が進行中なの
かに気づいた者のことである。

   ウィリアム・S・バローズ

440 :◆p132.rs1IQ:2019/08/25(日) 12:24:17.94 ID:qo6wJIsIV
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p460
 朝鮮人の風習のなかでも重要なものに数えられるので、「まげの結髪式」についてざっと
触れる。ほとんどの場合「まげ」は結婚を機に結いはじめることになるが、自家の子供に
「まげ」を結わせようと父親をはじめ家族が決めると、成人としての衣服、帽子、網巾など
が一家の財政の限度ぎりぎりまで費やしてととのえられ、儀式を行うのによい日時と、当日
の主役が儀式中に向いていると吉となる方角を占星術師に選んでもらう。正規の占星術師の
料金はとても高く、貧民の場合はふつう盲目の呪術師にこの日時と方角という重要な二点を
決めてもらう。

441 :◆p132.rs1IQ:2019/08/25(日) 12:25:58.73 ID:9xPvHonpJ
 いよいよ縁起のいいその日時が来ると一族が集まるが、家族内の催しということで友人は
招かない。《儀式の執行者》は強運の持ち主で資産があり多くの息子に恵まれていなければ
ならない。父親がそれにあてはまれば父親が、そうでない場合は父親よりも幸運な人生を送
ってきた旧知の友人がその役を務める。成人としての区別と特権を受けるべき候補生は部屋
の中央にすわり、大いに神経を払って決められた方角を向く。さもなければこの日以降悪運
にたたられるのである。《儀式の執行者》は厳粛かつ慎重に成人候補生のたっぷりした三つ
編みをほどき、頭のてっぺんを直径三インチの円形に剃る。そして髪全体をこのてっぺんに
集め、やや前方に傾いた二インチ半から四インチの角(つの)のような形にかたくねじってひもでし
ばる。つぎに網巾、すなわち馬の毛で編んだヘアバンドをひたいに当てて結ぶが、あまりき
つく結ぶのでひたいに跡が残ったり、しばらくのあいだ頭痛を覚えたりする。それから帽子

442 :◆p132.rs1IQ:2019/08/25(日) 12:27:32.09 ID:9xPvHonpJ
をかぶってひもで固定し、長くてゆったりしたコートを着る。これで未成年は成年になった
のである(10)。新成人は祖父からはじまる順序を守りつつ、床にぬかずくおじぎを親族のそれぞ
れに対して行う。

443 :◆p132.rs1IQ:2019/08/25(日) 12:29:07.37 ID:LACNQ2HgD
 それから祖先の位牌――祭壇に安置してごちそうやくだものを供え、両わきの背の高い燭
台にろうそくをともしてある――に供物を捧げ、「まげ」を結うようになったという重要な
できごとをぬかずいて報告する。そのあと成人している一家の友人たちを訪ね、はじめて同
等の応対を受ける。夜には父親の家で祝宴が開かれるが、これには一家の友人で「まげ」を
結っている人々がすべて招待される。

444 :◆p132.rs1IQ:2019/08/25(日) 12:32:23.54 ID:qo6wJIsIV
 帽子は上質の「クリノリン」でできているので「まげ」がはっきり透けてみえ、一オンス
半という軽さである。朝鮮人にとってこの帽子は始終気をつかわなければならない相手であ
る。濡れるとだめになってしまうので、雨に備えて防水カバーをたっぷりした袖のなかにし
のばせておかないことには、外を歩きまわるのもままならない。しかも簡単に破れたりつぶ
れたりするので、かぶらないときは木の箱に入れておかねばならない。この箱はふつう装飾
が入っており、女性の帽子箱のように運搬しにくいものである。着帽は敬意のしるしで、宮
廷官は帽子をかぶって君主の臨席を受ける。朝鮮人はよほど親しい友人といるときしか帽子
を脱がない。網巾はつねにつけたままである。「まげ」には翡翠(ひすい)や琥珀(こはく)やトルコ石の玉を飾
ることがよくあり、おしゃれな若者は高価な鼈甲(べつこう)のくしを飾ったりもする。わたしは男性の
身だしなみに関するもので朝鮮人の「まげ」ほど重要な役割を演じたり、丁重に扱われた
り、固執されたりするものをほかに知らない。

原 注
(10) 第九章一五一ページでもこの変身について少し触れた。(>>253-255)

445 :◆p132.rs1IQ:2019/08/28(水) 07:20:20.29 ID:gON5jnY/4
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p13
明治四十二年(一九〇九年)…………457(目次)
 登極令  憲法発布二十年記念と其の起草当時の回顧(伊東巳代治子爵談)  軍の腐敗問題  日露
鉄道連絡開始  文部省官吏の収賄  陸軍海軍逓信の三省が秘密ごっこで無電の発明  本郷名物、一
高の賄征伐  高商の昇格成らず、商科大学は帝大法科内に設置  ピンポン大会  新聞紙法公布
台湾の製糖業発展  国技館命名  樺太の暴動  曽禰荒助統監となる  掏摸親分仕立屋銀次を検挙
鉄道院商売熱心  社会主義者の妻達  聖上の御質素  池田菊苗が味の素を発見  韓国の司法及警
察事務日本へ委任  三八式新山砲完成  東京の活動写真館七十余  大阪の大火一万五千四百戸を焼
尽  韓国銀行条例  韓国軍部廃止令  米国へ桜樹寄贈  飛行機ドーヴァー海峡を渡る  会寧府
の位置判明  男女愚連隊横浜に跋扈  社会主義者が女の為に決闘  清韓国境等の日清協約成立
韓銀株式申込二百九十四倍  奈良原男爵飛行機を発明  芝伊皿子の名の由来  伊藤公満洲視察の途

446 :◆p132.rs1IQ:2019/08/28(水) 07:22:42.33 ID:xuW2Nx2cL
へ  伊藤博文公哈爾賓駅頭に狙撃さる  伊藤公遭難詳報  伊藤公国葬決定  韓国銀行創立総会
韓国に暴徒蜂起  伊藤公の霊柩悲しき入京  伊藤公暗殺兇徒は安重根  重大の密勅発見  四十三
年暦は陰暦も判る  安重根予審終結  九州縦貫の鹿児島線開通  旅順の表忠塔  新女大学可から
ず十条  韓国一進会日韓合邦の運動  合邦論は猟官主義  一進会長李容九の韓帝に奉りし合邦上奏
文  韓国政府は一進会有力者に刺客を放つ  韓国総理大臣李完用刺さる  李総理遭難後報  一進
会の合邦運動と李総理の兇変

447 :◆p132.rs1IQ:2019/08/28(水) 09:39:55.74 ID:Ij+4DM2OC
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p14
明治四十三年(一九一〇年)…………491(目次)
 昨年の飛行界長足の進歩  韓国の謝罪使伊藤公墓前に伏して哀哭  御陵墓調査の現状  清廷達頼
喇嘛廃位の上諭を発す  国産自動車成功  韓国十三道から合邦要望  「白樺」創刊  伊藤公狙撃
犯人安重根死刑  ハレー彗星通過  指紋法の効果顕はる  第六号潜水艇訓練中に事故  佐久間艇
長遺書  天眼通の女御船千鶴子出現  日本ニユーム発見か  千五百万円を投じて台湾蕃界の大討伐
を開始  日本語改造論者達  幸徳秋水一味不軌の大陰謀  聖書改訳の大業成る  著作権法の改正
要点  朝鮮警備機関改編  台湾の六三問題と糖税  韓国警察事務を日本に委託  オイルパス軸受
発明  法曹界の大恩人ボアソナード逝く  韓国の政社非政社  赤十字の母ナイチンゲール逝く
一府十八県の水害統計  韓国併合  併合費用三千万円  韓国併合の条件  韓国併合の詔書  前
韓国皇帝を冊して王と為す  李〓、李熹を公と称す  大赦と租税免減  朝鮮貴族令  韓国併合条

448 :◆p132.rs1IQ:2019/08/28(水) 09:42:21.45 ID:G2pncksPU
約  朝鮮総督府設置  韓国併合を中外に宣布  韓国併合に至るまで  朝鮮に於ける制令  板垣
伯爵の征韓論回顧(一)(二)(三)  韓国併合の負担九千万円に及ぶ  併合は強弱成敗の結果に非ず
胃腸病院長長與称吉逝く  二等寝台車  六〇六号発見の秦博士帰朝  速達郵便  清国資政院成立
朝鮮総督府官制  朝鮮総督府中枢院官制  朝鮮総督府地方官官制  朝鮮総督府は特別会計  朝鮮
貴族七十六名授爵  只の一厘で大審院まで諍ふ  邦人南洋で護謨事業  在郷軍人会  内容証明郵
便実施  在郷軍人会に海軍は不参加  郵便振替貯金  鉄道院の広軌改築案  百八十年目の凶年
千里眼夫人丸亀に現はる  白瀬南極探検隊開南丸で壮途に上る  大逆事件特別裁判開廷  朝鮮釜山
東本願寺の怪僧胆取り事件  日野大尉日本の空に初めて飛行  徳川大尉三千メートルを飛行  欧洲
産業界の恐日病

449 :◆p132.rs1IQ:2019/08/29(木) 05:39:31.91 ID:mY+DAMGaP
The Divine Weapon ※神機箭(シンギジョン)
http://www.youtube.com/watch?v=tgFPCjhsNtU
https://i.ytimg.com/vi/tgFPCjhsNtU/hqdefault.jpg

450 :【ぴょん吉】 ◆p132.rs1IQ:2019/09/01(日) 06:16:39.58 ID:8fAtw+u0q
フルメタル・ジャケット
グスタフ・ハスフォード
高見 浩[訳]
p229
 われわれの生死は、アリスの反射神経と情況判断に握られている。アリスの目は、まず大て
いの罠(わな)を探知できる。足にひっかけて転ばせるための緑色のガットのひも、対人地雷の撃針、
小さなメス、不自然にやわらかい土、踏みつぶされた木、足跡、各種の容器の破片、そしてあ
の伝説的な、とがった竹の刃が底から突きだしている落し穴。彼の耳も、色々な物音をとらえ
ることができる――不自然な静寂、装備がカサカサこすれる音、迫撃砲弾が砲身から放たれる
バスッという音、そして、ライフルのボルトがカチャッと引かれる音。われわれをもっと危険
な方角に誘導すべく、わざと目につくように仕かけ爆弾が道端に置かれている場合も、アリス
は、豊富な体験と動物的本能によって、それと察知できる。彼は知っているのだ、アメリカ軍

451 :◆p132.rs1IQ:2019/09/01(日) 06:18:10.88 ID:u7FZ70sdU
の死傷者の大部分は仕かけ爆弾の犠牲者であり、このベトナムにおける仕かけ爆弾は犠牲者自
身が己れの死刑執行人になるよう設計されているということを。敵のしたがること、奇襲をか
けようとする場所、狙撃兵が身を隠す場所も、彼は熟知している。黒い布切れでつくったひも
や、竹を三角形に組んだものや、石の奇妙な配列等は、みな敵が仲間のために置いた警戒信号
だが、そういうものまでアリスは知っているのだ。

452 :◆p132.rs1IQ:2019/09/03(火) 13:41:21.78 ID:0zDZcXlsd
推理・SF映画史
加納一朗
p54
 昭和十五年は紀元二千六百年の行事が全国的に繰り広げられた。
外国映画は輸入制限が強化され、前年にくらべてますます減少して
きた。アメリカで封切られた推理映画も日本では見ることができな
くなった。「駅馬車」や「大平原」のヒットは、人々が生活のスト
レスを映画館で解放したのかも知れない。「カッスル夫妻」のヒッ
トもアステア、ロジャース・コンビのダンスに、ひとときの憂さ晴
らしをしたのかも知れない。

加納一朗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%B4%8D%E4%B8%80%E6%9C%97

453 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:49:39.71 ID:ZOVlh4lFR
5chの

朝鮮の絵画がこちら。

スレから

454 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:51:20.68 ID:z4NKNPcYy
いまこそ知りたい 朝鮮半島の美術
吉良文男
p50
胸中の山水と真景の山水

 一三九二年、高麗(コリヨ)を倒した李成桂(イソンゲ)は、都をソウルに定め国号を
「朝鮮(チヨソン)」と称した。彼は建国当初より図画院(とがいん)(のちに図画署)を設置
し、画員を選んでさまざまな分野の絵を描かせる。ここでは、ふたり
の代表的画家による風景画を見てみよう。

455 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:53:01.61 ID:sY4FoVboi
 安堅(アンギヨン)は、一五世紀に活躍した朝鮮王朝初期を代表する画員であ
る。あらゆるジャンルの絵をよくしたというが、真筆として確実な作
品は、ここに掲げた『夢遊桃源図』一点のみである。描かれているの
は、当時の文芸の指導者であった安平大君(アンピヨンデグン)が夢中に見た桃源郷だと
いうが、着想のもとには中国六朝(りくちよう)の詩人陶淵明(とうえんめい)が編したという『桃
花源記(とうかげんのき)』がある。いわば脳裏に浮かぶ理想を風景に託した「胸中の山
水」で、実景ではない。
 しかし、巍峩(ぎが)たる岩山と忽然(こつぜん)と広がる桃花の山里は、やはりどこ
かに朝鮮半島の風土を感じさせ、これが実景に裏打ちされた空想の
風景であることを思わせる。

456 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:54:43.40 ID:NQy9rHOH4
 鄭[善攵](チヨンソン)(号謙斎(キヨムジエ))、一六七六〜一七五九)は朝鮮王朝後期を代表す
る画家で、写生を得意とし、各地の風景を写して朝鮮半島の風土に
即した「真景山水」を確立した。その画風は写意を重視する中国南
宗画(なんしゆうが)の影響を受けているが、単なる写実にとどまらない理想を宿し
た清新の風韻をおびている。

457 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:56:20.83 ID:uDwGKHeGI
p50
安堅(アンギヨン) 夢遊桃源図(むゆうとうげんず)(部分) 朝鮮(15c)奈良、天理大学附属天理図書館
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/93/Dream_Journey_to_the_Peach_Blossom_Land.jpg
 縦四〇センチに満たない画面が、無限の奥行きを感じさせる。絵につづいて
当時の名筆二一人の跋(ばつ)と賛があって、朝鮮書道史上でも重要な作品。

458 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:57:58.30 ID:NQy9rHOH4
p51
鄭[善攵](チヨンソン) 仁王霽色図(じんおうせいしよくず) 朝鮮(18c)京畿道、湖巌美術館
https://i.imgur.com/bBZmq2Q.jpg
 ソウルの西北には、いまも変わらぬ姿の仁王山(イナンサン)がある。画家は晩年をこの山
麓(さんろく)で過ごしたというから、眼底に焼きついた風景で、筆を執(と)れば山容はおのず
から紙上に画をなすような趣だったのであろう。

鄭[善攵] 金剛全図(こんごうぜんず) 朝鮮(18c)京畿道、湖巌美術館
https://i.imgur.com/jUKxrji.jpg
 金剛山(クムガンサン)は江原道北部にある仏儒両教の聖地とされる名山。鄭[善攵]は画面に
淡い水色をかけて脱俗の空気を表わす。画家は実地を踏破して描いているが、当
時このような中空からの視点はありえず、胸中山水と真景山水とが合わさっ
たところに成立した作品といえる。

459 :◆p132.rs1IQ:2019/09/04(水) 01:59:40.53 ID:48vBtyaj5
安堅 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%A0%85

鄭ゼン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E3%82%BC%E3%83%B3

460 :◆p132.rs1IQ:2019/09/06(金) 01:38:28.03 ID:/sGES2zHU
日韓併合小史
山辺健太郎[著]
pi
  ま え が き

 本書は、一八七六年(明治九年)朝鮮が日本とのあいだに、いわゆる江華島条約をむすんで開国してから、
一九一〇年(明治四十三年)日本に併合されるまでの歴史を書いたものである。
 朝鮮は近くて遠い国だとよくいわれる。これはいうまでもなく地理的には近いが、この近い国に行くの
は容易でないことをいったものであろう。これは日朝両国の関係と、朝鮮内部の南北分裂によるものであ
ることはもちろんであるが、また過去の両国の歴史的関係のなかにもその原因がある。
 朝鮮の歴史は、第二次大戦後まで朝鮮人にはあまり知らされていない。日本人の大多数は、たとえ「皇
国史観」による国史であっても、小学校から歴史教育はうけた。ところが朝鮮人には、檀君神話による朝
鮮建国の歴史すら知らされていない。朝鮮にあった朝鮮人小学校(普通学校)でも、中学校(高等普通学校)
でも、朝鮮史の授業はなかった。
 日本でも朝鮮史の研究はあまりすすんではいなかった。戦前の各大学では東洋史の講座があったが、こ
れはおもに中国史の講座だといってよく、ふつうこの東洋史のなかに朝鮮史の講座はふくまれていない。

461 :◆p132.rs1IQ:2019/09/06(金) 01:40:16.93 ID:hgberovD+
 こんな事情を反映して、朝鮮史の本は戦前にはひじょうに少く、またすくない朝鮮史の本でも、李朝以
前をあつかったものが多く、私がここに書いた時代をあつかったものも、ないわけではないが、たいてい
は資料にもとづかないものが多い。
 朝鮮近現代史の資料は、戦後はじめて公開されたのだから、このことはある程度やむを得ないことかも
知れない。ひるがえって、朝鮮側の資料になると、これはいま刊行中というところで、我々はいま十分に
利用はできない状態である。これも朝鮮が「遠い国」だからである。
 したがって、日朝の歴史学界で学問の交流もまだない、といっていいだろう。本書は、日朝歴史学界の
交流のかけはしとして役立てようと、特に日本の資料をたくさん使ってある。それに、近代朝鮮の歴史は、
日本にある資料を使わずには絶対に書けないからである。
 近頃はよく過去四十年間の、日朝間の不幸な関係だとか、朝鮮の不幸な歴史とかいわれるが、それを確
実な資料によって明かにしたものはまだ見当らない。

462 :◆p132.rs1IQ:2019/09/06(金) 01:41:54.09 ID:Ml6wLc0wz
 私は、東洋文庫、静嘉堂文庫、国立国会図書館憲政資料室、外務省記録等をしらべて、事実にもとづい
て、また資料によって本書を書いた。他人の著書によったところは、私が協力した人の著書、論文で、そ
の他先学の著書からはメーレンドルフという人の経歴を田保橋潔の『近代日鮮関係の研究』からとったほ
か、あとは原資料もしくは、それの複製ないしは写本によった。
 本書によって、いままで知られていない隣国の歴史を日本人がいく分でも知ることができれば幸いであ
る。朝鮮の土地調査事業だとか東洋拓殖株式会社のことなど、「併合」の前後にまたがることは、併合後の
朝鮮総督府治下の歴史にゆずるほかはなかった。「併合史」であるため、外交関係に重点がうつっている。
 本書中の固有名詞や漢字の読み方は、朝鮮音によらず漢字読みにした。たとえば「両班」を「やんばん」
といわず「りょうはん」としたり、人名を漢字音で読んだ。

463 :◆p132.rs1IQ:2019/09/06(金) 01:43:40.35 ID:/sGES2zHU
 本書を書くのに、さいしょ岩波書店からたのまれてから十二年たった。われながらずいぶんひまのいっ
たものだと思う。その間、岩波書店編集部の故稲沼瑞穂氏から、金玉均の手記『甲申日録』を見せてもら
い、その異本をさがして校合したうえテキストをつくったりして、ずいぶん道草はくった。これらの調査
研究のため、東洋文庫、静嘉堂文庫、東大の西洋史研究室、明治新聞雑誌文庫、国立国会図書館、とくに
そこにある憲政資料室、アジア資料室にある資料の利用については、たいへんお世話になったことをあら
ためて感謝したい。また本書の執筆にかかっているあいだに、「朝鮮史研究会」という学会ができ、いま
では関西にもその支部ができた。ここには朝鮮近代史研究についてすぐれた人たちがあつまっており、し
かもそれが若い人で、すでにいくつかの立派な論文を発表している。この人たちの助言もいただいている。
 岩波書店もよく十二年間もまってくれた。その間、岩波の人たちにも御世話になったことはもちろんで、
あらためて御礼をいいたい。

  一九六五年十二月十五日
   山 辺 健 太 郎

464 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:28:48.22 ID:SRw3VTktt
5chの

朝鮮の絵画がこちら。

スレから

465 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:30:21.25 ID:cnfA1colg
図解 もっと知りたい!朝鮮王朝500年の歴史
綜合ムック
p92
暮らしと制度(18)
王朝を支えた人々
農民・職人・僧侶〜庶民の暮らし(3)〜

働くことが蔑まれた時代、農民、職人の
地位は低く、僧侶は最下層の身分だった

466 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:31:56.21 ID:UvhPbGVHu
儒教社会では
働かないことが尊敬された

 朝鮮王朝で庶民といえば、そのほとんどが農民を指す。儒教の理
想は孔子の生きた古代の生活であるため、どうしても産業は農業が
根幹となる。また精神性が重視されたため、商工業での勤労が下等
視された。
 働かないことが尊敬されるのだが、農業だけは容認された。古代
中国にならうとそうなる。
 王は自ら先農壇(ソンノンダン)という祭祀場で神農氏(シンノンシ)(農耕神)を祀り、王妃は養
蚕(ようさん)の盛業を祀った。
 しかし農民が優遇されたわけではない。彼らは国に対して、さま
ざまな義務を負った。
 土地からの収穫量の10分の1を税金として納め、成人男子の場
合、16歳から60歳まで兵役の義務があり、国で行う建設、土木工事
にも動員された。

467 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:33:35.68 ID:iycwdHF0L
自ら指を断ってまで
職人でいることを避けた

 力を労することを嫌う儒教社会で、職人の地位は極めて低かっ
た。彼らは両班支配下で「身良役賤(シンヤンヨクチヨン)」といわれたように、良民の身
分でありながら最下層である賤民(チヨンミン)に近い蔑視対象だった。
 その職場環境を16世紀の文臣・梁応鼎(ヤンウンジヨン)は遺稿集に「発奮して指を
断ち、強いてその役を避けんとす」と、自ら指を断ち労働を忌避
する職人の姿を書いた。
 この原因こそ儒教理念による勤労の下等視にほかならない。
 壬辰倭乱(イムジンウエラン)で日本へ連行された陶工たちがその後、朝鮮通信使を通
じての帰国事業に応じなかったのは、帰国後に彼らを待ち受ける劣
悪な待遇に戻りたくなかったのだろう。

468 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:35:14.79 ID:iycwdHF0L
仏教を抑圧した
本当の理由

 職人たちはそれでも良民だったが、信じ難いことに朝鮮王朝は仏
に仕える僧侶たちを賤民に下した。
 太祖(テジヨ)が朝鮮の国家理念を儒教に置いた理由は、高麗が仏教をあつ
く保護したばかりに寺や僧侶の専横が過ぎたことを戒めたものだ。
 ところが儒教は、社会の指針にはなっても、そこに救い(癒し)を求
めることが難しい。現に儒教立国を標榜した張本人の太祖も、儒教
国家の理想を説いた第4代王・世宗(セジヨン)も晩年は仏教に帰依(きえ)している。
 王妃や尚宮(サングン)たち宮中女人が仏教に帰依する例も多く、それが社会
風潮にも広がる。当時女性たちが堂々と外出できる機会は寺への参
詣くらいであり、それが風紀びん乱に繋がるという理由で仏教を抑
圧した。
 しかし真の理由は、仏の慈悲があまねく衆生に及ぶという観念が
序列社会を説く儒教には不都合だったためだった。

469 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 05:36:47.72 ID:G3KtXXX0u
p92
https://i.imgur.com/CdCef4M.jpg
朝鮮王朝時代、農業は国の根幹を担っていた。金弘道画

p93
https://i.imgur.com/5im39QM.jpg
精神性が重視された儒教社会では、肉体労働者である職人の地
位は低かった。金弘道画

http://imepic.jp/20190909/191710
無学大師(ムハクテサ)。高麗末期から朝鮮王朝初期にかけての高僧。太祖は
無学大師を師と仰ぎ、遷都など国政に関わるさまざまなことで
無学大師の意見を取り入れていた

金弘道 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BC%98%E9%81%93

470 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 08:31:00.95 ID:UvhPbGVHu
ロボット(R.U.R)
カレル・チャペック
千野栄一[訳]
p111
ドミン これはナンセンスだ。やつらが人間より進んだ発展段階にあり、より頭脳的で、より
 強力だとぬかしておる。人間はやつらの寄生虫だと。これはえらく不愉快だ。

カレル・チャペック - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%83%E3%82%AF

471 :◆p132.rs1IQ:2019/09/09(月) 10:40:36.39 ID:vGSHR5K5z
プレデター
ポール・モネット
河原畑寧[訳]
p47
 なにかを見たのでも、聴いたのでもない。しかし、十三年の戦闘経験で、彼は周囲にいさ
さかでも異変を察知すると、自分の身体が即座に反応を起こすよう訓練を積んでいた。ビリ
ーの第六感はずば抜けていた。当たらなかったことはめったにない。かんたんに蠅でも叩き
殺すようにこちらの生命を奪う敵に出会う可能性があるときは、気配を感じたら未確認でも
すぐに行動しなければ、生き延びることはおぼつかない。先手必勝、ジャングルでは第二弾
に期待してはいけない。

472 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 15:14:52.35 ID:6WggRMU5R
マイアニメ 1983年12月号
p132
シネパトロール「ウォー・ゲーム」

マイコン少年は、第3次
世界大戦をくい止めるこ
とができるか……!?

 主人公のデビッドはマイコン狂の高
校生。電話回線を利用して、自宅のパ
ソコンを、よそのコンピュータに接触
させて遊んでいた。そしてぶつかった
プログラムの名は、「世界全面核戦争」。
 デビッドはソ連側を受け持ち、相手
のコンピュータはアメリカ役。さっそ
くデビッドは核ミサイルをアメリカに
発射した。ゲーム開始だ。

473 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 15:16:25.77 ID:I2TIjl0mr
 それと同じころ、全米の核ミサイル
を管制する防空戦略基地のコンピュー
タは、ソ連による核攻撃を告げた。
 そう、デビッドは知らないうちに、
全米を相手に、本当の戦争ゴッコ(ウォー・ゲーム)を始
めていたのである!
 数年前、実際にアメリカの中学生が
大企業のコンピュータに電話で介入、
記憶バンクを破壊してしまったことが
ある。この映画は、そういった事件に
ヒントを得たものだろう。
 かつては政府や大企業だけのものだ
ったコンピュータは、今や小学生のお
もちゃにまでなってしまった。この現
実に素早く対応した近未来SFである。

474 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 15:17:55.49 ID:ZZ9f6Iris
 現在、ミサイルは二人の将校が同時
にスイッチONしなければ発射されな
いようになっている。人類を滅ぼすか
もしれない最後の決断は、やはり人間
の良心にまかされているのだ。
 だが、この映画のようにコンピュー
タが自動的に核を発射するようにした
ほうが確実だ、という意見もある。
 これは、そんなコンピュータ万能主
義に警告し、戦争ゴッコのバカバカし
さと恐ろしさを主張している映画だ。
 それはさておき、悪ガキのデビッド
が、世界を救うべく、天才的なメカの
知識を生かして、スーパー・コンピュ
ータと演じる駆け引きがバツグンの見
どころだ。

475 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 15:19:30.53 ID:edEUz3rI4
「ブルーサンダー」のJ・バダム監督
は、前作同様、メカを生かした演出で
荒々しくサスペンスを盛り上げてゆく。
 また、防空コンピュータの音声が日
本語に吹き替えられ、字幕スーパーに
も工夫がこらしてあるので、パソコン
音痴にもわかりやすくなっている。
 特にラストのコンピュータの言葉に
は思わずニコリとさせられるだろう。
   (CIC配給/12月公開)

構成・文/町山智浩

「ウォー・ゲーム」海外版予告篇
http://www.youtube.com/watch?v=ZJpI5Vfs9go

476 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 22:20:37.54 ID:pPe3Vkme9
ソドム百二十日
マルキ・ド・サド
澁澤龍彦[譯]
p113
 自分の優位を確信し、自分がひとに怖れられていることを先刻承知のフランヴァルは、やがて
もうどんなことにも遠慮や気兼ねをしなくなった。世間態をつくろうための薄い被衣一枚で素顔
をかくして、彼は恐れげもなくその醜い目的に向って真直ぐ歩き出したのである。

477 :◆p132.rs1IQ:2019/09/10(火) 22:33:16.00 ID:pPe3Vkme9
「新感染 ファイナル・エクスプレス」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=fp7DB2OatqI
https://i.ytimg.com/vi/fp7DB2OatqI/maxresdefault.jpg

『ソウル・ステーション/パンデミック』予告篇
http://www.youtube.com/watch?v=gPnYfTnki7w
https://i.ytimg.com/vi/gPnYfTnki7w/maxresdefault.jpg

478 :◆p132.rs1IQ:2019/09/11(水) 12:19:17.82 ID:Ssop6qVt2
映画「夜の女王」

ヨンス:
アメリカにいた時

ヨンス:
英語名は何だった?

ヒジュ:
私? アレクサンドラよ

ヒジュ:
いじめられないように
立派な名前にした

4/3(金)リリース 『夜の女王』 予告篇
http://www.youtube.com/watch?v=HsgtnBA522A
https://i.ytimg.com/vi/HsgtnBA522A/maxresdefault.jpg

479 :◆p132.rs1IQ:2019/09/13(金) 05:23:43.69 ID:JrnVEpfb8
映画『ときめき〓プリンセス婚活記』日本版予告編
http://www.youtube.com/watch?v=sCA0MF9BQoY
https://i.ytimg.com/vi/sCA0MF9BQoY/maxresdefault.jpg

https://www.hancinema.net/photos/fullsizephoto952534.jpg

480 :◆p132.rs1IQ:2019/09/16(月) 01:20:57.02 ID:FItGRI4/3
呪われた者たち
ジョン・D・マクドナルド
吉田誠一[訳]
p78
 けつまずいた椅子を力いっぱい足蹴にしながらわめき散ら
している子供の頃の彼の姿が目に見えるようだった。今は彼
女を足蹴にしているのだ。
「わたしにあたり散らさないで」と、彼女はおだやかに言っ
た。
「いい気味だと思ってるんだろう。死ねばいいと思ってるん
だろう」
「どうとでもお考えなさいな」
 彼は彼女を見た。眼鏡をかけていない彼の目に涙があふれ
た。「ぼくは……ぼくは、もう、自分の言ってることさえわ
からない」

481 :◆p132.rs1IQ:2019/09/16(月) 13:38:39.98 ID:Ai4fOS2RG
死体農場
パトリシア・コーンウェル
相原真理子[訳]
p410
 テネシー大学付属腐敗研究所は「死体農場(ボディ・ファーム)」という簡単な名前で呼ばれており、私が知る
かぎりずっとその名で通ってきている。ここをそう呼ぶからといって、私たちが死者を軽視
しているわけではない。死者に対して最大の敬意を払っているのは、死者を扱いその無言の
話に耳を傾ける私のような人間だろう。その目的は生きている人を助けることにある。

482 :◆p132.rs1IQ:2019/09/17(火) 01:15:03.06 ID:f6l+EkVmq
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p367
 以前と同じくどうしても通訳が見つからずにっちもさっちもいかなくなってから、わたし
は申し分のない人物、李(イ)ハギン氏を紹介された。そして氏の口ききのおかげで、同行者が外
国人だったよりはずっと身近に一般の朝鮮人とまじわることができた。李氏は英語がとても
うまく、いつも快活で作法をわきまえ、知的で温厚だった。冗談がよく通じ、愉快でしかも
興味をそそる旅ができたのは、彼が同行してくれたことによるところが大きい。ヒリアー氏
がわたしにイギリス公使館の衛兵イムを従者としてつけてくれた。イムは前回わたしがソウ
ルを訪れた際、撮影旅行につきそってくれたことがあり、そのときも有能で信頼でき、機敏
でしかも「やる気」充分だった。じつに貴重な人材でほかの助手がすべてかすんで見えるほ
どだったのである。通訳、従者、パスポート、そして関子(クワンジヤ)、すなわち役所の助力を得られ
る朝鮮政府外務省発行の書状(一度も使わなかった)とそろえば、わたしの旅行はまさしく
鬼に金棒だった。

483 :◆p132.rs1IQ:2019/09/17(火) 01:16:51.67 ID:f6l+EkVmq
 出発の前日は李ハギン氏と知り合ったり、いろいろ親切に助けてもらった友人多数から別
れの訪問を受けたり、旅行用に雇った馬の具合や馬具を調べたり、写真の機材をそろえたり
してすごした。イムにカレーの作り方を教えたところ、たちどころに熟達してしまった。旅
行中わたしはほかの料理をつくらなかった。今後旅される方々のためにわたしの装備をご紹
介すると、キャンプベッドに寝具、ろうそく、じょうぶで大きな二重の油紙、折りたたみ椅
子、やかん、なべふたつ、琺瑯(ほうろう)製カップがひとつに皿が二枚、かびが生えてしまったものの
お茶が少し、小麦粉、カレー粉、エドワード社製「乾燥スープ」ひと缶(開けないまま持っ
て帰ってきてしまった!)といったところである。「朝鮮の食べ物をとるの?」というよく
きかれる質問に対しては、もちろんですよと答える。キジや鶏、イモや卵を食べるのであ
る。先にあげたもの以外に暖かな冬用の衣類、日本の俥屋(くるまや)の帽子(旅行用の帽子として最適
である)、そして朝鮮のわらじで旅支度はすべてそろう。持っていかないものが必要となっ
たためしはない!

484 :◆p132.rs1IQ:2019/09/18(水) 16:24:07.88 ID:CrRI7iSFj
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p519
 五方将軍(オバンチヤングン)は五人の鬼神で、東西南北と中央に宿る。シャーマンの家にはよく五方将軍がま
つってあり、その集合体の名前がつけてある。五方将軍は非常に敬われ、パンスの儀式では
それが著しい。南漢江(ナムハンガン)流域の村々の入口には、てっぺんにおそろしい顔を描いた柱が立てて
あり、ときにはわらの房が飾ってあったり米やくだものが供えてあったりするが、これは村
の守り神としての五方将軍をあらわしたものである(一〇七ページ参照)。

485 :◆p132.rs1IQ:2019/09/18(水) 16:26:50.65 ID:wCa0+ZDW0
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p107
 ソウルから遠くないところに仏閣が、また郡庁所在地に孔子廟があるのをのぞいて、鬼神
信仰以外の信仰を示す徴候はない。弥勒(ミルク)[石仏]をまつったほこらが二ヵ所にあったが、二
ヵ所とも水流の作用で人間に似た形に削られた石がミルクとなっており、山の精霊のほこら
である。また大きな木の下に石を積んで鬼神に奉じたものがある。高い柱のてっぺんをどこ
か人間のゆがんだ顔を思わせる形に粗く削り、黒と青に塗って、日本の神社にあるようなわ
らしべをたらしたなわが道に渡してあるのは、悪霊が入ってこないようにするためのもので
ある。また布切れの吹流しやすりきれたわらじが木の枝につり下がっているのは、悪霊に捧
げたものである。

将軍標 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E8%BB%8D%E6%A8%99

486 :◆p132.rs1IQ:2019/09/18(水) 16:29:32.95 ID:UvJfwN3zq
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p520
 トッケビはあまたいる鬼神のなかでも最もこわがられ嫌われており、また有名でもある。
それでいて得体は知れないらしく、丹念に調べても、たとえば鬼火や狐火のような、人をま
どわすものらしいということくらいしかわからないが、朝鮮ではれっきとした鬼神として崇
拝されている。トッケビはもとは人間で、頓死あるいは変死した人の霊魂だと考えられてい
る。刑場や戦場など人が大量に死んだ場所で生まれ、おびただしい群れをなして廃屋ばかり
か人里にも宿り、住民をこわがらせる。《桑の宮殿》[景福宮]の正殿に棲みついたのはこの
鬼神で、怪談が広まり、暗く豪奢なこの殿舎には夜な夜な鬼神が浮かれ騒ぐと信じられてだ
れも住めなくなってしまった。新しい宮殿を建てて移り住んだのはトッケビのせいである。

487 :◆p132.rs1IQ:2019/09/18(水) 16:31:15.25 ID:UU/n09bpF
トッケビの呪物は使い古して汚れた馬夫(マブ)の帽子や官庁書士の外套のようなもののようで、小
さなわら小屋におさめる。夜浮かれ騒ぐ以外に、鉄なべのふたを落としたり、夜通し戸や窓
をたたいたりするのもトッケビのしわざとされている。戸や窓が壊れそうなほど激しい音を
たてるのに、だれもそこにはいないのである。

トッケビ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%93

488 :◆p132.rs1IQ:2019/09/19(木) 00:57:15.62 ID:YSdukbSTs
死体農場
パトリシア・コーンウェル
相原真理子[訳]
p417
 二人の男性のあとについて、不気味だが有用なその王国に入っていった。においはそれほ
どきつくなかった。温度がかなり低いし、住人の多くはここに来てからだいぶたっていて、
一番ひどい段階は過ぎているからだ。とはいえ、あちこちに見られる異様な光景には、いつ
もぎょっとさせられる。遺体運搬用の車と移動ベッドがとめてあり、赤い泥土が積みあげら
れている。まわりにビニールを張った穴に水がはってあり、石炭殻ブロックをくくりつけた
死体がその中に沈められている。さびだらけの古い車のトランクや運転席に、悪臭を放つ死
体が置かれていて驚かされる。たとえば、白いキャデラックを運転しているのは白骨化した
男性の遺体だ。
 もちろん地面の上にもたくさんの遺体が置かれている。だがまわりにすっかりとけこんで
いるので、金歯が光ったり口がかっと開いたりしていなければ、見過ごしてしまうものもあ
る。骨は小枝や石のように見える。もはや言葉に傷つく者はここにはいない。ただし切断し
た手足を寄贈したドナーは別で、彼らはまだ生きていることを祈る。

489 :◆p132.rs1IQ:2019/09/19(木) 00:58:50.43 ID:1uId30ppE
 クワの木の下に転がっている頭蓋骨が、にっと私に笑いかけた。両眼の間に開いた銃弾の
穴が、第三の目のように見える。完全なピンク歯の症例もあった(溶血がピンク歯の原因だ
ろうと考えられているが、どの法医学会議でもいまだにそれが議論の的になる)。クルミが
あたり一面に落ちているが、それを拾って食べようとは思わない。ここでは死が土を汚染
し、体液が丘にしみている。死は水や風にも混じり、雲にまでのぼっていく。死が雨となっ
てファームに降り注ぎ、昆虫や動物は死をむさぼる。彼らは食い尽くさず、残すことも多
い。供給があまりに多すぎるのだ。

490 :◆p132.rs1IQ:2019/09/20(金) 05:34:35.73 ID:PGmCnxUjX
アメリカン・サイコ(上)
ブレット・イーストン・エリス
小川高義[訳]
p193
 スミスリー・ワトソンのガラス製マガジンラックに掛かっている、きょうの『ニューヨー
ク・ポスト』を手にして、ゴシップ欄をざっと眺める。と、私の目は、このごろ奇妙な生物の
目撃例があるという記事にとまる。半分は鳥で半分はネズミのような――基本的にはハトであ
るが、頭と尻尾(しつぽ)がネズミという――生き物がハーレムの最深部あたりに現われ、だんだんミッ
ドタウンのほうへ進出しているらしい。これを一匹写した粒子の粗い写真が、記事に添えてあ
る。だが『ポスト』が言うには、専門家によると、この新生物はでっちあげの紛い物と思われ
るから、安心してよいそうだ。それでも、いつもながら、私の恐怖心はなだめられない。私は、
なんとも言えない恐ろしさでいっぱいになる。つまり、どこかの誰かが、これだけのエネルギ
ーと時間をすりへらして、こんなでっちあげをしたのだ。にせの写真を作り(しかも、へたく
そな半端仕事だから、ビッグ・マックのような見てくれにして)、できた写真を『ポスト』へ

491 :◆p132.rs1IQ:2019/09/20(金) 05:36:05.05 ID:HIzk9UkG/
送りつけ、すると、その『ポスト』では記事を構成することにして(会議をして、激論して―
―まぎわになって中止したくなったりもしたか?)、写真を載せることにして、誰かを選んで
写真に説明を書かせ、専門家に意見を聞かせ、ついに本日付けの三ページに記事が出て、きょ
うの午後、この都会の何千何万というランチの席に話題を提供したわけだ。私は新聞をたたみ、
疲れきって仰向けに寝そべる。

492 :◆p132.rs1IQ:2019/09/21(土) 08:09:19.33 ID:j9AxJPxMo
フルメタル・ジャケット
グスタフ・ハスフォード
高見 浩[訳]
p93
 ジャニュアリー大尉は、にんまりと下卑(げび)た笑いを浮かべて軍票の山をかきあつめる。「きみ
はビジネスがわかってないね、ミスター・ペイバック。もし、海兵隊の将軍たちにビジネスの
わかる者がいたら、この戦争はとっくに終ってるな。この戦争に勝利をおさめる秘訣はPRに
あるんだ。ハリー・S・トルーマンはかつて言ったね、海兵隊にはスターリンのそれにも匹敵
する宣伝機関がある、と。その通りだ。戦争で最初に戦死をとげるのは〈真実〉なんだ。兵士
よりは報道員のほうがずっと効果的な役割をはたす。兵隊は、ただ敵を殺すだけだからな。重
要なのはわれわれが書く記事、撮る写真なんだ。そりゃ、歴史は血と鉄によって書かれるのか
もしれんよ。しかし、それはインクで印刷されるんだからね。歩兵どもはたしかに見事なショ
ウを演じる。しかし、それに意味を与えるのはわれわれなんだ。陸軍や空軍の連中は、海兵隊

493 :◆p132.rs1IQ:2019/09/21(土) 08:11:07.58 ID:Lnr6MYszf
は必ずカメラマン同道で出撃するといってからかうが、そんなことは気にする必要はない。わ
れわれの守るべき伝統は、連中のそれよりずっとレベルが高い。だから、それだけ熾烈(しれつ)に闘う
ところを記録する必要があるのさ」

494 :◆p132.rs1IQ:2019/09/22(日) 05:29:12.67 ID:Doz/YvsD9
朝の!さんぽ道 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E3%81%AE!%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BD%E9%81%93

495 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 11:07:41.52 ID:5fnY0ozay
>>494
2019/09/18放送

ガクガク止まりまくるワンセグ録画データのテロップ等から

日高!
秋に行きたい街さんぽ

1300年前に創建された
高麗神社
神社の入り口にあった2本の柱は いったい何
なんでしょうか?
神社の方に聞いてみました。

496 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 11:09:27.59 ID:ZTTR8JAAx
権祢宜
保々 宗一さん

'-')当社が
  朝鮮半島にゆかりのある神社
  朝鮮半島の風習で
  魔除けになるもの
^o^)朝鮮半島では 見たことあるって 方がいっぱい
  いるような
  ものなんですか?
'-')そうですね そこから…。
  中に悪いものが入ってこないように
^o^)守ってくれる将軍様たち なんですね。
'-')そうですね はい。

497 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 11:10:17.37 ID:ZTTR8JAAx
'-')当社の主宰神となる方は
  古代 朝鮮半島にございました…。
  高句麗という国の王族であった方
  その者が…。
  西暦666年 日本に渡来
  高句麗が668年になくなってしまう
^o^)高句麗の国が。
'-')そうですね はい。
  そのまま 高句麗の王族で あったことから
  日本の朝廷に 韓人として仕えていた

498 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:32:15.01 ID:oQA94V8Uc
5chの
https://i.imgur.com/VDldoaf.jpg
朝鮮の絵画がこちら。
https://i.imgur.com/m7QPQmN.jpg
スレから
https://i.imgur.com/5laphsT.jpg

499 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:34:07.35 ID:VZjl8wsR3
図解 もっと知りたい!朝鮮王朝500年の歴史
綜合ムック
p90
暮らしと制度(17)
あふれる美貌と才を武器に、男たちを篭絡した
妓生(キーセン)〜庶民の暮らし(2)〜

言葉を解する花にたとえられた
妓生たちのベールに包まれた生活とは?

500 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:35:52.35 ID:ZTTR8JAAx
朝鮮王朝を彩った
華麗なる賤民

 妓生(キーセン)のルーツについては諸説あるが、『高麗史』によれば「官婢に
した百済遺民の中から容貌と技芸に優れたものを選んで歌舞を学ば
せ女楽とした」という。
 彼女たちは八関会(パルグアンフエ)(国と王室の安泰を祈願する儀式)や燃燈会(ヨンドウンフエ)
(釈迦の生誕祭)などの国家的仏教行事や、中国からの使臣を接待す
る宴席に動員された。朝鮮王朝も、ほぼこの制度を継承し、宮中に妓
生庁を置いてこれを管理した。
 いわば彼女たちは国家に所属する公務員・官妓であり、宴会のな
い時は宮中の内医院(ネイウオン)や針房(チムバン)で勤務した。しかし彼女たちの最も重要
な仕事はやはり中国使臣の接待だった。
 宴席で歌舞を披露し、酒食を接待した後は彼らの宿舎へ送られて
夜伽(よとぎ)の相手を務めた。これが宮妓であり、地方官庁にも同じシステ
ムがあった。こちらは郷妓(ヒヤンギ)と呼び、中央から来た官僚たちの相手
をした。また、身分的には最下層の妓生だったが、その職業上、華
麗な衣服や豪華な服飾品の着用が許され、彼女たちの服装は一般女
性たちの服飾にも影響を与えた。

501 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:37:30.50 ID:YiZT9A5R3
歌舞、書画、詩……
妓生は当時珍しい才女だった

 両班(ヤンバン)たちは妓生を、言葉を解する花にたとえ「解語花(ヘオフア)」とも讃え
た。これは美貌で両班たちを楽しませるという意味だ。
 彼女たちが相手をする中には教養に長けた両班もいて、彼らに応
えるためには妓生のほうでも、歌舞はもちろん書画、詩才の素養を
持つことが望まれた。女性に学問は不要とされ、王妃や両班の娘の
中にも文字を知らないものもいた時代、才豊かな妓生は話題になっ
た。そして、その学識もウィットに包んでさり気なく発揮すること
が風流として喜ばれた。
 有名な逸話がある。王朝初期の頃、開国の功臣をねぎらう太祖(テジヨ)の
宴席で、宰相・裴克龍(ペグンリヨン)が妓生の雪梅(ソルメ)に、「東家食、西家宿(誰にでも
なびく)の妓生なのだから自分にも枕を薦めてはどうか」と問うと、
雪梅は「王氏(高麗)に仕え、李氏(朝鮮)に仕える大臣とは、(誰に
でもなびくもの同士)よい取り合わせです」とやり返したといわれ
ている。

502 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:39:04.34 ID:WWcxt7zLe
p90
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/86/Hyewon-Dano.pungjeong.jpg
最下層の身分ながら、妓生(キーセン)は職業柄、身だしなみには気を遣っていた。『深渓遊沐図』申潤福画

p91
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Hyewon-Ssanggeum.daemu.jpg
妓生には美貌だけでなく、教養も求められた。『雙劍對舞』申潤福画

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f6/Kisaeng_School.JPG
妓生の文化は朝鮮王朝以降も受け継がれていった。写真は1930年
代、平壌にあった妓生学校

503 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:40:43.97 ID:Ud0k/7rHb
p91
朝鮮王朝の薀蓄(うんちく)

女流詩人・黄真伊(フアンジニ)
 妓生でありながら、女流詩人として後世にまで名を
残したのが黄真伊だ。
 黄真伊は16世紀に開城(ケソン)に生きたとされる妓生で、
秀でた容貌とともに艶やかな時調を詠んだ。時調とは
新羅時代に端を発するという定型詩で、それまで両班
たちが儒教教条主義的な内容を詠んだ中、黄真伊は
人の愛を自由に詠み、現代でも高く評価されている。

504 :◆p132.rs1IQ:2019/09/24(火) 12:42:15.54 ID:Zx3ApmGJf
申潤福 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B3%E6%BD%A4%E7%A6%8F

黄真伊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%9C%9F%E4%BC%8A

参考
>>156-161

505 :◆p132.rs1IQ:2019/09/26(木) 01:37:36.23 ID:sewuGFix4
盗まれた街
ジャック・フィニイ
福島正実[訳]
p242
 時を稼いだところでそれがなんの役に立つのか、私自身にも判らなかった。だが、私は彼がそ
れを望むかぎり、できるだけ長く、いつまでも話をしていようと思った。これが、おれの生きよ
うとする意志だ、と考えて私はおかしくなった。

506 :◆p132.rs1IQ:2019/09/26(木) 18:03:08.45 ID:FpBKq0h/h
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p597
明治四十五年(一九一二年)
 もり・かけ 参銭 〔一・二九、國民〕 昨秋原料騰貴の為値上
をなしたる市内の各蕎麦屋では、夫が為かあらぬが、其売行き面白
からず、為めに其の一部は、内々値下をなしたるも相変らず儲から
ず、中流以下の同業者中には倒産する向きあるより、旧臘廿四日頃
京橋区南傳馬町三布袋屋事武田甚八を初め、各区総代二十余名芝公
園三縁亭に会合して前後策を講じたる結果、市内各区同業者間に於
て権利株一口五十円にて四千株二百万円の資本金を応募して之を日
本橋区通二丁目東京商業銀行に合資し、同行中に蕎麦屋専業の営業
部と原料部を置き、営業部は資金の融通をなし、原料部は原料の精
選せる物を廉価にて開業者に売却する方針にて、本月廿一日三縁亭
にて再び会合し、愈々都下二千余名の同業者が加盟する事となり、
其創立費としては当分一人一ヶ月金二十銭を積立てる事に準備し、
遠からず実行する事とし、蕎麦代を再び一般に三銭に値下げする事
に決し、逸早く実行し居る向もありと。

507 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:14:55.51 ID:we0sPeRce
人類皆殺し
トーマス・M・ディッシュ
深町真理子[訳]
p121
《植物》はすばらしく能率的だった。事実、植物としては、
いかなる弱点もなかったといっていい。彼らはすでにこれを
証明していた。その性質を深く知れば知るほど、これに賛嘆
の念をいだかざるを得なくなる。もしもこのようなものに感
嘆できるものなら。

508 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:16:58.11 ID:eGNuJoP8I
 たとえばその根を考えてみるがいい。それらは中空であ
る。大きさでこれに匹敵する地球産の植物(セコイアあたり
がだいたい比較の対象になるだろう)の根は、中心まで充実
した木質である。だがなんのために? こうした根の大半
は、なんの機能も果たしていない。効果のうえからは、死ん
でいるも同然なのだ。根の唯一の任務は、水や無機物を葉へ
送り、そして、それらが合成されてできた養分を、ふたたび
下へ送りかえすことだ。これを行なうためには、根は周囲の
土や岩の絶えざる圧迫に堪えるだけ、強直でなければならな
い。これらのことを、《植物》はすばらしく能率的に行なっ
ている――いや、その大きさを考えるなら、地球のもっとも
能率的な植物以上にだ。

509 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:19:32.28 ID:CdtI+qzTk
 根の内部のより広い空間は、より多くの水を、より迅速
に、より遠方まで送りとどけることを可能にする。普通の根
を通して水分を運びあげる仮導管や脈管は、《植物》の膨張
可能な毛細管(例の蜘蛛の巣状のもの)にくらべると、十分
の一の能力も有しない。同様に、空洞の内側をおおう蔦の塊
りは、一日に何トンもの液体グルコースや他の物質を、葉か
ら果実の球根に、さらに最下層でなおも成長しつづけている
根に送りこむことができる。これは普通の植物の靱皮部にた
いし、大陸間を結ぶパイプラインと庭の撒水ホースほどの能
力差を有している。根の内部の空洞は、さらにもうひとつの
目的にも役立つ。《植物》の最下層部に空気を供給するとい
うことだ。これらの根は、空気を含んだ表層土からはるか下
方に伸びているから、他の根のように、独立した酸素補給源
というものを持たない。酸素はそこまで送りとどけられねば
ならないのだ。こうして、葉の先端から最下層の根の突端に
いたるまで、《植物》は呼吸している。この、敏速かつ大規
模な養分運搬のための多様な能力こそ、《植物》のいちじる
しい成長速度を説明するものにほかなるまい。

510 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:23:12.07 ID:2x3XdZz7l
《植物》は経済的である。それはなにものをも浪費しない。
根が深く、太く成長するにしたがい、《植物》は自分自身を
さえ消化し、それによって空洞を形成する――やがてはその
なかに、複雑な毛細管や蔦の網目ができあがる空洞を。もは
や堅固な外骨格を維持する必要のない木質は、消化されて有
用な食物となるのだ。

511 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:24:44.07 ID:r9fJPOxkr
 だが、《植物》の本質的な経済性、その決定的な優秀性
は、このような部分的な特徴のなかにではなく、むしろ、
《植物》がじつはひとつの植物だという事実のなかにこそあ
る。ある種の昆虫が、社会組織によって、個々の構成員には
不可能なわざを成し遂げるように、個々の《植物》も、一個
の分離しえない個体を構成することによって、その効率を累
乗的に高めているのである。ある部分には得られない物質
も、他の部分では豊富に得られるかもしれない。水、無機
物、空気、養分――すべてが真の共産主義制度によって共有
されている。個々の能力によって得たものを、それぞれ個々
の必要によって分配するという仕組だ。ひとつの大陸全体の
資源がそれの用に供される。けっして多くは望まないという
わけだ。

512 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:26:15.54 ID:wGII7I+a5
 個々の《植物》が社会化されるメカニズムは、きわめて単
純なものである。最初の支根が垂直の主根から発芽すると同
時に、それは一種の相互向性によって、近くにある類似の支
根へと近づいてゆく。二つが出会うと、それらは合体する。
二つが分離できぬまでに強固に合体してしまうと、それは、
より深い層でのべつの結合をもとめて、また分岐してゆく。
かくして多数がひとつになる。

513 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:27:46.29 ID:pkQAMed/i
 こう考えると、だれしも《植物》に感嘆せざるを得ない。
もしもこれを、そう、たとえばジェレミア・オーヴィルほど
の客観性をもって見るならば、まさしくこれがすばらしく麗
しい創造物であることがわかるだろう。
 もとよりこれには他の植物にない利点がある。これは必ず
しも自己の力だけで発達する必要はなかった。同時にこれは
きわめてよく管理されてもいたのである。

514 :◆p132.rs1IQ:2019/09/27(金) 23:29:15.99 ID:Rarll4NnV
 それでも、有害な小動物はどうしても存在する。だがこれ
らについては、ちゃんと監視の眼がゆきとどいている。なん
といってもこれは、《植物》の地球における最初のシーズン
なのだから。

515 :◆p132.rs1IQ:2019/10/08(火) 01:10:46.28 ID:5TF+GDIeV
キャッチ=22(上)
ジョーゼフ・ヘラー
飛田茂雄[訳]
p115
 彼は非常に深刻ぶった、非常にまじめな、非常に良心的なまぬけだった。彼といっしょに映画
を見ると、あとでかならず、感情移入や、アリストテレスや、全称命題や、物質主義的社会にお
ける一芸術形態としての映画の責務とメッセージについての議論に巻きこまれることにきまって
いた。彼が劇場に連れていく女たちは、最初の幕間まで待ち、彼の口からその芝居がいいものに
なるかまずいものになるかを教えられたあとで、その芝居のよし悪しを判断しなければならなか
った。彼は狂信的な人種的偏見を目の前にすると、気を失うことによってかかる偏見撲滅のため
に活躍する、戦闘的な理想主義者であった。彼は文学についてあらゆることを知っていた――文
学をいかに楽しむかということ以外ならば。

516 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 01:54:28.53 ID:oV4pv+Azp
電撃ゲームス Vol.17
p184
東京のダンジョン
第3回 首都圏外郭放水路(抜粋)

東京都の東端を流れる江戸川。その上流に、自然の脅
威から周辺地域を守るために建設された地下施設があ
るという。世界最大級の地下放水路“地下神殿”とは?

   文・写真/宮下雅史

517 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 01:55:57.11 ID:N48fvGnrl
   無数の柱が整然と並ぶ巨大な空間は
最先端の技術が造り上げた地下神殿だった

 地下への入口は、想像以上に小さかった。ま
るで学校の屋上にある出入口をひと回り小さく
したようなコンクリートの建物が、何もない地
面にぽっかりと顔をのぞかせている。設計者が
意図的に、この下にある空間の広さを強調する
ために、あえて小さくしたのではないかと思え
るほど最小限に留まっている。案内してくれる
ガイドの女性は、くれぐれも足下に注意するよ
うにと拡声器のスピーカーを通して呼びかけて
いた。いよいよこの施設へと入るときがやって
きた。この入口から100段ほど階段を下りる
と、施設最大の広さを誇る地下神殿、調圧水槽
に下り立つことができるのだ。

518 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 01:57:29.83 ID:oaBkrYHPt
 首都圏外郭放水路は、台風などの大雨による
増水時に、地下50メートルにあるトンネルへと
水を流し、水量を調節しながら江戸川に排水す
る世界最大級の洪水防止施設だ。周辺地域を水
害から守るために巨費を投じて建設され、14年
の歳月をかけて2006年に完成。調圧水槽は、
その水量を調節するプールのようなものだ。

519 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 01:59:10.18 ID:oaBkrYHPt
 小さな入口の奥には、下へ続く階段があった。
なんの変哲もない、ビルの非常口にあるような
コンクリートの階段だ。しばらく下りると、手
すりの外に広い空間が見えてきた。内部を照ら
す水銀灯は十分に暖まっておらず、まだ薄暗い。
どこか遠くから、ゴーという水の流れる音が聞
こえてくる。足下が、ところどころ濡れている。
おそらく増水時の水が残っているのだろう。冬
の冷え切った外気に比べて中は暖かく、壁にか
かった温度計は11℃を示している。

520 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 02:00:43.93 ID:yltFF1HNj
 この周辺は、江戸川や荒川、利根川などの大
河川に囲まれた低地で、洪水による被害が深刻
な地域だった。かつて水田地帯だった土地は住
宅地へと姿を変え、その結果、大雨になると床
上浸水の被害を受ける住宅が数百軒にのぼった。
土地に雨水を蓄えておく能力がなくなったのだ。

521 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 02:02:13.32 ID:bYepQbRcK
 最下部に下り立つと、見上げるばかりの巨大
な柱が、だだっ広い空間に並んでいた。振り向
くと、スペースシャトルもすっぽり収まるとい
う第1立坑が見える。大自然の脅威に抗うため
には、こちらもケタ外れなものを用意する必要
があったわけだ。立坑の方角からは、相変わら
ずゴーという水の流れる音が聞こえていた。

522 :◆p132.rs1IQ:2019/10/15(火) 02:03:44.25 ID:QMdzgjuIB
首都圏外郭放水路 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E5%A4%96%E9%83%AD%E6%94%BE%E6%B0%B4%E8%B7%AF

523 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:36:59.45 ID:Q5EKF/QXt
5chの

100年前に描かれた「百年後の日本」 #小松崎茂 #長岡秀三 #岡崎甫雄 #伊藤展安 #大野静方

スレから

524 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:38:48.63 ID:j0frejCBM
昭和ちびっこ未来画報 ぼくらの21世紀
初見健一
p―
交通 〜 スピード時代と交通戦争

 高度成長期の子ども向け「未来予想図」には、「乗り物」を描いた作品がやたらと多い。交通に
関連するアレコレが、急速に進む日本の「未来化」の象徴のように見えたのだろう。「国民車構想」
による「マイカー時代」の到来、東京オリンピックのための交通網整備による高速道路・新幹線の
開業などは、それまで鉄道といえば蒸気機関車、道路といえばガタガタの未舗装道路ばかりだった
都市の景観を、あっという間にSFチックに変えてしまった。交通の発達は、最も身近で、最もリ
アルに実感できる「未来」だったのだ。

525 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:41:34.25 ID:azOFDvsJ8
 僕ら世代がさんざん親しんだ「交通」関連の「未来予想図」には、二つの大きなテーマがあった。
ひとつは「スピード」である。自動車、鉄道、飛行機、そして船までも、未来の「乗り物」はなん
でも「とにかく速いっ!」が最大限に強調されて描かれた。「スピード時代」といわれた高度成長
期は、「速さ」が「正義」のように扱われた時代。子どもたちも大人社会の影響をモロに受け、男
の子なら誰もが「スピード」に憧れた。「最高時速○キロ!」とか「東京―大阪○時間!」のよう
な見出しに意味もなくワクワクし、「マッハ」という言葉が日常語として定着する(「マッハで給食
を食べる」とか)。新幹線やリニアモーターカー、コンコルドなどの最高時速をすっかり暗記して
いる子も多かったし、各種「乗り物」の「スピード比べ」は子ども向け科学読みものの定番記事だっ
た。なかには「ロマンスカー」と「ウルトラセブン」の速度を比較するようなメチャメチャなもの
もあったが、こういう「スピード比べ」記事を読みまくったおかげで、僕ら世代には「チーターは
時速100kmで走る」などというどうでもいいことをいまだに覚えている人が多い。

526 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:44:48.42 ID:1q218QBBI
 もうひとつのテーマは、急に話が地味になるが、「交通安全」である。1960年、「交通戦争」
という言葉が流行語になる。これは加速した自動車の普及により交通事故死亡者が急増し、しかも
犠牲者の多くが子どもだったため、大きな社会問題になったことによる。通学路に「みどりのおば
さん」が登場したり、小学生の帽子、ランドセルカバー、レインコート、傘がすべて遠目にも目立
つ黄色になって、しかも横断歩道を渡る際には黄色い旗を掲げる、といった習慣ができたりしたの
も「交通戦争」時代だ。「交通安全」が社会全体の切実な祈願だった当時、当然、「未来予想図」に
もそれが反映された。歩行者が立ち入る心配のない密閉されたチューブ型道路や、人為的なミスが
起こらない自動制御交通システム(カーベアー)など、「絶対に安全!」を強調した夢の交通機関
が数多く描かれるようになった。

527 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:47:24.39 ID:Q5EKF/QXt
 「とにかく速いっ!」と「絶対に安全!」は、誰がどう考えても矛盾するのだが、結局、それが
当時の社会の矛盾そのものだった。この矛盾を「え?」というアイデアによって力づくで解決して
いる「ムリヤリ感」。そこが本章の「未来予想図」の見どころである。

528 :◆p132.rs1IQ:2019/10/16(水) 20:49:19.04 ID:swSQ2NH48
事故0のハイウエー(1969年)/小松崎茂
https://public.potaufeu.asahi.com/82f7-p/picture/18363884/fb71b794942bec56bd3b3e7e681796d0.jpg

小松崎茂 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B4%8E%E8%8C%82

初見健一 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%A6%8B%E5%81%A5%E4%B8%80

529 :◆p132.rs1IQ:2019/10/19(土) 21:59:01.79 ID:wLcCdaeRV
サキ短篇集
サキ
中村能三[訳]
p168(『七つのクリイム壺』)
「大丈夫ですよ」と彼女は囁いた。「わたしがなにもかもすっかり説明しておきましたから。あ
のことはもう何も云っちゃいけませんよ。」
「よくやってくれたね」とピイタアは安堵の溜息とともに云った。「わたしにはとてもできんよ。」

530 :◆p132.rs1IQ:2019/10/22(火) 00:35:32.51 ID:sVZxluPhc
マイアニメ 1984年10月号
p160(『ひでおの5ワールド/パンドラ[3]』)
戦うために
生まれたような
奴だアマクみるな
よ!

531 :◆p132.rs1IQ:2019/10/24(木) 16:34:09.60 ID:p5QYDOx4N
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p12
明治四十一年(一九〇八年)…………413(目次)
 同胞今や五千万  明治四十年世界の大勢  勝海舟の実妹佐久間象山未亡人瑞枝刀自逝く  東部西
伯利亜併呑五十年紀  大博覧会の為武蔵野数百年の旧家立退き  台湾中央山脈の探検  武器積載の
辰丸抑留  「万歳」の発明者和田垣博士懐旧談  伊藤銀月義妹と駆落  孫文の革命軍活躍  日露
戦役の功労者河原操子叙勲  三八式歩兵銃配布  巌谷小波の世界お伽話完成  時事新報の美人審査
復活せる三笠艦  聖上御精励  森田草平の塩原心中未遂事件  新築の三越呉服店  湯屋覗きの出
歯亀、殺人犯として捕はる  八時間労働世界の定論となる  陽春四月に帝都の大降雪  三越店頭で
活動写真  公証人法公布  台湾縦貫鉄道開通  教育勅語英独仏訳  自然主義全盛時代の文壇  
我国最初のタービン汽船  株式市場で流言蜚語横行  満鉄は広軌  台湾蕃賊討伐方針  ローマ字
論者の気焔  仮名遣改訂新案  出歯亀、綽名の出所  冷蔵貨車運転  親日派韓人一千名殺害さる

532 :◆p132.rs1IQ:2019/10/24(木) 16:35:47.29 ID:FPGfIyjY8
コツホ博士来朝謁見  船舶用無線電信開始  社会主義者を拷問  国木田独歩逝く  海牙の平和条
約調印  電車内の淫売婦  東京の電車市有不認可  清国留学生を受入  司法権独立の擁護者児島
惟謙  稀代の老刑事新川幸次郎千八百人の犯人を検挙  鉄道会計独立案の骨子  日比谷公園は堕落
男女の野合場  婦人毛髪の輸出十万円に上る  ツエッペリン伯の飛行成功  樺太庁大泊より豊原へ
移転  佃島住吉神社大祭  名和昆虫研究所  布哇の大軍港  商大の新設防止の為東大経済科独立
小学校五六年に理科教授  東洋拓殖会社法  別子銅山煙害問題  前代議士の令嬢森律子俳優となる
皇室祭祀令  捕獲禁止の鳥類  鶴見在お穴様の賑ひ  空中征服果して可能か  お穴様の正体は横
穴貝塚  戊申詔書  米国大西洋艦隊横浜に来る  戊申詔書の意義  伊藤公日韓新協約を語る  
自動車の横行を取締れ  宝永山より古い深川の畑小学校  清国皇帝崩御  清国先帝の遺勅  三歳
の溥儀皇位継承  西太后崩御  西太后遺旨  清帝系譜  清帝は毒殺か  犬養毅北京政局の今後

533 :◆p132.rs1IQ:2019/10/24(木) 16:37:20.39 ID:b9PxpSrnC
を語る  天理教独立認可  天理教の管長は教祖の息子  東洋拓殖株式申込三十六倍に達す  鉄道
院官制公布  公文書にインキ使用を許可  軒燈は依然として石油が独占  神前結婚繁昌  官選中
学唱歌第一集成る  電車値上に市民怒る  小坂銅山鉱毒事件で農民蜂起  自動車で郵便物を逓送 

534 :◆p132.rs1IQ:2019/10/29(火) 21:27:15.67 ID:ZyQB7vxSE
TRASH-UP!! 04
p22
最新韓国ホラー「不信地獄」
韓国ホラーの歴史に残る傑作の誕生!!

    Text by キム・ヨンウン(CINE21)
    訳:李真映&朱竝局

おかしなことである。韓国社会をリアルに描くほど韓国ホラー映画はさらに怖さを増す。
またはあえてホラー映画というジャンルをとらなくとも映画の中の現実は私たちの住んで
いる日常と完全に重なり合い背筋を凍らせる。イ・ヨンジュ監督の「不信地獄」はそう
いう意味で今年最良のデビュー作≠ニ呼べるであろう。少々おかしく聞えるかも知れな
いが、「不信地獄」をイ・チャンドン監督の『シークレットサンシャイン』(07)と一緒に見
ても興味深いと思う。

535 :◆p132.rs1IQ:2019/10/29(火) 21:29:30.83 ID:ML2ZkqIrY
 ソウルの活気あふれる中心地でもあり観光地でも有名な明洞(ミョンドン)だけを見
てもわかる。イエス天国!不信地獄!≠ニ叫び十字架と聖経を持つ人たちがあまりに多
い。これは祈福信仰が根強く残っている韓国社会の一断片をそのまま露出している例
である。韓国に取り入れられ120年になるキリスト教や、それ以前から土着化した
佛教、ムダン(巫女)やグッ(厄払い儀式の一種)に代表される土俗信仰をとっても、そ
の根は大部分、祈福信仰につながっている。

536 :◆p132.rs1IQ:2019/10/29(火) 21:31:05.13 ID:/qzU4j/5E
 ひと言で言えば信じれば福きたる≠ニいう物々交換的な思考である。映画「不信地
獄」はこの誤った信仰をじっくりと掘り下げ、リアリティに忠実なホラー映画として
完成させた。パク・キヒョン監督の『女校怪談』(98)以後少女たち≠ェひとつの軸、キ
ム・ジウン監督の『箪笥』(03)以後、極度の耽美主義がもうひとつの軸だった韓
国ホラー映画の傾向を考えるとき、「不信地獄」は今また違う方向へのビジョ
ンを見せてくれる。『女校怪談』のリアリティと、イ・スヨン監督の『4人の食
卓』(03)で見せた感情の豊かな振り幅が誠実に合わさったといえるだろうか。ま
た「不信地獄」のもうひとつの特徴と言えば、監督以前に建築家であったイ・ヨン
ジュ監督の独特のセンスが挙げられる。

537 :◆p132.rs1IQ:2019/10/29(火) 21:32:51.85 ID:+ypYugYXb
 映画界に入門後、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(03)の演出部として働いていた
ことを違和感なく連想できるほど、韓国式アパート文化の特異性をすばらしいディテ
ールによって表している。(付け加えるならポン・ジュノ監督のデビュー作『ほえる犬
は噛まない』(00)はアパート文化を本格的に探求した傑作でもあった。)韓国のアパー
ト―虚空の何坪を数億ウォンで売買する奇異な執着の産物であり、中産級の輩の文化
と(上でも言及した)祈福信仰の日常的なパターンで充満した空間。「不信地獄」では地
方都市にがらんとさみしく位置した古いアパートを背景に、とりつかれた少女を取り巻く

538 :◆p132.rs1IQ:2019/10/29(火) 21:34:27.17 ID:VFVEvhJWg
人たちの歪んだ欲望をおどろおどろしい身の毛もよだつスペクタクルとして見せてくれ
る。その欲望の一つひとつが、各登場人物の住居を細やかに描写するプロダクションデ
ザインの中に突出して表れているのも注目すべき点である。アパートはこの映画のもう
ひとつの主人公として呼吸し、生きる。映画の終盤、主人公ヒジンは失踪した妹ソジン
を取り巻く悪夢の実態を目の当たりにし驚愕する。私たちも然り。「不信地獄」を見な
がら、誤った祈福信仰とアパート文化に取り囲まれた自分たちの生活の実態を目の当た
りにし驚愕するのだ。ときとして韓国で生きるということは、ある意味で悪夢である。

韓国映画『不信地獄』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=Gvq7NqYwcdA
https://i.ytimg.com/vi/Gvq7NqYwcdA/hqdefault.jpg

539 :◆p132.rs1IQ:2019/10/30(水) 18:31:38.81 ID:ijpn+pH1U
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p11
明治四十年(一九〇七年)…………387(目次)
 台湾南北電話直通  閨秀碁客  流石は鈴久、居並ぶ妓等へ東株一枚宛のお年玉  韓国皇太子妃は
十三歳  乃木希典学習院長となる  足尾銅山坑夫暴動化  日本社会党は結社禁止  有婦姦征伐の
婦人運動  樺太庁官制公布  義務教育六箇年となる  帝国大学の独立実現  ノーベル賞金の由来
帝国鉄道庁総裁以下任命  三越呉服店がデパートメント・ストア式に  シンガーミシン月賦販売を開
始  日韓聯邦説の噂さ  「父母を蹴れ」事件で平民新聞発行禁止  平民新聞壊滅  常陸丸殉難の
英人を合祀  師範学校教育に関する訓令  夏目漱石東京朝日に入社  新東宮御所の建築  田中宮
相の韓国国宝受贈事件  朴泳孝突如帰韓  東北帝国大学令  韓国皇帝の密使ヘーグに現はれ独立庇
護を哀訴  韓帝焦燥  韓国皇帝退位と決す  韓国皇帝譲位始末  韓国皇帝譲位秘録  上皇の陰
謀露見  宮中一派の謀計暴露して大臣元老捕縛  朴泳孝捕縛始末  牝鶏晨を告げて禍乃ち来る

540 :◆p132.rs1IQ:2019/10/30(水) 18:33:11.87 ID:Ji8quvGf5
統監府実権を握る  韓国に臨時出兵を決定  韓国は常に自ら独立を破る、伊藤統監記者団に語る  
韓国解兵  解隊の詔勅に韓兵暴発  韓国立太子  シーメンス商会活躍  東宮韓国御渡航  米大
統領タフト来朝  大阪府下廃弾二万八百発一時に爆発  征韓論首唱者佐田白茅逝く  東宮御帰程 
東宮御渡韓と日韓の国交  英蘭銀行一週間に三回利上、金融市場世界的に混乱  韓国憲法起草中  
韓国国是  伊藤公韓国太子太師となる  学生丁未倶楽部を組織  漢字タイプライターを発明

541 :◆p132.rs1IQ:2019/10/30(水) 20:16:18.57 ID:BnJGHrljB
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p401
明治四十年(一九〇七年)
  韓国皇帝の密使
   海牙の万国会議に現はれて
   独立庇護を哀訴す
 〔七・六、東朝〕(四日京城発)曩に米人ハーバートが当地を去
れる頃より海牙(ヘーグ)会議云々の風説はありたれど、韓国派遣員が海牙(ヘーグ)に
現はれ独立庇護を哀訴したりとの報道昨三日当地に伝はり、一般に
今更の如く驚愕の色あり、事件其物は一の喜劇に過ぎざるも、其動
機と関係に就ては無論注意するの価値あり、本件の報道は無論韓皇
室にも聞えたる模様あれど、如何に感動を与へたるやは、未だ明か
ならず、統監府は夙に右米人の行動に注意し、我海牙(ヘーグ)委員にも予て
内報しありたる由、海牙(ヘーグ)にて奔走したるは三名の韓人にて、伊藤統
監は本件に就て未だ抗議若くは注意を与ふる等の事を為さゞるも、
事態の軽からざるを認め居れり、欧州の某大国は此程韓国の小隠謀
に対し、更に顧慮するの意なき旨、其筋に宣明し来れりと伝へらる。

542 :◆p132.rs1IQ:2019/10/31(木) 03:49:51.34 ID:lVv1tEMIN
図解 もっと知りたい!朝鮮王朝500年の歴史
綜合ムック
p45(『明成皇后』)
● 人物の鍵 ●
韓国で最初にチョコレートを食べた閔妃(ミンピ)

 日清戦争に勝利した日本は、清から割譲を受けた
遼東(リヤオトン)半島をロシア、ドイツ、フランス3国の干渉に
屈して返還することになった。閔妃はこの機を逃さ
ず、日本への牽制にロシアの力を利用する。ロシア
も高宗と閔妃の気を惹くために公使夫人が頻繁に王
宮を訪れて、閔妃に西洋菓子や化粧品を贈った。
 その中で閔妃が非常に気に入ったのがチョコレー
トだったという。公使夫人の気配りは閔妃周辺の尚
宮(サングン)たちにまで及び、彼女たちはチョコレートを「チョ
コリョンタン」と呼んで喜んだ。この「〜タン」は「糖(タン)」のことだろう。
 この甘い外交が効を奏して、閔妃の親露政策が進
捗する。日本もこれに負けてはならじと伊藤博文が
宮中へ参内する時はチョコレート持参だった。

543 :◆p132.rs1IQ:2019/10/31(木) 03:51:19.33 ID:SfajhAPCC
 一方、高宗はコーヒーを好み、閔妃暗殺後にロシ
ア公使館へ避難した時のロシア側の誘い文句は、「陛
下、これからはお好きな時にコーヒーが飲めます」だ
ったという。

三国干渉 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%B9%B2%E6%B8%89

参考(>>260-262)

544 :【マジキチ】 ◆p132.rs1IQ:2019/11/01(金) 06:27:54.12 ID:L7T1Mz3ap
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p215
 この宿屋には音楽の芸人が何人か泊まっており、昼も夜もわたしはうんざりさせられたも
のの、ほかの人々は大いによろこんでいた。これまで書かなかったが、わたしは漢江遡行
中、旅芸人や悪霊祓(ばら)いのムダンとその助手たちの音楽に閉口したものであった。ハルバート
氏が『コリアン・レポジトリー』誌に朝鮮の音楽について説得力のある論文を書いている(18)よ
うに、その音調が独特で耳ざわりなのである。それはわたしたちには彼らが表現しようとし
ているものを知ることも感じることもできず、朝鮮の音楽を朝鮮式の平均律と訓練ではな
く、「時」を不可欠な要素として求める西洋のそれで解そうとするからである。ちなみに、
朝鮮人のほうでもその隣国の日本人と同じく、西洋の音楽がさほど好きにはなれないかもし
れない。また同じ理由で、わたしたちが音楽で表現する概念は彼らにはよくわからないかも
しれないのである。

545 :◆p132.rs1IQ:2019/11/01(金) 06:29:49.97 ID:+wWv/4+4o
 音調が不協和で耳ざわりな原因のひとつは、朝鮮の音階がヨーロッパ諸国の音階と異なっ
ていることで、その結果、音楽が調和音となる寸前のところで揺れ動くたびに不協和音が耳
に苦痛をあたえる。楽器は多いものの、仕上げはていねいではない。打楽器には太鼓、銅
鑼(どら)、鉦(かね)、一種のカスタネットなどがある。管楽器には調律しないラッパ、横笛、長い縦笛、
短い縦笛があり、弦楽器には大きな琴、二五弦の琴、洋琴、五弦の胡弓がある。こういった
楽器を数種合わせてつくりだされる不協和音の典型が、都市の城門を開閉する際に聞こえて
くる音である。

546 :◆p132.rs1IQ:2019/11/01(金) 06:32:09.01 ID:+wWv/4+4o
 朝鮮の声楽には三種類あり、ひとつは時調(シジヨ)と呼ばれる「古典的」な様式のアンダンテ・ト
レムロソで、「太鼓が合間に」入る。太鼓が入るとはおもに太鼓をときおりひと打ちするこ
とで、歌い手にひとつの音をもう充分長く震わせましたよと知らせるわけである。時調は進
行がのろく、これほど長くて根気のいる練習が必要では、上達できるのは踊り子くらいのも
のだ、そんなひまは踊り子にしかありはしないのだから、と朝鮮人をして言わしめるほどで
ある。時調の分派に陽気な歌があり、ソウル在住のH・B・ハルバート氏の才気あふれるペ
ンが訳したものを一点ご紹介する(19)。

547 :◆p132.rs1IQ:2019/11/01(金) 06:33:59.21 ID:hej4yw8vU
原 注
(18) 一八九六年二月号。
(19) I
   酒は陽気にくみかわせ
   胸に嘆きのあろうとも
   酔いに愚痴は禁物と
   遠き昔 友と誓いぬ

   II
   人生の上げ潮どきの去りしいま
   残れるは 引き潮の暗き日々
   げに酔いにぞ 潮のありや
   酒をくみ 遠き日の誓いを悼(いた)まん

   III
   いやいや 飲まば陽気になろうもの
   美(うま)し酒いずこと問えば
   答えありて かの桃の木のむこうなり
   ありがたや さらばただちにおもむかん

548 :◆p132.rs1IQ:2019/11/01(金) 06:35:32.97 ID:71xEsJ+il
ホーマー・ハルバート - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88

参考(>>178-184)

549 :◆p132.rs1IQ:2019/11/03(日) 02:21:11.81 ID:GDtvUcfJl
いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集
ダフネ・デュ・モーリア
務台夏子[訳]
p24(『いま見てはいけない』)
 彼は石を拾って、水のなかへ投げこんだ。たぶん沈んだのだろう、ネズミは姿を消し、あと
には泡(あぶく)だけが残った。
「やめて」ローラが言った。「ひどいわ。可哀そうよ」そして突然、彼の膝に手を置いた。「ク
リスティンだけど、いまもわたしたちの隣にすわっていると思う?」
 ジョンはすぐには答えなかった。なんと言えばよいのだろう? この先ずっとこれがつづく
のだろうか?
「いると思うよ」彼は慎重に言った。「きみがそう感じているなら」

550 :◆p132.rs1IQ:2019/11/05(火) 07:37:50.72 ID:F4veSBsi+
迎えて 穫って オグヨチャ
追いかけ 穫って オグヨチャ
山盛りだ 魚の山を積み上げろ
喜びが込み上げてくる

キム・ソルミ(モランボン楽団) 海の豊漁歌 / 〓〓〓 〓〓〓〓〓  〓〓〓〓〓 【日本語字幕あり】
http://www.youtube.com/watch?v=opMvv-V_664
https://i.ytimg.com/vi/opMvv-V_664/maxresdefault.jpg

551 :◆p132.rs1IQ:2019/11/06(水) 21:45:23.60 ID:fteJvdIlm
〈お前は セリヌンティウスか!〉

おいしい給食 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%84%E7%B5%A6%E9%A3%9F

八宝菜 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%AE%9D%E8%8F%9C

李鴻章 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%B4%BB%E7%AB%A0

552 :◆p132.rs1IQ:2019/11/09(土) 06:50:37.94 ID:kjcXbe7oD
300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配
但馬オサム
p86
◎世界を虜にした
 半島の「舞姫」崔承喜(抜粋)

石川啄木を愛唱する少女

 よく、タレントの人気や好感度を示すバロメーターと
して、どれだけ多くのCMに出演しているかが挙げられ
る。テレビなどなかった戦前は、新聞や雑誌の企業広告
がそれにあたるのではないか。併合時代、もっとも多く
の広告に登場した朝鮮女性は? と問われれば、「半島
の舞姫」こと崔承喜(チェスンヒ)をおいて、はたして他に思い浮かぶ
名前があるだろうか。

553 :◆p132.rs1IQ:2019/11/09(土) 06:52:24.21 ID:ir9Oj8Ch5
 崔承喜。舞踏家・歌手。身長168センチの東洋人離
れしたのびやかな肢体と神秘的な美貌(びぼう)、エキゾチックか
つ可憐なダンスで、その名を日本ばかりでなく、広くア
メリカ、南米、欧州にまで轟(とどろ)かせ、川端康成、ジャン・
コクトー、パブロ・ピカソ、ロマン・ロランといった一
流の芸術家たちに愛された文字どおりの国際的スターで
ある。また、欧州仕込みの最新モードをさっそうと着こ
なす彼女は、若い女性にとってのファッション・リーダ
ー的存在でもあった。

 崔承喜は1911年(明治44年)、京城(江原道洪川(カンウォンドホンチョン)
生まれ、という説もある)の没落両班(武班(ムバン)の家に生
まれている。

 思春期を貧しさのなかで過ごした。名門淑明女学校で
の成績は優秀、特待生で卒業した。どこかはかなげなも
のが好きで、石川啄木を愛唱する少女だったという。

554 :◆p132.rs1IQ:2019/11/09(土) 06:54:01.05 ID:O7ifKI5a7
《人間は何のために生まれてきたのか、生活とはどうい
ふものか、といふ考へも自(おの)ずから心のうちに湧いてくる
のでした。不安な、はかない、まつ暗な行く手。しかし、
さういふ恐ろしい気持や考へが強くなればなるほど、不
思議にも、それとは反対の、美しいもの、清らかなもの
に憧れる気持ちが、私の心のなかで、強く、強く成長す
るのでした。》(崔承喜「私の自叙伝〜努力と涙の偽らぬ
過去」婦人公論1935年6月号)。

555 :◆p132.rs1IQ:2019/11/09(土) 06:55:36.99 ID:fP6eVULWB
 日本モダン・バレエの始祖・石井漠に16歳で弟子入り
し、単身内地へ渡っている。瞬く間に石井漠舞踊団の若
きスターとなった。3年後の1929年(昭和4年)、
承喜は一時、師の許を離れ、故郷・京城に小さな研究所
を開いて指導をするかたわら、妓生の宴芸として細々と
命脈を保っていた朝鮮の伝統舞踊の蒐集と研究にいそし
む。

 東京で修業したモダンダンスと朝鮮古典舞踊の融合に
自身の芸術の未来を見たのである。

556 :◆p132.rs1IQ:2019/11/09(土) 06:57:08.68 ID:z4Dyk7lsh
 帰郷から4年後、師と再会を期に再び石井門下となる
までの間、プロレタリア作家として活躍中の安漠(アンバク)と結婚、
長女・勝子を設けている。今度は親子三人での内地入り
となった。ちなみに安漠は本名・安承弼(アンスンピル)。漠のペンネー
ムは妻の恩師・石井漠をあやかってつけられた。勝子は
のちの舞踏家・安聖姫(アンソンヒ)である。

 1935年(昭和10年)独立し、崔承喜舞踊団を旗揚
げする。ここからいよいよ、世界の承喜がスタートする
のである。

崔承喜 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%89%BF%E5%96%9C

石井漠 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%BC%A0

557 :◆p132.rs1IQ:2019/11/11(月) 00:07:41.63 ID:1pFWkV1+L
新聞が語る明治史 明治元年〜明治二五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p21
明治十七年(一八八四年)…………367(目次)
 修学院離宮保存  栃木県庁移転運動  中学校通則  欧洲の天地を一変せしめた一左官職バダンゲ
ー  聖上隆盛が事を忘れ給はず  横綱免状と吉田家(一)(二)  大谷派本願寺再建用の縄材とし
て女の髪毛二千五百貫目  地租は百分の二箇半  皇子明宮御学問  製茶輸出の元祖大浦慶女表彰 
日本鉄道設立経過(一)(二)  兌換銀行券条例制定  安南戦後の情態  碓氷嶺開鑿竣工  長崎
造船所三菱へ貸下  日本鉄道会社開業式  公侯伯子男の五等爵制定  東京大学新築落成  神仏各
派各宗に管長  仏国艦隊台湾を砲撃  露国虚無党皇帝を狙ふ  清仏事件問題複雑化  仏艦福州を
砲撃  清帝仏国に開戦を宣布  茨城県の自由党、加波山で暴挙  大英聯邦の企図  小坂鉱山払下
げ  埼玉県秩父に暴動  自由党遂に解散  鹿鳴館の夜会  清国互市場は英国が独占め  韓国償
金残額還附  突如京城に変乱  サンスクリットを大学文学部で講義  韓国皇帝安穏  逓信省設置
京城事変の裏に袁世凱  年の暮厄払ひ経

558 :◆p132.rs1IQ:2019/11/11(月) 00:09:19.47 ID:E5/Ovyybs
袁世凱 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E4%B8%96%E5%87%B1

559 :◆p132.rs1IQ:2019/11/13(水) 23:06:01.61 ID:/iANVJArt
〈はっ… そうだ!〉

〈うちの給食の酢豚は 清王朝方式だった〉

酢豚 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%A2%E8%B1%9A

パイナップル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB

560 :◆p132.rs1IQ:2019/11/13(水) 23:08:08.54 ID:d8aIjkW96
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード
時岡敬子[訳]
p201
 トラの出没するこの高地の谷間から中台里(チユンデリ)の低地にいたる道は、その大部分が人家のとて
も少ない谷をいくつも通る。とはいえ森林地の多くは開墾されて綿が栽培されており、農夫
は二〇〇〇フィートの高さまで開墾するほど精力的である〔今回の旅のほぼ全域にわたり、
土地は現在の二倍の人口を養えるとわたしは見積もっている〕。風光明媚(めいび)なところにある市
場化川(フアチヨン)では、ソウルで行われた文官試験、科挙(クワゴ)に合格した学生があざやかな晴れ着姿の
人々に囲まれ、父親の墓所に供物を捧げて帰郷を祝っていた。首都で国王臨席のもとに行わ
れた大いなる試験を受けて帰ってきた学生を、村まで送っていく行列は、方々の道で見かけ
た。学生は色のついた服を着て、はでに飾りたてた馬またはラバに乗り、楽隊や旗がその前
を行く。そしてあざやかな色の服を着た友人たちが学生の馬にならんで歩く。村にさしかか
ると旗と音楽の歓迎を受け、村長をはじめ村人たちが学生を迎えに出ている。なかにははで

561 :◆p132.rs1IQ:2019/11/13(水) 23:09:41.35 ID:jr9nOsm9B
な装いの女性すらいる。試験に受かった学生は家の前に竜を描いた長い柱を立てることがで
きる。とはいえ、試験に合格するにはたいへんな費用がかかり、往々にして残りの人生を借
金という重い首かせにさいなまれる。「合格」した学生は、「教養ある」朝鮮人の唯一の野心
の対象である官職に就ける資格を持ったことになる。

562 :◆p132.rs1IQ:2019/11/14(木) 08:31:55.76 ID:MeHVEhXol
インデペンデンス・デイ
デブリン&エメリッヒ/スティーヴン・モルスタッド
酒井昭伸[訳]
p89
 頑(かたく)なに沈黙をまもったまま、三六隻の巨大宇宙船は各国の主要都市上空に占位した。北京、
メキシコシティ、ベルリン、カラチ、テルアビブ、サンフランシスコ――。
 日本では横浜の市民たちが、天から降ってきた巨大な火球を見つめていた。高度は二〇〇〇
メートルのあたりだ。やがて焔(ほのお)は消えたが、怪物体はもうもうたる煙につつまれている。
 と、その濃密な煙のなかから、とてつもなく巨大な物体がぬうっと姿を現わした。おそろし
くでかい。雲のなかから、いつ果てるともなく、延々と巨体がせりだしてくる。その常軌を逸
した大きさに、港から見あげていた市民たちは肝をつぶし、悲鳴をあげて逃げまどった。

563 :◆p132.rs1IQ:2019/11/14(木) 08:33:33.64 ID:0acEY/ZLK
 巨船はそのまま真上に移動してきて、大地を震撼(しんかん)させ、人為的な黄昏(たそがれ)で大貿易港を数分ほど
つつみこんだのち、東進をつづけた。やがて巨船は首都東京の上空で停止したが、三〇キロ離
れた横浜からでも、その姿は二階にあがればはっきりと見えた。
 巨船が真上から去ってしまうと、横浜駅はかなり落ちつきをとりもどした。手荷物だけをか
かえて駅に押しかけた人々は、超満員のプラットホームでひじつきあわせ、安全な田舎まで連
れていってくれる電車を待った。すくなくとも当面は、避難は秩序だって進んだ。

564 :◆p132.rs1IQ:2019/11/14(木) 08:35:07.41 ID:kxZhjWx4Z
 同様の光景は、世界じゅうの各都市でくりひろげられた。地球の人間の五人にひとりは、人
口の集中する都市部から脱出しようと試みたが、道路、鉄道、地下鉄の完備した都市など、世
界にはほんのひとにぎりしかない。世界各地の駅のホームで押しあい、バス停で行列し、ピッ
クアップ・トラックの荷台にすし詰めになった避難民たちは、ありとあらゆる言語でまったく
おなじ会話をかわした。
 あの巨船に乗ってきたのは何者なんだろう? その目的は?
 いまだに贈り物の交換も儀礼的な握手もしようとしないところから、大多数の人々は邪悪な
意図を感じとっていたが、楽観的な者もたくさんいた。
 あんな巨船を造れるからには、よほど進んだ技術の持ち主だ。かなり高度な進化段階にある
にちがいない。あのなかの地球外知性は、より進んだ文明の代表かもしれないぞ。宇宙につい
て、いろいろなことを教えてくれるんじゃないだろうか。

565 :◆p132.rs1IQ:2019/11/14(木) 08:36:41.58 ID:0acEY/ZLK
 だが、そんな楽観論に冷水を浴びせかけるのは、人類の歴史をふりかえったとき、新世界を
訪れた者たちはかならずしも平和的な意図ばかりを持っていなかったという、気の滅いる事実
だった。
 北アメリカに入植したヨーロッパ人は、アメリカインディアンを虐殺した。スペイン人は内
紛への介入と虐殺でインカ帝国を滅ぼした。はじめてアフリカを訪れた白人は奴隷商人となっ
た。要するに、新世界を発見≠オた人類は、つねに征服を行ない、先住民の迫害や虐殺を行
なってきたのである。
 巨船に乗って訪れた異星の人々が、どうか人類に対し、人類同士でしてきたよりも文明的な
あつかいをしてくれますように――いたるところで、人々はそう祈った。

566 :◆p132.rs1IQ:2019/11/16(土) 15:56:24.19 ID:02Gt7eUEa
サキ短篇集
サキ
中村能三[訳]
p10(『二十日鼠』)
「あなたは二十日鼠はこわいですか」と彼は、今まででさえ真赤だった顔を、いっそう赤くしな
がら云った。
「ハットオ僧正を食い殺したように、たくさんでなければね。どうしてそんなことをおききにな
りますの。」
「いま、ぼくの着物の中で、一ぴき這いまわっていたもんですからね」とセオドリックは、自分
のものではないような気のする声で云った。「どうも始末におえなかったですよ。」
「そうでございましょうとも、ちゃんと着物を召してらっしゃるんでしたらね。でも、二十日鼠
って、妙なところが好きなものですわね。」
「あなたが眠ってらっしゃる間に、追出そうと思いましてね」と彼は云ったが、ゴクリと唾をの
みこんで云いそえた。「追出すには追出したんですが、お蔭で――この始末なんです。」

567 :◆p132.rs1IQ:2019/11/20(水) 23:08:28.84 ID:0YG+aEhvt
>>425-426
ちょいテスト

568 :◆p132.rs1IQ:2019/11/25(月) 06:00:54.36 ID:/Uzxemqq2
ショコラ
ジョアン・ハリス
那波かおり[訳]
p323
 なんて、素朴で飾り気のない魂をもった人なんだろう。ジョゼフィーヌはいまはおだやかに、
心安らかに暮らしている。わたしは、自家撞着(どうちやく)というねじれた心をかかえて、少しずつおだや
かさを失っていく自分に気づいている。ジョゼフィーヌがうらやましい。彼女がいまの状態に
至るために必要としたのは、ほんとうにごくささやかなものだった。ほんの小さな親切、借り
ものの服、毎夜安全に眠りにつくことができる小さな部屋……。野の花のように、彼女は自然
に太陽のほうを向く。自分をここに至らせた経緯について、深く考えたり、分析することもな
い。わたしも、そんなふうになってみたい。

569 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:48:55.29 ID:ktIh0bb/S
別冊宝島39 朝鮮・韓国を知る本
p62
なんクリ≠ニカンナニ¢蜒qットにみる
韓国の出版・TV事情
神村龍二

●ソウルのアンノン族
 ソウルの街には茶房(ターバン)≠ニか茶室(ターシル)≠ニ呼ばれる喫茶店が、い
たるところにある。しかし、そのほとんどがビルの地下にある
ため、うす暗く、若い女性にはあまり人気がない。とくに高校
生は、今でも喫茶店に入ることを禁止されているので、若い女
性はもっぱらベーカリー=iパンやケーキそして軽いスナック
が食べられるお店で、家族づれの利用も多い)でケーキとコーヒ
ーを注文して友達と会話を楽しんでいる。
 彼女らの話題は、第一がファッション、第二がボーイフレン
ドのこと。そんな若い女性の間で、「an・an」と「nonn
o」が売れているのだ。

570 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:50:34.65 ID:JiNxckPk1
 もちろん日本からの輸入ものだから、文字はすべて日本語。
しゃれたコピーは読めなくても、彼女たちのファッション感覚を
満足させるには、写真だけで十分のようだ。
ノンノ≠竍アンアン≠ニいった言葉は、ブティックや、最
近登場してきた女性客を意識した明るいムードの喫茶店の名前
にも使われるくらい、良く知られている。田中康夫のカタログ
小説『なんとなく、クリスタル』などは、翻訳本が四種類も出版
され、ベストセラーになった。韓国語のタイトルは『オチョン
ジ クリスタル』となっている。オチョンジ≠ニはなぜか……
という意味で、原題とはちょっとニュアンスが違うようだが。
 この『オチョンジ クリスタル』がベストセラーになること
でもわかるように、韓国の若い女性たちのブランド指向はたい
へんなもので、今や日本の女性よりその指向は強いといえるか
もしれない。ただ、そのほとんどが韓国で生産された、イミテ
ーションだそうだが。

571 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:52:14.23 ID:SzW0wHoT+
●ラジオ番組にもなった『積木くずし』

 昨年韓国で売れた翻訳本としては、『窓ぎわのトットちゃん』
と『積木くずし』がある。とくに穂積隆信著『積木くずし』の
方は約一ヵ月にわたってラジオで朗読されて、多くのファンを
つくった。といっても、ソウルでも若者たちの非行や校内暴力、
家庭内暴力が社会問題になっているわけではない。
 韓国には儒教の考え方がまだまだ強く残っており、親子の関
係は孝≠ナ強く結びついているので、子供が親に暴力で反抗
するということはほとんどないのだ。だから、『積木くずし』の
読まれ方は、日本と少し違って、非行の道に入ってしまった子
供を、たち直らせた親の情≠ニいう点で、人びとの人気を得て
いるようである。

572 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:53:49.25 ID:SzW0wHoT+
親と子の情≠テーマにした作品は、韓国では根強い支持を
受けるようで、『なんとなく、クリスタル』が流行した当時、三
浦綾子の『氷点』が映画化され、週末になると、上映館の前に朝
から長い列ができるほどだった。この『氷点』も翻訳本を読んで
いる人たちが多く、その人気の原因は主人公の出生の秘密にあ
ったらしい。血縁≠竍親子の情≠ノ人びとは涙したようだ。
『二人の女』『憎めないおまえ』といった、タイトルだけ見ると
まさに男と女の関係をテーマにしたような映画も、実は母と子
の物語で、ガッカリして映画館を出てきたこともある。
 こうした儒教の影響を反映して、韓国の隠れたベストセラー
が、なんと『論語』なのだ。
 右手に『an・an』左手に『論語』、それが韓国の若い女性
の意識といえるかもしれない。

573 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:55:33.52 ID:ecjhYyGit
●韓国版おしん≠ェ大ヒット!
 全斗煥体制になってから、マスコミとの統合がおこなわれ、現
在韓国のテレビ局はKBS(公営・韓国放送会社)とMBC(一
応は民放・文化放送)の二社だが、KBSがチャンネルを三つ
もっている。
 公営のKBSは、日本のNHKをモデルにして番組をつくり、
朝の連続ドラマや大河ドラマが人気を得ている。
 さて、少し古い話になるが、たしか一九八一年の八・一五特
集で放送された番組に『ユミの日記』という二時間半のドラマ
があった。日本でも紹介されたので覚えている人も多いと思う
が、この『ユミの日記』というのは、日本の上福岡第三中学の
林賢一君の自殺事件をドラマ化したもので、日本で差別に泣く
同胞一家をテーマにしたものだったので、反響も大きく、しば
らく話題になったテレビドラマである。こうした反日的なドラ
マが極端に少なくなってきたのが、最近の現象といえるだろう。

574 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:57:07.32 ID:ecjhYyGit
 一九八三年のTV界のいちばん大きなニュースは、朝鮮戦争
で生き別れた家族さがしである。朝鮮戦争の休戦三十周年を記念
して企画されたこのイベントは、すぐに全国的なひろがりを見せ、
約一万人の人びとをさがしだしたと言われている。しかし、い
ちばんのヒット番組は、なんといっても『カンナニ』だろう。
このドラマは、まさに韓国版おしん≠ナ、姉と弟が貧しい生活
に耐えて、けなげに生きていくという物語だ。日本のおしん
と違うのは、その放映時間が夜十時からの三十分番組というこ
とだけである。
 今までだと、人びとが苦労するドラマの時代背景は必ず日本
の植民地時代だったが、この『カンナニ』の時代背景は朝鮮戦争
直後となっている。民族の苦しみを、植民地時代にではなく朝
鮮戦争に求める傾向は、全斗煥体制になってからのひとつの大
きな変化といえると思う。

575 :◆p132.rs1IQ:2019/11/26(火) 16:58:39.90 ID:ecjhYyGit
 さて最後に、韓国で今ベストセラーになっている単行本を紹
介しよう。なんと日本人が書いた『韓国人、あなたは何者か』
という本だ。著者は共同通信のソウル支局長の黒田勝弘氏。黒
田氏は、「朝鮮研究」という雑誌に連載していたソウル便り
を最近一冊にまとめ『韓国社会をみつめて』(亜紀書房)を出版
したジャーナリストだが、日本人が韓国で出版した最初の本と
いえるだろう。

全斗煥 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%96%97%E7%85%A5

黒田勝弘 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%BC%98

576 :【大凶】 ◆p132.rs1IQ:2019/12/01(日) 09:06:47.11 ID:zUWFjUPVL
反日種族主義 日韓危機の根源
李栄薫[編著]
p176
 正しい歴史と民族精気の樹立は、スローガンや政治ショーを通してなされるものではありませ
ん。恥辱の歴史空間を叩き壊すのはあまりにも安易なことです。そうしたからといって、その恥
辱がなくなるわけではありません。金泳三政権は「恥辱の歴史空間を無くすのだ」と煽動しなが
ら、実際には大韓民国制憲国会発足の現場、建国の現場、近代化の司令塔の役割を果たした現場
を破壊しました。金泳三政権の「民族至上主義」が行なった旧朝鮮総督府の庁舎の撤去は、大韓
民国の現代史をヴァンダリズム(歴史遺産の破壊)式に解体した、すなわち種族主義の極致を示
す文化テロでした。

577 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 00:11:40.28 ID:B/J9I/hgM
メイキング・オブ・ブレードランナー
ポール・M・サモン
品川四郎[監訳]
p123(『1981年が作り上げた2019年の街並み』)
『ブレードランナー』のロケ現場は複雑だった。基本的には町の醜い面を表現してい
るのだが、2019年という時代の様子や仕事の状況をも読み取れるように、セットは変
更に変更を重ねていた。その中には赤線地帯やナイトクラブ地域、映画の冒頭でデッ
カードが捕まったヌードル・バー、リトル・トウキョウ、アニモイド・ロウ〔街〕(撮
影ノートの中では“アニマル・ロウ”あるいは“アニモイド・エンポリウム〔市場〕”
とも呼ばれている。レプリカントの動物が売買されている商店街のような地域だ)、チ
ャイナ・タウン、ゾーラが歩道に倒れて息絶えるまでの間に通り抜けた、いくつもの
ウィンドウが並ぶショッピングアーケードがある。オールド・ニューヨーク・ストリ
ートであり、リドリーヴィルともなったセットは(だいぶ変えられてはいるが)、香港、
ニューヨーク、東京の銀座周辺、ロンドンのピカデリー・サーカス、それに、ミラノ
のビジネス街を思わせるような雰囲気で作られている。

578 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 10:54:40.97 ID:kkgPG3Ic5
メイキング・オブ・ブレードランナー
ポール・M・サモン
品川四郎[監訳]
p134(『ヌードル・バーにて』)
 ヌードル・バーのシーンで印象的な人物は〈スシ・マスター〉――ホワイト・ドラ
ゴンの主人だ。彼は注文された食事の量について、デッカードとやり合う。
 スシ・マスターを演じたのはロバート・オカザキ。アジア系アメリカ人のこの俳優
は、一匹狼の監督、サミュエル・フラーによる二本のスリラー映画『東京暗黒街/竹
の家』(55:ミスター・ホンマル役)、『The Crimson Kimono』(59:ヨシナガ役)に出
演している。

579 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 10:56:18.23 ID:Xo22/lP1T
スシ・マスター:空きました、空きました。いらっしゃい、いらっしゃい。
   ようこそ、ようこそ。どうぞ〔お座りください〕。何にい
   たしましょうか?
デッカード  :Give me four.[4つくれ]
スシ・マスター:ふたつで充分ですよ。
デッカード  :No,four! Two――two,four.[いや、4つだ!2足す2の4
   つだ]
スシ・マスター:ふたつで充分ですよ!
デッカード  :And noodles.[うどんも忘れるなよ]
スシ・マスター:分かって下さいよ!

580 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 10:58:05.15 ID:9R3RzDRzk
 デッカードが食事をしていると、後ろから2人の男が近づいてくる。一人は防弾チ
ョッキを着た警官で、彼はデッカードの肩をたたく。この警官は、韓国語で「ちょっ
と来てくれ」と言う。
 二人目の男――黄褐色の肌をシャープな服装で包み、眼は明るいブルー――やはり
公開当時のプレスキットによると、男は「警部補:玉虫色のシャツを好み、メタリッ
クな糸で縫ったベスト、大きなボウタイのついたスーツ、ソフト帽、それに先の尖っ
た靴、上には革のアップリケのついたニットのコートを着ている」とある。
 彼の名前はガフ。リック・デッカードの同僚でブレードランナーの一人――影のよ
うでいて、非常に手厳しい競争相手だ。

581 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 11:00:02.67 ID:9R3RzDRzk
メイキング・オブ・ブレードランナー
ポール・M・サモン
品川四郎[監訳]
p135(『ヌードル・バーにて』)
 ガフについて見ると、彼は『ブレードランナー』の登場人物の中でも、出演時間が
短いにもかかわらず、最も印象的な人物だ。だが、ガフは「スクリプトの中ではキャ
ラクターとしてほとんど存在しないも同様だった」と、オルモスは振り返る。「私たち
は本当に勘に頼ってやっていた。ガフの役柄ははっきりしていなかったのだ。進行す
るにしたがって役を作っていった。

582 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 11:13:09.03 ID:m2Kvt8XAO
 まず、私はリドリーにガフのキャラクターに肉付けしたいと言ってみた。観客にと
ってもっと面白い人物にしたいと。リドリーは私の意見を尊重してくれ、ガフという
人間の生い立ちを考えることを任せてくれた。そこで、私はこのように考えた。ガフ
はメキシコ人と日本人の混血で、アメリカにおいて五代前まで血筋を遡れる。ガフは
そのことを誇りに思い、自分の血に流れる文化に対する感覚を誇りに思っている。ま
た、彼は素晴らしい語学的才能の持ち主だ。10ヵ国語を流暢に話せる。彼のモラルに
関しても面白い点がある。最初のうちは野心的でうさんくさい人物として登場する
が、映画の終わりまでに、さまざまな面を見せる。彼はデッカードに対してもレプリ
カントに対しても、同情心を持てるんだ」

583 :◆p132.rs1IQ:2019/12/03(火) 11:14:55.99 ID:kkgPG3Ic5
 「もうひとつ、私はガフにいい恰好をさせることを思いついた」と、オルモスは続け
る。「それは衣裳部門のチャールズ・ノードとマイケル・カプランの協力を得た。次に、
彼は混血なのだが、アジアの血の方が濃いような気がしてきた。そこで、マーヴィン・
ウェストモアに、撮影の前ごとに肌を黄色がかった感じにしてもらった。また、ガフ
には他の血も入っていてもいいと思い、フランス、スペイン風の髭をつけ、イタリア
のパンクのような髪形にして、チャイナ・ブルーの眼にしたのだ」

584 :◆p132.rs1IQ:2019/12/06(金) 22:01:32.48 ID:Lcbpubmc1
反日種族主義 日韓危機の根源
李栄薫[編著]
p203
 土地気脈論が二〇世紀に入り韓国人を一つの民族に結束させた文化的背景について、少し補足
しておこうと思います。人の死体を地面の下に埋める韓国の土葬の風俗は、朝鮮王朝時代に入っ
た一五世紀から始まります。それ以前は仏教の時代であり、葬礼はたいてい火葬でした。祖先
に対する祭祀(日本風に言えば供養)も、寺に行き、亡き人の極楽往生を願う仏教の形式でした。
家々で行なう祖先への祭祀は、高麗時代までありませんでした。朝鮮王朝時代が始まると共に儒
教の時代となりました。それによって生と死の原理、すなわちこの世とあの世の関係も変わりま
した。儒教の世界では、人の生命は魂(こん)と魄(はく)の結合です。人が死ぬと魂は空中に散らばり、魄は地
に染み込んで行きます。それで死体を土に埋める風俗が生まれたのです。

585 :◆p132.rs1IQ:2019/12/06(金) 22:03:02.31 ID:Lcbpubmc1
スは宇宙(スペース)のス
レイ・ブラッドベリ
一ノ瀬直二[訳]
p272(『泣き叫ぶ女の人』)
 だれでも普通の町に住んでいると、恐ろしいことが起こるなんて、――たとえば鉄砲を撃った
り、ナイフで刺したり、人を地面に、とくに自分の家の裏庭なんかに埋めたりするなんて、そん
な恐ろしいことが起こるなんて思わないでしょう。だから、実際にそんなことが起こっても信じ
られません。それで、いつものとおりトーストにバターをぬったり、ケーキを焼いたりしている
わけです。

586 :◆p132.rs1IQ:2019/12/06(金) 23:11:10.24 ID:agF3qWDnI
『キングダム』予告編 - Netflix [HD]
http://www.youtube.com/watch?v=iK_Q0Lj_YBU
https://i.ytimg.com/vi/iK_Q0Lj_YBU/maxresdefault.jpg

『キングダム』予告編2 - Netflix [HD]
http://www.youtube.com/watch?v=iZGt1PNs7xA
https://i.ytimg.com/vi/iZGt1PNs7xA/maxresdefault.jpg

587 :◆p132.rs1IQ:2019/12/09(月) 10:58:45.25 ID:xblaUq5sV
鳥 デュ・モーリア傑作集
ダフネ・デュ・モーリア
務台夏子[訳]
p75(『鳥』)
 丘の頂上で彼は待った。かなり早く着いてしまった。まだ半時間も待たねばならない。東風
が高地から原を渡って激しく吹き寄せてくる。彼は足踏みし、両手に息を吹きかけた。遠くに
粘土質の丘が見える。重苦しい蒼白な空を背に、白くくっきりと。やがてその向こうから、な
にか黒いものが浮かびあがった。最初はあたかも汚れのように、それから徐々に広がり、色を
深め、汚れはひとつの雲となり、それがふたたび分かれて五つの雲となり、北へ、東へ、南へ、
西へと広がっていった。だがそれは雲などではなかった。鳥たちだ。ナットは、空を渡ってく
る彼らをじっと見守っていた。その一団が頭上二、三百フィートのところを通り過ぎていった
とき、ナットはそのスピードから鳥たちが内陸をめざしていることを知った。彼らはこの半島
の人々には用がないのだ。それはミヤマガラス、カラス、ニシコクマルガラス、カササギ、カ
ケスといった、ふだん小さな生き物を餌にしている鳥たちの一団だった。だがきょうの彼らは、
別の使命を帯びている。

588 :◆p132.rs1IQ:2019/12/09(月) 11:00:18.30 ID:A6pKFSCjn
「連中の取り分は町なんだ」とナットは思った。「連中は自分たちの役割を心得ている。ここ
にいるおれたちなんかどうでもいいんだ。おれたちの相手はカモメどもがするんだろう。他の
連中は町へ行くんだ」

589 :◆p132.rs1IQ:2019/12/15(日) 08:12:37.69 ID:SI4gLNz6E
ザ・インターネット
リオノ・フライシャー
高城 剛[監修]
大野晶子[翻訳]
p48
 アンジェラは、ビーチにホテルのタオルを敷き、その上に寝そべって大きな目をサングラス
で隠す、という状態でほとんどの時を過ごしていた。ときおり、持ってきたペーパーバックを
一、二ページ読むこともある。だがたいていは、本をビーチにうつぶせたまま、軽くまどろみ、
太陽と砂と海を満喫していた。アンジェラは、無意識のうちにちょっとした要塞を自分の周囲
に築いていた。大きなビーチバッグ、ラップトップのケース、雑誌の束――これをまわりに積
み重ね、防備を固めた城の壁をつくりあげていたのだ。その壁が、はっきりと告げていた。
「あっちにいって。わたしはひとりでいたいの」

590 :◆p132.rs1IQ:2019/12/19(木) 09:46:38.50 ID:SdQm5KhOe
TVステーション 関東版 2019年22号
p22(「孤独のグルメ」8つの鉄板トリビア)
(6)ロケで松重さんは
   OAの一食分を食す
 本番では様々な角度から撮るので、その分、
松重さんは料理をたくさん食べているのでは
と思われるが……。「基本的には一人前を完食
していただくまでを撮影します」(小松P)、
「いろいろなアングルから撮影しますが、カメ
ラ位置を変えて撮る時は一品の分量は変えず、
例えば半分食べていた場合、その残り分の料
理を温かいものに復元して撮影します。NG
が出ると何度も食べないといけないのですが、
松重さんは一切NGがないので、本当に一人
前を召し上がっていますね」(菊池P)

孤独のグルメ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1

591 :◆p132.rs1IQ:2019/12/19(木) 15:15:07.00 ID:SdQm5KhOe
CONTINUE[コンティニュー]2005年 Vol.22
p106(『ファイナルファンタジー』を創った男)
ミュージシャンになりたかった青春時代(抜粋)

――坂口さんがゲームを作ろうと思ったのはいつ頃ですか?
坂口 大学生になってアップルIIを知ってからですね。大学生になるまでは音楽に夢中で
「俺から音楽をとったら何も残らない」と言っていましたが。
――おお! 音楽少年ですか。いつごろから音楽に夢中に?
坂口 6歳くらいからピアノを習っていたんです。当初、僕はあまり好きじゃなかったの
ですが、のちにバンドに目覚めちゃって。親父は「男がピアノをやってどうする」って言
うような性格だったので、バンドに夢中になった僕を見て、「だからピアノなんてやらせ
なきゃよかった」と後悔していました(笑)。

592 :◆p132.rs1IQ:2019/12/19(木) 15:16:52.85 ID:7kvPAQ3HN
――坂口さんが最初に夢中になったミュージシャンは?
坂口 ポプコン(註:ヤマハ・ポピュラーコンテスト。アマチュアを対象にしたオリジナ
ル曲発表イベント)で出てきた中島みゆきですね。曲は『時代』ね。あれはよかったなぁ。
それとスティービー・ワンダー。2.5枚組の『キー・オブ・ライフ』ね。『I Wish』だ
とか『Sir Duke』は当時習っていたエレクトーンでよく弾いていました。
――ミュージシャンになろうとは思わなかったんですか?
坂口 実はバンドでポプコンに出たこともあるんですよ。オリジナル曲を作詞作曲して関
東甲信越大会に応募して。そのときはギタリストでボーカルでした。ハハハ。単なる音楽
小僧ですね。曲名はちょっと恥ずかしくて言えないけど(笑)。
――その結果は?
坂口 高校生のレベルの音楽だったので、落ちても当然という感じ。それでも音楽に夢中
で、気がついたら浪人していて……「俺はこのあとどうするんだろう」と思って。結局、
勉強して進学する覚悟を決めたんです。あの浪人していた一年間は人生で一番勉強をしま
したね。

593 :◆p132.rs1IQ:2019/12/19(木) 15:18:34.11 ID:6dnOL1ueT
――音楽を続けるつもりはなかったんですか?
坂口 とにかく「家から出たい」という気持ちがあったんです。「この街から出なきゃい
けない」と思っていて。将来はどんな仕事をするかとか何も考えずに、とにかく進学を目
指しました。
――それで故郷をあとにして、横浜の大学へ。大学は理工系でしたよね。
坂口 そうです。1年目はバンドをやっていたんですが(笑)、ちょうど1年の終わりに
アップルIIと出会うんです。同級生の田中弘道(註:現『FFXI』プロデューサー)がア
ップルIIを持っていて。初めて異文化に触れたかのような、カルチャーショックを味わい
ました。

文=志田英邦 写真=松崎浩之

594 :◆p132.rs1IQ:2019/12/19(木) 15:20:09.28 ID:hWOl2gpdz
ファイナルファンタジー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%BC

坂口博信 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%8D%9A%E4%BF%A1

595 :◆p132.rs1IQ:2019/12/23(月) 01:14:33.36 ID:dL48XaXPK
朝鮮童謡選
金素雲[訳編]
p159(『大門遊び』)
どこの兵(へい)な
全羅(ぜんら)の兵よ
何千名な
三千名よ
笠(かさ)は なに笠
笠は 統営笠(トンヨング)(100)
旗は なに旗
旗は 紅旗(あかはた)
佩(は)いたは なに太刀(たち)
佩いたは 大太刀(おおだち)
足にゃ なに沓(ぐつ)
足にゃ 鉄沓(かなぐつ)
開(あ)けたは なに門(もん)
開けたは 東大門(とうだいもん)(101)
東大 東大 東大門。
   〔二六八―忠南〕

596 :◆p132.rs1IQ:2019/12/23(月) 01:16:14.05 ID:1KJcat+lj
 大門遊びの問答。「ここはどこの細道じ
 ゃ」の類。末句の「東大 東大 東大門」
 で両方からさし上げた腕の下をぞろぞろ
 と繰り込む。以下同巧。
   ‡
お出まし お出まし
どちらの どなたがお出まし
平安監司(ピヨンアンカムサ)(50)の お出まし
監司が 何しに
盗人(ぬすつと) 捕えに
何人 捕えた
三千人 捕えた
なに門を 開(ひら)こ
東大門(とうだいもん)を 開け
なに鍵(かぎ)で 開こ
カルガング鍵(シエ)(102)で 開け
やれそれ 開(あ)けた
東大 東大 東大門
   〔一三九五―黄海〕

597 :◆p132.rs1IQ:2019/12/23(月) 01:17:48.37 ID:fwJo1s+SK
   ‡
牢番(ろうばん) 牢番 開(あ)けないか
牢門(ろうもん)ちょっくら 開けないか
開けてやるにも 鍵(かぎ)がない
鍵は無くとも ちょと開(あ)けろ
開(あ)いた 開(あ)いた 牢門開いた
エッチラ オッチラ 押し込め 繰り込
 め。
   〔六八四―慶北〕
   ‡
婆さんや 婆さんや
ちょっくらこの戸を 開(あ)けとくれ
祭の白餅 食べる間に
鍵(かぎ)を失(な)くして 開けられぬ。

爺(じい)さんや 爺さんや
この戸ちょっくら 開(あ)けとくれ
祭の酒に 酔うた間に
鍵を失(な)くして 開けられぬ

598 :◆p132.rs1IQ:2019/12/23(月) 01:19:28.29 ID:YG65or4HX
婆さんや 婆さんや
箸(はし)でつついて 開けとくれ
なんぼ突(つ)いても 開きはせぬ
爺さんとこで 聞いて見な。

爺さんや 爺さんや
かんぬきはずして 開けとくれ
かんぬきはずして 開けたらば
家(いえ)はくずれて 門ばかり。


  (50)  監司(カムサ)=一道の長(おさ)。
  (100) 統営笠=慶南統営郡の産する笠。
   統営はもと水軍の本営地。笠、膳、貝
   細工等の産地として名高い。
  (101) 東大門=東の城門。
  (102) カルガング鍵(シエ)=鍵の冠称。

599 :◆p132.rs1IQ:2019/12/24(火) 00:58:57.89 ID:hh85i/0CH
ミザリー
スティーヴン・キング
矢野浩三郎[訳]
p166
「新しい回の初めには、いつも前回の最後の場面がくりかえされるのよ。山道を下ってゆく車が
映り、断崖が映った。ロケットマンは車のドアを叩いて開けようとしている。そのとき、車が崖
にさしかかる寸前に、ドアがパッと開いて、ロケットマンは道路に転がりでた! 車だけが崖か
ら落ちていって、映画を観ていた子供たちはみんな、歓声をあげたわ。ロケットマンが脱出でき
たんだから。でもあたしは、歓声をあげなかった。頭にきたのよ! そして、叫びだした、『あ
れは先週のとちがうわ! 先週のとちがうわ!』って」

600 :◆p132.rs1IQ:2019/12/27(金) 00:41:30.87 ID:0ptEZDOnx
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p11
明治三十九年(一九〇六年)…………363(目次)
 外務省の日露講和解説  札幌・エビス・朝日の三麦酒合同  満洲関係の日清条約成立  統監府開
務式  日本一の女月給取、下田歌子が年五千円  統監旗制定  堺、片山等日本社会党を組織  鉄
道国有法成立  京釜鉄道買収  華族女学校学習院に合併  歯科医師法  裸体活人画  沖、横川
と同行の四志士銃殺と判明、遺族に恩賜金  台湾の樟脳諭告  学校と家庭の連絡に母の会  初めて
女子の判任官  二年兵役実施  あべ川餅由来記  東清鉄道日本に受了  関東都督府官制公布  
日米間直通電信開始  アリユウシヤン群島アツチユ島の日本人密猟者米国官憲に殺害さる  邦人漁夫
殺害事件に関する米国国務省の見解  統監府「京城日報」を創刊  株成金鈴久の全盛ぶり  専修大
学  韓国拓殖会社設立  関東州・清国に正金銀行券  旅順の守将ステツセルの末路  樺太の小学
校  歩兵操典改正  早稲田大学の新聞研究会  「肉弾」の著者桜井中尉  菊人形由来記  報知

601 :◆p132.rs1IQ:2019/12/27(金) 00:43:39.43 ID:A1JAZaKZv
新聞が夕刊発行  早慶野球戦の歴史  露国の日露戦役費十七億円  樺太境界劃定委員会議  韓国
太平記  南満鉄道創立総会  乗合自動車拡まる  深川の金生小学校  古河家が福岡、仙台、札幌
三大学の建築費全部を寄附  博報堂十周年園遊会  韓帝より我が皇室に親書捧呈  森林経営に関す
る日韓協約  年賀郵便創設  孫逸仙の南清暴動談  大日本史完成  町村財政悪化  外教信奉者
十二万二千人

602 :◆p132.rs1IQ:2019/12/28(土) 00:11:48.19 ID:wG6EN+bb6
月刊MOE 1991年7月号
p78(『ポエム・シンフォニー』)
今月の詩
――――
銀の箸と匙  黄明杰(フアンミヨンゴル)(一九三五〜) 訳・茨木のり子(一九二六〜)

あかんぼが 笑ってるね
一歳の誕生日の晴着を着て
ご祝儀のうずたかく積まれた
膳まで受けて

あかんぼが 笑ってるね
色とりどりの五色のなかで
膳に添えられた銀の箸と匙 そのひかりのよう
ほのかに きらめいて

603 :◆p132.rs1IQ:2019/12/28(土) 00:13:25.59 ID:rabH3UP9a
あかんぼは 知らない
知る必要もないのだ
父と母がどれほどたくさんの
涙を流したかなんて

お膳さえなく
りんご箱を代用にして
ありふれた真鍮の箸もなし
いつも木の箸を使っていたことなんか

あかんぼが 笑ってるね
祝膳のたっぷりの御馳走の前で
膳に添えられた銀の箸と匙 そのひかりのよう
ほのかに またたいて

ああ おまえは笑わなくちゃ
笑って 生きてゆかなくちゃ
堂々とわるびれず銀の箸と匙を使って
末長く生きてゆかなくちゃな

604 :◆p132.rs1IQ:2019/12/28(土) 00:15:08.67 ID:7erEeXBFQ
訳者註 一歳の誕生日は盛大に祝い、さまざまな物を並べて、その子がまっさきに
本を手にとれば学者に、お金を取れば金持に、糸を取れば長生きするなどと、その
未来を占う風習もある。

茨木のり子訳編『韓国現代詩選』花神社より(読売文学賞・翻訳賞受賞)

  〈解説〉
   ヨーロッパの詩を訳し、それに倣(なら)うことから日本の詩
  はスタートしました。そんなこともあって、わたし達の
  目はヨーロッパ、アメリカに向きがちでした。もっと東
  洋の詩を、一番近いおとなりの国の詩を知りたいという
  訳詩者の願いが実を結んだアンソロジーの中の一篇です。
  この詩を読むと、朝鮮半島の人達の受難の歴史が日本人
  の一人であるわたしに、痛みとともに迫ってくるのを覚
  えます。皆さんに他の訳詩も読んでほしく思います。

選・評/川崎 洋

605 :【465円】 【吉】 ◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 07:01:35.62 ID:JsOndrZ8N
《白いメシがあれば 俺は世界中の どんな おかずとも戦える》

606 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:04:27.46 ID:VSISEgp/f
海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂
小松左京/紀田順一郎[監修]
p21(『空襲都日記(一)』)
 一月一日(昭和二十年)
○「一月ではない、十三月のような気がする」とうまい
ことをいった人がある。
○昨大みそか夜も三回の来襲。皆一機宛。しかも警報の
出がおそく、壕まで出るか出ないかに焼夷弾投下、高射
砲うなる。

 敵機なお頭上に在りて年明くる
 ちらちらと敵弾燃えて年明くる
 焼夷弾ひりし敵機や月凍る
○伊東福二郎君来宅。去る二十七日の空襲に、彼の家の
三軒隣りの前の五間道路に、敵爆弾が落ちたとのこと。
両側の家の一方は模型飛行機店で店だけこわれ、他方の
家は半分吹きよじれた。人の損害は、前の防空壕に一方
より圧力がかかって壕がくずれ、上からは土砂が落ち、
赤ちゃん一名圧死。

607 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:06:06.74 ID:SQpaYTfHI
 道路をつきぬけて破裂した敵弾は、径十センチばかり
の水道鉄管をふきあげ、それが路上に電柱の如く突っ立
ち、あたりは水にて池の如し、という。また三千ボルト
の高圧線切断し、そのスパークが、瓦斯管の破損個所か
ら出る瓦斯に引火して燃え出した。
 伊東君の家の南側ガラス(爆弾は南側におちた)は全
部こわれたが、紙を貼って置いたので、粉々にはならな
かったが、やっぱりとび散った。二階のガラスは大丈夫
とのこと。
 半ねじれの家では七十の老人が、いったん壕に入りな
がら貴重品を思い出して家にもどり、その途端やられ
た。しかし落ちた屋根も、縁側が下におち、老人の身体
をその間にはさんだので助かったという。
 ラジオ受信機は、断線個所が多かった。やわらかい土
地だから、地震のように震動がつよかったためだろう。
 附近では爆弾破裂の音を聞いた人が殆んどなく、しゅ
るしゅるという音だけは聞いたそうな。近いところでは
案外音がしないという話があるが、それに適中する。

608 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:07:40.36 ID:iX7Xo+1oX
 近所の人もわりあい落着いている由。この際引越して
も輸送がうまく行かないこと、敵弾に当たれば運が悪い
とあきらめようという気持、自分のところは大丈夫だと
いう気持などがプラスに動いているらしい。
 附近に四発落ちた。荻窪の中島工場(まだほとんど無
傷)を狙ったそれ弾か、荻窪駅を狙ったのか、それとも
桃井第二国民学校を狙ったのか、それが分らないとのこ
と。
 とにかく伊東君一家の安泰を祈るや切なるものがあ
る。
○練馬では、一度掘れた爆弾孔を埋めたのに、後ほど又
同じところに落弾し穴を明けた。もう埋める気がしなく
なったそうな。

609 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:13:54.30 ID:c4vD7Clqs
海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂
小松左京/紀田順一郎[監修]
p88(『降伏日記(二)』)
  序

 禿筆をふるいて降伏日記を書きつづけん
  昭和二十一年元旦
   海野十三

 一月一日
○快晴也好新年。
 されど記録になき乏しき食膳の新春なり。されどされ
ど食膳に向えば雑煮あり、椀中餅あり鳥あり蒲鉾あり海
苔あり。お重には絶讃ものの甘豆あり、うちの白い鶏の
生んだ卵が半分に切ってあり、黄色鮮かなり。牛蒡蓮里
芋の煮つけの大皿あり、屠蘇はなけれど配給のなおし酒
は甘く子供よろこびてなめる。

610 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:15:31.24 ID:QB3kJi7Lc
  私五十、妻三十八
  陽子十六、晴彦十四
  暢彦十二、昌彦十
○子供は一円五十銭にて買い来りし紙鳶をあげてよろこ
びしが、遂に自作を始めたり。
○坪内和夫君年始に第一の客として入来。
○楽ちゃんも年始に。
○夜子供のため、凧に絵をかく。矢の根五郎を鳥居清忠
の手本によりてうつす。
○国旗を掲ぐ。
○畏くも詔書慎発。民主々義を宣せらる。

611 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:17:05.79 ID:JsOndrZ8N
海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂
小松左京/紀田順一郎[監修]
p103(『降伏日記(二)』)
昭和二十二年
 一月一日(曇)
○五十一歳。英は三十九歳。
 陽子十七歳。晴彦十五歳。
 暢彦十三歳。昌彦十一歳。
 養母六十五歳。
○英、頭痛にて寝込む。
○例により、炬燵の船長相つとむ。
○賀状もちらほら入っている。横溝(※正史)君の手紙
を例によりたのしみにして一番おしまいに抜く。私の処
女作「電気風呂の怪死事件」が昭和三年の春の『新青
年』に出た頃の秘話(?)を始めてきかしてくれ、なつ
かしくなること一通りでない。

612 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:18:39.02 ID:iX7Xo+1oX
○高橋栄一先生夫妻、モーニングに、奥さまは狐の襟巻
というりゅうとしたる姿にて年賀に来て下さり、俄かに
あたりが眩しく光を放ち出し、これにてようやく新年ら
しくなった。先生夫妻は麻布本村町の岡東浩君の宅へ転
入されしは今から十日ほど前のこと。その礼などいわれ
る。
○坪内和夫君来賀。いつも元旦に来てくれる和夫君。一
年増しに立派になり、まことにうれしくなつかしく、三
十五歳にて逝かれし故坪内信先生の面影がふと一閃、わ
が目前を過ぎて見ゆるような気がする。地下で先生もに
こにこ笑っていられるに違いない。
○村上勝郎先生、例によって来診、ビタミンB1とCの
注射も亦例の如し。大三十日以来腹ヤミにて、夜も元旦
朝も起され、たいへんだった由。巷に汎濫する食料品の
いかがわしさ以て知るべし。
○夜は親子六人、八畳の炬燵を囲んで、雑誌や動物あわ
せに賑かに更けて行く。いいお正月だ。何はなくとも、
また前途に何があろうとも、今夜ばかりは。

613 :◆p132.rs1IQ:2020/01/01(水) 12:20:10.78 ID:JsOndrZ8N
○江戸川乱歩氏は几帳面に一号館書房の印税割あてを送
って来て下さる。二千八百二十六円也。これ本年初収入
なり。

海野十三 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E5%8D%81%E4%B8%89

614 :◆p132.rs1IQ:2020/01/05(日) 03:03:58.21 ID:6QXH3U1RO
来週までのレポートの課題は

今 住んでいる町を
旅してみること

何気なく通り過ぎていた
路地裏

道や建物

それらをじっくり観察し

写真で記録に残す

自分の住んでいる所に
愛情を持ち 理解する

それが建築学概論の始まりだ
分かったか?

615 :◆p132.rs1IQ:2020/01/05(日) 03:05:28.47 ID:T6T4Uwij/
映画「建築学概論」予告
http://www.youtube.com/watch?v=u7CPfl6E0l4
https://i.ytimg.com/vi/u7CPfl6E0l4/hqdefault.jpg

616 :◆p132.rs1IQ:2020/01/06(月) 13:54:38.24 ID:3+LY96Wjq
母なる証明
竹内清人
原案 ポン・ジュノ
p110
「奥さん、現実的に考えてください。いまのこの状況で精神病院四年なら、法律的にはヒッ
ト、いや、大ヒットですよ!」

617 :◆p132.rs1IQ:2020/01/06(月) 16:20:39.36 ID:pPGTpkq3y
口に出せない習慣、奇妙な行為
ドナルド・バーセルミ
山崎勉+邦高忠二[訳]
p55(『ロバート・ケネディ、溺死寸前に救助される』)
 K、群集について語る

「疲れ切った群集と生き生きとした群集がある。
「時々、あそこに立っていると、ある特定の群集がそのどちらに属するか見当がつく。時には
群集の雰囲気(ムード)が偽装されていることもあるし、時には問題の群集がどういう種類の群集である
のか、十五分かけてやっと見分けられることもある。
「それから彼らに話すときは同じ調子であってはならない。ヴァリエーションというものを考
慮に入れる必要がある。特定の雰囲気の特定の群集にとって意味のあることを喋らなくてはい
けない」

618 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:11:23.98 ID:UwPUdeKem
キネマ旬報 2009年11月上旬号 No.1544
p22「『特別対談 ポン・ジュノ×黒沢清』」
驚愕のオープニングに込めた
逆説的な祝福


黒沢清(以下、黒沢)「母なる証明」、本当に素晴らしい映画で、最初から最後まで興奮しっ放しのま
ま観させていただきました。物語、人間、そして映画そのもの。この3つの力がどれひとつ衰えること
なく、最後まで束になって繋がっているような映画でした。今、その3つの力をすべて出し切ることの
できる監督とは、たぶん世界で数人しかいないと思うんです。ポン・ジュノさんがその最高峰のひとり
だということは前から分かっていたこととはいえ、今回、はっきり証明されたように思います。

ポン・ジュノ(以下、ポン)(もじもじと恐縮)

黒沢 とにかく映画の冒頭で、僕は正直、やられたと思いました。ひとりの老いた女性が森の中を歩い
て広い野原にやってきて、たしか一瞬、カメラの方を睨みつけたと思うんですが、その後、唐突に踊り
始めますよね。そして、踊り出してから音楽が流れるのか、その逆だったのか、ちょっと定かではない
んですが、僕はもう、踊ることと音楽が流れることで、その瞬間、凄い映画がきたと感じました。細か

619 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:13:02.89 ID:5QWwhq0nV
いことにこだわるようですが、このとき、音楽と踊り、どっちが先でしたっけ?

ポン ちょうど彼女が体をちょっと動かし始めたときに、それをスタートのタイミングとして音楽を重
ねました。曲に関しては、撮影現場で実際にかかっていたのはあの曲ではないんですが、撮影をすべて
終えてから別途作り、編集のときにあの曲をあてたんです。

黒沢 じゃあほぼ同時ということですね。いずれにしても、あそこでいきなり踊る人というのはかなり
変わった、普通じゃない人のはずです。そこに音楽が流れることによって、もちろん何が起こっている
のかは見ている僕らにはわからないんですが、なんと言うか、こう、彼女が祝福されているような、映
画そのものが彼女に従っているような、そういう印象を持ったんです。これから始まる彼女の物語がど
んなものになるのかは分からないんですが、たぶん彼女は祝福されている。そういう感じが、人物が踊
ることと、同時に音楽が流されることによって、強烈に伝わってきたような印象があります。

ポン 彼女、お母さん*のキム・ヘジャさんとしては、相当当惑したらしいんですが、いざ始まる

620 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:14:35.89 ID:LkXRTsgII
と、とてもうまく踊ってくれましたね。でも……、突然こんなことを言い出して失礼かもしれませんが、
最高のオープニング≠ニ言えば、黒沢監督の「トウキョウソナタ」こそが当てはまるんじゃないです
か? あの映画にも、お母さんが出てきますが、彼女がひとりで家にいて、パッと風が吹いてくる冒頭
の場面では、風が吹くことで、なんだかすべてのことが予見されるかのような、そんな感じを私は受け
たんですが。あれはどうやって撮られたのですか?

黒沢 僕にしては珍しく、スタジオで撮影したんですよ。

ポン ……アア、スバラシイ(日本語で)。セットで撮られたことを知って余計に驚きました。本物の
光と風と女性が作り出した凄く美しいシーンだと思っていましたから。

黒沢 ちなみにこのときの照明は、ポン・ジュノさんの「TOKYO!〈シェイキング東京〉」でも照
明を担当した市川(徳充)さんなんですよ。彼に外から太陽が射し込んでいるような光をつくっても
らって撮ったんです。……しかし、なぜ僕がこんなことを答えているのかな? 僕の作品のことは置い
ておいて、今日は、「母なる証明」について質問させてくださいよ。

ポン (笑)

621 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:16:10.78 ID:SSwbiq1RG
黒沢 オープニングの踊りを経て、その後、彼女にはとっても辛いこと哀しいこと苦しいことが起こり
ますよね。でも僕には、やっぱり彼女は祝福されているのではないかという気持ちが、案の定、観終わっ
た後にも残ったんです。この祝福≠ニいうことに関してはいかがですか?

ポン 今おっしゃっていただいた祝福ということも含めて、私はこのオープニングに3つの大きな意味
を持たせました。まず1つ目は、広々とした野原に女性がひとりやってきて、カメラも何もかもそ
の彼女を中心にして動いていくことで、この映画はこの母親の映画である≠ニいうことを、ある種宣
言するような場面にしたかったんです。また2つ目は、真昼の野原で女性が踊り出すことで、この人、
気が触れているんじゃないか、もしくはこれから気が触れるんだろうと思わせる、いわば予告めいた場
面にもしたかった。花柄の服を着た女性が真っ昼間にひとりでぽーっと踊ることは、狂気に繋がる――
というような言葉も、韓国には実際にあるんですよ。そして3つ目。実は、このオープニングのシーン
は、画面としてはこの映画のなかで最も明るいんです。後に女子高生が殺される廃屋にしても、そのす

622 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:17:47.79 ID:HT2DEmqy0
ぐ横の小道にしても、さらには村全体も、とても暗いですから。また、話が進むにつれて登場人物たち
の内面、裏の面が明らかになってゆく。つまり、この映画は、どんどん暗くなっていくんです。こうし
た暗い物語と対照させる意味でも、そしてまた、どこかソフトな光のなかで踊らせることであの時間
は、彼女にとっての幸せがまだ微かに残っている瞬間だったのかもしれない≠ニいうことを漂わせる意
味でも、最初の画面は最も明るくしたかったんです。そう考えれば、確かにこのオープニングは、逆説的
な祝福だといえるでしょう。

取材・文=塚田泉

母なる証明 Trailers
http://www.youtube.com/watch?v=tFh3iOkmj38
https://i.ytimg.com/vi/tFh3iOkmj38/hqdefault.jpg

Mother - Opening Sequence
http://www.youtube.com/watch?v=MqokbMIzd7w
https://i.ytimg.com/vi/MqokbMIzd7w/hqdefault.jpg

623 :◆p132.rs1IQ:2020/01/07(火) 14:20:06.08 ID:BsR417RJl
Tokyo Sonata (2008) Trailer [ENG SUB]
http://www.youtube.com/watch?v=lyWp__jXNRw
https://i.ytimg.com/vi/lyWp__jXNRw/hqdefault.jpg

『パラサイト 半地下の家族』30秒予告
http://www.youtube.com/watch?v=8myodUn735w
https://i.ytimg.com/vi/8myodUn735w/maxresdefault.jpg

624 :◆p132.rs1IQ:2020/01/09(木) 11:24:48.67 ID:ekE3ckwUR
新聞が語る明治史 明治二六年〜明治四五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p9
明治三十八年(一九〇五年)…………311(目次)
 旅順遂に開城、ステッセルの軍使白旗を掲げて来る  皇太子妃御分娩  遼東半島封鎖解除  旅順
の敵艦全滅  ステッセル長崎へ  皇孫御命名式  露都の大椿事、祝砲に榴散弾  ダルニーを大連
と改称  女学校校章の始  露国に叛乱起る  露国擾乱で西比利亜鉄道も杜絶  敵軍全面的に退却
清帝室の霊地奉天城内に軍隊の宿衛を禁ず  大軍四十万の敵戦線無残に崩壊  奉天占領、皇軍意気衝
天  奉天の北方に敵を急追  鉄嶺占領の結果  軍票暴騰  韓国で第一銀行券発行  露兵の蛮行
言語道断  捕虜習志野に到著  米大統領を調停者に日露講和談判開始説  刑の執行猶予と各国の先
例  バルチック艦隊の動静  旅順の戦利品夥し  バルチック艦隊カムラン湾に、帝国仏政府へ抗議
露を厭ふ女郎花  露国の犠牲人四十万、財二十億  スタンダード石油会社が横浜神戸に油槽設備  
無限の宝庫撫順炭坑  クロパトキンを弾劾したドラゴミロフ  紅葉山人の未完の「金色夜叉」  小

625 :◆p132.rs1IQ:2020/01/09(木) 11:26:20.56 ID:wiQQE25fK
栗風葉が結尾を附足す  波羅的艦隊遂に来る  壮烈豪快な日本海大海戦  日本海大海戦続報  昨
年五月以降の軍艦の被害を初めて公表  敵艦続いて惨敗  日本海海戦大捷と英国の輿論  米国大統
領ルーズベルト日露講和を提議  露国も講和諾了  皇国の興廃此一戦にあり、東郷司令長官の海戦詳
報  米国の講和提議に日本応諾  両切紙巻煙草ほまれ新発売  東郷司令長官の作戦計画  劇場は
大入  露艦ポテムキン号反乱  政府の懐ろに正貨五億円  講和全権出発  流行は元禄模様  浮
虜将校の艶名  ポーツマスで講和談判  露国講和全権ウィッテ  女学生の自転車乗り  樺太南部
占領  懲役十年のスパイ仏人特赦  上陸二十四日で樺太全島平定  樺太の人口は三万  桂太郎の
愛妾お鯉  日露講和露国の強腰で難航  日本の要求  露国駆引強し  ウィッテの宣伝巧妙で日本
側押され気味  米国大統領の調停  中央大学  日露講和成立  天皇陛下に和議の破棄を命じ給は
んことを請ひ奉る  講和条件に挙国不平  日本に外交無し  焼かれた交番  帝都遂に戒厳令下 

626 :◆p132.rs1IQ:2020/01/09(木) 11:27:57.09 ID:+yrDx22FG
焼打の状況  佐世保軍港の三笠火災  日英両国新協約  在露日本浮虜一千六百  平和克服の大詔
ポーツマス講和条約全文  露帝ウィッテ全権に伯爵を授く  東郷大将参内して海戦経過を奉告  偉
勲万世に輝く聯合艦隊凱旋式  大観艦式のイルミネーション  東北三県七十年来の大凶作  露国芬
蘭に自治を許す  聖上大捷御報告の為伊勢神宮に御参拝  加奈陀の日本讃美  朝鮮半島我が勢力圏
に、韓国に統監府を置く  恙虫病原発見  日露戦役の我が軍死傷二十二万、病者二十二万  京義全
線開業  日韓新協約反対の閔泳煥自殺す  元老趙秉世も自殺  東郷大将満点―さて大山大将の凱旋
ぶりは?  露兵に捕はれたる郡司大尉帰る  伊藤博文が韓国統監  日清協約の内容

627 :◆p132.rs1IQ:2020/01/12(日) 09:30:45.40 ID:bwq2xHTff
ファイナルファンタジーVII外伝
タークス〜ザ・キッズ・アー・オールライト〜
野島一成[著]
田島昭宇[イラスト]
p279
「そんなに落ち込まないで。あの人の方が一枚上手だった。それだけ」

628 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:16:42.60 ID:tySieqXME
TRASH-UP!! 03
p177
特別座談会
「キム・ギヨン映画の衝撃と感動」(抜粋)

 4月某日、某所においてキム・ギヨン愛好者たちの秘密集会が行われた。その日は貴重な韓国版ビデオから起こした『火女』(71)と『殺人蝶を追う女』(78)
の映像を参考上映する……はずが、上映直前に『火女』のDVD-Rが真っ二つに割れて破損! 急遽『異魚島』(77)に差し替えられるという怪現象で幕を開けた
……。上映後、幻の怪作『殺人蝶〜』の衝撃覚めやらぬ中、参加メンバーによる特別座談会を敢行。出席者は、96年に国際交流基金アジアセンターで世界初のキム・
ギヨン回顧上映会を開催し、近年は東京国際映画祭(TIFF)「アジアの風」プログラムディレクターとしてキム・ギヨン作品の上映を積極的に仕掛けている石坂健治。
そして、アジアを中心に世界各国の優れた映画を発見・紹介する人気映画祭「TOKYO FILMeX」プログラムディレクターを務める市山尚三。『リング』シリーズや『狂
気の海』など鬼気迫る作品群で知られる脚本家・監督の高橋洋。今回の集会の発起人であり、映画監督として『おかえり』『殺しのはらわた』など多彩な作品を手

629 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:18:22.11 ID:Wt4KNbKrO
がける篠崎誠。韓国本国での再評価に先駆け、世界でもいち早くキム・ギヨンの“魔”に憑かれた4人が、その底知れぬ魅力と知られざる横顔について語り明かした。

文・構成/岡本敦史  文中写真提供/石坂健治

630 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:20:02.94 ID:ZKTl+Ak1M
キム・ギヨンとの出会い


市山 石坂さんがキム・ギヨンの作品を最初にご覧になったのは、いつなんですか?

石坂 最初はビデオだったんですよ。96年に三百人劇場で朝日新聞社主催の「韓国映画祭1946―
1996/知られざる映画大国」という特集上映があって、その調査のため前年にソウルへ行ったんです。
その時、片っ端からビデオを観ていた中の1本が『火女』(71)だった。それを観てビックリしたのが最初
ですね。劇場でちゃんとキム・ギヨン作品を観たのは、96年の香港国際映画祭。韓国映画の特集があって、そ
の時に『下女』(60)を初めて観ました。香港映画祭では、シノヤンとも一緒だったんだよね。

市山 篠崎さんは『おかえり』(96)で参加されたんでしたっけ。

篠崎 そうです。その時の特集では、シン・サンオクの『離れの客とお母さん』(61)とか、ユ・ヒョンモ
クの『誤発弾』(61)とか、60年代の韓国映画黄金期の代表作がまとめて上映されていて。評論家のトニー・
レインズに何を観たらいいのか訊いてみたら、これだけは観ておけという何本かのタイトルの中に『下女』

631 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:21:46.33 ID:JZ/CiKrc6
も入っていました。上映カタログに載っていた、家政婦の女が窓の外から恨みがましい目で抱き合う男女を
見ているスチールが目を惹いて、これは観なくてはと、すでにチェックしていたんですが。

石坂 当時の韓国映画界自体は最悪の時期で、マーケットシェアもかなり落ち込んでいた。『シュリ』
(99)とかのヒット作が出る直前、ちょうど夜明け前の頃ですね。でも、昔の作品はこんなにいいじゃない
かということで、香港や日本で旧作の再評価が始まった時期だった。

市山 僕も篠崎さんと同じで、香港映画祭で『下女』を観たのが最初なんですよ。ただ、僕が観に行ったの
は2回目の上映で、すでに1回目を観た人たちの間でもの凄い噂になっていた(笑)。香港では結構、みん
なゲラゲラ笑いながら観てましたね。

石坂 面白かったのは、映画祭で韓国映画のシンポジウムがあったんだけど、韓国の若い監督たちは自国の
古い映画を全然知らなかったんだよね。『ナヌムの家』(95)のビョン・ヨンジュなんかは「私は韓国映画よ
りも小川紳介の作品の方が好きだ」とか「山形国際ドキュメンタリー映画祭に感謝したい」とか、そういう

632 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:23:21.11 ID:XGR8d9IV8
文脈でね。それに対してトニー・レインズがひとりで擁護してて、昔の韓国映画はこんなに素晴らしいんだ
とか、宝物だとか言ってるという。日本の場合と違って、韓国では映画文化が「継承」ではなくて「断絶」
から始まってるというか、若手監督が自分の映画を作っていく意識がかなり違うんだなと思った。

篠崎 キム・ギヨン自身も、『肉食動物』(84)以来フィルモグラフィが途切れた状態でしたよね。84年頃とい
うと、ちょうど韓国ニューウェーブの時代。イ・チャンホとかペ・チャンホとか、ある種インテリ受けする
作家性の強い映画がまとめて出てきた時期から撮っていない。

石坂 そう、意外なことにすっかり忘れ去られていたんだよね。本人も隠遁状態というか、国内の映画業界
との関わりを一切断っちゃってたんですよ。だから最初に会う前はいろんな噂ばっかり聞こえてきてね。「絶
対会えないよ」とか。

市山 石坂さんが国際交流基金アジアセンターでキム・ギヨンの特集上映を開催したのも、香港映画祭と
同じ96年ですよね。それはやっぱり映画祭で『下女』を観て、これはなんとしてでも日本で上映しなければ
と思ったんですか。

633 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:30:17.09 ID:t8D8Ddi71
石坂 うん。で、親交があるという人を通じて交渉したんだけど、あるとき連絡があって、小劇場が軒を並
べるソウルの下北沢≠フテハンノ(大学路)にあるプレイボーイ・パブに来いという。行ってみると、バ
ニーガールの衣装をつけたおねえちゃんたちがローラースケートで酒肴を運んでくるという、笑っちゃう
ようなギンギンの店。その奥で巨漢の老人がバーベキューをモリモリ食ってて、それがキム・ギヨンだっ
た。こっちがカチカチに緊張してたら、「おう、若いの、日本から来たか、ご苦労」って、上機嫌だったん
だけど、『下女』だけはダメだって言うわけ。あれは監督本人が権利を持っていて、「わしは戦時中から日
本人がキライだから、日本人にだけは見せない」と。それはもう日韓の戦争問題に関わってくる話じゃない
ですか。だから、自分は日本人としてどうあるべきか……なんてことを徹底的に考えましたよ。だけど考え
た末、「やっぱり監督の作品は面白いからやらせてください!」とお願いするしかない、という結論になっ
たんです。そこで私だけじゃなく、佐藤忠男夫妻とかいろんな方の協力を得て、最終的には上映できること
になった。

634 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:31:53.39 ID:FXHZkScNJ
市山 日本で最初に『下女』を上映した時って、確かキム・ギヨン本人が自分でプリントを持ってきて、字
幕も制作が間に合わないから手差しで映写するという、ムチャクチャな状況で観た記憶があるんですが。

石坂 そうそう。もう『下女』にはこだわらないから、とにかく日本に来てくださいということで監督夫妻を
お招きして、成田空港へ迎えに行ったら、監督が自分で『下女』のプリントを持ってきてたんです。「ほら」
みたいな感じで(笑)。日本語ができる世代だから、台本も自分で日本語訳してきてくれた。でも、登場人
物の名前まで日本人の名前に変えられていて(笑)。トンシクとかミョンジャとかの人名が、全部ヨシオと
かタカコになってるんですよ。さすがにこれは……と言ったら「いや、ここは日本なんだから日本人の名前
のほうがいいだろ!」とか、ワケの分からないことを言い出して(笑)。それをまた翻訳家の根本理恵さん
にチェックしてもらって、3日間で字幕を付けたんです。だから上映時には字幕は全て手動でやってました。

市山 あの時に上映したのは、『下女』、『異魚島』(77)、『破戒』(74)……。

石坂 あと『肉体の約束』(75)と『肉食動物』かな。

635 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:33:32.61 ID:iUHeXE73R
市山 高橋さんはその時にご覧になったんですか。

高橋 そうです。その前に、香港から帰ってきた篠崎さんから「凄いものを観てしまった」と興奮した電話
がかかってきて(笑)。僕もなんとなく、話の空気でどのレベルのものを観たのかは分かるから、「じゃあ、
今からストーリー言ってくれる?」と言って、電話しながらプロットを全部その場で書き起こしたんです。

篠崎 電話ごしにそんなことをしてたとは(笑)。

高橋 かなり正確な描写でしたよ。今思えば、それから『下女』の実物を観るまでが意外に早かったですよ
ね。「当分観る機会はないんだろうな、くっそ〜」とか思ってたら、わりと早くチャンスが巡ってきた。そ
れで佐々木浩久さんとか、プロデューサーの根岸洋之さんとかと一緒にアジアセンターへ観に行って。宇田
川幸洋さんもいらしてました。いろんなところで『下女』の噂を伝え聞いていた人たちが、そこで一堂に会
したという感じでしたね。

石坂 宇田川さんも香港組ですよね。隣に座って観てたんだけど、終わったあとに一言「楳図かずおだね」
と言ったのを覚えてる。

636 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:35:04.89 ID:tySieqXME
篠崎 僕もその時、「楳図かずおとルイス・ブニュエルが合体したような映画だ」と思いましたよ(笑)。『下
女』からキム・ギヨンに入ったのは、結果的によかったのかもしれない。もし『殺人蝶を追う女』とかから
観始めたりしてたら、個人的には喜んだと思うけど、ここまでワーッと騒いだりはしなかったんじゃないか
な。『下女』は映画としての凄さやクオリティがあった上で、異様な世界が展開しているから。

石坂 監督本人も「これがないと俺の特集は盛り上がらんだろ!」みたいな感じで『下女』のプリントを抱
えてきたくらいだから(笑)。これが自分の代表作だという自覚はあったんじゃないですかね。

高橋 『下女』を知った頃、これって韓国ではどういう位置付けの映画なの? と思って調べ始めたら、韓
国映画史について記した文献の中では必ず紹介されている代表的な作品だった。こんな内容なのに(笑)。
日本の場合、これが『七人の侍』(54)とかならいかにも据わりがいいけど、石井輝男の映画がそういう扱
いには絶対ならないじゃないですか。だから、ある種こういう異形のものが正統性を持っている韓国映画っ

637 :◆p132.rs1IQ:2020/01/13(月) 16:36:39.93 ID:tcwkrtSPb
て、実は相当に面白い全体像を持っているんじゃないか? という妄想が膨らんだんだよね(笑)。

篠崎 放っておくと、ヘンな監督とかカルト作家みたいに思われがちだけど、実はそうじゃないんですよね。
オーソドックスな演出とは違うかもしれないけれど、物凄く演出力があることは間違いない。

石坂 そうなんですよ。韓国で忘れ去られていた頃は、まさに「エログロ専門のヘンな監督」という認識だっ
た。けど『火女』も『虫女』(72)も、当時の興行収入1位になったりしてるんですよね。実はヒットメイ
カーなんです。あんまり尊敬はされてなかったようだけど(笑)。

篠崎 それが凄いですよねえ。具体的な画面の描写を見ればあんなに異常なのに。

金綺泳 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%B6%BA%E6%B3%B3
https://lp.p.pia.jp/shared/materials/16f6a262-5f81-4011-b7db-f5d54d497cc9/origin.jpg

638 :◆p132.rs1IQ:2020/01/15(水) 06:10:41.33 ID:95RJ4WAhW
新聞が語る明治史 明治元年〜明治二五年
土屋喬雄[監修]
荒木昌保[編集]
p22
明治十八年(一八八五年)…………387(目次)
 砲兵工廠大繁忙  警保学校新築  米相場記事に出るブルとベアの謂れ  たッた二日の日韓談判妥
結  十年がかりの訴訟  仏国東京(トンキン)占領決意  仏提督台湾を再封鎖  ハイカラ朴泳孝
憎まれる  朝鮮事件解決の条約締結  華族の婦人は何々子と称ふべし  日韓戦争立消で沢庵乱高下
水交社開館式  岩崎弥太郎逝く  岩崎弥太郎の石棺  髑髏七百京都市中から出る  大学生制帽を
希望  日本薬局方編纂終了  エヂソンの高声伝話機  三井八郎右衛門襲名披露  七宝焼の発明家
梶常吉  仏艦隊澎湖島を占領  英国朝鮮巨文島占領か  朝鮮のキーサン官妓となった謂れ  全国
を七軍管区に  各地飢饉の惨状  現今日本十傑投票  朝鮮の奇習  韓国の独立承認と日清約款 
不換紙幣の一掃  鹿児島県沖之村は六十軒に釜三個  海軍兵学校は皇族も通学不可  伊太利で浮世
絵愛翫  清仏条約  海軍は麦飯で脚気なし  コンゴ自由国創立  独逸、墺伊と組む  南洋諸島

639 :◆p132.rs1IQ:2020/01/15(水) 06:12:22.39 ID:tPuxw6I5L
に関し英独協約  各地小作慣行調査  暴風雨五畿五道に亙る  抜刀隊の詩軍歌となる  三菱、共
同の競争  銅山の現況  伊豆のクサヤ  教育令改正  日本最初の専売特許  大院君帰国に内外
の悩みあり  鹿児島県甑島飢餓で全滅状態  方丈の大黒様  徳島県八万人飢餓に瀕す  華族女学
校新設  津田うめ子等の明治女学校  天保老人までが束髪賛成  三菱と共同、合併して日本郵船設
立  女子師範は師範へ合併  万年筆を発明  高橋是清渡欧  東京貯金預所  博愛社活動案  
内閣組織に関する詔勅  第一次伊藤内閣出現

640 :◆p132.rs1IQ:2020/01/16(木) 06:42:23.48 ID:xOdq6pjEU
名探偵登場
ニール・サイモン
小鷹信光[訳]
p72
 ライオネル・トウェインはあまり機嫌がよくない様子だった。
「ベンスン!」サルのようにいやらしい声で、彼はいった。「おまえはどっちの味方だ? いった
い何をしておる。危険がせまると、こっそり合図を送っているのだろう?」
 ベンスンはひどく心を傷つけられた様子だった。
「私の国では、ご主人さま。公正に闘わぬことは最も下劣な行為だと教えております」
「だからおまえはいつも負ける」ライオネル・トウェインはうれしそうに反撃した。「こんどもお
まえの負けになるぞ、ベンスン。きっとだ」
「かもしれないと、おっしゃるべきです、ご主人さま」ベンスンがいいかえした。

641 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 04:24:45.29 ID:+5+as4SpG
334
トマス・M・ディッシュ
増田まもる[訳]
p98
 チャペルの心をかくもひきつけたのはストーリーではなかった。俳優の表情や声やしぐさで
あり、滑らかで開けっぴろげに、全身で表現されるその動作であった。俳優たち自身が想像上
の問題に強く心を動かされているように見えるかぎり、チャペルは満足だった。必要なのは本
物の感情――涙に濡れた瞳、波打つ胸、キスしたり、しかめられたり、心配のあまりひき緊め
られる唇、不安に震える声――の見せ物であった。

642 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 04:27:10.74 ID:+5+as4SpG
 スクリーンの四フィート手前でマットレスのうえに坐り、クッションにもたれたチャペルは、
浅く速い息づかいで、機械の点滅と音声に全身全霊を打ちこんでいる。テレビはかれ自身のあ
らゆる行為や生活、そして意識の中心をなす事実以上に、チャペルの知るかぎりのすべての幸
福の、唯一の源泉であった。

643 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 04:29:34.46 ID:+5+as4SpG
 テレビはチャペルに読書というものを教えてくれた。笑うことを教えてくれた。かれ自身の
顔の筋肉に苦痛や恐怖、怒りや歓びの表情の作り方を指導してくれた。チャペルはテレビから、
ほかの、外部世界の混乱した状況のなかで使える言葉を学んだ。そしてまた、チャペルはスク
リーン上の自己の分身のように読んだり、笑ったり、顔をしかめたり、話をしたり、歩いたり、
そのほかの行為をしたりすることは決してなかったが、それでも俳優たちは結局のところ、充
分にかれの役割を果たしていたのであり、さもなければ、かれはいまここでこうして情報源に
向かって自己を再生しつづけてなどいなかったであろう。

644 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 04:31:57.29 ID:+5+as4SpG
 ここでチャペルが捜し求めているもの、そして見出しているものは、芸術をはるかに超越し
たものだった。芸術はゴールデンアワーの番組で試してみたことがあったが、かれにはほとん
どなんの役にも立たなかった。一日の激しい労働を終えたあとで、それは自分のものであれ他
者のものであれ、識別し愛することのできる一個の顔への復帰体験であった。あるいはもしも
愛でなければ、同じくらい強いなんらかの感情をこめて、これと同じ感情を、明日もあさって
も感じるであろうと確信をこめて認識するために、ほかの時代には宗教がこの作業、すなわち、
人びとに人生のドラマを物語り、また一定の間をおいてふたたび物語るという役割りを果たし
ていたものであった。

645 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 04:34:16.28 ID:+5+as4SpG
 かつてチャペルが視聴しつづけていたCBSの番組が、六か月にわたるじつに悲惨な視聴率
の低下のために廃止されたことがあった。むりやり新しい宗教に改宗させられた異教徒も(新
しい神が死せる神によって捨て去られた形式の内に存在することを教えられるまでは)、当時、
チャペルが毎日午後の一時間、そのヤマハのスクリーンのなかにいる見知らぬ人びとの顔をみ
つめながら感じたのと同じように、渇望と喪失感を味わったことであろう。まるで鏡をのぞき
こんでも、そこに映っているはずの自分の顔が見当たらないかのようだった。最初の一か月間
は肩の痛みが途方もなくひどくなったので、チャペルはベルビュー病院の仕事がほとんどでき
なくなってしまった。やがて、ランドリー博士という人物像を自己と同一視したチャペルは、
しだいに自分のアイデンティティの諸要素を再発見していったのであった。

646 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 11:28:22.57 ID:+5+as4SpG
世界SF全集8 ベリャーエフ
アレクサンドル・ベリャーエフ
袋 一平[訳]
p470(『ベリャーエフ -その人と作品-』)
 それでもなお彼の遺産の価値は絶対である。彼はSFのジャンルに全生涯をかけた最初のソヴエト作家であり、そ
の作品はソ連のSFにあってゆるぎない地位を占めている。それを知らないような読者はおそらくひとりもいないだ
ろう。なかでも一般にすぐれた作品と認められているのは、人間関係においては『両棲人間』『ドウエル教授の首』
『無への跳躍』、筋の運びの快適なテンポ、事件転換の烈しさと意外性においては『顔を失った男』『世界元首』『ア
リエール』などで、ほかに短篇のかなりの部分がこれに属している。
「……SFはまず第一に科学と技術の知識を普及し、科学と技術の諸問題に読者、とりわけ若い人の、興味をひきつ
けるものでなければならない」とベリャーエフはいっているが、その作品はまたこの目的にも添うものであろう。

647 :◆p132.rs1IQ:2022/09/02(金) 11:31:35.31 ID:+5+as4SpG
世界SF全集8 ベリャーエフ
アレクサンドル・ベリャーエフ
袋 一平[訳]
p441(『無への跳躍』)
「では、どうやってその難問を解いたのですか?」
「つい最近まで、この問題は解けないようにみえました。
しかし若い学者のグループは、みごとにその解決をつけま
した。わたしが飛びたつすこし前のことです。火星にむか
って飛んでいるあいだは、新しい発明を試験することがで
きませんでした。しかし着陸すると同時に、ごらんのとお
り、すぐ放送局を《改造》しました。どうです、よく聞こ
えるでしょう?」

648 :◆p132.rs1IQ:2022/09/03(土) 04:45:12.43 ID:E6dIsTjfK
334
トマス・M・ディッシュ
増田まもる[訳]
p132
「おれは考えていたんだ、もし連中が死者を蘇生する方法を発見し、しかも狼瘡やその他のす
べての治療法も発見してな、それから彼女を生き返らせたらどうだろうかと」
「例のシャープか?」
「ああ、すばらしいと思わんか? 彼女はいったいどう思うだろう?」
「ああ、お笑い草だな」
「いや、まじめな話だ」
「とてもまじめには受けとれないね」

649 :◆p132.rs1IQ:2022/09/03(土) 04:46:41.11 ID:E6dIsTjfK
 アブは説明しようとしたが、自分でもなにがいいたいのかわからなくなっていた。かれはそ
の光景を鮮明に脳裏に描くことができた。もとどおり滑らかな肌に戻った少女が、白い石のテ
ーブルのうえに横たわっている。そのうえにかがみこんでいる医師にしかわからないほどかす
かだが、呼吸している。医師の手が彼女の顔に触れ、彼女は眼を開く。そこには驚きの表情が
浮かんでいることだろう。
「おれにかんするかぎり」とマルチネツはなかば怒ったような口調で言った。かれは自分が信
じられないものを他人が信じているのが気にいらないのだ。「そいつは一種の宗教にすぎん」
 レダにたいしてほとんど同じせりふを吐いた覚えがあるので、アブにもその気持ちはよくわ
かった。そのときには、二人は浴場から二ブロックと離れていない地点にさしかかっていたの
で、想像力はもっとましな使い方をすべきときだった。しかし、最後の雲の嶺が完全に消え去
るまえに、アブは哲学のための最後の言葉を見出した。「形こそちがえ、マルチネツ、生命は
つづくのだ。だれがなんと言おうと、生命はつづいていくのだ」

650 :◆p132.rs1IQ:2022/09/07(水) 11:59:01.21 ID:mNTW9akpv
334
トマス・M・ディッシュ
増田まもる[訳]
p408
 晩秋のある朝早く、部屋中が銹の臭いに充満する時間に(夜間にスチームが入っていたの
だ)――これまでうまくいかず、いままた事態が悪化している――理由が、ごく簡単な言葉と
なって脳裏に浮かんできた。「もはやなにひとつないのだ」。彼女はその言葉を祈りの文句のよ
うに繰り返し、そして、その言葉が繰り返されるたびに、その意味の範囲が拡大していった。
その言葉のもつ恐るべき意味が混乱した彼女の心の中をまがりくねり、やがて正反対の意味と
なって姿を現わした。
「もはやなにひとつないのだ」。この言葉は喜びをもたらすものであった。これまでになにか
を失う自由を得たことがあっただろうか? 事実、まだ、あまりに多くのものが自分のまわり
にしがみついている。なにひとつ失うものがないと言うことのできる日が来るのはまだ先のこ
とだろう。めでたくも文字どおりなにひとつなくなるまでは。やがて、啓示がかくあるごとく、
その言葉の輝きは色褪せていき、ただ熾火だけがあとに残った。彼女の心は苔むしたかのよう
に鈍くなり、鉄銹の臭いにしだいに頭痛を感じはじめた。

651 :◆p132.rs1IQ:2022/09/09(金) 23:39:09.46 ID:Ad0oc7Ho9
砂漠のサバイバル・ゲーム
ブライアン・ガーフィールド
村社 伸[訳]
p93
 小さなサボテンが生えていた。そのほとんどはウチワサボテンだ。水けがまったくない。ま
るで肋骨のようにからからだ。午後も遅くなって陽がやわらぐ頃、いろんな種類の、幹が太い
サボテンを探しにいこうとマッケンジーは思った。タルサボテン、ジャンパー、それにサボテ
ンの一種であるオプンチアでさえ、しぼれば汁がとれる。だが、とマッケンジーはあやぶん
だ。たとえこの辺一帯の、水分をふくむサボテンをとりつくしたところで、おれたち全員がた
った一日、命をつなぐのがやっとだ。サボテンの群生している場所は四分の一エーカーあたり
せいぜい一箇所しかない。
 地下水はどうだろう。だめだ――ここから徒歩で到達できる範囲にはない。もしあるなら、
落葉樹が生えているはずだ。マッケンジーはその兆しがあったかどうか思い出そうと努力し
た。コットンウッドやイチジクの生長は地表近くに水脈が通っている証拠である。だがそんな
ものはぜんぜん見かけなかった。
 光が強くなった。マッケンジーはその辺一帯をつぶさに眺めた。

652 :◆p132.rs1IQ:2022/09/09(金) 23:41:28.52 ID:Ad0oc7Ho9
 それはシュールリアリストが描く風景さながらだった。むきだしの茶褐色の平原に低い灌木
の茂みが苦しげに点在するだけ。地表面は旱魃のために荒涼としている。まさに不毛の土地。
どちらを向いても数マイル先には赤みがかった丘が波打ちながら山脈に連なっている。山脈は
灰色、青、赤といくつもの色の層を見せてぬっと立ちはだかっている。
 最も目につく木はクレオソートだった。なめらかな感じの、くろずんだ緑の葉をしたグリー
スウッドの茂み。マッケンジーは馬の背にまたがっての砂漠の旅を思い出した。週末になると
父はキャンプや狩猟をするために彼をチンルから連れ出した。馬はけっしてグリースウッドを
食べようとしなかった。そのことはグリースウッドに毒がふくまれていることを暗示してい
た。
 それを忘れないようにしよう。

653 :◆p132.rs1IQ:2022/09/09(金) 23:44:11.78 ID:Ad0oc7Ho9
 ひょろりとした扇のようなキャンドルウッドが目に入った。そこには棘(とげ)におおわれた、堅く
てもろい、かさかさに干からびた茎のほかは何もない。
 小さな帽子の形をした塊は西部の不毛地によく見かけるヨモギの一種、セージブラシのよう
に見えたが、そうではなかった。ハマアカザ属の雑草、ソルトブッシュだとマッケンジーは思
い出した。それは黄いろっぽい緑で見分けがつく――セージのようにパステルブルーの色合い
をおびていない。
 斜面を二十ヤード下ったところに、そのふしくれだった赤い樹皮から西部特産のツツジであ
るマンザニタの茂みがあるのが見分けられた。それは砂漠のずっと先にも生えている。これま
た何の役にも立たない。
 キャットクロウはどこにも見受けられる。いわば砂漠の雑草だ。手ごろな大きさの茂みをつ
くっている。養分もなければ水分もない。
 ところどころに群生している草。それらはときには一枚の葉っぱであり、また、花束のよう
になっていることもある。その先端は麦のような房になり、豆果をつけていた。黄色に乾燥し
ている。

654 :◆p132.rs1IQ:2022/09/09(金) 23:46:17.88 ID:Ad0oc7Ho9
 マゲイ――多年性植物。多肉で大型のリュウゼツラン。茎が長く、てっぺんに花を咲かせ
る。シュロのように根元を葉に囲まれている。メキシコ人はマゲイを原料にビールや酒をつく
る。しぼれば汁が出てくるかもしれない。とりあえずためしにやってみよう。徒歩で行ける範
囲内にそれが六本あるのをすでに見つけていた。
 数えてみると半径百ヤード以内にウチワサボテンの一種、ジャンピング・チョーラの木立ち
が九箇所あった。斜面に丈が高いタルサボテンが生えている。だが見るからに痩せ細っていた
――大雨が降ったあとだけしか太くならないのだ――しかしここから見渡すかぎりでは、命を
つなぐ水の供給源としてそれがいちばん手近だ。それを第一目標にしよう。
 次の目標はセニタだ。これはオルガンパイプのように分岐しているサボテンで約二フィート
の高さしかないが、サボテンのなかでもとりわけ肉が厚い。

655 :◆p132.rs1IQ:2022/09/09(金) 23:48:24.09 ID:Ad0oc7Ho9
 そのことはここが明らかにアリゾナであることを意味している。セニタはメキシコの北部一
帯に分布しているが、アメリカ国内ではアリゾナ州の国境付近でしか見られない。そして、こ
こがメキシコであるはずがなかった。国境警備ステーションをまたいだり、金網を突破するよ
うなことはしなかったのだから。
 マッケンジーはこうしたことを考えている間も掘り続けていた。太陽が姿をあらわした。

656 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:26:33.67 ID:/3n5XO3Zk
ハウス
佐藤 肇[著]
p216(『映画「ハウス」を監督した 大林宣彦への期待』佐藤忠男(映画評論家))
 大林宣彦が劇映画を撮ると聞いて、いよいよ、来るべきものが来た、という気がした。彼は
一九三八年の生れだが、赤ん坊のころから家庭用の小型映画と戯れてきたそうである。六、七
歳ごろから手持ちのフィルムを切り刻んで新らしい別の映画をつくるのに熱中していたという
し、十七歳から8ミリ映画をつくりはじめたという。一九六〇年ごろから8ミリ映画の作家と
して一部に名を知られるようになり、六七年に発表した16ミリ映画「伝説の午後=いつか見た
ドラキュラ」で、当時まき起ったアングラ映画ブームの台風のひとつの目になった。私があっ
と驚いたのもこの作品によってである。翌六八年の「遙かなるあこがれギロチン恋の旅」も、
ひじょうに洗練された映画の詩であって、この作者にとって、フィルムで歌うということが肉
声で歌うとおなじくらい自由自在なものになっているということを、あらためて確認させられ
るものであった。

657 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:28:39.83 ID:/3n5XO3Zk
 最近では小学生のころから8ミリ映画をつくることが珍らしくなくなってきている。だから
彼のように映像を軽々と使いこなす人物が今後続々と出てくるようになるかもしれない。しか
し一面では、映像がどこにでもあって、さっぱり驚異でない時代に生れてきたいまの若い人た
ちにとっては、ひとつひとつの映像をタメ息をつきながらいとおしんでいるように見える、あ
んなまばゆい発想をすることはかえって難しくなっているのではないか。そんな気もしないで
はない。

658 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:31:36.38 ID:/3n5XO3Zk
 大林宣彦のこれまでの作品の特長は、子どものときになにかびっくりするものを見たときの
感動をなつかしく思い出させるようなところにあったと思う。はじめて絵本を見たときの感動
(というのはじつはもう憶えていないのだが……)、はじめてパノラマを見たときの、うっとり
した気持、はじめてサーカスを見たときのめまいのするような気分、はじめてカラー映画を見
たときの驚き。それら、いつしか忘れていた、イメージの世界に自分がのみ込まれて行ってし
まうのではないかという、おののきに近い感動が、いや、これは映画だからぜったい大丈夫な
のだ、という保証つきで心ゆくまで味わえるわけだ。いや、心ゆくまでというより、子どもの
ときにはたしかに、イメージの世界に心ゆくまで遊べたものだった、という気分が不意にこみ
あげてきて、とても感傷的になり、自分自身がいとおしくなってくるのだ。

659 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:34:20.99 ID:/3n5XO3Zk
 子どものときのイメージの世界の記憶は、恐怖と結びついているものが多い。なんといって
も子どもは無力なもので、こわいものが強く印象に残るのである。お化け、幽霊、悪魔、怪人、
墓地の人魂や異形の者の影。「いつか見たドラキュラ」は、ロジェ・バデムの耽美的な怪奇映画
「血とバラ」の思い出に捧げるような映像から展開してゆく、おどろおどろした愉しい映画だ
ったが、それはつまり、こわいイメージを本当にこわがることができた子どものころをうっと
りとふりかえる愉しさなのだった。劇場用の長篇劇映画の第一作として大林宣彦が「HOUS
E」をつくるというのはその発展であろう。これは少年少女たちに徹底的にキャアキャアと悲
鳴をあげさせようとする映画であり、同時に大人たちには、こわいもののこわさを本当に知っ
ていた、あの人生の初心を思いおこさせてくれるのであろう。

660 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:36:54.41 ID:/3n5XO3Zk
 恐怖映画はいま、世界的なブームである。正直なところ、こう、有象無象のつくったオカル
トものや怪奇ものがゾロゾロ出てくると、それを商売で見なければならない私など、いい加減、
胸はムカムカしてくるし、メシもまずくなって、困ったものだと思っている。しかし、「HOU
SE」だけは別格で、公開がおおいに待ちどおしい。なぜなら、大林宣彦の恐怖映画への好み
は、それらの流行に乗って出てきたものではなく、もっと純粋なものだということを十年も前
から知っているからである。

661 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:39:40.17 ID:/3n5XO3Zk
 おそらく、子どものころからフィルムをいじっていたということと、最初の長篇劇映画とし
て恐怖映画をつくるということとは、なにかひじょうに重要な関係があるのではないかと思う。
人間にとって、イメージというものの出発点は、なにはともあれ、不気味なこわーいものなの
だ。暗い世界に引き込まれてゆくようなものなのだ。意志と理性でそれを抑えつけてしまった
大人は、さて映画をつくろう、などというと、ロマンチックな映画やリアリズムの映画を考え
ることになるが、どうやら、子どものころからフィルムをいじってイメージの世界を純粋培養
してきた大林宣彦などの心には、そうした子どものころのこわーいイメージが鮮かに保たれて
いて、しかも大人の理性とうまく釣合いがとれるように洗練されてもいるらしい。だから私は
それを見たいのだ。

662 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:42:49.45 ID:/3n5XO3Zk
 大林宣彦はテレビのコマーシャル・フィルムの世界ではすでに堂々たる大家である。かつて
テレビのディレクターから映画監督になる人が現れはじめたころ、テレビドラマなんかチャチ
なものであって、あんなものをいくらうまく作れても、規模の違う劇場用の映画をつくれると
はかぎらない、と見る人がかなりいた。その後、アメリカ映画などでは有望な新人監督はたい
ていテレビ出身であるという状態になって、もうそんなことを言う人はいなくなった。テレビ
のコマーシャル・フィルムというのは、15秒とか30秒とかいった短い時間を映像的に充実させ
るために、時間の割合いからすると、劇場用の映画より、よほど金も手間もかけてぜいたくに
作られている。日本では、映画とか舞台とかテレビとかいった業界ごとの垣根が高く、排他的
であったため、アメリカのように舞台やテレビからどしどし映画界へ人材が集ってくるという
ことがなかったが、時代は変った。映画界は広く他の分野から新らしい才能を求めることがど
うしても必要になった。そのとき、大林宣彦のように、コマーシャル・フィルムの世界でぜい

663 :◆p132.rs1IQ:2022/09/10(土) 07:45:34.09 ID:/3n5XO3Zk
たくな映像感覚を磨きあげてきた作家に着目するのはうなずけるところである。コマーシャル
・フィルムは、また、極端に短い時間内に多くのメッセージを盛り込むため、映画にはなかっ
た極端に飛躍した映像の文法を生み出した。それを映画という広々とした場所に解放してやる
とどうなるのか。これも愉しみのひとつである。

664 :◆p132.rs1IQ:2022/09/16(金) 12:14:11.25 ID:G0UFWLf4b
タワーリングインフェルノ
T・N・スコーシア
F・M・ロビンスン
平尾圭吾[訳]
p458
 彼はキンブロウにどなった。「あれを撮るんだ!」広場で男たちが叫んでいた。一台のトラッ
クから、二人の男が防水シートを持って駆け出してきた。キンブロウが早くもカメラを回しはじ
めていた。あのフィルムに使えるものがあるだろうか、とカントレルは思った。せいぜい、こわ
れた彫刻をさっと見せ、防水シートをかかえた二人の消防士が、彫刻に向かって走ってゆくのを
画面に出す程度だろう。
 カントレル自身、はっきりとは目撃していなかった。見る勇気がなかった。何年か前、ある大
学町で、一人の学生がベトナム戦争に抗議して、市役所の前で焼身自殺をしたことがあった。当
時この大学に招かれて、ジャーナリズムの特別講師をしていたカントレルは、自殺したその学生
が、自分の講義のクラスにいた生徒であることが確認できるほど、間近で死体を見たのだった。
クラスでも、一番熱心に質問をし、マスコミが社会に及ぼす影響という問題に、特に深い関心を
持っていた生徒だった……。あの女性の身元はすぐさま調べがつく。あとから、劇的な実況放送
のダビングを入れればいい。

665 :◆p132.rs1IQ:2022/09/17(土) 23:05:39.80 ID:hMphGqcj0
コンスタンティン
ジョン・シャーリー[著]
ケビン・ブロドビン フランク・カペロ[脚本] ケビン・ブロドビン[原案]
石田 享[訳]
p372(『解説』品川四郎)
 ちなみに原作者は最初、自分のコミックを『ヘル・レイザー』と名付けたかったが、クライ
ヴ・バーカーのオリジナル脚本による『ヘル・レイザー』(87)が先に世に出てしまったため、
改めて『ヘルブレイザー(Hellblazer)』に変更せざるを得なかった。ニューワールドが製作
した『ヘル・レイザー』は、低予算ながら魔導士ピンヘッドのキャラクターのおかげで人気を
博し、その後も(毎回多くの製作トラブルを抱えながらも)二〇〇二年の『リターン・オブ・
ナイトメア』までに十五年で六本を数えるシリーズ作品に発展、いつの間にかホラー映画のブ
ランドと化してしまう。そして今回の映画版『ヘルブレイザー』では、逆に――というかまた
しても『ヘル・レイザー』に祟られ、コミック題の『ヘルブレイザー』は紛らわしいという理
由で使われずに、主役から取った『コンスタンティン』と相成った。余談ながら、ヘルレイザ
ー・シリーズは日本では最初の一作のみ『ヘル・レイザー』と表記されているが、これは当時
の配給元で『ヘルレイザー』と書かれた資料を見た社長(?)から、「これは『ヘルレ・イザ
ー』と読むのか」とのクレームが入ったため、改めて『ヘル・レイザー』という分割表記に組
み直した結果であるという。「絶対に『スパイ大作戦』の六文字は使わせない」という社内ト
ップの意見から『ミッション:インポッシブル』というわずらわしい表記になった例といい、
日本の映画公開タイトルの決定にはまだまだ奇天烈な理由がいっぱいある。

666 :◆p132.rs1IQ:2022/09/21(水) 11:01:51.58 ID:eNWzYndFb
影が行く
ジョン・W・キャンベル
矢野 徹・川村哲郎[訳]
p53(『影が行く』矢野徹[訳])
 ベニングは三人を見まわした。
「この第四次探険の目的は、人類の幸福に役立たせるためだ
ったのに……だれもかれも、ほかの連中が何か変なことをし
ないかと、びくびくしている。なぜ、みんな信じあえないん
だ……分りかけたような気がするよ。コナントが言ったこと
さ……自分らの目を見ろって言ったろう。きみたちみんな、
あとの三人はどうかなって目をしてるぜ。といっても、ぼく
も例外じゃないんだが……」

667 :◆p132.rs1IQ:2022/09/23(金) 02:21:38.45 ID:lxXxsFgMv
ドウエル教授の首
アレクサンドル・ベリャーエフ
原 卓也[訳]
p129
「冷静に考えようじゃないか」と、かれは言った。「きみの話によると、その見知らぬ歌手は二
つの声を持っているみたいだというんだね? 一つは自分の声で、月並以下のものだし、もう一
つがアンジェリカ・ガイの声だというんだね」
「低音がね、だれにも真似できない彼女のコントラ・アルトなんだ」ラレーは強くうなずいて答
えた。

668 :◆p132.rs1IQ:2022/09/23(金) 23:20:18.73 ID:g4BNxnOaI
ファイト・クラブ
チャック・パラニューク
池田真紀子[訳]
p165
 放火。襲撃。悪戯と情報操作。
 質問は禁止。質問は禁止。言い訳は禁止。?は禁止。
 徹底破壊プロジェクト規則第五条は、タイラーを信じる、だ。

669 :◆p132.rs1IQ:2022/09/23(金) 23:27:42.12 ID:g4BNxnOaI
>>668

ファイト・クラブ
チャック・パラニューク
池田真紀子[訳]
p165
 放火。襲撃。悪戯と情報操作。
 質問は禁止。質問は禁止。言い訳は禁止。嘘は禁止。
 徹底破壊プロジェクト規則第五条は、タイラーを信じる、だ。

670 :◆p132.rs1IQ:2022/09/24(土) 07:30:00.58 ID:w9gl+bdq2
悪魔の見張り
ジェフリイ・コンヴィッツ
高橋 豊[訳]
p38
 戸口のベルが鳴った。彼女はとびあがり、また柱時計へ
すばやく目をやった。時計は九時半を示していた。マイケ
ルは三十分早くやってきたのだ。どういう風の吹き回しだ
ろう。かれは何ごとにつけても早目にしたためしがなかっ
たのに。
「はあーい!」と、彼女は大きな声で答えた。
 それから鏡へ走って、パンタロンのしわをのばした。い
や、実際はしわはなかったのだが、女はひどく驚かされる
と、つい取り乱してしまいがちなので、自分の身なりが乱
れているかのような錯覚に襲われて、まっ先にかならず服
装や化粧を点検するものなのだ。彼女は髪を後ろへ払い、
数本の毛先がほつれているのを見てちょっと顔をしかめ、
ぶらぶらしている十字架像をジャケットの襟元の内側に入
れた。ふたたびベルが鳴った。

671 :◆p132.rs1IQ:2022/09/27(火) 05:48:14.98 ID:OeDYTQ980
人間がいっぱい
ハリイ・ハリスン
浅倉久志[訳]
p256
「だれにだって自分の意見はある」ソルは古ぼけた保革油の缶から出したグリースを、それ以上
に古ぼけた軍用長靴に塗りつけながら、穏やかにいった。
「意見なんてもんじゃないよ」とアンディはいった。「わざわざトラブルの中へ出向いていくの
といっしょだ。じゃ、今晩会おう、シャール。もし、きょうもきのうのように平穏なら、そんな
に遅くはならない」アンディはドアを閉め、彼女は中から錠をおろした。

672 :◆p132.rs1IQ:2022/10/08(土) 07:36:03.20 ID:r/g1IKOqe
悪魔の見張り
ジェフリイ・コンヴィッツ
高橋 豊[訳]
p127
「何かご用でしょうか」と、彼女が訊いた。
「ええ、二一一号室へちょっと」と、マイケルは答えた。
「あなたとそちらさまのお名前は?」
「マイケル・ファーマーとジェニファー・リアソン」
 彼女は中立的な表情のまま指さしていった。「向うに警
官が坐っていますでしょう。あれが二一一号室です」

673 :◆p132.rs1IQ:2022/10/08(土) 20:12:27.45 ID:r/g1IKOqe
トラウマ
ダリオ・アルジェント
T.E.D.クライン
ジャンニ・ロモリ
フランコ・フェッリーニ
佐伯秋彦[訳]
p75
 オーラは寝つけなかった。昨夜見た光景――両親の死に顔――や、先ほどのデビッドの
顔、彼の描いた女性の裸体画などが、頭の中で渦を巻く。心臓が高鳴る。頭が割れそうだ。
体の奥が、ぐらぐらと地震のように揺れる感じ…。たまらない! オーラはベッドから出
た。
《吐いてしまえ》頭の中で声がした。《吐いてしまえ》呪文のように、何度も何度もこだ
まする。それからまるで引きつけられたかのように、そろりそろりとキッチンへ向かった。
明かりを点ける。冷蔵庫の前に立って、扉を開けた。ひんやりとした空気が、冷蔵庫のな
かから漏れてきた。中には食料品が詰まっている。オーラは、ためらうようにそこに立ち
つくした。
 どうしよう――? また、恐ろしい不安がこみあげてきた。《吐いてしまえ》チーズに
指先が触れた。 ――もうだめだった。

674 :◆p132.rs1IQ:2022/10/08(土) 23:43:17.79 ID:r/g1IKOqe
闇の展覧会〔1〕
カービー・マッコーリー編
矢野浩三郎・真野明裕[訳]
p66(『闇の天使』エドワード・ブライアント、真野明裕[訳])
 この世にはおよそ八つの異なる肉体構造しかないように見えることがあるのに、あなたは気が
ついたことがおありかしら――そして自分の知っている者はみな、そのどれかしらにあてはまる
ということに? 飛行機の通路の向う側の男性とか、町角に立って信号が変わるのを待っている
女性とか、それとも銀行の出納係を見るとする。そしてほんのつかのま、その人をたしかに知っ
ていると思いこむ。目に見おぼえがある、あるいは口に。首のかしげ方に。髪形に。ところが知
り合いなんかじゃない。でも、いっときかつがれたのだ。その経験は人をまごつかせる。多くの
人々にとってそれは薄めた形で亡霊を見たことになるのではないだろうか?

675 :◆p132.rs1IQ:2022/10/09(日) 19:44:06.54 ID:FOGh6k+i+
人間がいっぱい
ハリイ・ハリスン
浅倉久志[訳]
p64
 市場の入口付近には海草クラッカーを売る店が立ち並び、褐色、赤、青緑、色とりどりのクラ
ッカーが、ずらりと頭上に吊り下げられている。
「みどり二キロ」シャールは買いつけの店のあるじにそういってから、値段札に目をやった。
「また、キロ二十セントも値上がり!」
「仕入値が上がったんスよ、奥さん。こちとら、儲けがふえたわけじゃないんで」あるじは天秤
皿の片方に重りを置き、もう一方の皿へクラッカーをざらざらと振り出した。
「でも、こんなにどんどん値上げしなくたっていいじゃない?」シャールは秤の皿からクラッカ
ーのかけらをつまんで、?ばりながらいった。クラッカーの色は原料の海草の種類からくるのだ
が、彼女には緑のクラッカーが、ほかのよりヨードの臭みがすくなくて、いちばん味がいいよう
に思える。
「需要と供給、需要と供給」あるじは、タブが口を広げた買物袋へ、ざーっとクラッカーをあけ
た。「人間がふえるほど、品物がいきわたらなくなる。それに、海草の養殖場も、だんだん遠く
なる一方だそうでね。道のりが遠いと、値段も上がるってわけ」あるじはこの因果関係の説明を、
もう何べんも再生された録音のように、単調な声でそらんじた。

676 :◆p132.rs1IQ:2022/10/09(日) 19:50:36.80 ID:FOGh6k+i+
>>675
?ばりながら→頬ばりながら

677 :◆p132.rs1IQ:2022/10/11(火) 07:47:06.18 ID:PVtgoSH/O
たたり
シャーリイ・ジャクスン
渡辺庸子[訳]
p173
 三人が怪訝そうな顔をしたので、博士はひとつひとつ指を折りながら講義するように説明し
た。「まず第一に、ルークとわたしは、きみたち女性よりも明らかに先に目を覚ましていた。
なにしろベッドを出てから二時間以上も屋敷を出たり入ったりしていたんだからね。まあそれ
も結果的には、無駄足としかいいようのない行動だったわけだが。そして第二に、わたしたち
は」――博士は腑に落ちない顔でちらりとルークを見た――「きみたちの声がするまで、なん
の物音も聞かなかった。屋敷の中は静寂そのものだったよ。例の、この部屋のドアを叩いてい
たという轟音が、わたしたちにはまるで聞こえなかったんだ。わたしたちが探索をやめて二階
に戻ってきたものだから、ドアの外にいた何者かは、仕方なく逃げ去ったんだろう。その証拠
に、こうして四人でいる今は、まったくもって静かなままだ」
「今の説明じゃ、まだ要点が見えないんですけど」とセオドラが不審そうに言った。
「われわれには予防措置が必要だということだよ」
「なんのために? どういう予防を?」
「ルークとわたしが外へおびき出されると、残ったきみたちは屋敷の中に囚われた形になる。
そこに」――博士は低く抑えた声で続けた――「そこに、われわれを引き離そうとしている意
図が、なんとなく感じられはしないかね?」

678 :◆p132.rs1IQ:2022/10/12(水) 16:56:00.12 ID:JeTA+i3T/
地球最後の男
リチャード・マシスン
田中小実昌[訳]
p109
 科学関係の本は二階にあった。ロスアンジェルス公立図書館の大理石の階段をあがるロバート
の足音がうつろにひびいた。一九七六年、四月七日のことだ。
 数日間は、やけにウイスキーをあおりつづけ、そして、漫然といろんなことも調べてみたが、
まったく時間のむだだった。自分ひとりで考えても、なんの役にもたたないことはあきらかだ。
吸血鬼の正体をつきとめる、なにかちゃんとした方法があるとするならば(ロバートはそれを信
じないわけにはいかなかった)、それはただ綿密な研究によってのみ発見できるだろう。
 これからいろいろ調べていくための手段として、血液は吸血鬼と重大な関係があるという仮説
をたててみた。これは、すくなくとも、さいしょの手がかりにはなるだろう。そして、血液につ
いて調べる第一歩は、それに関する本を読むことだ。

679 :◆p132.rs1IQ:2022/10/14(金) 10:22:31.24 ID:hsnZhUUrm
悪魔の見張り
ジェフリイ・コンヴィッツ
高橋 豊[訳]
p143
 彼女は笑い出した。
「どうしたんだ」と、かれは訊いた。
「あなたって、ときどきばかみたいに単純になるのね」と
いって、彼女はまた笑った。
「どうして?」
「だって、まだ終っていないのよ」
「どうしてわかるんだ」
「あたし、知ってるのよ。このようなことはいつまでも終
らないのだって」

680 :◆p132.rs1IQ:2022/10/14(金) 20:00:10.00 ID:Py3z7fdVx
悪魔の見張り
ジェフリイ・コンヴィッツ
高橋 豊[訳]
p150
「ところで、主任?」
「なんだ」
「パーカーとファーマーをもう一度尋問するために、出頭
させてはいかがです。ねじこめば、供述の食い違いが見つ
かるかもしれませんぜ」
「いや、それは時間のむだだろう。死体があがらなければ、
どうにもならないんだ。あのブラウンストンの建物をもう
一度、底からてっぺんまで、徹底的に調べてみろ。それか
ら、近所の建物の住人を片っぱしから調べるのだ。一度調
べたやつも、もう一度やり直せ」
「はい」
「きみもほかの署員らといっしょにそこへ行け。わかった
な」
「わかりました」

681 :◆p132.rs1IQ:2022/10/14(金) 20:01:42.06 ID:Py3z7fdVx
「辛抱強くやれよ」
「はい」
「そして、事実をつかんできてくれ」
 リゾは神経質なすり足で部屋を出て、静かにドアを閉め
た。ガッツは自分の権威の効果に満足して、ふんと鼻を鳴
らした。受話器をあげて、内線のダイヤルを回した。
「リチャードソン、カレン・ファーマー事件の調書綴りを
持ってきてくれ。それから、マイケル・ファーマーの最近
の調書もだ。たしか二日前のやつだ」
 かれは受話器を掛けると、針金のかぎを拾って、またネ
ズミ採りの餌台のチーズを刺した。
 そのチーズを光にかざしながら、かれの最大の問題につ
いて考えふけった。死体のない、事件のないに事件ついて。

682 :◆p132.rs1IQ:2022/10/15(土) 09:13:08.83 ID:0cfliLZrU
>>681
X死体のない、事件のないに事件ついて。
○死体のない、事件のない事件について。

683 :◆p132.rs1IQ:2022/10/15(土) 09:16:17.66 ID:0cfliLZrU
シャドウズ
ショーン・ハトスン
船木 裕[訳]
p285
「デイヴィッド、わたしは心霊研究家なのよ。超常現象、つまり通常を越えたものに対するわ
たしの反応は、ともかくその……科学的でなければならないわ。それなのに、わたしは昨晩降
霊会で見たものにおびえてしまった。整然と考えることもできなかったわ」
「これは慰めかも知れないが、それは、なにも、きみだけじゃなかったよ」ブレイクはトース
トが跳び出たので取り出した。
 ケリーはかれがパンにバターを塗って、自分に一切れ渡すのを黙って見ていた。
「それにしても、ヴァーノンはどうやって招待状を手に入れたのか、知りたいわ」
「博士はサー・ジョージ・ハウの友人だそうだ。サー・ジョージがそう言ってたよ」
 ケリーはゆっくりうなずいた。
「わたし、まだあの人を信用してないわ」
 ブレイクは前屈みになると、彼女の額に接吻した。
「ぼくは誰も信用していない」
 やかんが沸きだした。

684 :◆p132.rs1IQ:2022/10/17(月) 19:47:04.19 ID:jZRaqQYIm
悪魔の見張り
ジェフリイ・コンヴィッツ
高橋 豊[訳]
p200
「わたしは非常に忙しいのです。かけがえのない職責にあ
るものですから。わたし自身は無名の信者として神に奉仕
したいのですが」神父は座席へ近づき、マイケルの腕にそ
っと手をおいて、「わたしの執務室へいらっしゃいません
か」と誘った。
 かれらは礼拝堂を出て、一階への階段を登り、人通りの
はげしい廊下を歩いて行った。その雑踏ぶりは、大司教管
区庁内とはとうてい思えないほどで、まるで株式取引所か
大企業の本社のようだった。
「この教会は、牧師館や修道院に住んでいない大勢の聖職
者たちを養っているのです。わたしたちの救世主イエス・
キリストのために生涯をささげた人々を扶養するのは、わ
れわれの義務ですから」と、フランチノは説明した。
「なるほど」マイケルは大きな組織体の活動がもたらすす
さまじい渦巻に、目を見張る思いでうなずいた。

685 :◆p132.rs1IQ:2022/10/18(火) 05:09:17.79 ID:mXyDf9a4Y
シャドウズ
ショーン・ハトスン
船木 裕[訳]
p290
 かれの手から本が落ちて、どさっと言う音とともに、寝室のカーペットに当たった。
 ヴァーノン博士は、うたたねから目を覚ますと、座り直した。あくびをすると、その本を取
り上げて、ナイトテーブルに置いた。それから、手を伸ばして、明かりを消した。腕時計の針
が鈍く光って、午前一時五分ごろを指していた。ヴァーノンは、シーツを首の辺りまで引き被
ると、眼を閉じたが、先ほどはすぐにやってきた眠りも、今度はかれから去っていくように思
われた。身体を横にしたり、仰向けになったり、また、横になったりしたが、動けば動くほど、
眠気がなくなっていくようだった。
 そこで、起き直ると、本に手を伸ばした。
 三、四ページばかり読んだが、一語も頭に入らなかった。そして、溜め息をつくと、ぶ厚い
本をもとに戻した。ベッドから出るのが最善の方策だと、博士は決めた。いつものように、熱
い飲物でもつくって飲もう。ヴァーノンはベッドから這い降りると、部屋着をはおった。そし
て、ナイト・ランプをつけたまま、踊り場を横切って行った。

686 :◆p132.rs1IQ:2022/10/18(火) 05:11:16.54 ID:mXyDf9a4Y
 階段の最上段まで来たが、そのとき、微かなノックの音を耳にした。
 ほとんど本能的に振り向いて、例の開かずの部屋のドアを見やったが、ほんの一瞬後には、
その音は階下から聞こえてきたのだと悟った。
 ヴァーノンはためらった。
 ふたたびノックの音がした。
 博士はごくっと唾を飲むと、用心深く最初の三、四段を降りはじめた。
 そとの暗闇の中で、なにか動く気配と重い足で小石を踏む音が聞こえた。
 ヴァーノンは欄干越しに、玄関の漆黒の闇を覗きこんだ。明かりのスイッチは、階段の最下
部にある。その横の大きな窓から、そとの小石の私道と前庭とが見えるはずだ。
 下をちらっと見た。胸の鼓動が少し早くなった。
 おや、窓のカーテンを閉めるのを忘れていた。
 例の動きは止まったようだ。そこで、ヴァーノンは、暗がりでバランスを失わぬように、片
手で欄干を掴みながら、階段を急いで降りた。
 窓の高さまで降りてくると、ガラスから三、四フィート向こうに黒い影が見えた。
 それは、ふたたびすっと暗闇に消えて、見えなくなった。

687 :◆p132.rs1IQ:2022/10/18(火) 05:13:22.24 ID:mXyDf9a4Y
 明かりのスイッチにたどり着いて、ふと気がつくと、ヴァーノンは冷汗をかいていた。点け
るべきだろうか、それとも点けないほうが良いだろうか。もし点けたら、自分の姿は外の者か
ら見られてしまう。かれの手がスイッチの辺りをさまよった。が、とうとう、点けぬことに決
めると、わずかばかりの音も聞き逃すまいと耳をそばだてて、用心深く居間に入って行った。
 暖炉の脇の銅のバケツから火掻き棒を取り出すと、振り向いて、玄関のホールに戻った。そ
して、正面のドアの前に立ち止まって、耳を澄ました。
 外にまた動きがあった。
 足音だ。
 さて、警察を呼んだものだろうか? もし強盗なら、一人ではあるまい。襲われでもしたら
どうしよう?
 それに警察を呼んだとしても、来るのが間に合わなかったとしたら、どうしよう?
 それにもし……
 その音は正面のドアのすぐ外側でした。

688 :◆p132.rs1IQ:2022/10/19(水) 10:23:19.73 ID:pQbIJFNXr
ゴリラ
ウォルター・ウェイジャー
安龍次郎[訳]
p81
 彼は時計を見た。
 死ぬ準備をする時間だ。
 彼はダッシュボードから無線電話を取り出した。
 「カミンスキーから本署へ。カミンスキーから本署へ。現在十二号線で古いペトロケム社の
貯蔵庫の明かりをチェック中。中に空き巣がいるかもしれないので調査する。以上」
 一分後、九フィートの高さの針金のフェンスが見えた。フェンスは小さな石油とガソリン貯
蔵庫の集合した場所を囲っていた。二年前に倒産したペトロケム社が建てたものだ。
 貯蔵庫は味もそっけもない建物だった。
 小ぶりの貯蔵タンク四基は――それぞれ高さ三十一フィートで、パイプやケーブルや送管や
電線などで互いに緊密につながっていた。北の端にポンプ一式があった。錆(さ)びてはいないが塗
り直しが必要だった。もうエネルギー事業は行なわれていない。そこは過ぎ去った夢の墓場だ
った。
 金網のゲートの看板がすべてを語っていた。
  プラント閉鎖……立ち入り禁止……危険……

689 :◆p132.rs1IQ:2022/10/19(水) 17:11:33.60 ID:pQbIJFNXr
世界SF全集8 ベリャーエフ
アレクサンドル・ベリャーエフ
袋 一平[訳]
p241(『無への跳躍』)
 ふいに、下へ落ちてくる黒い一点が、ハンスの目にとま
った。それはてっぺんから、蹄鉄の片棒づたいに、そこか
ら離れないで落ちてくる。
《なるほど! 気象台などばかりでなく、蹄鉄には落下物
の実験所もあるとみえる》
 黒い一点は、いちばん下まで落ちると、蹄鉄のまるい部
分をはしりぬけて、こんどは勢いよく別の棒のてっぺんへ
とびあがった。てっぺんにつくと、また下へ、また上へ、
まるで《減衰振動の振子》みたいに動いている。

690 :◆p132.rs1IQ:2022/10/19(水) 17:13:06.59 ID:pQbIJFNXr
 やがて一点は、まるい部分の中央でとまった。それは小
さいワゴンであった。それなら、中にだれかがのっている
のだろう。なるほどそうか。宇宙船もやっぱり飛びあがり
と飛びおりだ。地球から《空》へ飛びあがり、《空》から
惑星へ落下する……《そうだ、ぼくたちはからだにおよぼ
す無重量の影響を研究しなけりゃならないんだ……》ハン
スの足は走りだしていた。でも蹄鉄はあいかわらず遠かっ
た。だれかがワゴンからでて、コリンズの事務所のほうへ
いそいでいくのが見えた。

691 :◆p132.rs1IQ:2022/10/21(金) 00:06:10.46 ID:/fbwDRKms
世界文学全集 47巻 世界SF傑作集
p―(しおり(28))
■編集室だより
SFとは空想的科学の中の文学的お遊び、という感
じがしないでもなかった。だが科学が進歩し、宇宙
の謎が解明されてくると、人類の危機が非現実なも
のではなくなってきた。破滅SFの地球・人類の滅
亡や、「ダウエル教授の首」にみられる脳だけの
生存≠ヘ、もはや空想とはいえなくなった。

692 :◆p132.rs1IQ:2022/10/23(日) 23:11:20.16 ID:pTMO/y84V
フューリー
ジョン・ファリス
田中 亮[訳]
p4
 ものが過剰なまでにあふれ、無垢な心をみるみる傷つけてしまう大都会ニューヨーク。その坩堝に暮
らしている利発な少女や富裕な少女たちをこんなにも蝕むのは、ニューヨークそのものの魔力なのか、
それとも両親たちのふがいないノイローゼの反映に過ぎないのだろうか?
 サットン・ミューズと呼ばれる、並ぶもののない高級住宅地で生まれ育ったギリアンはこの大都会の
暮らしが大好きだった。それでも彼女は近くの屋敷町に、同じ年頃の、心を病んだ友だちが何人もいる
のを知らないわけではなかった。ニューヨークでは厳しい自然淘汰の法則がどこよりも激しく猛威をふ
るい、進行を早めているのは明らかだった。

693 :◆p132.rs1IQ:2022/10/23(日) 23:13:00.16 ID:pTMO/y84V
 アマチュア文化人類学者であるギリアンの父にいわせると、それは人間が成人になるときに本来おこ
なわれるべき通過儀礼の風習が現代では跡をたってしまったからだった。
「未開の部族社会では、どんなに環境が新しくなっても、思春期から、やがて性の開花に向かう成熟期
への移行はちゃんと儀礼がつかさどっている。ふつう、その時期は心が不安定に揺れ動く、危険な年齢
にあたっているんだが、儀礼という牢固たる指針を与えられることによって、その時期を整然と何の破
綻もなしに通過することができるんだよ。それらの通過儀礼をおこなうことではじめて、子供たちは成
人として社会に受け入れられ、その社会の期待を背負って、自己実現をなし遂げていく決意を固めるん
だ。これこそ人間が脈々と伝えてきた大いなる神秘だといっていい。ところが、わたしたち現代人とき
たら、そんな儀礼やタブーを笑いの種にして、惜しげもなく捨てさり、気まぐれで人工的な流行や広告
文化、無責任なメディアが、年端もいかない子供たちにあきれかえるような成熟の尺度を一方的に押し
つけるだけさ。これでは、ニューヨークの街角に、社会から何を期待されているのかわからない途方に
暮れた子供たちが空ろな目をしてうろつくのも当然のことだよ。ギリアンの同級生たちだって、きっと
……」彼はふと口をつぐんで、ギリアンに注意深い視線を向けた。「まさか、おまえまでおかしくなっ
ているんじゃないだろうね?」

694 :◆p132.rs1IQ:2022/10/24(月) 04:35:31.17 ID:5ed0esrZZ
影が行く
ジョン・W・キャンベル
矢野 徹・川村哲郎[訳]
p73(『影が行く』矢野徹[訳])
 マクレディは、テーブルから外科用メスを取りあげた。そ
して、棚から数本の試験管が並んでいる木枠と、小さなアル
コール・ランプと、ガラスの柄に白金(プラチナ)の針金がついているも
のを取った。かれの唇に、満足したような笑いが浮かんだ。
しばらくのあいだマクレディは、まわりの男たちを見まわし
た。バークレイとダットンは、木の柄がついた電気処刑機を
かまえて、かれのほうへゆっくり近づいた。

695 :◆p132.rs1IQ:2022/10/24(月) 15:54:55.60 ID:5ed0esrZZ
世界SF全集8 ベリャーエフ
アレクサンドル・ベリャーエフ
袋 一平[訳]
p461(『ベリャーエフ -その人と作品-』)
 長篇『ふしぎな目』は一九三五年キエフでウクライナ語訳が出ただけ。原文は消失し、五〇年代になって逆引きロ
シア語版があちこちから出るようになった。ここでは現在ようやく実用化されようとしている水中テレビの問題が提
起される。テレカメラは魚群の動きをさぐり、海底に眠る沈没船を発見する。この小説ではさらに原子力平和利用の
ことが語られる。

696 :◆p132.rs1IQ:2022/10/25(火) 20:41:24.76 ID:ff3rFvw2F

ロザリンド・アッシュ
工藤政司[訳]
p231
 彼はメモをパラパラとめくり、目当てのページを開いた。私のすわっているところから見る
と、タイプで打った報告書が手書きのページにホチキスで留めてあるらしかった。
「その一週間の行動を説明することができますか?」
「ええ、できると思います」私はグラスを口にもってゆき時間を稼いだ。「日曜から火曜にか
けてプリンストンにいました」それから日記帳を取り出して参照した。「水曜日と、水曜の夜
はニューヨークですごし、木曜日にヒースロウ経由でパリに飛びました。木曜の夜から金曜、
土曜、そして日曜日までパリの友人たちとすごしました――彼らの住所を言いましょうか?」
「いや、けっこう、わかっています」
 私は頭から水をかけられたような気がした。情報を提供しているつもりが、確認させられて
いるとわかったのだから無理もなかった。

697 :◆p132.rs1IQ:2022/10/27(木) 01:46:05.15 ID:C4CxKAnts
タワーリングインフェルノ
T・N・スコーシア
F・M・ロビンスン
平尾圭吾[訳]
p127
 彼はガラスの戸棚を元通りにし、散乱した根付け細工を拾い集めるためにかがみ込んだ。日本
の着物を結ぶ広い帯の飾りに使われる小さな象牙の彫り物だった。二、三分のちに、最後の一つ
を拾い上げていた。驚くほどリアルな、水牛の彫り物だった。彼のお気に入りで、いとおしそう
に指先で触れる。水牛の体に大変な正確さで毛を植えつけてあり、縒(よ)った毛の一つひとつが見え
るほどだった。水牛の顔は平和で純重な表情をしていた。
 ダグラスはその美しさに静かな喜びを感じながら、水牛をほかの彫り物の中に置いた。水牛を
売り払うことは考えるのもいやなことで、これまでに何人もの買い手を断わってきたのだった。
しかしそのうちにきっとこの彫り物に魅せられた正当な買い手が現われて、手放さなければなら
ない時がくることも、彼は知っていた。だがその時までには、この彫り物をしっかりと脳裏に焼
きつけ、たとえ実物なしでも、単に考えるだけで満足できるようになっているはずだった。

698 :◆p132.rs1IQ:2022/10/28(金) 08:03:07.93 ID:dNKKwr5Lk
大洞窟
クリストファー・ハイド
田中 靖[訳]
p339
「では、われらの財産を口にだしていってくれ。ひとつ残らず」と原田はいった。
 ジャーナリストは岩だらけの洞床に並んだ貧弱な在庫品の山に目をおとした。数はほんのわ
ずかだった。「食糧の罐詰が五個」と彼ははじめた。「内訳はシチュー罐が三つにベークト・ビ
ーンズ罐が二つだ。それから、固形燃料の棒が九本。防水マッチの容器二個。角灯がひとつ。
予備のバッテリー一個。ザイル一束……」
「ザイルの長さは?」地質学者が口をはさんだ。
 トニーはザイルの輪を持ちあげた。「約五十フィートかな。黄色いナイロン製のやつだ」
「わかった。つづけたまえ」
「あんたが使った金属クリップみたいなのが十数本ある」
「カラビナだ」
「それだよ」トニーがいった。「小さな長釘(スパイク)もほぼ同じ数だけある。それからロックハンマー
……先端にピックがついている。マグネシウム・フレア三発」
「つづけて」と原田がうながした。
 トニーはマリーアをちらりと見やり、眉をしかめた。彼女はしかたなく肩をすくめた。「そ
れですべてだよ」とトニーが答えた。

699 :◆p132.rs1IQ:2022/10/28(金) 08:04:36.17 ID:dNKKwr5Lk
 長い沈黙が流れ、やがて原田がしっかりした口調でいった。「よかろう。これでわれわれの
限界がはっきりした」
「ひどい話さ」トニーが投げやりにつぶやいた。
「無一物よりはずっとましだ。まだこれだけ残っている」原田はいった。「もっとひどいかと
思っていたよ」

700 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 07:34:48.56 ID:FjMDnHC1i
宇宙の戦士
ロバート・A・ハインライン
矢野 徹[訳]
p91
「ほかにはおらんか? それとも柔軟体操にかかるか?」
 おれは、もうとうてい出ていく者はあるまいと思った。だが、左翼のほう――背の低い連
中のなかから、ひとりが前にとびだしてまん中へ歩いていった。
 ズイムはそいつを見おろした。
「きさま、ひとりか? それとも相棒がほしいか?」
「自分だけです、軍曹どの」
「好きなようにしろ。名前は?」
「スズミであります」
 ズイムは眼を大きくひらいた。
「スズミ大佐となにか関係があるのか?」
「自分は、大佐の息子であることを誇りにしております、軍曹どの」
「ああそうか! きさま、黒帯か?」
「いえ、まだであります」
「よし、おまえにそれだけの資格があればうれしいな。さてスズミ、コンテスト・ルールを
使ってやるか、それとも病院車を呼ぶほうにするか、どっちだ?」

701 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 07:36:45.05 ID:FjMDnHC1i
「軍曹どのにおまかせします。意見を言わせていただくとすれば、コンテスト・ルールに従
ったほうが慎重かと思いますが」
「きさまの言う意味はよくわからんが、まあいいだろう」
 ズイムはそう言ってから、権威の象徴をわきに放り出して、嘘じゃない、ふたりはうしろ
にさがると、むかいあい、頭をさげあったもんだ。
 それからふたりは、やや前かがみになると、ときたま手をだしながら円を描いてぐるぐる
まわった。まるで軍鶏(しやも)の喧嘩みたいだった。
 とつぜんふたりはふれあった――とみるまに、小男は下になり、ズイムの大きな図体は、
スズミの頭ごしに空を切って飛んでいった。だがズイムは、マイヤーがやったようにぶざま
に墜落して息のつまるような声をだしたりはしなかった。スズミが立ちあがるのと同じぐら
い早く、くるりと回転するなりすばやく両足で立ちあがり、おたがいに向かいあっていた。

702 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 07:38:36.62 ID:FjMDnHC1i
「バンザイ!」
 ズイムはそう叫んでにやりと笑った。
「アリガトウ!」
 スズミも答えてにっこり笑いかえした。ふたりはまた息もつかずつかみあった。おれはズ
イムがまた空中を飛ぶのかと思ったが、そうではなかった。ズイムはずるずるとすべるよう
に入りこんだ。手足がからみあった。やがて身体の動きがにぶくなったかと思うと、ズイム
はスズミの左足を右耳のところで締めつけていた。
 スズミが地面を平手でたたいた。ズイムはすぐにはなしてやった。ふたりはまた向かいあ
って一礼した。
「もう一番ねがえますか、軍曹どの?」
「残念だが、訓練をしなくてはならん。またこんどにしよう。楽しみと……名誉のためにな。
ところで、きさまに話しておくべきだったかもしれないが、きさまの父上がおれを教えてく
ださったのだ」
「自分もそう思っていました。ではまたいずれ……軍曹どの」
 ズイムはスズミの肩をたたいた。
「列にもどれ。中隊、気をつけえ!」

703 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 12:59:28.17 ID:FjMDnHC1i
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p361
 リンチが坑道を分断している瓦礫のほうへ歩いて行った。「とにかく、こいつを崩して逃
げ道を作らなきゃな」彼は苛立(いらだ)たしげにそう言うと、石くれの山に足を掛けた。
「下りろ、リンチ!」ノードランドが叫んだ。
 リンチが驚いてとび下りたとたん、緩んだ岩が上方からなだれ落ちてきた。
 ダイアナがたまりかねたように訊いた。「出口を掘るのがどうしていけないの?」
 ここまで来ればもう隠してはおけなかった。隠そうとすること自体、無理なのだ。「ディ
ーツの側の落盤はかなり広範囲に及んでいると思う――だからそっちへ逃げるのは不可能だ。
そして、実はこちら側でも、この瓦礫の向こうで通風孔からの空気と混じり合ってメタンが
燃えている。つまり、われわれを閉じ込めているこの瓦礫の山が、同時に熱を遮断(しやだん)する役割
を果たしているというわけだ」
「それ、どういうこと、デイン? つまりあたしたちに逃げ道はないってわけ?」ダイアナ
は、すべてがノードランドの責任であるかのような口吻(くちぶり)だった。
「空気が欲しい」リンチは青ざめていた。「空気がなきゃ、死んでしまう」

704 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 13:01:28.36 ID:FjMDnHC1i
 ノードランドは辛抱強く言った。「空気はある。洞窟の中へ入れば大丈夫だ。だれかが気
づいて通風孔を塞ぐか、換気装置を逆転させるかすれば火はおさまるだろう。それにガスそ
のものが燃焼し尽くして鎮火することだって考えられる」
 ナカムラが天井のアーチをじっと見ながら、「この上も岩がもろくなってますよ、ミスタ
ー・ノードランド。換気扇を逆転させる時の震動で崩れ落ちるかもしれない」
 しばらくのあいだ一同は物も言わず、不安な面持(おもも)ちで天井を見上げていた。
 やがてノードランドがうなずいた。「やはり洞窟に避難すべきだな。ここよりも地質がし
っかりしてるだろうし」
「馬鹿(ばか)を言うな、ノードランド」デフォルジュが苛立たしげに口をはさんだ。「また落盤が
あったら、われわれは洞窟に閉じ込められてしまうんだぞ。救助隊が来ても、そこまでは捜
しに来ないかもしれん。それより、きみはなぜ電話を使わないんだ?」
 どうしてそれを思いつかなかったのだろう? 切羽と現地本部を結ぶ電話には、外装ケー
ブルが使われている――まだ通じているかもしれない!

705 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 13:03:48.02 ID:FjMDnHC1i
 電話ボックスは土砂に埋もれていた。全員が固唾(かたず)を呑(の)んで見守る中、ノードランドは蓋(ふた)を
開けて電話を取り出し、受話器のアームを上下に揺すった。しばらく待ってもう一度繰り返
す。不通だった。トンネルのどこかで、落下した岩石がケーブルを断ち切ったのだ。
「それで、どうするつもりだ?」リンチが噛みつくように言った。ヒステリーを起こし、声
が上ずっている。「あんたがボスだろ。どうするのか言ってくれよ!」
「まずは気を鎮(しず)めることだな。われわれはしばらくここに留(とど)まることになる。遅かれ早かれ、
救助隊が来るはずだ」
「それまでに飢え死にしちまうよ」リンチは今にも泣きだしそうだった。
 その時、鈍い音とともに白っぽい砂が天井から降ってきた。
「ぼくは洞窟へ移動する」ノードランドがきっぱりと言った。
「勝手にするがいい」デフォルジュは喧嘩腰(けんかごし)だった。「落盤で閉じ込められるがいいさ」
「この上の天井が落ちてきたら」とノードランドはやり返した。「重い岩石の下敷きになり
ますよ」
 彼らは結果的に、三つのグループに分かれることになった。ダイアナとリンチはデフォル
ジュのそばへ行き、ナカムラ、スウェード、シドはノードランドについた。そして意識を失
ったカルトマイヤーの傍らにデリクが寄り添った。

706 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 13:06:29.65 ID:FjMDnHC1i
 ノードランドはライトを手に洞窟へ向かい、かつては仕切り壁だったベニヤ板の残骸(ざんがい)をす
り抜けて中へ足を踏み入れた。他の三人が後に続く。
「チョコレートバーを持ってる人はいないようね」シドが言った。「映画の中じゃ、みんな
持ってるのに」
 ノードランドは思わず微笑(ほほえ)んだ。「もっといいものがあるかもしれんぞ」
 彼はトンネルに引き返した。洞窟から数フィート離れた所にジョッキー・ボックスがある。
鍵(かぎ)を壊して蓋を持ち上げると、道具類と並んで六人分の昼食が見つかった。サンドウィッチ
で膨らんだ茶色い紙袋が二個、コーヒーポット付きのランチボックスが四個。コーヒーはま
だ温かい。
 ノードランドは食糧を抱えると、トンネルに居残っているデフォルジュらを無視して洞窟
へ戻った。そしてランチボックスを探ってキャンディバーとぶ厚いサンドウィッチを取り出
し、シドに渡した。
「ほら、チョコレートバーだ。サンドウィッチはライ麦パンにハムだと思う。大したご馳走(ちそう)
だろう?」
 みんながサンドウィッチに齧(かじ)りついた時、ダイアナ、デフォルジュ、リンチの一団が焼け
落ちた仕切りの中へためらいがちに入って来た。
「平等に分けてもらおうなんて期待するほうが無理よね」ダイアナが努めて明るい調子で言
った。

707 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 13:09:06.20 ID:FjMDnHC1i
 ノードランドはデフォルジュの棘々しい視線をまともに見返しながら、サンドウィッチを
分け与えた。「もちろん、きみたちの分はとってあったさ」それから自分のサンドウィッチ
の残りをビニール袋に包んでポケットに入れた。「一度に食べてしまわないことだ――ジョ
ッキー・ボックスにはもう何も残ってないからね」
 彼は残りの二個を持ち、ステージで父親のそばに坐っているデリクに歩み寄った。
「きみとフランクに一つずつだ」
 デリクは顔をそむけた。「ぼく、おなか空(す)いてないよ」
「きみが力をつけなきゃ駄目(だめ)なんだぞ」ノードランドは優しくさとした。「父さんはきみが
頼りだ」
「パパは熱があるんだ」
 カルトマイヤーの額に手を当ててみた。高熱というほどではない。が、そうなるのは時間
の問題だった。
「父さんを洞窟へ移そう、デリク。あそこならまだ安全だから」
 デリクはまだ迷っていたが、天井からふたたび砂が降ってきて彼の心は決まった。「そう
だね、そのほうがいいね……でも、いつになったら助けが来るの?」
「すぐさ」ノードランドは励ますように言った。「もうそこまで来ているさ」

708 :◆p132.rs1IQ:2022/10/29(土) 13:10:48.03 ID:FjMDnHC1i
 彼らはようやく、洞窟の隅(すみ)に腰を落ち着けることができた。隣にいるシドが小声で訊いた。
「本当に信じてるの、デイン? すぐに助けが来るって?」
「正直に答えろってことかい?」
 シドは顔をこわ張らせた。「もちろんだわ」
 ノードランドはためらった。しかし考えてみれば、今ここで彼が本心を打ち明けられるの
はシドしかいなかった。
「だれもぼくたちがまだ生きてることさえ知らないと思うよ」

709 :◆p132.rs1IQ:2022/11/03(木) 07:50:13.24 ID:C5P3Xje2G
エクソシスト
ウィリアム・ピーター・ブラッティ
宇野利泰[訳]
p59
「また新車を? こんどは何がほしいんです? ほう!
フェラリを?」
「いけないの、ベン? いつかの撮影で、あの車を運転し
て、すっかり気に入ったのよ。メーカーに手紙を出せば、
あのときのことを思いだしてくれるわ。取引だって、す
ぐにまとまるはずよ。ねえ、ベン。買ってもいいでしょ
う?」
 しかしマネジャーはいい返事をしてくれなかった。現在
の財政状態で、新車の購入は無分別もはなはだしいとの意
見なのだ。
「だってベン。昨年度のわたしの収入は八十万ドルよ。そ
れだのに、車一台買えないの? そのほうが、よっぽどお
かしく感じられるわ。稼いだお金、どこへ消えてしまった
のよ?」

710 :◆p132.rs1IQ:2022/11/03(木) 07:51:48.11 ID:C5P3Xje2G
 マネジャーは、彼女の資産の大部分が各方面に隠匿して
あって、即座に使用できないことを忘れんようにといって
から、年収総金額から支出しなければならぬ数多くの項目
をかぞえあげてみせた。所得税、来年度の予定納入額、州
税、固定資産税、エイジェントの手数料一〇パーセント、
彼自身のマネジャー料が五パーセント、映画関係従業員福
利基金への寄付一・二五パーセント、流行におくれないた
めの衣裳購入費、使用人の給料、これには、ウィリーとカ
ール夫婦と秘書のシャーロン、そしてロスアンゼルスの邸
の管理人が含まれる。そのほか旅行の費用、最後には、月
月の彼女の小づかい。
「それとも、年内に、もう一本、映画契約をしてもらえま
すか?」
 彼女は肩をすくめて、「そう簡単には決められないけれ
ど、そうしないと苦しいの?」
「そうですね。出演していただけると助かりますが」
 彼女は両手で顔を覆って、指のあいだからマネジャーの
表情をうかがいながら、
「じゃ、フェラリはやめて、ホンダにしようかしら」
 相手は返事もしなかった。

711 :◆p132.rs1IQ:2022/11/03(木) 11:39:52.34 ID:u8HNVyhzV
エクソシスト
ウィリアム・ピーター・ブラッティ
宇野利泰[訳]
p66
 声の主はダイアー神父だった。いつのまにか、料理の皿
を手に、クリスの背後に立っていた。「しかし、もうしば
らく、ご辛抱ねがいます。じきにもどってきますから。い
や、なに。宇宙飛行士の話がおもしろそうなので」
「ほう、宇宙飛行士か。どんな話題が出ておるのだ?」
 神学部長に質問されて、ダイアー神父は無表情な顔に眉
をあげ、「さあ、何でしょうかな。しかし、月世界で最初
の伝道について、などという話かも知れませんからね」
 女たちはいっせいに笑いだして、
「それにはあなたが最適任者ね」と、ペリン夫人がいった。
「大きすぎも小さすぎもしないから、弾頭へ入れてもらえ
るかも知れないわ」
「わたしが出かけるつもりはありません」彼は大まじめに
訂正してから、学部長に向って、「実はわたし、エモリー
を推薦しておるんです」

712 :◆p132.rs1IQ:2022/11/03(木) 11:41:50.75 ID:u8HNVyhzV
 そして、婦人たちに向き直ると、わき台詞(ぜりふ)のような調子
で、
「このエモリーなる人物は、わがジョージタウン大学きっ
ての規律励行主義者で、月世界は無人の土地ですから、あ
の男の性格にぴったりのはずです。何しろ、彼のいちばん
好きなものは、静寂ですからね」
「だったら、誰を改宗させるおつもりなの?」ペリン夫人
が訊いた。
「おや、お判りにならんのですか?」ダイアーは真剣な表
情で、「宇宙飛行士を改宗させるのです。それこそ、彼の
もっとも好むところで、ただし、相手は一人か二人にかぎ
る。グループではまずい。せいぜい二人が適当でしょうな」
 そして、まったくの無表情で、宇宙飛行士のほうへ目を
やっていたが、
「失礼します」と、歩み去った。

713 :◆p132.rs1IQ:2022/11/06(日) 18:04:27.21 ID:bjIKnezOt

ロバート・マラスコ
小倉多加志[訳]
p161
 その時も彼はまた彼女に何もかも話してしまいたかった
が、どう言って説明したらいいかわからなかった。彼女は
彼のそばの枕の上に坐ったまま、膝に園芸の本をひろげて、
温室をどういうふうにするつもりか説明していた。そして
ごみの類はどうにかすこしは集めてあるから、あしたごみ
の穴に放りこんで焼いてくれと言った。植物は〈見こみの
あるもの〉と〈だめなもの〉に分類してある――園芸の経
験といえばアパートで植木いじりをした程度なのに、彼女
はフィロデンドロやドラセナはもとより、ガーディニアや
ボストンタマシダまでびっくりするほどうまく手入れをし
ていた――が、彼女に言わせると、どちらもそのうちには
手に負えなくなりそうだった。
 彼はろくに聞いてはいなかった。

714 :◆p132.rs1IQ:2022/11/06(日) 18:06:39.29 ID:bjIKnezOt
 ――どう彼女に話を切り出したもんだろう?……「それ
はそうと、マリアン……」がいいかな? それとも、「マ
リアン、おれはこわいんだがね……」……いや、「マリア
ン、おれにもよくわからないんだが……」がいいかな?
しかしどうして話さなくちゃいかんのだろう? 話して彼
女にどうしてもらおうっていうんだ?……こわがるわけな
んかないと言ってもらったり、はげましてもらいたいから
なんだろうか?……それとも、そうだ、この家にはおれを
苦しめる悪霊を呼び出す何か不吉なものがあるから、今す
ぐ荷造りをして、誰かいい医者を見つけて診(み)てもらうしか
ないというおれの意見に、相槌をうってもらいたいからな
んだろうか?……
 考えれば考えるほど、何もかもますます混乱してまとま
りがなくなってくるし、そうなればなったで、ますますお
そろしい気持になるばかりだった。考えるといっても、普
通なら何でもないことが、どうしてもわからないことだっ
てあるし、頭脳だって、正常に働いていても事実をまげて
解釈することがある。彼自身おぼえがあるが、そういうこ
とはときどきあるし、いやに頭の冴えているときだってあ
る。が、今はそのどっちなのだろう?

715 :◆p132.rs1IQ:2022/11/06(日) 18:54:23.65 ID:J7SJOuIxS
影が行く
ジョン・W・キャンベル
矢野 徹・川村哲郎[訳]
p24(『影が行く』矢野徹[訳])
 傷だらけの顔をした小男のコック、キンナーは、コナント
にかわって口をはさんだ。
「ちょっと待った。牛肉といっしょにそんなものを入れるん
なら、あんたも一緒に入ってもらうぜ。あんたがたは、この
基地にある動かせる物はなんでもかでも、この料理テーブル
に持ちこんできた。それでもぼくは辛抱していなけりゃいけ
なかった。でもそいつをぼくの冷蔵庫に入れるってのなら、
肉の貯蔵庫にだってだよ、もう料理を作るのはごめんだぜ。
自分らでやってくれよ」

716 :◆p132.rs1IQ:2022/11/06(日) 18:55:54.96 ID:J7SJOuIxS
 ブレアは抗議した。
「でも、キンナー。基地にあるテーブルで、ちゃんと仕事で
きるだけの大きさがあるのはこれだけなんだ。みんな説明し
たろう」
「ああ。そう言って、だれもかれもが、何でもここへ持ちこ
みやがるんだ。クラークは、犬が喧嘩をおっぱじめると、こ
のテーブルの上で傷口を縫いやがるし、ラルセンは、そりま
で持ちこみやがる。持ちこまないのは、いまのところ飛行機
だけさ。でもそれだって、トンネルを通す方法を考えついた
らどうなるもんか分ったもんじゃない」
 ガリー隊長はくすりと笑って、大男の首席操縦士ヴァン・
ウォールを見た。ヴァン・ウォールは大きな金色の髭をふる
と、憂鬱そうにキンナーにうなずいてみせた。
「キンナー、そのとおりだ。航空班だけだよ、きみを大切に
しているのは」

717 :◆p132.rs1IQ:2022/11/07(月) 13:02:04.71 ID:jix2EbkWD
フューリー
ジョン・ファリス
田中 亮[訳]
p227
 ギイ、ギイ。
 人を死に到らしめるものは心にある。でも薬を飲めば二度と殺人は起こらないわ。
 微かに感情が動いて、息づまるような喪失感が胸にひろがった。ギリアンはからだをこわばらせた。
感情がいっさい消えることを祈りながら、彼女はロッキングチェアを揺すった。感情は消えないで、か
えって強まるようだった。泣くことはとっくに忘れていたが、ふいに涙がにじんだ。(でも、薬を飲ん
だら、ギリアンという少女はどうなるの? わたしはギリアンじゃなくなるわ)
 ギイ、ギイ。
 人を死に到らしめるものは心にある。心にある、心にある。
(もし、ギリアンでなくなったら、わたしはだれ? わたしはだれ?)
 ギイ、ギイ。

718 :◆p132.rs1IQ:2022/11/14(月) 12:09:07.40 ID:xKM25aeNO
闇の祭壇
ショーン・ハトスン
茅 律子[訳]
p120
「よろしかったら、ちょっとお話したいことがあるんです」ウォレスはつづけた。
 徐々に落ち着きを取りもどしたデクスターは、警部を書斎に招きいれて、向かいあって坐っ
た。
 ウォレスは彼に、森の中で山羊やその他の動物の死体が見つかったことを話した。
「あの森はおたくの所有地なんですか、デクスターさん?」彼は最後にそう尋ねた。
「法律的にはそうじゃない。だが、屋敷のまわりの土地は何百年にもわたって、うちが所有し
てきたもので、地元の人間は、あの森もうちの財産の一部だと考えている。何百年もの伝統に
重きを置けば、あの森はわたしのものだ、このあたりの土地と同様に」窓の外に見える広大な
芝の広がりを示した。「カトラーがなんと言おうとも」と、思いだしたようにつけくわえた。
「言い争ってる声がもれ聞こえましたよ。話を動物の死骸に戻しますが、ああいった動物はど
んな殺され方をしたんでしょうね?」
「それを調べるのが警察の仕事だろう、ウォレス」
「いっしょに暮らしてる若い娘さんはどうなんです? 何か知ってるかもしれませんね?」
 デクスターは警戒心あふれる視線をちらっと警部に投げかけた。
「いいや」と、ひとこと言った。

719 :◆p132.rs1IQ:2022/11/14(月) 12:10:39.80 ID:xKM25aeNO
「見た目が若いだけならいいんですけどね、デクスターさん。本人は十八だと言ってましたが。
彼女の両親は娘がここにいることを知ってるんですか?」
「あれは親のない娘でね。いってみれば、わたしが唯一の身内になるわけだ」デクスターはひ
ねくれた笑みをうかべた。
「感動的な話だ」
 ふたりのあいだに重苦しい沈黙が流れ、最後にウォレスがそれを破った。
「どうしてあの森にそこまで固執するんですか?」と彼は訊いた。
「屋敷から一マイルと離れていない場所を業者にめちゃくちゃにされたくないからだ」と年長
の男は答えた。
「それじゃあ答えになってませんよ」
「あの森は何世紀ものあいだ景色の一部だった。それを壊す権利などカトラーにはない。それ
だけのことだ」
 ウォレスは立ちあがって書斎のドアに向かった。
「娘の年齢が間違ってないといいんですがね」彼はもったいぶった言葉を残して、うしろ手に
ドアを閉めた。デクスターは廊下にこだまする彼の足音に耳を傾けた。そのあとまもなく、ロ
ーラが部屋に入ってきた。
「何をしにきたの、あの人?」と彼女は訊いた。
「森の中の死骸について何か知らないかと訊いていった。あいつはおまえにも興味があるよう
だ」

720 :◆p132.rs1IQ:2022/11/15(火) 11:22:11.47 ID:MrgS6ik/y
厭な物語
アガサ・クリスティー他
中村妙子[他訳]
p242(『善人はそういない』フラナリー・オコナー、佐々田雅子[訳])
 祖母は眼鏡の男が知り合いの誰かではないかという奇妙な感覚を抱いた。その顔には
ずっと昔から知っているような馴染みがあったのだが、誰かとなると思いだすことがで
きなかった。男は車を離れると、滑らないよう慎重な足取りで土手を下りてきた。素足
に茶と白のコンビの靴を履いていた。細い足首は赤く日焼けしていた。「こんちは」男
はいった。「みなさん、放りだされちまったようだね」
「二回転したんです!」祖母がいった。
「一回転だね」男が訂正した。「おれたち、見てたんだよ。その車、走れるかどうか見
てみろ、ハイラム」男は灰色の帽子の若者に静かな口調で指示した。
「何で銃持ってるんだよ?」ジョン・ウェズリーが尋ねた。「その銃で何するんだよ?」
「奥さん」男は子どもたちの母親にいった。「子どもにそばで座ってるようにいってく
れないかな。子どもにはいらいらさせられるんでね。みんな、今いるところにいっしょ
に座っててもらいたいんだ」
「あたしたちにさ、何でそんなことしろっていうの?」ジューン・スターがいった。
 一家の後ろでは、森がぱっくりと暗い口を開けていた。「こっちへおいで」母親がい
った。
「おい」ベイリーが出し抜けに口を開いた。「大変なことになったぞ! おれたち……」

721 :◆p132.rs1IQ:2022/11/15(火) 20:15:21.01 ID:F+ehNCJx7
われら
ザミャーチン
川端香男里[訳]
p69
 そして上方の立方体の上の機械(マシーン)のそばには、金属で作られたような、不動の姿がある。
われらはその人を恩恵を施す人、つまり恩人と呼んでいる。その顔は下の私の方からは、
しかとは見えない。見えるのはただ、顔が厳格な、堂堂とした四角い輪郭で限定されて
いることだけである。しかし、その代り手が……写真をとる時によくあることだが、写
真機の近くの前面に置かれている手が巨大なものになって、人の注意をしっかと引きつ
けてしまい、他のものを覆い隠してしまうことがある。今は静かに膝の上に置かれてい
る重い手は、明らかに石でできているので、膝はやっとのことでその重みを支えている
のだろう。

722 :◆p132.rs1IQ:2022/11/16(水) 13:08:45.16 ID:DH8JV9qdK
月は地獄だ!
ジョン・W・キャンベルJr.
矢野 徹[訳]
p158
十一月十六日
 ヒューイー医師とムーアは、二人とも心配している。われわれがとっている食料にはエネルギ
ーが大量にあるのに、全員が、徐々にではあるが、確実に体重を減じつづけているのだ。必要と
するよりずっと多く、一日一人あたり五千カロリー以上を食べているが、体重は減りつづけるの
だ。
 知られているかぎりのビタミンは作られて、食餌の中に入れられている。またわれわれは、多
量のカルシウム、マグネシウム、鉄、沃素、アルミニウム、その他の金属、非金属をもとってい
る。
 ムーアは、ほんとうに悩んでいる。このことはみんなに公表はされなかった。ぼくは、自分の
残りすくないシャツの一枚を犠牲にし、ガーナー、ヒューイー、ムーアの三人は、ムーアの言う
〈自然基の澱粉〉をもうすこし作る。その結果を見るのだ。

723 :◆p132.rs1IQ:2022/11/16(水) 13:10:33.89 ID:DH8JV9qdK
 タンクはみな完成し、重い強化された銀のパイプが通された。ポンプの製造は始められている。
われわれが最初からそなえつけた電気モーターの数は多いが、それを回転させることがむつかし
くなってきた。とくに、強力なモーターが要求されている。ポンプには大量の電力を必要とする
ので、われわれはこの目的のために、ケーブルウェイに使っていたモーターの一つを取るよりほ
かなかった。ケーブルウェイのモーターは、電気で熱せられる小さな蒸気機関に変えられた。ラ
イスはそれも作っている。
 明日、五人の調査隊員が〈ロケット船〉の中につめこまれ――これだけの重量は容易にのせら
れるのだ――〈ロング環状山(クレーター)〉に向かう。
 これは、中に小さなものがもう一つある大きな環状山で、最初徒歩で地球の見える側へ旅行し
たときに通ったところだ。われわれは、この大きな環状山が最初に爆発して、非常な深部から表
面に多くのものを噴出し、つぎに二番目の、小さなほうの環状山が、もっと深いところから多く
のものをふきあげてきたものと信じている。
 ぼくがまた操縦し、リード、キング、トルマン、ベンダーとで調査隊となる。

724 :◆p132.rs1IQ:2022/11/16(水) 13:12:25.56 ID:DH8JV9qdK
サーペント・ゴッド
ジョン・ファリス
工藤政司[訳]
p93
 オークの階段をのぼる職人に目を当てるうちに、ラクストン卿はふと、煉瓦作りの小さな暖
炉がある二階の部屋までついて行こうと思い立った。部屋には書棚がずらりと並び、坐り心地
のいいモリス式安楽椅子と読書用のスタンド、鉄製のベッドのすそには祈祷台もあった。八角
形のゲームテーブルにはチェスの駒がずらりと何列か並んでおり、蔵書はすくなくとも三ヵ国
語の古典で成り立っていた。三方の壁面にはクリア・アンド・アイヴズの温和な石版画が飾っ
てあり、磨かれない寄木細工の床には田舎の市で展示されるようなぼろの敷物が敷かれていた。
典型的な公共施設の社交室というたたずまいで、記念品はおろか、一人の人間の個性をしのば
せるものは何もない。
 いや、一つだけ風変わりなものがあった。祈願(らしいもの)がベッドの頭部の壁に書いて
ある。どうやら暖炉の燃えさしを使ったらしい。

   レディよ
   汝が蛇の獄舎にあるわれを
   憐れとも思え

725 :◆p132.rs1IQ:2022/11/17(木) 14:43:29.10 ID:vcoa7rkm3
死霊たちの宴〈上〉
J・スキップ&C・スペクター[編]
スティーヴン・キング[他]
夏来健次[訳]
p235(『胴体と頭』スティーヴ・ラスニック・テム)
 危機に際しての反応のしかたは人それぞれちがうものだ。マークの場合は、どんな問題にも
平等な態度で対処する。たとえば何ワットの電球を買えばいいかという問題も、ゾンビに食事
を与えるベストの方法はなにかという問題も、同じ真剣さで考える。

726 :◆p132.rs1IQ:2022/11/17(木) 17:30:00.08 ID:vcoa7rkm3
ポセイドン・アドベンチャー
ポール・ギャリコ
古沢安二郎[訳]
p145
 ジェーンはまたイライラしてくるのを感じた。スコットは自分の良人のしゃべっていることば
になどちっとも注意を払わずに、せっせと忙しく準備を始めているではないか。まず靴と靴下を
ぬぎ、それを上衣の両方のポケットに押し込み、斧を床の上に置いた。そして肩から巻いたザイ
ルをおろし、その一方のはしを自分のベルトに結びつけ、もう一方のはしをロゴに渡しながら言
った。「ねえ、これをしばらくしっかり持っていてくれないか?」

727 :◆p132.rs1IQ:2022/11/18(金) 11:17:08.16 ID:eIQkYtHiB
エクソシスト
ウィリアム・ピーター・ブラッティ
宇野利泰[訳]
p31
 母と娘はホット・ショッパ・レストランへ出かけた。ク
リスがサラダを一皿突ついているあいだに、リーガンはス
ープから始めて、ロールパンを四個、フライド・チキンの
皿、チョコレート・シェイキ、ブルーベリー・パイを一人
半分、それに、コーヒー入りのアイスクリームまでをきれ
いに平らげた。こんなにたくさん、この子の躯のどこに入
るのかしら、とクリスは愛情にあふれた目で眺めていた。
リーガンは痩せだちで、繊(ほ)っそりした躯つきなのだ。

728 :◆p132.rs1IQ:2022/11/18(金) 11:18:38.98 ID:eIQkYtHiB
 コーヒーが運ばれると、クリスは煙草に火をつけて、右
手の窓から、外の眺めへ目をやった。ポトマック河は闇に
沈んで、水の流れは見えなかった。
「おいしかったわ、ママ」
 クリスは娘へふり返った。そして、彼女の顔に、別れた
夫ハワードのイメージを見て、胸の痛みを感じた。光線の
角度の関係で、そう見えるのかも知れない。いそいで娘の
皿に視線を落して、
「パイが半分残っているじゃないの」と、いった。
 リーガンは羞ずかしそうに目を伏せて、「お昼間、キャ
ンディを食べすぎちゃったの」
 クリスはくすくす笑って、煙草を灰皿に押しつけると、
「では、帰りましょうね」と、やさしくいった。

729 :◆p132.rs1IQ:2022/11/21(月) 19:50:41.12 ID:yDztonSaQ
サーペント・ゴッド
ジョン・ファリス
工藤政司[訳]
p58
 記憶というやつはよくても移り気なものだ。彼らが出くわしたパニックは、現実を夢によく
出てくるグロテスクな姿に変えた。しかし、ボスはクリッパーとわたしに常日頃よく言ってい
たものだ。もしりっぱな軍人になりたければ、「的確な観察力を養わねばならぬ」と。

730 :◆p132.rs1IQ:2022/11/22(火) 01:07:52.20 ID:1ejesTVgO
サーペント・ゴッド
ジョン・ファリス
工藤政司[訳]
p95
「目も当てられないような状態ですよ」
「どうしても見せていただきたいのです」
「理由をうかがいましょう」
「死体の状態を見れば、いろいろわかることがあるからです。ほかに手がかりになるものがな
いのですよ」
「何だとお考えですか?」と女医は訊いたが、微笑が口もとにゆっくりと浮かぶさまを見なが
ら、こんな笑い方をする女性に会ったのははじめてだと思った。彼女の手の震えはまだ止まら
ない。「秘密兵器かなにかと思っているんでしょう。地面にもぐりこんで道路の下をもぐらみ
たいに進んで、ときどき頭をもたげては目標に向かっていった爆弾があったそうですからね」
「もちろんわたしはそんな幻想じみた話を信じはしません」
「わたしだってそうです。常識から言っても、ホークスパーンの邸内を探しまわったところで
何も出てきませんからね。けさ庭園で爆発したのは目標をまちがえて落ちてきた爆弾ですよ」
「それがたまたま、あなたが好意を抱いている紳士を殺したわけです」
「あの人は嫌というほど辛酸をなめてきました。いまのわたしにできることは、せめて見知ら
ぬ人たちの好奇の目から救ってあげることです」

731 :◆p132.rs1IQ:2022/11/22(火) 23:58:17.84 ID:wgXE1OAeA
バトル・ロワイアル
高見広春
p508
 秋也はちょっと唇を拭い、それから、また訊いた。
「でも、よくみんな納得してくれたね。俺なんかを
引っ張り入れること。敵かも知れないのに」
 幸枝は首を振った。「目の前で人が死にかけてる
んだもの。中々いやだとは言えないわよ。それと
――」
 秋也の目を覗き込んで、いたずらっぽく笑んだ。
「七原くんだったからね。あたし、一応リーダーシ
ップとってるから、無理やりみんなに納得させた」
 てことは――委員長もまた、あの小学校の体育館
以来の付き合いを、多少は意味あるものと考えてい
てくれたということだろうか。だが、秋也は、もう
一つの方の推測を口に出した。

732 :◆p132.rs1IQ:2022/11/22(火) 23:59:43.81 ID:wgXE1OAeA
「てことは――いやがったこもいたんだ。やっぱ
り」
「それはほら。こういう状況だから」幸枝は視線を
落とした。「悪く思わないでよ、みんな混乱してる
の」
「うん」秋也は頷いた。「そりゃ、わかる」
「でも、あたしが納得させたの」幸枝が顔を上げ、
また笑った。「感謝してよね」

733 :◆p132.rs1IQ:2022/11/24(木) 00:18:06.10 ID:rljdzNIfi
ジョーズ
ピーター・ベンチリー
平尾圭吾[訳]
p367
 船の背後を、船と同じスピードで二個の赤い木樽が追っていた。ゆらゆら揺れたりはしていな
かった。魚の猛烈な力によって引っぱられている木樽は、波を蹴立て、白い航跡を残して、進ん
でいた。
「おれたちを追っかけてるのか?」
 クイントがうなずいた。
「なぜだ? おれたちが食い物だとは、もう思ってないだろう?」
「思ってない。やつは闘うつもりだ」
 ブロディは初めて、クイントの顔が不安に曇っているのをみとめた。恐怖とか、驚愕といった
ものではなく、むしろ、胸騒ぎのようなものにみえた――ちょうど、ゲームの最中に、出し抜け
にルールを変更されたり、賭金をせり上げられた時に感じるような。クイントの様子が変わって
きたのを知り、ブロディは恐ろしくなった。
「こんなことをする魚が、これまでにいたかね?」と、彼は訊ねてみた。
「いない、こんなことをしやがったのは。いつか話したように、船を襲ったやつはいた。でも、
いったん銛を打ち込むと、やつらはおれと闘うどころか、銛をはずすのに躍起になったものだ」
 ブロディは、船尾のほうを見やった。船は、クイントが出まかせに舵輪を動かすままに、右へ
左へとジグザグに、適度のスピードで走っている。だが、木樽は遅れず追っかけてきた。

734 :◆p132.rs1IQ:2022/11/26(土) 12:17:09.40 ID:dJUE39RPA
ミスター・グッドバーを探して
ジュディス・ロスナー
小泉喜美子[訳]
p272
 彼女は彼を押しのけようとしたが、彼は大きな石みたい
だった。彼を追い出す手段はなかった。恐怖が今はヒステ
リーへと発展していた――彼を追い出さなくては眠れない。
眠れなくては学校に行かれない。
「今すぐ出て行かないと、おまわりさんを呼ぶわよ」
 二人のどちらもが身動きもせぬ一瞬があった。それから、
突然、彼女が灯りのスイッチに手をのばし、彼はベッドの
上で身をかわしてナイト・テーブルの上の電話器をつかむ
と、壁から線を引きちぎって部屋の向うへ投げとばした。
彼女はおびえ、ベッドからとび下りて戸口のほうへと走り
出したが、彼は彼女をつかまえ、ベッドへと引き戻した。
彼女が叫ぶと、彼はその口を抑えた。
 ちょっと待って! どこかがまちがってたのよ!

735 :◆p132.rs1IQ:2022/11/26(土) 12:52:10.02 ID:Dvv4vtO7z
もっと厭な物語
夏目漱石他
文藝春秋[編]
p103(『ロバート』スタンリイ・エリン、永井 淳[訳])
 心構えはとっくにできていた。ロバートが話しかける前から、やがて起こる事態にそ
なえて全身がきゅっとひきしまるのを感じていた。しかしロバートの言葉は、強くまか
れすぎたゼンマイのように、彼女を一気に解きはなす働きをした。

736 :◆p132.rs1IQ:2022/11/27(日) 09:44:09.72 ID:6GnRDYg4M
嵐の通夜
ロザリンド・アッシュ
工藤政司[訳]
p55
 金槌の音は頭上にやってきた。トムが寝室の窓を補強し始めたのだ。薄暗いダイニングルーム
に踏みこんだところ、鎧戸が降りてすでによどんでいる空気は待ってましたとばかり、わたしを
閉所恐怖の波でひたひたと満たすのであわてふためいた。呼吸をしなければと思ってきびすを返
し、狭い裏階段を駆けのぼって化粧室にとびこみざま荒れ狂う夜に向かって窓を開け放った。
 こっち側は風や雨がもろに吹きつけないので、トムは一番あとまわしにしていた。わたしの背
後、北の方を見やれば、地獄の機械が猛烈な速さで迫ってくる。こんもりした森の点在する田園
のなかに、巨大なシュレッダーが放たれて暴れ出したかのようだ。わたしは窓から上体を乗り出
した。すると厩に明りがともり、殻物倉の天窓にかけた梯子にだれかがのぼっているのが見えた。
風に運ばれてきた孔雀の叫び声が、拷問にかけられた魂の叫びを思わせた。わたしは足早に駆け
る雲を見上げ、小型機を着陸させるには風力はどのていどまででなければならないか考えてみた。
かれはきっと嵐そのものを避け、迂回して南からやってくるに違いない。耳をすましたけれど、
遠い鼓動めいた音は発電機だった。と、うしろでまた金槌の音がし始め、裏庭のニガキの咆哮で
さえ聞こえなくなった。

737 :◆p132.rs1IQ:2022/11/28(月) 02:29:04.85 ID:l9co3Ds9Q
ターミネーター
R.フレークス&W.H.ウィッシャー[原作]
吉岡 平[文]
p172
 カタカタカタと、超合金製の歯が、むきだしのあごの中で乾いた音をたててぶつかり
あった。もしかしたら、ターミネーターは笑っているのかもしれなかった。
 まださめやらぬ破壊の本能が、スクラップになりかけたターミネーターを、ターゲット
のほうへとかりたてた。たとえ脳組織のほとんどを破壊されようとも、最後に残った本能
だけで任務を遂行することもできるのだった。
 腕だけの力を使ってはうように、ターミネーターはサラ・コナーに迫った。退路のない
サラは、そのターミネーターをじっと見つめていた。凍りついたようなその顔は炎の照り
返しを受けて真紅に染まっている。いくらかの恐怖をその顔に見せてはいたが、それをは
るかに上まわる闘争心が、いま彼女の心の中にも燃えさかっていた。
 上半身だけになっても、なおターミネーターの戦闘力は彼女をしとめるに十分なものが
ある。たとえターミネーターの脇をすりぬけようとも、その先は炎の地獄だ。彼女に逃げ
る術(すべ)はない。
 じりじりと間合いをつめながら、ターミネーターはサラを殺す方法を考えていた。炎の
中へひきずりこんでやろうか、首を締めるか、頭を砕いてやるのも悪くはない。
 頭骸をむきだしにし、炎のマントをまとった彼は、まさしく死に神のようにサラには見
えた。しかし、いまや彼女には是(ぜ)が非(ひ)でも守りとおさねばならないものがあった。

738 :◆p132.rs1IQ:2022/11/28(月) 10:54:28.52 ID:i59QqSKrY
デイ・アフター・トゥモロー
ホイットリー・ストリーバー
石田 享[訳]
p52
 パーカー機長は国際宇宙ステーションの中でエアロバイクにまたがっていた。上下逆さまの
格好だったが、苦になるどころか、かえって楽しめた。あと二日ほどで帰還する予定になって
いた。シャトルから降り立ったときに骨なしの魚みたいな姿をさらしたくはなかった。無重力
空間で日々の筋肉トレーニングをおこたると、地球にもどったとき、まともに立つことさえで
きなくなるのだ。パーカー機長はペダルをこぎながら、シャトルの運行予定について説明する
フライト・ディレクターの声に耳を傾けた。
 気象条件のせいで打ち上げが中止になったという。
 つまり、帰還が遅れるわけだ。それもかなり。
 雷の直撃をうけたスペースシャトルは安全委員会の規定によって徹底的な点検・整備を義務
づけられている。防熱タイルの一枚一枚、リベットの一本一本、配線コードの一本一本にいた
るまで念入りに調べあげられる。それが済むまで打ち上げはいっさいおこなわれない。打ち上
げ予定日はあらためて発表されることになっている。
「で、どれくらいかかりそうだ?」
「まあ、今週いっぱいは無理だろうな、パーカー。おまえのカミさんから思いっきり小言を聞
かされることになりそうだ」

739 :◆p132.rs1IQ:2022/11/28(月) 10:56:12.50 ID:i59QqSKrY
 このおれだって文句を言いたい。NASAはいまだに雷対策ひとつ満足にできないのか?
しかしパーカーは「了解」とだけこたえた。宇宙ステーションでは規律を重んじなければなら
ない。無重力状態の宇宙空間にプライバシーの入り込む余地はない。ここでは感情を殺すこと
が求められる。
 宇宙ステーションに三週間滞在している日本人宇宙飛行士ヒデキは窓の外を眺めながらひげ
剃りにとりかかった。カミソリを顔のそばに浮かべながらひげの伸び具合をチェックする。ひ
げ剃りはおもしろくて何度やっても飽きない。ヒデキはみんなと同じようにスキンオイルをひ
げ剃りに使っていた。オイルがひげにしみ込むのをじっと待つ。くしゃみもおもしろい。楽天
家のヒデキは無重力空間の生活を心から楽しんでいた。
 そのヒデキがいつになく心配そうな表情をうかべながら振り返った。「おい、あの雲を見て
みろよ」
 雲? 雲がそんなに心配なのか。地球を見下ろしたパーカーは、思わず眼を見張った。しば
らくしてその雲が雷雲だと気づいたとたん背筋が寒くなった。高さ四万八千メートルにも達す
る雷雲。そのうち三万二千メートル分は氷の層ではないのか? あの雲の下はいったいどうな
っているのだろう?
 北の方角へ眼をやると、ユーコン川上空にも同じような雲が生まれていた。神はなにをなさ
るおつもりなのか?

740 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 12:43:38.91 ID:Iv5UmDqXN
ツイスター
キイ・デイヴィッドソン
山本民雄・室伏洋子・佐藤陽子・他[訳]
p199
 テツヤ・フジタは一九二〇年十月二十三日、日本の九州に生まれた。
「故郷には二つの活火山があり、噴火の際にそれらの山を訪ねた私は、この地球の怒りの表
情を見た」
 と自伝で回想する彼はややへそ曲がりな子だった。
 あるとき中学校の教師がフジタに、木づちとのみで三十年間穴を掘りつづけた高僧の話を
したところ、フジタはこう感想文に書いた。
「自分なら早く作業を終わらせるために掘削機械を作るでしょう」
 そして、私は赤点をもらった、と彼は述懐している。

741 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 12:45:11.98 ID:Iv5UmDqXN
 フジタは明治大学で機械工学を学び、そこで物理学の助教授になった。一九四一年の暮れ、
日本が真珠湾を攻撃するとアメリカは第二次世界大戦に参戦した。戦争末期、アメリカが日
本本土を爆撃するようになると、フジタは海軍からサーチライトで敵機を発見する方法を編
み出すよう命じられる。この研究では大気がプリズムの働きをして光を屈折させる性質を考
えに入れる必要があり、これをきっかけに彼は気象学に進むことになる。終戦後の一九四八
年九月、婚約者のタツコとともに竜巻の被害にあった故郷を訪れた彼は、
「家の屋根が飛び、田の稲がなぎ倒されているのを見てショックを受けた」
 とその時の様子を後に語っている。その時彼は十キロメートルにわたる竜巻の跡を地図に
した。同僚がくずかごに捨ててあった、英語で書かれた雷雲についての文献を見つけて、フ
ジタに渡した。フジタはその論文を読み、タイプライターのキーを一つずつたたきながら、
シカゴ大学の雷雲研究の権威である筆者のホレス・バイヤーズに手紙を書いた。バイヤーズ
はフジタの研究に感銘を受け、彼を大学の客員研究員として招いたのである。

742 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 12:48:17.20 ID:Iv5UmDqXN
 一九五七年、フジタは竜巻研究で最初の大きな成果をあげている。その年の六月二十日、
大きな竜巻がノースダコタ州ファーゴの近くを通ったのである。その時ちょうど、国道十号
上にいた運転者たちが時速三十二キロメートルでうずを巻いて街に向かう巨大な雲を目撃し
た。ファーゴに着くと彼らは警察へ通報し、そこからあっという間にうわさは広がった。ラ
ジオとテレビは避難所へ向かうように呼びかけ、ほとんどの人間がそれに従ったが、中には
カメラをつかんで外へ飛びだし、うす暗い地平線に目をこらす者もいた。つむじ風は街を襲
い、死者十人、負傷者百人以上を出し全半壊家屋は千三百棟にのぼった。
 フジタはファーゴにあるWDAYテレビの天気予報担当者デューイ・バーグクイストに連
絡をとり、シカゴ大学が竜巻の写真をほしがっていると放送してもらえないかと頼んだ。バ
ーグクイストはそのとおりにし、その結果百五十枚の写真と家庭用映画フィルム五本という
大量の映像資料が集まった。フジタはビデオの映像を一コマ一コマ分析した。写真測量法と
呼ばれるこの根気のいる作業を経て、彼は竜巻の移動速度とうず巻く風の速さを計算した。

743 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 12:49:56.29 ID:Iv5UmDqXN
 フジタが一九六〇年に発表したファーゴ竜巻の研究は、三十年以上を経た一九九三年、ハ
ワード・ブルースタインとジョーゼフ・ゴールデンをして「おそらくは、目撃者の撮った写
真とその証言を最も包括的にまとめた研究」といわしめるほど、現在でも古典としての地位
を保っている。

744 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 23:13:44.29 ID:VHCAXZ+UT
死霊のえじき
ジョージ・A・ロメロ
岡山 徹[文]
p26
 機にのこった黒人のジョンと無線係のマックダーモットは、危険があればいつでも飛び
立てるようにローターを回転させたまま、そこで待機した。
 町の目抜き通りは人気(ひとけ)がなく、ゴーストタウンのように荒れ果てていた。タクシーが略
奪された跡をのこしたまま打ちすてられ、そこここに見えるシュロの大きな葉の残骸がま
るで行き倒れた死体のように見えた。
 ミゲルは誰かいないか、誰か聞こえないのかとハンドマイクで何度も叫んだ。その虚し
い声が、人気(ひとけ)がなくなってひときわ反響する目抜き通りに響きわたった。
 とある路地の片隅に一陣の風が舞い起こり、風で舞いあがった新聞紙が、ドスッドスッ
と足音をたてて近づいてくる男の足にへばりついた。男はミゲルの反響する声に、う
おーっと雄叫(おたけ)びをあげた。フロリダの燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光に、その巨大な男の禿(は)げ落ちて
まばらになった金色の頭髪が輝いた。男の顔は目の下から上顎(うわあご)のあたりまで醜くえぐれて
いた。
 銀行の前では札束がシュロの葉とともに風に舞っていた。しかし、いまや紙屑同然のそ
んなものに群がる者は誰もいなかった。

745 :◆p132.rs1IQ:2022/11/29(火) 23:15:30.54 ID:VHCAXZ+UT
 また、あのドスッドスッという不気味な足音が、今度は銀行の中から聞こえてくる。巨
体を揺すりながら中から出てきたのは、二人のリビング・デッドだった。
 レストランの店先では、腐乱して骸骨化した死体にハエが群がり、フライドチキンの
カーネル・サンダースよろしく鎮座していた。
 なおもミゲルの声が虚しく響きわたる――。
 その声を聞きつけて、町のあちこちから例の無器用な足どりの足音が聞こえてきた。
 ヘリにのこったマックダーモットはまだ必死に無線連絡をとりつづけていた。
「我々は安全なところへ乗せていける。誰か聞こえたら応答を。」
 操縦士のジョンはなだめるようにいった。
「あきらめろよ。ここも死の町だ。ほかと同じだよ。」
 そのとき、ジョンはエンジン音をかき消すほどのなにか叫び声のようなものを耳にし、
マックダーモットにいった。
「おい、聞いてみろ。エンジン音の向こう、になにか聞こえるぞ。」
「なんてこった!」
 無線用のヘッドホンを取ったマックダーモットは、思わずそうつぶやき、いつも持ち歩
いているウィスキーの入った携帯用の容器で気つけに一杯やった。こんな不気味な叫び声
を聞いて素面(しらふ)ではいられなかった。
 目抜き通りにいたサラとミゲルはそれを見た。何十、いや何百というゾンビどもが目抜
き通りに群がり、海豹(あざらし)のように空に向かっていっせいにときの声をあげたのだ。

746 :◆p132.rs1IQ:2022/11/30(水) 12:12:26.29 ID:iYjArnqyA
ラプラスの魔
安田 均[原案]
山本 弘[著]
p48
 そこはまさしく宝の山だった。総冊数ではブラックウッドの蔵書にはるかに及ばなかったが、
問題は内容だ――たとえば彼が英語版でしか持っていない『無名祭祀書(ネームレス・カルト)』の、入手はほとんど
不可能と言われるドイツ語の原本があった。バーレット、ブラヴァツキー、メイザース、レヴ
ィ、ウェイトらの魔術やカバラ関係の一般的な書物がひと通り揃(そろ)っているのはもちろんとして
も、一六五九年に出版されたジョン・ディーとエドワード・ケリーの難解な魔術実験の記録、
同時期にターナーが英訳したパラケルススの偉大な『魔法原論』、あるいは悪魔を召喚する方
法を詳細に記した『ゲーティア』『レメゲトン』『ホノリウスの魔術書』といった中世の魔道書
までが、さも当然のように並んでいるのには驚かされた。また、全体の中の割合はずっと少な
かったが、トリテミウスやフラメル、アルテフォウス等の錬金術(れんきんじゆつ)関係の書物があったし、アン
ベールの衝撃(しようげき)的な書物『黒山羊(くろやぎ)の一族』、血も凍(こお)るような内容のボケの『妖術使(ようじゆつし)論』、名高いコ
ットン・マザーの『不可視世界の驚異』等、魔女や魔女狩りに関する資料もあった。カルメッ
トの引用でしか知らなかったランフトの論文『墳墓(ふんぼ)の屍体咀嚼(したいそしやく)』の実物も初めて目にした。国
内では自分しか持っていないと思っていた、一八世紀の幻視家フレティーニの忘れられた思索
の書『時間と蜘蛛の巣(タン・エ・トワル)』の初版本もあった。

747 :◆p132.rs1IQ:2022/11/30(水) 12:13:59.20 ID:iYjArnqyA
 驚くべき収集量だった。このすべてを読破していたのだとしたら、ベネディクト・ウェザー
トップは語学の天才であると同時に、深遠な知識の持ち主だったに違いない――まさに魔法使
いと呼ぶにふさわしい人物だ。
 持ち帰りたい、という熱い欲望がブラックウッドの胸を貫(つらぬ)いた。収集家としての本能が激し
くうずくのだ。せめてこの中の五、六冊でも自分のものにできれば……

748 :◆p132.rs1IQ:2022/11/30(水) 12:15:44.72 ID:iYjArnqyA
デイ・アフター・トゥモロー
ホイットリー・ストリーバー
石田 享[訳]
p211
「さっそく本を運びこもう」サムは言った。
 ジュディスは「なにをバカな」とでも言いたげな苦笑をうかべた。
 部屋の奥の本棚に辞書が置かれていた。サムはすかさず歩み寄るとその辞書を手にとった。
ずしりと重い手ごたえがあった。サムはその辞書を暖炉に放り込んだ。
 ジュディスは気でも狂ったかとでも言わんばかりにサムをにらみつけた。「どうするつもり
なの?」
 ジュディスは現実を直視すべきだ。「燃やせるものがほかにあるかい?」サムはきっぱりと
言った。
「本を燃やすのはやめて!」ジュディスは叫ぶように言った。
 サムは同情をおぼえた。司書として図書館の蔵書に愛着を持つのは当然だ。世界有数の蔵書
がすでに水をかぶり凍りついているのだ。しかし、目下の問題はそうした蔵書が救えるかどう
かではない。燃料として使用可能な濡れていない本がどれだけ残っているか、それが問題なの
だ。
 ジュディスはうなだれると、くすっと笑ってから泣きだした。エルザが言った。「本を探し
に行ってくるわ」

749 :◆p132.rs1IQ:2022/12/01(木) 20:25:11.41 ID:r39ACenRQ
ミュージック・ボックス
デボラ・チール
高野裕美子[訳]
p149
 運転手つきのメルセデスのリムジンを、ハリー・タルボットは虚栄心から使っているわけでは
なかった。むろん、必要のないぜいたく品だとも思っていない。彼は、常に仕事に忙殺されてい
る男だった。市や法人組織のさまざまな役員を務め、依頼人はひきもきらず、会社の経営上の問
題にも心を砕かなければならない。七十代に入ったひとりの男にとって――もっともハリーは、
あまり年齢のことを考えないようにしていた――それは並みの仕事量ではなかった。
 時は金なり。後者はふんだんにあり、前者はいつも欠乏していたから、送り迎え用の車を持つ
のは理にかなっていた。何も好きこのんで込んだ電車やバスに何時間も詰めこまれ、腹を立てな
がら出勤することはない。車のなかでハリーは新聞を読み、書類に目を通し、備えつけの電話で
いくつもの用件をすませた。愛車のBMWは週末だけの彼の足で、ゴルフに行ったり、家族と食
事や劇場に行くとき以外は、使われたためしがなかった。
 運転手はガレージの上のアパートに住んでいた。長年タルボット家に仕えているテディは、家
族の一員のような存在だった。コックが非番の日には、時に料理の腕をふるったりもする。彼の
ポットローストは汁気がたっぷりでやわらかかったし、ロースト・ターキーはコックも顔負けだ
った。

750 :◆p132.rs1IQ:2022/12/01(木) 20:26:55.56 ID:r39ACenRQ
 そうしたことはすべて、アンがデイヴィッドから聞かされて知った話だった。ふたりが恋に落
ち、互いのことを知ろうと努力し、初めてのデートをしてからまもなくのことだ。あのときの自
分は、いったい彼にどういう感情を抱いていたのだろう。いくら思い出そうとしても、アンには
思い出すことができなかった。家に運転手がいるのをあたりまえだと思っているような男とデー
トを重ね、愛しあう。恋におぼれた自分は、デイヴィッドの本質を見抜くことができなかったの
だ。理想家肌の若者という役割は、学生時代のデイヴィッドが背伸びしてつけていた仮面に過ぎ
なかった。実際の彼は、ピンストライプのスーツにサスペンダー、ウイングチップの靴といっ
た、大会社専門の弁護士スタイルに身を固めていたほうが、ずっと肩の力を抜いていられるよう
な人間だったのだ。
 広々としたリムジンの後部座席には、アンも何度も乗ったことがあった。が、一分(ぶ)の隙もなく
お仕着せを着た運転手にあれこれ指図するという役割には、どうしてもなじめなかった。第一テ
ディは、すでに六十代の後半にさしかかっていた。持病のリューマチのために、時にはまっすぐ
立っていられないことさえある。
 だが自分の意見など、ここではだれも気にもとめないだろう。アンは沈んだ気分で歩道の脇に
立ち、ハリーのビルの前の駐車場にすべりこんできたメルセデスを見守っていた。それでもテデ
ィを見ると、やはり気の毒だと思わずにはいられない。年老いたテディがよたよたと車を降り、
後部座席のドアを開け、車から降りるハリーに手をさしだす。彼は自分の仕事を楽しんでいるの
だろうか? 彼がいまだに引退せずにいる理由が財政上の問題やお門違(かどちが)いの忠義心からではな
く、仕事への愛着からであることを祈りたかった。

751 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 12:38:29.85 ID:2gEIKk/i4
ブレイン・チャイルド
ジョン・ソール
田中一江[訳]
p160
 画面は次つぎと変わり、そのたびにアレックスはスクリーンに映った物を正確に言い当てる。
スライド・ショーはようやく終わり、トーレスが明かりを点けた。「さて。ご意見は?」
 アレックスは肩をすくめた。「ぜんぶ、ここへ来てから覚えたものかもしれないし。だって、
本ばかり読んでたから」
「成績のことはどうだい? そのことも、ここへ来てから本で読んだのか?」
「いいえ。でも、ママが教えてくれました。学校のことは、ほんと言って、あんまりよく覚え
てないんです。先生の名前とかそれくらいで。だけど、目に浮かぶものがないんだ。ぼくの言
いたいこと、わかりますか?」
 トーレスはうなずき、ぺらぺらとカードをめくった。「うまく視覚化ができないんだね?
頭の中になんの画像も浮かばない」
 アレックスは首を縦にふった。
「しかし、事故以後に見た物については、そういう問題はないんだね?」
「そうです。それは問題ないんだ。それから、なにかを見たとき、見覚えがあるような気がす
ることもある。でも、どうもはっきりしないんですよね。そんなとき、これはなになにだよと
言ってもらえると、思い出せたような感じがするんです。そのくせ、まだピンとこないんだ。
うまく説明できないけど」

752 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 12:44:39.15 ID:FJmykxuF8
「一種のデジャ・ヴのようなものかな?」
 アレックスは眉根を寄せて、かぶりをふった。「それって、いま起きていることを前にも見
たような気がすることじゃないんですか?」
「そうだよ」
「だったら、ぜんぜん違います」アレックスは、ときどき自分を襲う奇妙な感覚を表現するの
にふさわしい単語を見つけようとした。「中途半端な記憶みたいなものなんです」ようやく、
彼は言った。「なにかを見て、ああ覚えていると思うんだけど、ほんとは覚えてなんかいない
っていうのかな」
「しかし、それだけならいいじゃないか」トーレスは言った。「わたしが思うには、きみはち
ゃんと覚えているんだが、脳が回復しきっていないんだ。きみの脳はかなりひどく損傷を受け
たからね。アレックス、わたしは傷の修復はしたが、すっかり元どおりにすることはできなか
った。したがって、断ち切られたままの神経もかなりある。つまり、きみの脳は、どこにデー
タがあるかを知りながら、そこへたどり着けずにいるようなものだ。だが、脳はあきらめない。
そしていつか――どんどんそうなると思うが――データにたどり着く新しいルートを見つけ出
し、さがし求めていたものを手に入れるだろう。それでもまだ違和感がある。データ自体は変
わっていなくても――思い出しかたが違うからね。おそらく、これから数ヵ月のうちに、ます
ますそういう中途半端な記憶が増えていくと思うよ。そのうちに、きみの脳が新しい伝達経路
を見つけて定着させていき、そうした中途半端さは徐々に軽減されていく。そして、事故のあ
とも残っていたあらゆる機能が、ふたたび身近になるのさ」

753 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 16:19:47.36 ID:Va1ttk3oE
踊る女
ジョン・ソール
古沢嘉通[訳]
p174
 ジュリーは小首をかしげて、じっと考えた。「でも、変わったアイデアなんかじゃないのよ、
ほんとに、マーゲリータ伯母さん。パパのいうとおりだわ――この屋敷はすばらしいペンショ
ンになるわ。それにこの島みたいな場所は、だれもが見つけたいと思うようなところだもの。
パパがいつもいっていることだけど、みんな新しいホテルというものにうんざりしているんで
すって。歴史のある、ほんとに古くさい場所に泊まりたいと思っているそうよ。それに――」
ジュリーは自分のあさはかな言葉にふいに恥ずかしくなって押し黙ったが、伯母はただほほ笑
みかけてくれただけだった。
「そう、この屋敷は古くさいわ」とマーゲリータはいった。すこし口調を明るくして、「たし
かに台所は軍隊まるまる食べさせてあげられるくらい広いわね。わたしのお祖母さんの時代に
は、食事のときになると二十人から二十五人いるのはけっして特別なことではなかったのよ」

754 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 16:21:29.67 ID:Va1ttk3oE
昔を思い出すマーゲリータの顔に明かりが差しはじめた。「わたしがちいさなころでも、まだ
ここで舞踏会を開いていたわ。近隣のみんなが集まって、わたしたちは臨時のお手伝いを雇っ
たものよ。屋敷はおとぎ話に出てくるみたいに飾り立てられたわ。舞踏室には小規模のオーケ
ストラが入っていて、一晩じゅう踊り明かしたものよ」目をきらきら輝かして、ジュリーを見
る。「またそんなようになるならすばらしいと思わない?」と訊ねる。「そうよ、昔のように
なるわ。あんなことの起こる前の――」ふとマーゲリータは話すのをやめ、目から光が消え
た。
「あんなことって?」ジュリーは訊いた。
 しかし、マーゲリータは首を振っただけだった。「なんでもないの。ただ、そう、ときどき
気持ちがふわふわゆるんで物思いにふけってしまうの。それだけのこと。それにそんなことし
ちゃいけないの」
「どうして?」とジェフが訊いた。「ぼくなんて、しょっちゅうだよ。ときどきさ、仰向けに
なって、空見上げて、自分が鳥や雲やそんなものになったつもりになるの好きさ。そのどこが
悪いの?」

755 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 16:23:04.08 ID:Va1ttk3oE
「なにも悪くないと思うわ」マーゲリータはそう答えたものの、声がうつろで、まるでなにか
別のことを考えているようだった。「でも、頻繁にそんなことをしてはだめよ。もしそんなこ
とばかりしてたら、なにが現実でなにが現実でないのか忘れてしまうわ。そうなったら……」
声がとぎれ、またも先ほどのような遠くを見つめる表情がマーゲリータの顔に浮かんだ。ジェ
フは自分に話しかけている伯母を見ていたが、不安そうに姉に目を向けた。が、ジェフがなに
かいおうとすると、ジュリーは首を振った。
「おいで」とジュリー。「ルビーを手伝って、お皿を片づけましょう」
 数分後、台所に入っていると、ジェフは姉を見上げた。真剣な表情で訊ねる。
「マーゲリータ伯母さんどうかしたの? なんであんな怖そうにしゃべるの? つもりになる
ことのどこがいけないんだい?」
 が、ジュリーが答える前に、ルビーがいった。「ふりをすることはなにもいけなくないんだ
よ。でも、おまえさんの伯母さんはふりをしたりしているんじゃない。思い出しているんだ
よ。昔のいいときのことを思い出していると、きまってあの人は悪いときのことも思い出して
しまうんだ」

756 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 19:56:26.19 ID:IHLMhWdau
黒衣の女
スーザン・ヒル
河野一郎[訳]
p94
 土手道の上はまだすっかり乾いていたが、左手を見ると、すでに水はごく近くまで、音もな
くゆっくりとにじんできていた。満潮時には、この道はいったいどれくらい深く水面下に沈ん
でしまうのだろう? だが、今夜のように静かな晩であれば、安全に渡りきる時間はたっぷり
あるだろう。もっとも今こうして徒歩で渡りはじめてみると、ケックウィックの馬車で一気に
駆け渡ったときよりずっと距離は遠く思えたし、土手道のいちばん先は前方の灰色の中へどん
どん遠のいてゆくように見えた。これまでこれほど孤独を味わったことはなく、行く手にひろ
がる広大な風景の中で、自分がこれほど小さくとるに足らぬ存在に思えたこともなかった。わ
たしの存在などにまったく無関心な海と空に衝動を受け、わたしはけっして不愉快ではない悟
りきったような物思いにひたりはじめた。

757 :◆p132.rs1IQ:2022/12/04(日) 19:58:46.36 ID:IHLMhWdau
 何分か後、どのくらいたったのか自分でもはっきりとわからなかったが、ふと物思いから我
に返ったわたしは、もはや前方がさほど先まで見えなくなっているのに気づいた。振り返って
みてぎょっとした。《うなぎ沼の館》も見えないのだ。夜の帳(とばり)がおりて暗くなったせいではな
く、沼地に忍び寄った湿っぽい海の濃霧が、わたしも背後の館も土手道の終わりも前方の田園
地帯も、すべてを包み込んでいたためだった。湿っぽくまつわりつくクモの巣のような霧で、
きめ細かかったが先は見通せなかった。ロンドンのいやな黄色い霧とは、匂いも味もまったく
違っていた。ロンドンの霧は息苦しく、どろりとよどんでいたが、ここのは塩を含み、さらり
として薄く、たえずわたしの目の前で流れている。まるで霧が無数の生きた指でできていて、
べっとりとまつわり、身体じゅうをまさぐり、やがてまた去ってゆくような感じで、わたしは
霧になぶられ、ただうろたえるばかりだった。髪も顔もコートの袖も、すでに湿気のベールに
おおわれしっとりとしていた。わたしをこれほどいらだたせ混乱させたのは、とりわけその唐
突さだった。

758 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 01:28:25.58 ID:U8YJyMHx/
人間がいっぱい
ハリイ・ハリスン
浅倉久志[訳]
p335(『訳者あとがき』)
『人間がいっぱい』は、ニュー・ワールズ誌の姉妹誌であるサイエンス・ファンタジイ誌が、改
題されてインパルス誌、さらにSFインパルス誌となったその号――六六年八月号――から三回
にわたって連載され、おなじ年に単行本となりました。しかし、作者の着手は、かなり早くから
始まっていたようです。親友であるブライアン・W・オールディスの回想によると、六二年にデ
ンマークのハリスンの家を訪ねたとき、すでにこの作品(オールディスの言葉をかりれば、「す
ぐれた、そして過小評価された長篇」)に取り組んでいる最中で、家の中のそこらじゅうに人口
過剰や栄養不良に関する専門書がころがっていた、ということです。その参考文献のリストは、
ごらんのように巻末にあげられていて、作者の意気込みをうかがわせてくれます。

759 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 01:30:45.16 ID:U8YJyMHx/
 ちなみに、『人間がいっぱい』で予測されている一九九九年の人口は、つぎのような数字にな
っています。比較のため、一九八五年現在の概略人口を、カッコに入れて示しました。
  ニューヨーク市 三五〇〇万(七〇〇万)
  アメリカ合衆国 三億四〇〇〇万(二億二〇〇〇万)
  全世界 七〇億(四八億)
 ごらんのように、約二十年前、この小説が発表された当時と比べて、予測の数字に確実に近づ
きつつあるわけです。現在の目で見ると、ニューヨークの一部の荒廃ぶりに関しては、すでに現
実が空想を追い越してしまった感があり、空恐ろしい気持にかられます。

760 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 11:13:17.40 ID:U8YJyMHx/
人間がいっぱい
ハリイ・ハリスン
浅倉久志[訳]
p284
「いまのあたしたちは、なにをすればいいの? そのことをまず考えるべきじゃないかしら?」
「それは、お嬢さん、きみが考えておくれ。わたしはそれを考えると気がめいるんだ。現状維持
のためにフルスピードで走って、あとは神だのみ、いまのわたしたちがやれるのはそれだけじゃ
ないかな。たぶん、わたしは過去に生きているのかもしれない。もしそうなら、それにはちゃん
としたわけがある。あの頃はよかった、明日は明日の風が吹くですましておれた。たとえばフラ
ンスだ。当時のフランスは近代的な大国で、文化のふるさと、世界の進歩の先駆者だった。その
くせ、産児制限を禁止する法律があり、医者が避妊についてしゃべることさえ犯罪とされていた。
進歩! その気があれば、だれの目にも事実ははっきりしていたはずだ。自然保護論者は、やり
かたを変えないといまに資源がなくなってしまうと、いつも警告していた。その通りになったよ。

761 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 11:14:55.32 ID:U8YJyMHx/
あの頃でも遅すぎたぐらいだが、まだ打つ手はあったかもしれない。世界各国の女性が、家族の
数をもっと無理のないところで抑えられるように、産児制限の知識を心からほしがっていた。彼
女たちが得たのは、たくさんの議論と申しわけ程度の行動だった。もしあの頃に家族計画を相談
できる病院が五千倍あったとしても、まだ充分じゃなかったろう。赤ん坊と愛とセックスは、お
そらく人類にとって感情的にいちばん重大で、いちばん内密なものだから、率直な議論は不可能
に近かったんだ。自由討論、出生率調査のための大規模な投資、全世界的な家族計画、人口調節
の重要性についての教育番組――そしてなによりも、自由な意見を自由に発表できる場が必要だ
った。だが、とうとうそれはないままに、一九九九年、世紀の終わりへきちまったんだ。なんて
世紀だろう! とにかく、あと何週かで新しい世紀がやってくる。ひょっとしたら、それはKO
寸前の人類にとってほんとうの新世紀になってくれるかもしれない。わたしはむりだと思う――
まあ、気にもならない。どのみち、それを見るまでは生きてないだろう」
「ソル――そんなことをいうもんじゃないわ」
「どうして? わたしは不治の病気なんだぜ、老齢という」

762 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 22:38:27.60 ID:M9W26OAPA
たたり
シャーリイ・ジャクスン
渡辺庸子[訳]
p12
〈丘の屋敷〉を訪れた時、エレーナ・ヴァンスは三十二歳になっていた。母親が亡くなった今、
彼女がこの世で最も嫌っているのは実の姉だった。義兄のことも嫌いだったし、五歳になる姪
も嫌いで、しかも友達はひとりもいなかった。こんなことになったのは十一年もの長い間、病
弱な母親の世話にかかりっきりだったせいで、彼女は介護人として腕を上げたものの、いつし
か強い陽射しに瞬きせずには外へ出ることのできない人間になっていた。成人してからこの方、
エレーナには本当に楽しかったと思える記憶がまるでない。小言しか言わない母親との生活で、
彼女は小さくなりながら、ぬぐいきれない無力感と終わりのない絶望感にじわじわ押さえ込ま
れてきたのだ。内気で控えめな性格になどなりたかったわけではないのに、愛する人もいない
まま、あまりに長く孤独な暮らしをしてきた彼女は、単なる普通の会話をするにも恥ずかしさ
が先に立ち、言いたい言葉がうまく見つけられない口下手な女性になっていた。そんな彼女の

763 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 22:40:10.47 ID:M9W26OAPA
名前がモンタギュー博士のリストに載ったのは、ある昔の出来事がきっかけだった。それはエ
レーナが十二歳、姉が十八歳だった時のことで、父親が死んでひと月とたたないある日、なん
の前触れもなく、理由も目的もわからないまま、いきなり石がシャワーのように天井から降り、
壁という壁を転がり落ち、窓を破り、屋根を叩いて轟音を響かせた。この現象は断続的に三日
間続いたが、その間、エレーナと姉が困り果てたのは、降ってくる石そのものよりも、毎日玄
関の前に集まってくる近所の住人や野次馬たち、そして、これは引っ越してきた当初から自分
の悪口ばかり言っている意地悪な近所の仕業だとヒステリックに騒ぎたてる母親の方だった。
三日後、エレーナと姉が友人の家に避難すると、石のシャワーはぴたりとやんで、やがてふた
りが家に戻っても、もう降ってくることはなかった。それでエレーナたちは、また元通りに生
活をはじめたのだが、近所全体を敵にまわした状態は変わることがなかった。この事件は、モ
ンタギュー博士の問い合わせに応じた人を別にすれば、すでにほとんどの人の記憶から消えて
おり、当時は互いに相手のせいだと思っていたエレーナや姉にしても、すっかり忘れていたこ
とだった。

764 :◆p132.rs1IQ:2022/12/07(水) 22:42:14.78 ID:M9W26OAPA
 物心ついてからというもの、エレーナは心のどこかで、今回の〈丘の屋敷〉調査のような出
来事を、ずっと待ち続けていた。不機嫌な母親を抱え上げて椅子からベッドへ移したり、スー
プとオートミールのお盆を幾度も上げ下げしたり、汚物にまみれた洗濯物を始末したり、そん
な介護生活を送りながら、いつの日か自分の身にもきっと何かが起こるはずだと信じるように
なっていた。それで彼女は〈丘の屋敷〉の招待状に、折り返し承諾の返事を出した。もっとも
彼女の義兄は、まず二、三の人に問い合わせをし、博士と名乗るその男が、彼女の姉をして、
未婚の娘が知るには不適当だと考える内容と無縁ではない忌まわしい儀式にエレーナを誘い込
もうとしているのではないことを確かめるべきだと主張していた。おそらく彼は寝物語で妻に
囁かれたのだろう。モンタギュー博士――これだって本当の名前かどうか怪しいものだけど
――このモンタギュー博士とやらは、こうして集めた女性をある種の、つまり……実験≠ノ
使う気に違いない。実験≠ニ言えばわかるでしょう、ほら、あの手の連中がやることよ、と。
エレーナの姉は、博士と名のつく人間たちが行ったという実験の噂に、とことんこだわってい
た。しかしエレーナ自身はそんな実験が待っているとは思わなかったし、思ったところで、そ
れを恐れたりしなかった。要するに彼女は、家を出てどこかへ行きたかったのだ。

765 :◆p132.rs1IQ:2022/12/08(木) 17:08:03.69 ID:ENQrwlvlI
死者の夜明け ドーン・オブ・ザ・デッド
ジェイムズ・ガン[脚本]
入間 眞[編訳]
p176
 テリーがその場の沈黙を破り、ぽつりと言った。
「こういうとき、何か言うべきなんじゃないかな……。マイケル?」
「どうだろう……よくわからない。私は物を売ることしか知らないから……」
「グレン、何か言えよ」スティーヴが言った。
「無理ですよ」
「あなたは教会で働いてたんでしょう? 信心深いはずよ」とアナ。
 グレンは両脇(わき)に白髪を残して禿(は)げ上がった頭を振った。
「いえ、私はそこでオルガンを弾いていただけですよ。スケートリンクのオルガン奏者と何ら
変わりません」
「でもよ」スティーヴが言う。「牧師が生だとか死だとかについて何か言うのをいつも脇で聞
いてたんだろ? 違うとは言わせないぜ」
「だから、あくまで仕事なんです。私自身は、無神論者です」
 それまでバートを見ていたCJが顔を上げ、グレンに静かな視線を向けた。
「なあ、あんたは音楽を弾く。教会に集まった連中は、それを聴いて神に祈りを捧(ささ)げる。あん
たはそれだけで十分敬虔(けいけん)な人間さ」CJはそこで語気を強めた。「だから、何か言ってくれ。
こいつらの魂が救われるような文句を。さあ、言うんだ」

766 :◆p132.rs1IQ:2022/12/08(木) 17:09:35.24 ID:ENQrwlvlI
 彼の剣幕(けんまく)に押されてグレンは小さく頷(うなず)くと、やがて口を開いた。
「この話は、牧師から聞いたものではありません……私が最初に習った音楽教師から聞かされ
た話です。とても素晴らしい先生でした。先生はこう言いました。『音符を弾いてはいけない、
音符と音符の間にある空白を弾きなさい。そこにこそ音楽が存在し、君が存在し、永遠が存在
しているのだから。音の響きでその空白を満たしていきなさい』と……。教会で演奏をしてい
ると、いつもこの言葉を思い出します。そして、こう思うのです。つまり、私が音符と音符の
間を弾いている瞬間に、人々の祈りは神に届くのではないだろうか、と」
「神様を信じてないんじゃないの?」ニコールが訊(き)いた。
「ええ。でも、来世は信じています。この世で私たちがどんなことをしようとも、それは永遠
ではありません。前の音符の音が、後の音符に消されるようにです。そうではなく、私たちに
も、音符の間の空白に当たる世界がある。それが、多分……永遠の来世だと思います」
 彼は視線を落とし、床の五人を見た。
「ここに横たわっている方たちはみんな、いえ、外にいる人たちだってみんな、かつては生き
ていました。確かに彼らは、今の私たちのように息をしていたのです。生きているものすべて
はその命を終えたら、来世が待っています。それがどこにあるのかは謎(なぞ)です。誰も知りません。
それでも私たちは、誰も彼もみな一様に、そこへ行くのです。最後の最後には、必ず……」
 決して器用ではないが誠実さに溢(あふ)れた彼の語り口には、どこか真理を垣間見せるような力が
あり、集まった一同は神聖な思いを感じていた。これで旅立つ五人も少しは救われるかもしれ
ない。

767 :◆p132.rs1IQ:2022/12/08(木) 17:11:06.36 ID:ENQrwlvlI
「素敵(すてき)な話だったわ。本当に素晴らしかった。ありがとう、グレン」
 アナがそう言うと、全員が口々に感謝の言葉をグレンに伝えた。彼は恥じ入るような笑顔を
見せると、頷いてそれに応(こた)えた。
「さて……」
 マイケルが改まった口調で注目を集めた。現実を思い出させるのは決まって彼の役目だ。
「このままでいくと、私たちの来世は二週間後にやってきてしまう。ガソリン切れで電力が止
まり、冷凍室が使えなくなり、その二十四時間後には冷凍食品がダメになる。その後は、乾燥
食品でしのぐとしても、もってせいぜい三週間だろう。ここにいれば、確実にそうなる」

768 :◆p132.rs1IQ:2022/12/08(木) 20:54:26.08 ID:ENQrwlvlI
世界文学全集 47巻 世界SF傑作集
p139(『トリフィド時代』ウィンダム、志貴 宏[訳])
 あのころのものの見かたにもどって考えるのはなまやさ
しいことではない。いまははるかに自分自身だけを頼りに
暮らすほかなくなっている。が、当時は、じつにさまざま
な筋道があり、ものごとはじっさい複雑に関連しあってい
た。わたしたちはみな、自分の持場で、それぞれの小さな
役割をきちょうめんにはたしていたので、習慣やしきたり
にすぎないものを自然の法則と思いこむあやまちをおかし
がちだった――だからこそ、どんなふうにであれ筋道が狂
ってしまうと、まるで途方にくれてしまうのだった。

769 :◆p132.rs1IQ:2022/12/08(木) 20:56:00.80 ID:ENQrwlvlI
 人生のなかばをひとつの秩序の観念のなかですごすと、
ほかの秩序に順応する作業は、とうてい五分間でできるこ
とではない。当時の状況をふりかえってみると、わたした
ちが日々の生活について知らなかったこと、知ろうともし
なかったことがらがどんなにたくさんあったか、驚くばか
りだ、というより、いささか背筋が寒くなるほどである。
わたしは、じじつ、なにも知らなかった。たとえば、どう
やって手もとに食物がとどくのか、どこから新鮮な水がく
るのか、どのようにいま着ている衣服が紡(つむ)がれて仕立てら
れるのか、どういうふうにして都市の下水が浄化されるの
か、そういったごく日常的なことについてさえも。日々の
生活は、とっくにそれぞれの専門家の――だれもが多少と
も有能さをもって自分の仕事にはげみ、ほかのものにも同
じことを期待している専門家たちの――複雑な組み合わせ
によって成り立つものだったから。だからこそ、病院が全
面的な混乱状態におちいることがありうるなんて、とうて
いわたしには信じられなかった。だれかが、どこかで、病
院を統御しているにちがいない、と、わたしは信じてい
た。ただ、そのだれかが、運の悪いことに四十八号室のこ
とをまるっきり忘れてしまったのだ、と。

770 :◆p132.rs1IQ:2022/12/15(木) 10:31:39.28 ID:fgXOtJLWY
パニック・ルーム
ジェームズ・エリソン
柳下毅一郎[訳]
p35
 サラはうつぶせに寝ころび、母親の目の前に顔を持ってきた。「ママ、箱は一通り見たけ
ど、ごっそり抜けてる分がある。他のはどこに行っちゃったの?」
「全部は持ってこられないの」
「残り、どうしちゃったの?」
「たくさん始末したわ。要らないものがたっぷりあったから。物を捨てるのって、集めるよ
りずっと大変よね」
「パパはママみたいに物にこだわらない」
「わかってる」あの人はあたしたちにこだわらなかった。簡単に捨ててしまった。
「ママなら全部持ってくるって思ってた」
「あたしたちは新しくスタートを切るのよ。新しいものの場所を作れ、それがあたしのモッ
トー」
「でも、ママが捨てた中にわたしが欲しいものがあったら?」
「あたしは要らないのよ。計画も立てなきゃならないし、誰かが決めなきゃならないから、
決めさせてもらったのよ」

771 :◆p132.rs1IQ:2022/12/15(木) 17:22:40.72 ID:hpxlu7NG6
エボリューション
エレノア・フリーモント
石田 享[訳]
p97
「おい、ハリー、あれを見ろ」アイラは茂みから突然姿をあらわした虫を指さした。
 その虫はひょろ長い脚を一二本持ち、青と黄色のペンキをでたらめに塗りたくったような円
筒形のからだは地面から六〇センチほどの高さにあった。からだの前後がはっきりしないが、
背中には長さ一五センチくらいのトゲがびっしり生えており、下腹に相当する個所には口を思
わせる円形の開口部があった。丸太に脚をつけたようなその奇妙な虫は、一方向に進んでは逆
方向に引き返すという動作を繰り返した。
「あれは前進してるのか? それともうしろにさがっているのか?」ハリーは首をひねった。
どちらが頭かわからないので判断のしようがない。

772 :◆p132.rs1IQ:2022/12/15(木) 17:24:45.36 ID:hpxlu7NG6
 アイラは不思議な木の存在に気づいた。真珠のような小球を糸状につらねた細長い枝が樹上
から無数にたれさがっているのだ。まるでカーテンをぶらさげているように見える。アメリカ
南東部でよく目にするサルオガセモドキにちょっぴり似ている。その小球のカーテンは風もな
いのにかすかに揺れていた。
 丸太のような虫がその木のかたわらを通りすぎようとしてカーテンの端をかすめた。そのと
たん、無数の細長い枝が突然動きだした。たちまち不運な虫にからみつくと、そのからだを持
ち上げた。小さな悲鳴のような音が聞こえた。
 ハリーとアイラは驚嘆と嫌悪の入りまじった思いで食虫植物の動きを見つめた。持ち上げら
れた虫はたちまち樹上の口≠ノのみ込まれて姿を消した。まさに弱肉強食、荒々しい生存競
争はあっけなくカタがついた。
「ひえー」ハリーは仰天した。「木に食われちまった」
「ここじゃ」アイラはあたりを見まわした。「すべて食うか食われるかなんだ。おれたちもメ
ニューにのらないよう注意しないとな」

773 :◆p132.rs1IQ:2022/12/17(土) 10:36:28.85 ID:o31NiveDo
アイデンティティー
スティーヴン・ピジック
柳下毅一郎[訳]
p184
 部屋はまた静かになった。雷鳴が轟いた。
「フロリダのどこよ、ラリー」とうとうパリスが言った。
 ラリーは不安げにロードの方を見やり、それから言った。「ポーク郡だ」
「冗談でしょ! そこ、わたしの生まれ故郷よ。どの町?」
「マルベリー」
 パリスは親指で胸を差した。「フロストプルーフ」
「そりゃ出てくよな」ラリーは皮肉っぽく言った。
「霜避け(フロストプルーフ)≠ネんて名前の町があるのか?」とエドが言った。
「オレンジを育ててるのよ」とパリスは説明した。「町の名前がコピーにもなるってわけ」
「ポークから出た日には嬉しくて万歳三唱したぜ」とラリー。「なんでまたあんなところに
帰りたがるんだ?」

774 :◆p132.rs1IQ:2022/12/17(土) 10:38:06.98 ID:o31NiveDo
 パリスはためらった。「あたし……果樹園が売りに出てたのよ。インターネットで。オレ
ンジとライム」
「かついでるんだろ? オレンジ畑をオンラインで売ってるって?」
「あら、前イーベイでちっちゃな町が売りに出たって話があったわよ。開始価格が五千ドル
で、最後には百万ドル超えたって。探せばなんだって売ってるわよ。ともかく、この農場は
面積が3・5ヘクタールで果樹は千二百本。不動産屋は土壌には燐(りん)を加えなきゃならない
し、道も整備する必要があるけれど、でもいい土地だって」パリスは全員から不信の視線を
向けられていることに気づいたようだった。「何よ?」
「それは……良さそうだ」とエド。
「あたしみたいな稼業の人間が果物栽培をはじめるなんて妙な話だって思ってるんでし
ょ?」
「まあ」とラリー。「自分でもわかってるだろうが――」
「あたしはオレンジ農場で育ったの。どうやって育てるかは全部覚えてる」
「誰だって、何かは育てるもんだ」

775 :◆p132.rs1IQ:2022/12/17(土) 19:28:39.47 ID:X2GFSDO7h
ブラックストーン・クロニクル 上
ジョン・ソール
金原瑞人/石田文子[訳]
p50
 オリヴァー・メトカフは、銀行の建物をあとにしながら、すでに社説の文章を考えはじめて
いた。しかし、まっすぐオフィスに帰るかわりに反対の方向へ向かい、中央通りを一ブロック
歩いて、プリンストン通りとの交差点までやってきた。そこには古いカーネギー図書館がいま
だに立っているが、その図書館の二千平方メートルの敷地は、百年近く前に、ハーヴィー・コ
ナリーの父親が寄付したものだった。かつてアメリカじゅうの小さな町に次々と建てられたカ
ーネギー図書館は、ほとんどが数十年前に、もっと現代的な「メディアセンター」などに建て
替えられたが、ブラックストーンの図書館は、町のその他の建物とおなじように変わりがなか
った。その原因のひとつは、歴史を大切にするブラックストーン独特の気風であり、もうひと
つは、図書館の現代化のための資金が不足していることにあった。町には新しい建物もいくつ
かあることはある――「新しい」という言葉を、築五十年未満と定義すればだが――が、ブラ
ックストーンの町のほとんどは、いまでも百年前とおなじに見える。塗装がすこしはげていた
り、そのほかにもさまざまな老巧化の徴候はあるものの、なかには二世紀以上前から変わらな
い建物もある。

776 :◆p132.rs1IQ:2022/12/17(土) 19:30:20.09 ID:X2GFSDO7h
 オリヴァー・メトカフの記憶にあるかぎり、この図書館はまったく変化がなかった。おそら
く、子どものころよりは、木々がすこしは大きくなっただろう。しかし、正面の芝生のカエデ
の木などは、オリヴァーの少年時代からすでに大木で、枝を大きく広げ、かなりの日陰を提供
していた。そこでは夏のあいだ、毎週木曜日の午後に、「お話のおばさん」が町の子どもたち
に本の読み聞かせをしてくれていた。あれから四十年たったいまでも、お話のおばさんがいて、
暑い夏の木曜日に、子どもたちを夢中にさせている。これからもずっとお話のおばさんはいる
だろうか。オリヴァーはふと疑問に思い、いてくれればいいと思った。
 きょうはしかし、お話のおばさんも子どもたちの集団も見あたらない。オリヴァーは、何世
代もの人々がのぼりおりしてきたせいで、ひどくすり減ってしまったコンクリートの急な階段
をのぼり、両開きの扉を押しあけた。その扉は二重扉の外側にあたり、十二月の戸外の冷気と、
旧式のラジエーターが生み出す心地よい暖かさのあいだで、盾の役割を果たしている。ラジエ
ーターがときおり出すカンカンという音は、この建物のなかでいままで発せられた音のなかで、
もっとも大きな音だった。じっさい、そのラジエーターは過剰な熱を供給していたが、文句を
言う者はいなかった。なぜなら、もう二十年近く主席司書を務めるジャーメイン・ワグナーが、
いつもこう主張していたからだ。「部屋の暖かさが、よい本を正しく鑑賞することにつながる
のです」オリヴァーには室内の温度と文学鑑賞の相関関係が理解できなかったが、ジャーメイ
ン・ワグナーは、図書館の建物とおなじく現代的とは言いがたい給料で喜んで働いてくれてい
る。その彼女が温度をあげろと言うなら、そうするしかない。

777 :◆p132.rs1IQ:2022/12/18(日) 11:06:06.42 ID:dP5bnaiD6
ブラックストーン・クロニクル 上
ジョン・ソール
金原瑞人/石田文子[訳]
p347
 レッドヘンのドアをあけたとたん、オリヴァーは、しまった、と思った。腹の虫をなだめる
ことに夢中だったため、毎朝このカフェに集まってくる常連客たちが、自分とおなじくらい飢
えていることを、うっかり忘れてしまっていたのだ――ただし常連客たちが飢えているのは、
この食堂の看板メニューであるドーナツやコーヒーではなく、情報だった。
情報≠ニいうのは、常連客たちが男だから使う言葉だった。それがもし彼らの妻たちなら、
もっと正確にゴシップ≠ニ言うだろう。

778 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:35:54.11 ID:bM1oJtVwC
パニック・ルーム
ジェームズ・エリソン
柳下毅一郎[訳]
p23
「そしてここで」エヴァン・ラシーンは咳払いして注意を喚起した。「メイン・ディッシュ
でございます。こちらがマスター・スイート――控え目に申しましても広うございます」腕
を麗々しく広げて、それから素早く時計に目をやって眉をしかめた。
 メグはぐるりと見わたし、部屋の寸法を見積もった。向かいの壁、隣の家との境界になっ
ている壁を見てから、メグは数歩後じさってつながっている壁をよく調べた。自分の目には
自信があった。メグは才能ある水彩画家で、二年前にグリニッチのギャラリーで開いた展覧
会も好評だった。最優等生で大学を卒業して以来、自分自身のためにやりとげた最初で最後
のことだった。スティーヴンはよく、妻は名探偵の目をしている、と自慢したものだった。
「こいつには、ぼくらが見逃してしまうことが見えるんだ」と好んで言って、メグを困惑さ
せ恥ずかしがらせた。「ほんの小さなディテールに気づくんだよ」
 メグはわずかに首を傾け、なおも壁を精査した。「すごく変わってる」
 リディアが顔を向けた。「え?」
「なんだか妙なのよ。この部屋はもっと広いはずだと思うわ」
 ひどい近眼なのに眼鏡をかけるのを拒み、コンタクトレンズをしょっちゅう無くすリディ
アは、目を細めて見えない霧をすかし見た。「メグ、何がおかしいの? 別に問題ないんじ
ゃないの」

779 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:37:31.92 ID:bM1oJtVwC
 エヴァン・ラシーンは腕時計を眺めながら苛立たしげに足踏みをした。さらに論点を強調
すべく、はっきり溜息までついた。
「ううん――ほら、見て」メグは向かいの壁、クローゼットの入り口近くを指さした。クロ
ーゼットのドアは鏡貼りで、隣の壁にも鏡が貼ってある。「わからない? 鏡はほんのちょ
っぴり傾いてる――ちょうど目が錯覚するくらいだけ。部屋の角は本当の場所よりもドアに
近く見えてる」
 リディアはなおも目を細めた。「わかんないな」
 メグはラシーンを見やった。ラシーンはうなずいて同意を示し、歩み出た。「お見事です
ね、ミセス・アルトマン。気づくかどうか見ていたんですが。物件が回ってきましたとき、
これが存在するとは、私どもの事務所では誰も気づきませんでした」
「何が存在するって?」リディアは話についていけずに苛立っていた。
 ラシーンがウォール・ミラーの上に指を走らせていくと小さな音がして、壁が数センチ開
いた。それから鏡を手元に引き開けて裏返しにし、クローゼットのドアに押しつけると磁石
で固定された。鏡があったなめらかな壁にはごく細い垂直な割れ目があった。ラシーンが上
から下へと壁に圧力をかけていくと、壁はゆっくりと二つに分かれた。ラシーンは大きく開
けた。メグとリディアはすっかり魅せられ、前ににじり寄った。ラシーンがスイッチを入れ
ると、螢光灯の列が頭上で青く瞬いた。
「ここはパニック・ルームと呼ばれております」メグは、ラシーンの声がいつもの熱を欠い
て平坦なのに気づいた。自分が部屋のいびつさに気づかなければここのことを言わないつも
りだったのだと感じ、なぜだろうと訝(いぶか)った。

780 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:39:26.00 ID:bM1oJtVwC
「なんとまあ」リディアはにやにやしていた。「こりゃすごいわ。びっくりさせられること
だらけね。古いエレベーターの次はこれ」
「パニック・ルーム」メグはラシーンの様子をうかがった。みな壁に近づいていったが、メ
グだけは喉に手をやって後じさった。「すごく妙。パニック・ルームっていったい何? な
んだか恐ろしいわ」
「避難所ですな」ラシーンは素早く答えた。「昔風に言うなら城の本丸ということです」
「ねえ、こういうの見たことあるわ」とリディア。「フィフス・アヴェニューの、六十丁目
あたりの家を見せてたときに。八年か、ひょっとしたら十年くらい前のことで、だいぶ記憶
もあやふやなんだけど。だけど、こんな感じの秘密室だったような気がするわ」
 リディアとラシーンは中に入っていったが、メグは戸口で立ち止まり、目だけ動かして内
装を見てとった。真ん中で開く灰色の大型プラスチック・ケースには、大文字のプリントで
中身が記されていた。サバイバル用品の内訳は水、バッテリー、懐中電灯、工具類(メート
ル法とヤード・ポンド法両方)、衣類、毛布、軍用非常食、救急用品、調理用具、缶詰とさ
まざまな乾燥食品などだった。
 おそるおそる中に踏みこむと、背筋に冷たいものが走った。こんな部屋を欲しがるのは、
どういう精神の持ち主だろう? この部屋は、先のオーナーについて何を教えてくれるだろ
う? メグはお告げや虫の知らせを信じる質(たち)であり、この瞬間、その男の幽霊のような存在
がすぐ脇に立っているのを感じた――暗く息も詰まるほどに。何かを語っているんだろう
か? 警告しているのか? ほとんど肌に彼の存在が触れるのが感じられるようだった。

781 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:41:03.36 ID:bM1oJtVwC
「これはもう絶対に決まりよね」リディアは夢中だった。「想像してみてよ、真夜中に防犯
警報が鳴るとする。で、どうする? 警察に電話して何時間も何時間も、警官どもがサボリ
かましてるあいだひたすら待ってる? ガウン羽織っておそるおそる階段を降りて様子を見
る? いいえ、違うわ。これがあるんだから」リディアはドラマティックに腕を広げ、部屋
を抱きしめるような身振りをした。
 ラシーンは、リディアの熱狂に勇気づけられ、うなずいた。「まさしく芸術作品と言えま
しょう。壁にはスチールの芯が入っております。埋め込みの電話線は家のメイン回線とは別
系統です――警察に電話をかけるあいだ、線を切られる心配は無用です。独立した換気シス
テム、監視モニターが――」ラシーンは小さなビデオ・モニターが並んだ操作盤のスイッチ
を入れた――「家のほぼすべてをカバーしています」笑みは自然にこぼれるものでなく、自
己満足の作り笑いだった。「不測の事態への備えという点で言えば、これこそ究極の防御だ
と言えましょう」メグの方にふりむいた。「どう思われますか、アルトマン様? お子様も
いらっしゃいますし、子供を守るうえでこれ以上のものはございませんよ」
 メグは額に汗の玉が流れ落ちるのを感じた。「なんだか不安になるわ」
「なんで?」とリディア。「安心感を与えてくれるはずじゃない?」
「でも、そうならない」メグの声は甲高かった。「なんだか、エドガー・アラン・ポーを思い
だしちゃう」
「ポー? ポーがどうかしたの?」
「ポーっぽい感じがしちゃうのよ」

782 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:42:40.72 ID:bM1oJtVwC
 エヴァン・ラシーンは腕時計を見て、深く溜息をついた。
「メグったら。何馬鹿なこと言ってるのよ」
「そうかしら? ドアをこじ開けられそうになったら?」
 ラシーンはメグの後ろに手を伸ばし、背後の壁にあった赤いボタンを押した。突然叩きつ
けるような音とともに重たいスチール・ドアが壁から滑りだして閉じた。金属のラッチが内
部で上から下まで順に音をたてて閉まっていった。
「これがお答えです。スチール。とんでもなく分厚いスチール。予備電源が完全バックアッ
プ。停電になっても機能します。軍隊が来たって持ちこたえられますよ」
 リディアは笑った。「さすがじゃない、シドニーじいさん。あれだけ金持ってりゃ、誰か
には狙われると思ったわけね。それにあの親戚どもじゃあね。隠れ家が欲しくなったのも無
理はないね」
「リディア、穏当ならざる発言だな」ラシーンはリディアを睨みつけた。
「ドアを開けてちょうだい」とメグ。「ここは好きじゃない。息が詰まりそうで」
 ラシーンは肩をすくめた。「仰せのままに」
 緑のボタンを押すとドアは呻き声を出して、重たいバネをおしこごめて開き、すると戸口
にはサラが満面笑みで立っていた。サラは入ってきて、中を見回して言った。「わたしの部
屋。ぜったいわたしの部屋。モーリーンに見せてやるんだ。これってクールすぎ」
「すぐ出てきなさい」メグはパニック・ルームから出て囁いた。
「だけどすっごいじゃん」サラは言い張った。「何がいけないっていうの?」

783 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:44:27.17 ID:bM1oJtVwC
 メグは深呼吸して落ち着こうとした。何がいけない? 簡単だ。何もかもいけない。メグ
の上にはスティーヴンの影だけでなく、バルバドス島のハリソンズ・ケイヴの影もぶらさが
っていた。メグは今また、あの洞窟深くにもぐっていた。サラは七歳で、メグとスティーヴ
ンはまだ愛しあっており、生涯を共にするつもりだった。三人はトロリーに乗って、洞窟奥
深く五十メートルも、床や天井から物言わぬ歩哨のように立ち、ぶらさがる石筍(せきじゆん)や鍾乳石を
通りすぎて入っていった。闇と沈黙の深さは、死そのものと同じくらい深淵で、メグを屍衣(しい)
のように包みこんだ。突然、メグは息ができなくなった。叫ぼうとしたが、パニックで喉が
詰まった。トロリーのレールを握りしめ、正気で無事にここを通り抜けられるように、すべ
てがなんでもなかったとわかるようにと神に祈った。洞窟の恐怖が薄れるまでには長い時間
を要した(スティーヴンはとうとうメグのパニックを真剣にとらえず、そのことをメグは決
して許さなかった)。ドラッグのフラッシュバックみたいに、あのときと同じような恐怖に
襲われるのを感じた。
「このドアは危険じゃないの」リディアはなかば問いかけ、なかばラシーンを咎(とが)めるように
言った。
「ちっとも」
 ラシーンはまたボタンを押したが、今度はドアが閉まる直前にドア口に肩の高さで通って
いる小さな赤いビームに手をかざした。ビームが途切れると、ドアは半分閉まりかけたとこ
ろで止まり、呻きながら元に戻った。「ほらね? 赤外線だ――エレベーターと同じく。ビ
ームが遮られているときにはドアは閉じません。同じようなのが踵(かかと)の高さにも走っていま
す。これ以上に安全なシステムは設計できますまい」

784 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 02:46:19.37 ID:bM1oJtVwC
「ケツに火がついてでもいなきゃね」リディアはメグに笑いかけ、メグは表情のない顔で応
じた。
 ラシーンはそのセリフを面白がらなかった。「ご覧じろ!」と言って、ふたたびボタンに
手を伸ばした。扉が勢いよく閉じ、金属音が部屋にこだました。ほとんど間をおかず偽の壁
が低い音をたててひとりでに閉じ、そのあと鏡がクローゼットのドアの裏から離れ、音もな
く元の場所に戻って隠し扉を消し去った。すべてはなんの変哲もない普通の部屋に戻った。

785 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 07:43:18.56 ID:bM1oJtVwC
宇宙戦争
H・G・ウエルズ
宇野利泰[訳]
p234(解説『功罪相なかばするクラシック』福島正実)
 おそらく、この作品ほど、SFというものを、良い意味でも悪い意味でも、世界的にしたSFは、他にあるま
い。良い意味では、人類がこの世の唯一の高等動物ではないというSF的な考え方を世界的に普及させたという
ことだし、悪い意味では、SFとは宇宙怪物の地球侵略物語だという俗流解釈を一般にしてしまつたということ
である。

786 :◆p132.rs1IQ:2022/12/19(月) 10:57:05.61 ID:dSu1HPOaq
ブラックストーン・クロニクル 下
ジョン・ソール
金原瑞人/石田文子[訳]
p87
 ようやく一階に続く階段に向かって歩きはじめたとき、メリッサ・ホロウェイが悲しげに頭
を振った。「わたしたちは、ほんとうに正しいことをしているのかしら」メリッサは、たった
いま見終えた地下の部屋だけでなく、上の部屋のことも思い出しながら言った。「もしかして、
この建物は、まるごと壊してしまったほうがいいのかもしれない」
 ビル・マグワイアとエド・ベッカーは顔を見合わせた。「もう遅すぎる」弁護士が言った。「こ
の建物は頑丈だ。それに、もし取り壊すんだったら、もっと前にやるべきだった」冷たい笑み
が弁護士の顔に浮かんだ。「気味が悪いのはわかるよ、メリッサ。正直言うと、ぼくだってち
ょっとおっかない。しかしここで昔なにが起こったにせよ、もうほとんどだれも覚えちゃいな
い。この建物は、いまはただの歴史的な遺物なんだ」エドは一階にもどってくるとこう付け加
えた。「じっさい、ここは歴史的建造物に指定されている。たとえわれわれが望んでも、取り
壊すことはできないよ」

787 :◆p132.rs1IQ:2022/12/20(火) 10:06:00.34 ID:J8gs3hLlz
インベーダー
キース・ローマー
平井イサク[訳]
p144
 そこは照明の暗い、小さな、静かなバーで、この時間で
はまだ客もまばらだった。デイヴィッドは奥のボックスに
席を取り、スコッチの水割りを注文した。彼がそれに口を
つけるかつけないかのうちに、向いの席に大柄な男がすべ
りこむように腰をおろした。
「平服だと感じが違うな」デイヴィッドはいった。「何に
する?」
「ビールだ。一度軍服を着てるとこを見ると、みんな、軍
服を着て生れてきたみたいに思っちゃうんだよ。しかし、
軍服の下は、ただの民間人なのさ、ヴィンセントさん」ウ
ェイターがテーブルにグラスをおいて去っていくと、彼は
うなずいて、「基地で起るいろんなことに興味をもつ程度
には民間人なんだ」

788 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:17:07.69 ID:WFOAjpLTG
ホーム・アローン
トッド・ストラッサー
安岡 真[訳]
p53
オークパーク
十二月二十一日
午後七時三十分

 ケイトは、どうしたらよいか途方(とほう)にくれていた。
「もうこんな時間になっちゃったじゃないの」彼女(かのじよ)はケビンをしかりつけた。「あしたの
朝いちばんでパリへ行くっていうのに、あんたときたら、みんなを困(こま)らせてばかり」
「みんなこそ、よってたかってぼくを困らせるんだもん」
 ケビンはさけびかえした。
 ケイトはケビンを二階の廊下(ろうか)へ引っぱっていった。ふーっと息をはいて、なんとか落ち
着こうとしているのがわかる。

789 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:18:39.41 ID:WFOAjpLTG
 ほんとうは、子供(こども)たちに罰(ばつ)をあたえるのが大キライなのだ。もしケビンが素直(すなお)にあやま
って、あまえんぼうのガキじゃなくて、子供なら子供らしくふるまってくれれば、ケイト
は喜(よろこ)んでケビンを放(はな)しただろう。
「さあて、わたしの話をききなさいな、ぼうや(ヤングマン)」彼女はきびしい声で言った。「この家に
は十五人も家族がいるけど、まわりに迷惑(めいわく)をかけるのは、あなたひとりよ」
「まわりじゅうにいじめられるのも、ぼくひとりだもん」
 ケビンは泣(な)きながら言った。
「大声でさわぎたてるのは、あなたひとりなの」体じゅうの血液(けつえき)がふつふつと煮(に)えたぎっ
てくるのを感じながら、ケイトはさけびかえした。「さあ、うえにあがりなさい」
「もううえにいるじゃない、とんま」
 もうこれなんだから! ケイトはこんな腹(はら)のたつ思いをしたことがなかった。いったい、
この……この怪物(かいぶつ)がウチの家族にまざっているのはどういうことなの? 病院でなにかミ
スがあったにちがいないわ。赤ん坊(ぼう)を取りちがえたとか、そんなことが。とにかく、やる
べきことは、わかっている。

790 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:20:14.72 ID:WFOAjpLTG
「ママといっしょに来るのよ」
 ケビンの襟首(えりくび)をぎゅっとつかむと、彼女は言った。
「どこへさ」
 ケビンはあえぎあえぎきいた。
「あなたの知ってるところよ」
 ケイトが廊下のつきあたりにあるドアを開くと、せまいのぼり階段(かいだん)が、屋根裏部屋(やねうらべや)につ
づいていた。ケビンの目がまんまるくなった。
「屋根裏部屋?」
 ケビンはべそをかいた。
「はいりなさい!」
 ケイトは階段のうえを指さした。ケビンは、その屋根裏部屋に目をやった。まっ暗な屋
根裏部屋には、なにも置(お)かれていなかった。音がうるさくこだましている。
「こわいよ、ママ」
 ケビンの声は、なんとか窮地(きゆうち)をきり抜(ぬ)けたいという思いでいっぱいだったが、ケイトの
ほうは、もう腹を決めていた。

791 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:21:52.96 ID:WFOAjpLTG
「かんしゃく玉を破裂(はれつ)させるまえに、自分がやったことを、よーく考えてちょうだい」
 彼女はしかりつけた。
「ごめんなさい」
 ケビンは口ごもった。ママの足もとに身を投げだして、許(ゆる)してもらおうかとまで考えた。
「あやまってもらっても、もう遅(おそ)いわ」ケイトはきっぱりと言った。「さあ、おはいりな
さい」
 怒(いか)りのあまり、ケビンはぎゅっと唇(くちびる)をかみしめた。後悔(こうかい)しているふりをしても、なん
の役にもたちそうもなかった。
「ウチの家族はみんな、ぼくのことがキライなんだ!」
 とうとう彼は大声をあげた。
「そんなこと言うなら、ぼくに新しい家族をくださいって、サンタクロースにおねがいし
たら」
 ママがこたえる。
「新しい家族なんて欲(ほ)しくないやい」階段に足をかけると、ケビンはさけんだ。「家族な
んて欲しいもんか! 家族なんてくだらないや!」

792 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:23:34.51 ID:WFOAjpLTG
「行きなさい!」母親はさけび声をあげた。「今夜(こんや)はそこで寝(ね)るのよ。今晩(こんばん)はもう、おま
えの顔なんか見たくありませんからね!」
 ケビンはもう一段うえに足をかけた。「もう二度とママの顔なんて見たくないから。ほ
かのやつらだって見たいもんか!」
 ケイトは、まっ赤に怒(おこ)った自分の息子(むすこ)が階段をあがっていくのを見ていた。心のなかは、
いらだちと良心の呵責(かしやく)とのあいだを、行ったり来たりしている。
「本気で言ったわけじゃないわよね」と、ケイトは言った。「あした、目がさめて、だれ
もいなかったら、とてもさびしい思いをするわよ」
「するもんか」ケビンは言って、バタンと屋根裏部屋のドアを閉(し)めた。「もうおまえたち
のことなんて、二度と見たいと思うもんか!」

793 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:26:35.64 ID:WFOAjpLTG
危険な遊び
トッド・ストラッサー
石川順子[訳]
p127
 夕食時になると、また風が吹き出し、夜になるにつれて激しくなった。外では、葉
を落とした茶色の枝がざわめき、枝を吹き抜ける風がビュービューと鳴っている。ヘ
ンリーの部屋で、マークはシーツと毛布にくるまって何度も寝返りをうった。
 何かが彼を呼んでいる。
「マーク? マーク、聞こえる?」
 母さん!
 あたりを見回すと、彼は森の中にいた。
「母さん?」
「ここよ、マーク」答えが聞こえた。
 だが見えるのは、ざわめく木々だけだった。木々の枝が、万華鏡の模様のように、
ゆっくりと回っている。
「見えないよ!」マークは叫んだ。
「ここよ」
 だが今は母の声さえも、万華鏡のように四方八方から聞こえてくる。

794 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:28:14.36 ID:WFOAjpLTG
「どこなの?」マークは泣きそうになって叫んだ。
「ここよ……ここ……ここ……ここ……ここ……」
「どこ?」マークは泣いていた。
「どこ? どこ……」
 目が覚めた。何だ? あの木は? どうしてあんなに急に暗くなったのだ?
「母さん?」声に出してみた。
 外では、それに答えるように風が吹きすさぶ。マークはベッドに寝ているヘンリー
の黒い影を見た。
 夢だったのだ。ただの夢。
 それとも?
 低く軋るような音がして、部屋のドアがかすかに開いた。廊下から光が筋になって
差し込んだ。
 ドアを開けたのは誰だろう? 風だろうか?
 突然、誰かが廊下を通り過ぎた。ちらっと見えただけだったが、女の人だというこ
とだけはわかった。
 白い服を着ていた。
 母のクロゼットに掛かっていたような。
「母さん?」マークは囁いてみた。いや、まさか。
 でも、それじゃ?

795 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:29:50.54 ID:WFOAjpLTG
 返事はなかった。だが母にそっくりだった。きっと母さんだ。母さんが戻ってきて
くれたのだ。今日の午後、あんなに母さんのことを喋ったから……。
 マークはベッドから出ると、素足のままドアまで行った。そしてドアを引き開け、
廊下を見た。誰もいない。どこに行ってしまったんだろう?
 階段まで行き、下を見た。とたんに、心臓が喉から飛び出しそうになった。いた!
白い服を着た人が階段を下りていく。その人は小さなテーブルの前で立ち止まり、背
中をマークに向けて、テーブルの下の引き出しを引っ張った。
「母さん?……」
 信じられない。マークは、彼女を驚かせまいとするように、忍び足でゆっくりと階
段を下り始めた。大きな音をたてたら最後、怯えたウサギのように逃げられてしまう
ような気がする。階下まであと数段というところまで下りた時、階段が軋んだ。
 母がその音に振り返った。
 母ではなかった。
 スーザン。
 マークの望みは海岸に打ち寄せる波のように砕けた。脚から力が抜けていき、彼は
へなへなと階段に座り込んだ。
 どうして? 母さんのはずだったのに、おばさんだったとは、どうして?
 スーザンが振り返り、怪訝な顔でマークをじっと見つめた。
「マーク?」

796 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:31:36.06 ID:WFOAjpLTG
 決まっているじゃないか。母さんのはずがない。
「マーク、どうしたの?」
 スーザンがマークのほうに来た。
 マークは黙って伯母を見つめた。下唇が震え、涙があふれてくる。きっと母さんな
のだ。ただ……ちょっと変わっただけなのだ。
 おばさんは母さんみたいなところがあるじゃないか。穏やかで、優しくて、よくわ
かってくれて。
 やっぱり、母さんが戻ってきてくれたんだ。どこかに。
 おばさんの中に。
「マーク?」スーザンの怪訝な表情がはっきりと不安に変わった。
「やっぱり」マークは囁いた。「帰ってきたんだね。きっと帰ってきてくれると思って
た」
 スーザンは茫然とマークを見た。
「おばさんはどこにも行かなかったわ。ずっと家にいたのよ」
 もうだめだった。アリス・ダベンポートに向かって言葉がほとばしり出たように、
心の奥に抑えつけていた悲しみがほとばしり出した。マークは両手に顔を埋めて、す
すり泣き始めた。母が病気になってからずっと堪えていた、ありとあらゆる苦しみや
辛さ……それが一気にあふれ出した。
 スーザンがそばに来て、彼女の両腕に抱かれるのを感じた。だが、もうだめだった。
心の中に押し込めていた何もかもがあふれ出した。

797 :◆p132.rs1IQ:2022/12/21(水) 17:33:08.18 ID:WFOAjpLTG
 スーザンはマークを両腕に抱きしめ、あやすように揺らした。それだけでは慰めら
れないとわかっていたが、それ以上どうしようもなかった。
 すすり泣きを聞きつけて、ウォレスが書斎から出てきた。そして彼は廊下の奥にあ
るドアの前に立って、そっと二人を見守っていた。
 だがほかにも二人を見ている者がいた。階段の一番上の踊り場にパジャマ姿のヘン
リーが立って、自分の母親が従兄弟を抱き、父親が書斎の戸口に黙って立っているの
をじっと見ていた。
 どうして母さんはあんなことをする?
 母さんは僕の母さんで、マークの母さんじゃない。母さん、そんなことしないでよ。
彼はそう思っていた。

798 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:39:31.28 ID:9JcdGlsq8
呪われた者たち
ジョン・D・マクドナルド
吉田誠一[訳]
p169
 もう真夜中だったが、対岸には一台の車が待っていた。ほ
かの車はみんな行ってしまった。一台の車が獣のように対岸
にうずくまって、渡らせろと吠えたてている。マヌエルは重
い渡し板を持ちあげようと、しゃがみこんだが、驚いたこと
に、背を伸ばすことができないのだった。彼は棒のようにな
った足をひきずって浅い水から出て、乾いた土の上に上がる
と、すぐさま坐りこんでしまった。
 ヴァスコスがなにやら叫びながらやってきた。「ほう?
ほう? お休みですかい?」
「もうこれ以上は動けませんよ。歩いて家に帰れそうにもあ
りませんよ」
「こんなに金(ペソ)をかせいだ日があったかね? それなのに、こ
れがおまえさんの感謝の仕方かね?」

799 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:41:01.16 ID:9JcdGlsq8
「あんただって、こんなにかせいだ日はないでしょうね、ヴ
ァスコスさん。しかも、あんたはちょっとも働いちゃいな
い。ちょこまかと歩きまわって、イタチのことを思い出した
ニワトリみたいに、腕をバタバタやっていただけでしょう」
「おい、侮辱はゆるせんぞ、マヌエル」
「もっとはやく腕をバタバタやってほしいもんだ。風が出て
涼しかろうって」
「命令だ。働け」
「ヴァスコスさん、ほんとに動けないんだ。もうだめだ」
 ヴァスコスは溜息をついた。「たぶんウソじゃあるまい。
おまえさんはいちばんよく働いた。家へ帰っていいよ、マヌ
エル。あしたは午後から仕事にくるだろうね?」
「たぶんね。あんまり眠りが深くって死んでしまわなければ
ね」
 彼は川岸に坐り、最後の車を運んでからフェリーが向こう
岸へ渡るのを見ていた。重すぎて渡し板を渡れないトラック
が、灯を消して陰にたたずみ、夜明けを待っていた。あすに
なれば、鋼鉄製の斜路(ランプ)が使えるだろう。

800 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:42:30.64 ID:9JcdGlsq8
 マヌエルはしばらく星を眺め、大きな溜息をつき、立ち上
がった。ポケットに軽く手を触れた。ペソの札束のふくらみ
が心地よかった。たった一日の労働に対して、半月分の報
酬。しかし、なにも不当なところはない。きょうたった一日
で、たっぷり半月分の仕事はした。あのばかばかしいフェリ
ーを廃止するか、マヌエル・フォルノが辞(や)めるか、だ。
 ふるえる足をひきずりながら、彼はどこまでも丘をのぼっ
ていった。頂上から百ヤードばかり行ってから、右にくねく
ねとまがって消えている小道にはいった。虫が夜の草むらで
鳴いていた。猛烈なあくびが彼を襲い、まぶたがとじ、足を
とられてふらついた。ああ、眠りたい! いつまでも、やす
らかに、ぐっすりと眠りたい。彼の草ぶきの小屋は、頂上を
こえたところの、猫のひたいのような、焼けた土地に立って
いる。峰を越え、視界がひらけたとき、星明りにかすかな影
を投げている自分の家がまず目にはいった。あけはなたれた
戸口から、木炭コンロの上に、桃色がかったかすかな明りが
見えた。

801 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:44:05.87 ID:9JcdGlsq8
 彼はかかとをガクガクさせながら、だらしなく坂を下って
いった。近づくにつれ、ロザリータのぽっちゃりした姿が見
えてきた。彼はほほえみながら、彼女を見おろした。壁を背
に、ひたいを膝にのせている。待ちくたびれて眠ってしまっ
たのだ。
 彼はしゃがみこんで、やさしく彼女の肩に手をおいた。彼
女はハッと目をさました。
「帰ってたの!」
「いや、そうじゃない。おれはロバみたいに働いて、働きす
ぎて死んじまったんだ。おれはお化けで、かつてしあわせだ
った生活を思い出して訪ねてきたのさ」
 彼女は立ち上がった。「お化けの冗談なんかやめて。それ
に、そんな大きな声を出さないで。子供が起きるわ」
「朝から晩まで、命令、命令だ。マヌエル、これをしろ。マ
ヌエル、あれをしろ。フェリーをかついであっちまで渡るん
だ、マヌエル。うちへ帰ってまで命令されるのか」
「あたし、二度行ったのよ。二度とも、ヴァスコスは、とて
も遅くなるって言ってたわ、二度とも、あんたはあっちの岸
に行ってたわ。まず、食べなきゃだめだわ」

802 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:46:01.27 ID:9JcdGlsq8
「そんなら、顎を手でもって、噛ましてくれなきゃだめだ」
「おなかがすいてちゃ眠れないわよ」
「腹がすいてたって眠れるさ。火の上だって眠れるさ。壁に
足をくくりつけてくれれば、逆立ちのままだって眠れる。い
いかい、眠りの世界記録を作ってやるぞ」
「食べなきゃだめよ、マヌエル」と、ロザリータは言い張っ
た。
 彼女は家にはいった。彼は彼女が坐っていた場所に坐っ
た。やがて、油のはねる音がして、戸口から匂いが流れてき
た。彼はどうにか立ち上がり、水ガメを持って外に出て、頭
から水をかぶった。指で髪を撫でつけた。ときどき、脚が不
快にけいれんした。
 彼女が食事を運んできた。仔山羊のやわらかい肉をはさん
だ、からりと揚がったタコスだった。噛んでみて、のみこめ
ることがわかった。ほんとうはとてもひもじかったことがわ
かった。それに、特別のものがついていた。彼女が工夫して
冷やしておいた黒ビールが一本ついたのだ。その瓶には見覚
えがあった。特別の場合のためにとっておいてくれたのだ。
彼が疲れていたので出したのだ。

803 :◆p132.rs1IQ:2022/12/22(木) 08:47:36.77 ID:9JcdGlsq8
 不測の事態に備えていくらかとっておくのをあきらめ、彼
はペソの札束をひっぱり出した。
「これが……これが、みんなお札なの?」
「うん! 一ペソ札は五枚しかない。あとはみんな五ペソ札
だ」
「誰から盗んできたの?」
「おれの老後からだよ。きょうみたいな日があったんじゃ、
早死にするよ。みんな悲しんでくれるだろうよ。ヴァスコス
はひどく泣くぜ。おれみたいな馬車馬はもう見つかるまいか
らな」
「コンチータに洋服を買ってやろうよ」と、彼女は歌うよう
に言った。「ランプに油、ラモンに靴、カルロスに帳面を買
ってやろうよ」
「それでみんなふっとんじまうのか」
「そうでもないわ。銅貨一枚ぐらいは残るだろうから、とっ
ときなさいよ」
「独身のときは幸福だったな」
「不平は言わないで。どんなことがあったのか話してちょう
だい。なにかおもしろいことでもあった?」

804 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 03:04:01.99 ID:Q5xG5hFAX
闇の教室
ジョン・ソール
脇田 馨[訳]
p19
 頭がいいということのどこがそんなにいけないんだ? 読んだものが片っ端から記憶される
のは彼のせいじゃないし、代数を暗算で解けるのも彼のせいじゃない。それに、誰かほかに先
生の質問に答えられる生徒がいたわけでもない。おべっか使いみたいに、ひらひら手を振った
のでもなかった! それに、この夏はほとんどアメリカの歴史に関する本を読みあさってすご
したのだから、ほかの生徒には歯が立たない質問でも、彼にはしごく簡単だったのだ。
 そういうわけで、今度もまた教室の中にいれば退屈だし、教室を出ればひとりぼっちという、
いつ果てるともしれない一年がはじまろうとしていた。

805 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:08:52.33 ID:Q5xG5hFAX
トワイライトゾーン
ロバート・ブロック
安達昭雄[訳]
p90(『ブルーム』)
「あなたはいかがでしたの? 何をして遊びました?」
ブルームはほほえんだ。
「缶蹴りです」
「あれはおもに男の子たちの遊びでしたね」デンプシー夫人が言った。「亡くなったわたし
の夫のジャック・デンプシーは――あの拳闘家のデンプシーじゃありませんことよ――この世
でいちばんの紳士でしたわ……その彼が缶蹴りが大好きでしたの」
 コンロイ氏が椅子の中でもじもじした。
「つまりこのおしゃべりの要点は何なんだ? あんたはなぜ過去を粉飾するんです、ブルー
ム? 健全じゃないね、そんなのは」
 しかしデンプシー夫人は彼を無視した。
「先ほどの話ですが、夫はほんとうに好きでしたの、ブルームさん。彼のお母さんは、彼が
遊んでいるところを見つけると、いつも叱(しか)っていたものです。また、靴をだめにしたのね、な
んて言ってね」
「おはじき遊びがあった」ワインスタイン氏が彼自身の思い出の列車に乗って、うなずきな
がら言った。「女の子にはそいつがありましたよ」

806 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:10:28.98 ID:Q5xG5hFAX
「それらのおはじきをどう呼んでいたか、まだおぼえていますか?」エイジー氏がたずね
た。
 ワインスタイン氏がすばやく手を振った。
「言わないで……いま考えているんです。アゲート、ピュレー、ラガー……」
 デンプシー夫人が吐息をついた。
「子供だったってこと、すばらしかったわ。心配することなど何もなかった。人びとがいつ
も気をつけてくれてたんですもの」
「ここでだって、気をつけてもらえるじゃないですか」コンロイ氏が苦い笑いをうかべてい
った。「ミス・コックスがすっかり世話をしてくれ、あなたは何ひとつする必要はない」
 デンプシー夫人は聞いてはいなかった。
「お友だちも大勢いて、それにおもちゃなんかも……」
「おもちゃだって?」コンロイ氏があくまで彼女の注意を引きつけようと、声を高めた。
「ここにだって、あなたが死ぬまで使えるおもちゃがありますよ。酸素タンク、人工呼吸用具、
湯たんぽ――それぞれみんな役に立っている」いまや彼の声には苦々しい響きがこめられてい
た。「あなた、友だちがほしいんですか? だったらブルームさんが友だちになろうとしてい
るじゃないですか。そしてみんなをかき立てようとしている……そうじゃないのかね、ブルー
ム?」

807 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:12:00.84 ID:Q5xG5hFAX
 ミュート氏が眉間(みけん)に皺を寄せ、方向転換をはかった。すばやく身をかがめて、ワインスタイ
ン氏に話しかけた。
「ところで、あの粘土のおはじき、なんて呼ばれてたっけね、ハリー」
 しばらくのあいだワインスタイン氏は黙って坐っていた。ほかの仲間もそうだった。コンロ
イ氏の言葉に急所をつかれ、衝撃をうけたのだった。
 エイジー氏がもう一度たずねた。「どうでしたかね、ハリー?」
ワインスタイン氏は肩をすぼめ、みじめな吐息をもらした。
「さあね、わたしはもう思い出せない」
ブルームが身を乗りだした。
「いえ、思い出せますとも。あの粘土のやつはエミズですよ」
「そう、そうでした」ワインスタイン氏は顔を上げ、うれしそうにうなずいた。「エミズ…
…思い出しましたよ!」彼は微笑した。「ありがとう、ブルーム。あんたはほんとうにりっぱ
な人だ」
 ブルームは半円形に坐る仲間たちの顔を考え深げに見やった。そして彼が語りかけると、み
んなが注意を寄せた。
「われわれが遊びをやめた日、それがわれわれが年をとりはじめた日です。時計を見つめは
じめ、日々がうち過ぎてゆくのを見守り、週をかぞえ、月をかぞえ、年をかぞえはじめる。そ
れがまるで永久に続いていくかのようにです。自分たちの時がいつかはなくなってしまう、と
いうことをけっしてわかろうとしない。そしてそこがわれわれが間違いをおかしたところなの
です」

808 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:13:33.74 ID:Q5xG5hFAX
 彼はゆっくりうなずいた。
「われわれは数をかぞえはじめるべきではなかったのです。急いで成長すべきではなかった
のです。なぜって、いったんかぞえはじめると、もう止まらないからです。時計はすすみつづ
け、人生をけずりとっていく。でも、遊んでいるとき、われわれは時間のことなど気にかけな
かった。いつも何かその先に楽しみが……かくれんぼする機会が、バッターボックスに立つ順
番が、缶蹴り遊びがあったものです……」
 彼は話を中断し、沈黙している一同の顔をじっと探(さぐ)った。「それで、どなたがやられます?」
 ワインスタイン氏がびっくりして、目をしばたたきながら彼を見た。
「なんですって?」
ブルームはにっこり笑った。
「缶蹴りをはじめようと思うんです! どなたかやりますか?」
コンロイ氏が首を振った。
「最後に転んで、ひとりでは立ちあがれなかったのはいつだったね? 誰かを外へ誘い出し
て、残り少ない人生を危険にさらすなんてことがよく頼めるものだ!」
「言ってみれば、人生そのものが一つの危険なんですよ、コンロイさん。それになにも、自
分の気のすすまないことをしてくれと頼んでいるわけではないんです。しかし、遊べば、ひょ
っとしてわたしたちみんなが失いかけているものを……わずかながらも、若さを取り戻すこと
ができるかもしれませんよ」

809 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:49:41.30 ID:Q5xG5hFAX
トワイライトゾーン
ロバート・ブロック
安達昭雄[訳]
p114(『ブルーム』)
 ひざまずいて、彼女は芝生を捜しはじめた。みんなも彼女を手伝った。
彼らの手が、芝生のあいだを絶望的にまさぐった。デンプシー夫人が首を振った。
「もう一度若くなりたいなんて、わたしほんとうに願ったわけじゃない。ただ、踊ってみた
いと思っただけよ! 年齢(とし)をとってても踊れるわ」
彼女のかたわらで、ミュート氏がうなずいた。
「わたしだって、学校へは二度と行きたくないな」
「学校は苦にならないが」ワインスタイン氏が言った。「また四十年間働けというわけか。
よしてもらいたいね!」
 そのあと、彼は妻がまたはだしでいることに気づいた。ベンチの近くに脱ぎ捨てられた、ば
かでかい靴を指さしながら、彼女に命じた。「あれをはきなさい。ここでは誰も死んでおら
ん!」
 夫人はその命令にしたがった。しかし、死という言葉が、少女っぽい彼女の顔に悲しみの表
情をもたらした。
「わたし、愛している人たちを二度と失いたくないわ、つぎつぎに。父が死んだ夜のことを
よくおぼえている。彼を納棺したあと、みんなはわたしたちを外へ出したの。ハレー彗星(すいせい)を見
たわ」

810 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:51:11.47 ID:Q5xG5hFAX
「わたしはまだ小さくて、ハレー彗星は見なかったわ」デンプシー夫人が彼女に言った。
「八十で見ることになっていたの」
 ブルームが優しく言った。「あと二回の誕生日じゃないですか、デンプシーさん。八歳で見
たいか、それとも八十歳で見たいか、どちらです?」
 デンプシー夫人は手を伸ばして、芝生から子猫を拾いあげた。
「八十でよ」彼女はつぶやいた。
ブルームはうなずいた。そして手をさし出した。
「ほら――あなたの指輪が見つかったらしい」
感謝の笑みをたたえながら、デンプシー夫人は大きな指輪を小さな指にはめた。
「わたし、まだずっとこれを持ちつづけていたいの。思い出といっしょに」
「わたしもよ」ワインスタイン夫人が言った。「いろんなことがあったけど、いままでの人
生に満足だわ。やはり、一度に一日ずつ年齢(とし)をとるべきよ」
「わたしもそう思う」彼女の夫が言った。「一日一日を少しばかり良くするよう心がければ
いいのだ」
 ブルームはほほえんだ。
「そういうことでしたら、みんなベッドへ戻りましょう。おそらく目がさめたときには、も
との老人の身体になっているでしょう――ただし、若々しい新鮮な心を持ってね」

811 :◆p132.rs1IQ:2022/12/23(金) 07:52:51.69 ID:Q5xG5hFAX
 缶を拾いあげると、彼は裏のドアへ向かった。みんなも彼のあとにしたがった――笛吹き男
のあとを追う子供たち。
 ただ、エイジー氏だけが気がすすまない様子だった。
「話し合うってことはできないのかね? わたしはまだ疲れてはいないよ!」
「いつまでもこんなふうにやっていけるものではないんだ」ワインスタイン氏が言った。
「しばらくのあいだだからおもしろいが、残りの人生を缶蹴りして過ごすなんてことを、誰が
望むと思う」
 ブルームがドアをあけて、合図を送った。
「さあ、はいって」彼はささやいた。「でも、忘れちゃいけませんよ……音を立てちゃだめ
です」
 彼らはひとりずつ彼の前を通って廊下へはいり、忍び足で静かに歩いていった。ミュート氏
がしんがりだった。戸口にさしかかったとき、彼はふと足を止め、ブルームが手にしているブ
リキ缶を見あげた。
「ひとつ質問があるんだが」彼はつぶやいた。「あなたにどうしてこんなことができたのか、
わたしにはまだわからない。その缶になにか魔力みたいなものがあるんですか?」
「そうでもないんです」ブルームはそう言って缶を投げた。それは月光の中を飛んでゆき、
向こう側の暗がりの中に落ちていった。彼はにっこり笑った。
「魔法はあなた方自身の中にあるのですよ」

812 :◆p132.rs1IQ:2022/12/26(月) 04:46:41.65 ID:3CMCJms9Q
ドノヴァンの脳髄
カート・シオドマク
中田耕治[訳]
p102
「W・Hは私の人生のすべてでした。自分がその一部だつた
ものを、どうして憎んだりできましようか? W・Hが私を
退けたとき、私には、もはや生きるためのものが何も残つて
おりませんでした。家族があるわけでなし、友達一人おりま
せんので。友人を得るためには、寛容で、しかも関心を持た
なければなりませんが、長いあいだの歳月で、私たちはます
ますお互に譲りあうことが少くなつてきました。友情を持ち
つづけなければならないのですが、私は自分が空虚になつて
くるのです。人間には二種類の型がありますね、創造的な人
と、模倣する型と。私は後者です。そうした人間は、外部か
ら啓示をうけなければ、まつたく無力ですよ」

813 :◆p132.rs1IQ:2022/12/26(月) 07:11:26.69 ID:cKtx22lHc
暗い森の少女
ジョン・ソール
山本俊子[訳]
p426
「たとい準備していても防ぎようがなかったと思いますよ。あまりにも急速にやって来たんです。
いっきょに陥没してしまった。何と申し上げていいか……」とフェルディングは言った。

814 :◆p132.rs1IQ:2023/01/04(水) 05:35:44.87 ID:mouxKebs2
戦慄の絆
バリ・ウッド&ジャック・ギースランド
日夏 響[訳]
p441
 時刻は八時半、店はほとんどがら空きだった。金曜日の夜はキャシーといつもそうしていた
ように、彼はショッピング・カートに食料を詰めこんだ。生肉、野菜、そして、彼らが若いこ
ろいつも買っていたとくべつの奢り。アンチョビー、瓶詰のオリーブ、罐詰のギリシア風前菜。
ふいに、彼の頬を涙がつたい、彼はあわてて、ぎっしり詰まった車を店の奥にある肉用の秤の
そばまで押してゆき、そこで壁にもたれてうつむいた。彼は声を出してすすり泣いていたわけ
ではないが、そばを通る人々は異様なものを見たように、そそくさと離れていった。
 ようやく彼はハンカチをとりだすと、目と顔を拭い、ふたたび車を押しだした。こんどは、
生鮮食品類はすべて棚にもどし、テレビ・ディナーのパック、野菜、罐入りスープ、罐入りス
パゲッティを買った。
 会計カウンターに行くと、係の女はショッピング・カートから荷をとりだすのを手伝いなが
ら、「まるで包囲攻撃にそなえているみたいですね」といった。
「え、なんだって?」
「だって、罐詰類ばっかりよ――防空壕でもこしらえるみたいね」

815 :◆p132.rs1IQ:2023/01/05(木) 06:07:47.94 ID:WIswUR82/
ザ・コア 地球が復讐する日
ディーン・ウェズリー・スミス
高山 森[訳]
p104
 世界が終末を迎えようとしている事実を知っただけでも大変だったのに、ましてそれを
阻止するチャンスが少しでも残っているとは、さらに驚くべき事実だった。ジョシュはま
だ夢を見ているような心地だった。自分の目で確かめたとはいえ、ブラズルトン博士の発
見がにわかには信じられなかったのだ。
 ただ、実験で何かを動かすのと、究極の難しい条件のもとで大規模な建造物を作動させ
るのはまったく別次元の話だった。たとえ目標地点に行き着いたとしても、この惑星の核
を再び回転させられるかどうか、ジョシュにはまるで自信がなかった。
 しかも、時間的な余裕はまるでなかった。
 だからこそ、ふたりはこうしていまニューヨークにいた。ふたりは人類文明に対する多
少の時間稼ぎをしていた。史上まれに見る隠蔽工作にとりかかろうとしていたのだ。あま
りにも壮大な計画なので、ウォーターゲイトがままごとに思えるほどだった。

816 :◆p132.rs1IQ:2023/01/05(木) 06:09:25.22 ID:WIswUR82/
 正直なところ、ジョシュは、ぜひとも完遂しなければと心の底から賛同していたかと思
うと、次の瞬間にはもう嫌気がさしていた。世間の人たちだって自分の命運が尽きかけて
いるのをどこかで知っておくべきだ、と思う自分がいた。しかし、そう思ったそばから、
またすぐに気が変わり、それを知ったところで何の意味があるんだと思い至るのだった。
暴動、殺人をはじめ、文明がなんとかとりつくろってきた、人間のありとあらゆる醜い部
分が一気に噴き出すだろう。
 来るべき事態を知っているジョシュと限られた人間は、成功のチャンスがいかに少ない
とはいえ、少なくともその事態を修復する努力を払わねばならなかった。そして、そうす
るには、地球全体を向こうにまわして、世界の人たちに対して、嘘をつくしかなかった。
それこそが、唯一残された道だったのだ。

817 :◆p132.rs1IQ:2023/01/07(土) 02:29:37.11 ID:Tbml7jdYC
暗い森の少女
ジョン・ソール
山本俊子[訳]
p140
「うそ、そんな話」とエリザベスが言った。
 ジャックは首を振った。「これがうそなら、お前のおじいさんがおとうさんにでたらめを言っ
たことになる」
「でも、どうしてそんなこと、したの?」とエリザベスが聞いた。
「それはだれにもわからない」と言ってジャックは肩をすくめた。「もしわかったとしても、人
には言わなかったんだろう。それはともかくとして、その話をおばあさんにしても、おばあさん
は驚かなかったそうだ。そういうことが起こるだろうと思っていた、というようなことを言った
んだね。そして、それから後は、そのおばあさんは、だれがいつ死ぬか、みんなに予言したそう
だ。二日眠っているあいだに、そういうことをみんな夢に見たというんだよ」
「それで、いつもちゃんと当たったの?」エリザベスは疑わしい、という顔で聞いた。
「そりゃあわからないよ。話ってものは大げさになるからね。たいていは当たらなかったかもし
れないが、当たった時のことは忘れないもんだからねえ。毎日のように、だれが死ぬだろう、と
言っていたのかもしれない。そのうちに、そう言われた一人が死ぬことだってあるだろう。天文
学みたいなものさ。あまりいろいろ言うものだから、中の一つや二つは当たるのさ」

818 :◆p132.rs1IQ:2023/01/09(月) 14:50:01.06 ID:xtSGO+jx7
そびえたつ地獄
リチャード・マーティン・スターン
井坂 清[訳]
p84
「きみは、エレベーターに乗っていたのが何者なのか、頭
から離れないんだな?」ギディングズは訊いた。「だが、
なぜだ? 言ってくれ。いったいなぜなんだ?」
「わかりません」それは事実だった。が、一方で予感のほ
うは、確信に近いかたちで継続している。「あんたは大柄
だ。バーでけんかをしたことがありますか?」
「一、二度な」ギディングズは、楽しくもなさそうにかす
かな微笑を浮かべた。
「そのけんかの原因は、小柄な男が酔っぱらって調子をあ
げ、腕っぷしの強いところを見せる気になって、あんたが
いちばんでかいので、相手に選んだというようなことはな
いんですか?」

819 :◆p132.rs1IQ:2023/01/09(月) 14:51:35.64 ID:xtSGO+jx7
 ギディングズは、しばらく考え込んでから、口を開いた。
「続けてくれ」
「詳しいことは知りませんよ。ぼくは、建築技師ですから
ね。ほかに知っているのは馬のこととか山のこと、それに
スキーのこと――まあそんなところです。人間のことは、
よくわかりません」
「続けるんだ」ふたたびギディングズが言った。
「もしもですよ。注目されたいばかりに風変わりなことを
やっても、誰の関心も集められない男がいて、こうなった
ら、その――爆弾しかないと思い込んだとすれば、そいつ
をどこへ仕掛けますかね? 飛行機に仕掛ければ、大勢の
人びとの関心を集めますよね。しかし、そんな連中は、小
型機には仕掛けない。決まって、でっかいジェット機だ。
あるいは世界中に知られている混雑した空港のこともある
――ティーターボローとかサンタ・フェではだめなんで
す」

820 :◆p132.rs1IQ:2023/01/09(月) 14:53:09.58 ID:xtSGO+jx7
 ギディングズは、グラスを取りあげたが、口をつけない
まま下へ置いた。
「きみは、飛躍しすぎている」彼はそう言ってからつけ加
えた。「そうであってほしいね」
「ぼくだって、そう願っていますよ」ナットは、さっきよ
り冷静になり、奇妙なことにあきらめに似た気持を感じて
いた。「あのビルは、いちばんでかいんです。しかもきょ
うは、みんなが見ている。あれを見てください」彼は、バ
ーのうしろに置かれたカラー・テレビを指した。
 ボリュームを落としたそのテレビの画面には、ワールド
・タワー・プラーザ、警察が設けた柵、そして賓客がちら
ほらと見える臨時の演壇が写っていた。賓客が階段をのぼ
って来るのを、襟にカーネーションを差したグローヴァー
・フレイジーが、微笑を浮かべ、両手をひろげて迎えてい
る。楽団が演奏しているが、その音楽はバーの店内ではか
すかに聞こえるだけだ。

821 :◆p132.rs1IQ:2023/01/09(月) 14:54:44.11 ID:xtSGO+jx7
「あんたは、落成式をやめさせたかったんだ」とナットが
言った。「ぼくもそうでしたよ。その気持は、いまのほう
がもっと強いのに、理由をはっきり言えないんだ――ほら、
ごらんなさい」
 テレビ・カメラが、演壇と賓客を離れて、柵のうしろの
群衆を写し出した。カメラに向かってあちこちで手を振っ
ている。カメラは、手書きのプラカードに焦点をあわせた。
戦争をやめろ!≠ニいうのがある。爆撃をやめろ!
という要求もある。プラカードは、怒ったように揺れてい
る。カメラが方向を変え、別のプラカードをズーム・アッ
プした。この怪物ビルに何百万ドルも! だが福祉はど
うなっている?

822 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 06:53:00.16 ID:6GX1O2wad
そびえたつ地獄
リチャード・マーティン・スターン
井坂 清[訳]
p88
 上院議員ジェイク・ピーターズは、下院議員ケアリー・
ワイコフとラガーディア空港からタクシーに乗った。二人
は、ワシントンからシャトル便でいっしょに飛来したのだ
ったが、ワイコフの頭にはその畿内での会話の一部がまだ
こびりついている。会話は、ワシントンのナショナル空港
の滑走路にいるとき、なんとなく始まった。座席のベルト
を締めながら、ピーターズ上院議員が言ったのだ。
「昔は、鉄道を使うしかなかったものだ。戦争前のことだ
がね。きみは、憶えていないだろう?」
 ケアリー・ワイコフは、憶えていなかった。彼は三十四
歳、下院当選二期めである。だから、朝鮮戦争でさえ彼の
時代以前のことで、ジェイク・ピーターズの言う第二次世
界大戦は、もちろん記憶にない。
「ぼくを子供扱いするんですね」とケアリーは言った。

823 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 06:54:37.20 ID:6GX1O2wad
「ただ羨ましいのだよ」とピーターズ上院議員はにやにや
笑った。「わたしは、もう一度きみくらいの年齢にもどっ
て、やりなおしたいと思っているのだ」
「いまの時代にですか」とケアリーは訊いた。「それとも
昔にもどって、ですか?」彼は、こんなふうに考えたこと
がなかった。若返りの願望は純粋な郷愁なのか、それとも
傍観者として、時代の推移を眺めたいという願いにすぎな
いのか? まったくのわがままなのか、それとも知的好奇
心なのだろうか?
「いまだよ」上院議員は言葉を強めた。「わたしは、過去
に未練はない。わたしがワシントン入りしたのは、一九三
六年だった。大恐慌は、いまでは言葉のうえのことにすぎ
ない。しかし当時は化膿性の病気みたいで、治療がはかど
っているといくら自分に言い聞かせても、現実には、患者
にアスピリンをあたえ、開いた傷口にバンド・エイドを貼
りつけるくらいしかできず、死なないようにただ神に願う
だけ、というありさまだった」
 年配の政治家のこうした話にたいして、ケアリーはいつ
も守勢に立つような気がした。

824 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 06:56:09.39 ID:6GX1O2wad
「いまだって、われわれは問題をかかえていますよ。あな
たも、それは否定しないでしょう?」
「ほう。きみがそんなくだらないことを言うとはな。昔と
違って、いまは事態を改善する手段がある。われわれには
知識、富、生産力、流通手段、コミュニケーション――な
かでも重要なのはコミュニケーションだが――とにかくい
ろいろある。ところがあの当時は、ヒステリーと絶望だけ
だった」
「知識ですって?」ケアリーが訊いた。「ぼくにはどうも
――」
「わたしは、考えたうえでこの言葉を使ったのだ」上院議
員は鋭く言った。「われわれに、知識はある。問題なのは、
それを適切に用いる知恵があるかどうかだ。だからわたし
は、きみの年齢にもどってやりなおしたい。イヴがりんご
をアダムにあたえていらい続いてきた世界より、もっとま
しにできるはずのこの現在の世界でな。ところで、あれが
ほんとうにりんごだったかどうか、わたしはおかしいと思
うね。エデンの園があったとされるメソポタミアに、りん
ごがあったという話は聞いたことがない。きみは、それに
ついて考えたことがあるかね?」

825 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 06:57:45.36 ID:6GX1O2wad
 ケアリーは、なかった。いまタクシーの中でそれを思い
出して、彼はおもしろがっていた。上院議員の質問ではな
く、自然に話題を変える巧みさに感心していたのだ。

826 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 16:40:04.57 ID:yfvo59Id0
ターミネーター
R.フレークス&W.H.ウィッシャー[原作]
吉岡 平[文]
p101
「サラ、これを着るといい……防弾チョッキだ。」
 ドサリと重い音をたてて、いかめしい鉛入りのチョッキがデスクの上に投げだされた。
どう見ても、サラには似合いそうもない。
「機動隊が着ているのと同じものだ。ショットガンも平気さ。」
「あの人も、着ていたのかしら……。」
 サラはつぶやいた。
「不死身だったわ。」
「よくあることさ。たとえば麻薬の常習者は、痛みに対して極端に鈍感になる。指の骨を
折られても感じない。だから、殺し屋を仕立てる際には、麻薬漬(づ)けにする。痛みや苦痛を
感じないうえに、薬を手に入れるためなら、どんな危険な任務も平気でこなすからね。や
つもそのクチだろう。薬を打ちすぎて、頭がおかしくなったらしい……。元来、暗殺(アサシン)とい
う言葉は大麻(ハシシ)から派生したもので……。」
 シルバーマン博士はひとりでまくしたてていたが、サラはすこしも聞いていない。

827 :◆p132.rs1IQ:2023/01/10(火) 16:41:36.49 ID:yfvo59Id0
ターミネーター2
ランドル・フレイクス
真崎義博[訳]
p188
 こうしたことが起きているあいだ、シルバーマンは口にくわえたタバコのことも忘れて壁
にへばりついていた。サラのところへ戻りながら、侵入者の無表情な顔を見つめていた。こ
の男の目的がさっぱりわからなかったシルバーマンだが、やがて不意にはっきりとさとった。
 サラは正しかったのだ……この男は人間ではない。
 まるで人間とはちがう。
 もしこのサイボーグについて彼女の言っていたことが正しいとすると、ほかの話もすべて
正しいのかもしれない。
 想像を絶する悲劇……
 シルバーマンは自分がもっている現実感覚が崩れはじめるのを感じた。

828 :◆p132.rs1IQ:2023/01/13(金) 03:45:58.15 ID:qd3pYZWBl
13日の金曜日
サイモン・ホーク
大森 望[訳]
p111
 アリスはカーテンを引いて、窓の外を眺めた。嵐が湖面を激しく波立たせている。雨の勢
いはすさまじく、まるで屋根に雹(ひよう)が降りそそいでいるようだ。
「ジャックとマーシーはいまごろずぶ濡れね」
 ビルがにやっとして、
「もっとましなところにいると思うけどね」
 と、ギターをつまびきながらいった。
 暖炉にはあかあかと火が燃え、ロッジの中はいごこちがいい。まる一日の重労働の疲れを
いやすにはぴったりの場所だ。アリスはまたひとつ、暖炉に薪(まき)をくべてから、椅子に深々と
身を沈め、体を伸ばして満足げなため息をついた。
「あー、いい気持ち」
「ほんと」
 ブレンダが火を見つめながらうなずいた。ふと目を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべる
と、
「ねえ、いいこと思いついたわ。モノポリーやんない?」

829 :◆p132.rs1IQ:2023/01/13(金) 03:47:31.56 ID:qd3pYZWBl
 アリスがうめき声をあげた。
「やめてよ、モノポリーなんて」
「わたしの特別ルールならだいじょうぶ、ぜったいハマるわよ」
 ブレンダはウィンクして、棚からモノポリーの箱をおろした。
「特別ルールって、どんな?」
 と、ビルがギターを置いてたずねる。
 ブレンダは箱からゲーム盤をとり出して、テーブルの上に広げた。
「ストリップ・モノポリーよ。わたしは靴にする」
 といいながら、靴の形をしたゲームの駒をつまみ上げる。
「冗談!」とアリス。
 ブレンダは首をふって、
「どういたしまして」
 ビルは好奇心をそそられたように、眉を上げた。
「もしスティーヴが帰ってきたら?」
「そうね、彼にはハンデをあげるわ」とブレンダ。「スティーヴはブーツを脱がなくてもい
い。でも、例外はそれだけよ。さて、と、ルールは簡単。他人の土地にとまったら、地代を
払うかわりに服を一枚脱ぐ、ビルは銀行をやって」
 といってから、いたずらっぽく笑い、
「もしこのゲームをやる勇気があるんならね」
 アリスは声をあげて笑った。ひょっとしたら、おもしろいかもしれない。

830 :◆p132.rs1IQ:2023/01/13(金) 03:49:04.30 ID:qd3pYZWBl
 ビルもにやっとして、テーブルのところにやってきた。
「いいとも。でも、ぼくのホテルに泊まったら、思い知らせてやる」
「アリス、マーシーがマリファナを置いてってないか見てくれない?」とブレンダ。
 ビルはゲーム用のお金を分けはじめた。
「ぼくの五百ドル札は?」
「そこにあるじゃない」
 とブレンダは答えて、それをビルのほうに押しやった。それからいっぱいになったテーブ
ルの上を見回して、
「わたしの靴はどこ?」

831 :◆p132.rs1IQ:2023/01/15(日) 08:02:19.02 ID:jfeI+K4Dz
スラッグス
ショーン・ハトスン
茅 律子[訳]
p265
「待って成行きを見守ろうじゃないか」ブラディは若い男の背を叩いて言った。

832 :◆p132.rs1IQ:2023/01/15(日) 14:46:29.72 ID:jfeI+K4Dz
因果の火
ジョン・ソール
飛田野裕子[訳]
p374
 エイミーは耳も閉ざす。そうしなかったら、ほかの子供たちが話していることが耳に入って
きてしまうだろうし、そうなればついきき耳を立ててしまう。いずれ自分でもしゃべりだして
しまう。言葉を口にすれば頭でものを考えてしまうだろうし、そうなったらどんなことになる
かわかったものではない。

>>822
×その畿内での会話の一部が
○その機内での会話の一部が

833 :◆p132.rs1IQ:2023/01/16(月) 03:03:37.65 ID:ccrIn9npV
マドンナ
クライヴ・バーカー
宮脇孝雄[訳]
p183(『バベルの子供たち』)
「あの地図は何に使うの?」ヴァネッサの最初の質問がそれだった。
「ここでゲームをするんだ」中庭に書き散らされたチョークの跡を見つめながら、老人はた
め息をついた。「もちろん、昔はゲームばかりやっていたわけじゃない。だが、社会の仕組
みはだんだん崩れていく。物が腐(くさ)るように、人の考えも堕落していくんだよ。初めは理想に
燃えていたのだ。それが、たった二十年で……」老人は、今さらのようにその言葉を繰り返
した。「たった二十年で、蛙を相手に遊び惚(ほう)けるようになるとは……」

834 :◆p132.rs1IQ:2023/01/17(火) 16:40:28.48 ID:vcId4VyfL
運命の町
ジョン・ソール
細美遙子[訳]
p565
 これで終わった。ひんやりした心安らぐ霧のなかにふたたび沈んでいきながら、キャシーは
心のなかでつぶやいた。
 これで本当に終わったのだ。

835 :◆p132.rs1IQ:2023/02/12(日) 02:34:07.19 ID:5Hz2d6ooU
そびえたつ地獄
リチャード・マーティン・スターン
井坂 清[訳]
p118
 処置室のドアが開き、看護婦が出て来た。ドアが音もな
く締まる前にパティは中をのぞいた。孤独な老人――その
言葉が脳裏に浮かんだ。なぜそう思ったのか、彼女にもわ
からない。白いベッドに無力のまま横たわる、誇り高い孤
独な老人。
 パティは考えた。小さいときには、みんなが何でもして
くれる。抱きあげて、汚れを払い落としてくれるし、痛い
ところにキスもしてもらえる。必要とするとき、おとなは
いつでも側にいて、子供はそれがあたり前だと思っている。
しかし、やがては無力になる番がやって来る。そのときに
は、ただ坐して待ち、祈りを信じたいと願うほかに、何が
できるのだろう?

836 :◆p132.rs1IQ:2023/02/14(火) 01:53:20.15 ID:zhn/WmDmF

ジョルジュ・ランジュラン
稲葉明雄[訳]
p176(『御しがたい虎』)
「先生、もし虎があなたのところまで来られたら、ほんの一噛みでけりがつくと思うんですが
ね」
 ガサードが満足げに口からパイプをはずしながら言った。
「あれがやりかたさえ知っていたら、私に跳びついてきたはずだよ」
 教授は苦笑まじりに答えた。
「でも、じっさいに試みたじゃないですか」
「ああ、しかしあの試みは、あれに知能的推理力がまったく欠除していることを証明したのだ。
ほんのわずかでも知能があれば、もっと以前に自分で発見し、あの掘を跳び越えていたにちがい
ない」
「ルイ、あんた、滑稽(こつけい)よ。みんながあんたのほうを見ているわ」
 ダルボンの細君が肩ごしにいった。
「それにしても」と、ガサードがいった。「ダルボン先生、あなたはどうしたら虎がうまく堀を
跳び越せるか、その方法をご存じなのじゃありませんか?」
「ああ、虎が堀にそって走り、九十度の角度で壁のはしを跳び越えれば、いわば踏切り台を利用
したようなかっこうになり、やすやすとこっち側に達せられるわけなんだ。それは確実に断言で
きる」

837 :◆p132.rs1IQ:2023/02/15(水) 09:57:22.63 ID:hghkpL0xF
インビジブル
ウィリアム・トーマス・クイック
石田 享[訳]
p311
 電源のスイッチを入れると、手作りの電磁石がスチールドアにぴったり張りついた。リンダ
はドアごしに鋼鉄製のかんぬきを反対方向へ動かそうとした。
 ぴくりとも動かない。まるでスチールドアに溶接したかのようだ。リンダは歯をくいしばり
ながら渾身の力をふりしぼった。
 電磁石がほんのちょっぴり動いた。一センチぐらいだろうか?
 前かがみになって全力をそそぐ。床が凍りついているので足がすべった。態勢を立てなおし
て、もう一度引っぱる。また一センチばかり動いた。
 全身からふきだした汗がたちまち凍りつき、動くたびにバリバリ音をたてた。もう一度引っ
ぱる。さらにもう一度。
 ドアの外側では鋼鉄製のかんぬきが左方向にじわじわと動きつつあった。ぴくっと動いては
また止まる。リンダはうめき声を噛み殺しながら電磁石を引っぱった。こわばった筋肉が悲鳴
をあげる。また一センチ。
 最後に電磁石を大きく動かしたとたん、かんぬきは鉄枠からスポッとぬけ落ちた。
 リンダは力まかせにドアを押し開けてころがり出た。まさに地獄からの生還だった。
 勢いあまってよろめき、一列にならべてあった酸素ボンベを押し倒した。ガランガランとい
う音が響きわたる。

838 :◆p132.rs1IQ:2023/02/15(水) 12:05:32.77 ID:hghkpL0xF
そびえたつ地獄
リチャード・マーティン・スターン
井坂 清[訳]
p146
「ホームズ判事がいいことを言っている。そいつを紹介し
よう。『言論の自由には、込んだ劇場で火事だ≠ニ叫ぶ
権利は含まれない』きみがいまやっているのは、まさにそ
れだぞ。なぜなんだ。きみに注意を集めるためなのか?」

839 :◆p132.rs1IQ:2023/02/16(木) 02:25:15.86 ID:NVyu6UcAa
韓流ドラマが10倍楽しめる 朝鮮王朝の衣食住
康 熙奉[編著]
p97
 時代劇「王女の男」での韓服は、王族と両班が主要な登場人物であるだけに、色と模様
が華麗で多くのファンを魅惑した。
 しかし、歴史的な考証に照らすと、実はリアルではない部分がかなり見られる。このド
ラマの時代は、朝鮮王朝が建国されてからほんの60年しか経過していない初期にあたる。
高麗王朝の文化がいまだに残っており、衣装も大きくは変わっていなかったのだ。
 韓服も、いま私たちがよく目にしている朝鮮王朝時代後期のものとは異なる点が多い。
その第一は、チョゴリの長さである。
 朝鮮王朝時代初期のチョゴリは、腰までを覆う長いものだった。今の韓服と同じ短いチ
ョゴリは朝鮮王朝時代中期に登場し、時間の経過につれて徐々に短くなり、19世紀末には
ほとんど胸の部分までとなった。
 チョゴリを整える結び紐も、朝鮮王朝時代後期には胸の中央部に移されて長く大きくな
ったが、朝鮮王朝時代初期には外側に付いており、リボンぐらいの大きさだった。
 また、男性が使う笠(カッ)(つばが広い冠)も、朝鮮王朝時代初期と後期とでは違いが大きい。
模様はもちろんだが、何よりも素材が違った。

840 :◆p132.rs1IQ:2023/02/16(木) 02:27:02.49 ID:NVyu6UcAa
 実は、朝鮮王朝時代初期の笠は高麗時代のものがそのまま残っており、竹を細く割って
作ったものが大部分だった。それが朝鮮王朝時代中期以後、馬の尾の毛で作るものが主流
となった。
 ドラマの中で王女たちがよく着る唐衣(タンイ)も、朝鮮王朝時代初期にはあまり着られていない
衣装だった。
 当時はおもにタンサム(単衫)やチャンサム(長衫)が着られており、2つともふくら
はぎまでかかる長い衣装だった。
 さらに、朝鮮王朝が建国されてからまもない当時には、宮廷の衣装も素朴なものが大部
分だった。宮廷の格式が豪華になるには、さらなる時間の経過を待たねばならなかったの
である。
 ならば、どうして「王女の男」は歴史的な考証に完全には従わなかったのだろうか。
 衣装製作を担当した韓服専門家のチョン・セミ氏によれば、ドラマが企画された段階で
は時代考証に合わせて衣装を準備していたが、ドラマ製作に入ってからは、内容にフィク
ションが多いので、歴史的な考証に忠実であるよりもラブストーリーというジャンルにふ
さわしい衣装が必要だと判断し、キャラクターとストーリーに合う韓服を製作するように
なったのだという。企画者と監督を含めた製作陣の判断による衣裳コンセプトだったので
ある。
 ドラマ放送時、ファンの間でも衣装の考証に対する意見があった。時代劇である以上、
時代考証に充実でなければならないという声も少なくなかったのだ。

841 :◆p132.rs1IQ:2023/02/16(木) 02:29:34.68 ID:NVyu6UcAa
 そのよい例が、同じくKBSで製作された時代劇「大王世宗(セジョン)」(韓国で2008年に放
送)である。「王女の男」から約30年前の世宗の治世を描いたドラマで、考証によると衣
装の形は「王女の男」とほとんど変わらない時代背景だが、「大王世宗」は徹底的な時代
考証によって衣装と装身具を忠実に再現し、ファンから大きい反響を得た。
「大王世宗」の出演者の衣装は、高麗王朝の優雅さと朝鮮王朝時代初期の威風堂々とした
雰囲気を加味していたのが特色で、考証だけでも3ヵ月をかけ、スケッチの下書きは10
00枚あまりに達したという。実際に、衣装だけではなくアクセサリーまでもが徹底的な
考証によって作られたのだ。
 しかも、衣装の完成度を高めるために手作業で作られたため、衣装製作費はなんと15億
ウォンに達した。とにかく、太宗1人の衣装製作だけでも約4000万ウォンがかかった
という。
 ただし、ドラマの衣装を無条件に時代考証に合わせて作るということは、ドラマの楽し
さのためには必ずしもよいこととはいえない。もちろん、時代劇の衣装は歴史的背景、文
化や生活までを表現する非常に重要な要素であるが、すべてのドラマにおける演技者の衣
装には特別に重要な役目があるものだ。
 それは、衣装というのは、キャラクターを説明する重要な機能であり、演技者のセリフ
のトーンや演技の方向性までも決めてしまう大事な道具であるという点だ。衣装のコンセ
プトを決めるにあたり、ドラマのストーリーとキャラクターに合うかどうかも重要な要素なのだ。

842 :◆p132.rs1IQ:2023/02/16(木) 21:27:46.91 ID:HzYilsSMl
エンド・オブ・デイズ
フランク・ローリア
石田 享[訳]
p151
「怒りに身をまかすのはいいことだ」男は祝福した。「わたしはきみのことをよく知らん。一
杯やろうじゃないか」
 男は背を向けるとキッチン・カウンターに歩み寄った。そしてごみの山をあさってグラスを
見つけ出すと、汚れをぬぐった。「実際、わたしたちは似た者同士だからな」

843 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:49:16.62 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p35
 正面入口の観音びらきのガラスドアには、金文字で〈カルトマイヤー = デフォルジュ建
設〉と書かれてある。しかしノードランドはそのドアを使わず、横手の入口から自分のオフ
ィスに入った。アタッシェケースを椅子(いす)の上に置き、コートを掛け、首のマフラーを外した。
それから、むず痒(がゆ)い鼻にハンカチを当てて――どうやら風邪らしい――机の上に重ねられた
メッセージメモをめくった。急ぎの用件はない。
 欠伸(あくび)をしながら部屋の隅(すみ)へ行き、コーヒーメーカーのボタンを調節する。コロンビアとフ
レンチローストをミックスし、クリームは少量。二十秒待って湯気の立ち昇るカップを取り
出し、ひと口すすった。また失敗だ。半年も試行錯誤を繰り返しながら、いまだに美味(うま)いコ
ーヒーが作れない。チコリ(訳注 コーヒーの代用品)の量を多くして、湯の温度をもう少し下げてみたら
――。

844 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:50:50.20 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p42
「浮かない顔をしてますね、デイン」
 コーヒーカップを手にしたメトカーフがバルコニーへ出てきた。
 ノードランドは芳(こう)ばしい香りを吸い込んだ。「おい、ちょっと味見させてくれ」メトカー
フの手からカップを取り上げてすすってみる。完璧(かんぺき)だ。「どうやって作ったんだ?」
 メトカーフは面食らった。「べつに……ノブを回して一分待っただけですが」

845 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:52:32.02 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p57
 バーにはコーヒー――飲む者はほとんどいない――シャンパン、ラモス・フィズが用意さ
れているが、メトカーフが小さなグラスをもてあそんでいるところを見ると、注文があれば
ウイスキーも出すらしい。
「遅かったじゃないか、デイン」シャンパンを手にしたカルトマイヤーが大股(おおまた)に歩み寄って
来た。その後ろに彼の十二歳になる息子デリクと一人の日本人がいる。
「すみません、フランク。サポートの搬入が遅れているので、ちょっと作業場を見てきたん
です」
「招待したエンジニアのために、簡単な説明をしてもらおうと思ってたんだ」カルトマイヤ
ーは語気を和らげて言った。「まあ、わたしが少し喋(しやべ)って、あとはテープを流したりでなん
とかなったがね」そして日本人に向き直ると、「ヒデオ、紹介しよう。この男がミシガン湖
トンネル・プロジェクトのチーフ・エンジニア、デイン・ノードランドだ。デイン、こちら
はニッポン・エンジニアリングのヒデオ・ナカムラ氏だ」

846 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:54:08.43 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p87
「幕切れには正直言って驚かされたけれど、でも、とても感動したわ。わたしの周りにいた
人たちもそうだったはずよ。ボスは今度のこと、どう思ってるのかしら?」
「まずまずご満悦のようだ。というのも、問題の模型がユナイテッド・エレクトロニクス社
から提供されたものだったんでね―わが社に落ち度はない、というわけさ」彼はコーヒー
メーカーに歩き、つまみを調節した。「ところで、お客さんたちのための手配はできてるか
い?」
 ジャニスはノートを取り出し、眼鏡をかけた。「昨日のうちに全部済ませてあります。ゲ
イシャまでは手が回らなかったけど」
 ノードランドは半分上の空だった。チコリの割合を多くし、湯の温度を少し下げ、いつも
より五秒長く待つ。
 またしても失敗だった。彼は顔をしかめて、コーヒーカップをデスクに置いた。「今日の
予定は?」

847 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:55:44.98 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p88
 ジャニスはかぶりを振った。「ナカムラ・ヒデオという方がお見えになってます。確か、
説明会にいらしてた方じゃないかしら」
 それは、その朝一番の朗報だった。ノードランドは外(アウター)のオフィスに急いだ。ジャニスの机
の向かいにある小さなソファに、ナカムラが黙然と坐(すわ)っていた。「ナカムラさん――ようこ
そいらっしゃいました!」自分のオフィスへ戻(もど)ると、ノードランドはコーヒーメーカーを指
差して言った。「こいつはコーヒーだけじゃなく、お茶もいれられるんですよ。いかがで
す?」
「よろしければ、コーヒーをブラックで」ナカムラは申し訳なさそうな顔をした。「お邪魔
でなければ、今日一日、あなたのお仕事を見せていただきたいんですよ。カルトマイヤー氏
がそう言ってくださったものですから。それから、後で助手の方にでもトンネルを案内して
いただければ……」

848 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:57:18.81 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p101
「では、お互いを知るための努力をしようじゃないですか」ノードランドはコーヒーメーカ
ーに歩み寄った。「コーヒー、それともお茶がいいかな?」彼女はたぶん紅茶のタイプだろ
う。「アール・グレイ、イングリッシュ・ブレックファスト、ウーロン茶、オレンジ・ペコ――
どうぞお好きなのを」
「それじゃ、イングリッシュ・ブレックファストをいただきます。釣(つ)りがお好きなようね」
 彼は思わず苦笑した。「釣りは大好きですよ。その写真、一緒にいるのは妻なんだが――
別居中ですけどね――彼女のほうは好きになろうとさえしなかった」ノードランドは自分用
にいれたコーヒーをひと口すすって驚いた。完璧(かんぺき)な味ではないか。しかし、急いで無造作に
いれたために、何をどうしたのか思い出せない。

849 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 04:58:50.68 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p223
 彼は立ち上がってコーヒーメーカーに歩いた。「紅茶? それともコーヒー?」
「レストランに行くまで我慢するわ」
「ぼくのコーヒー、そんなにまずかったかい?」
 シドはいたずらっぽく笑ってみせた。「紅茶がね。コーヒーはまだいただいてないわ」

850 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:00:31.72 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p236
 彼は腕時計に目をやってから、ぶらぶらとジャニスのオフィスに入って行き、カウチに腰
を落ち着けた。出勤したばかりのジャニスがコートを掛けながら、デスクの上の茶色い紙袋
を指差した。「サクランボのスイートロールとチーズが一つずつ、ふすま入りマフィン二つ、
コーヒーのラージが二つ」
「デインの魔法のコーヒーメーカーを信用してないのかい?」
 ジャニスは金縁の眼鏡ごしにメトカーフを見た。「時々はまずいコーヒーを飲みたくなる
こともあるけど――郷里のスコーキーを思い出しちゃって」

851 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:02:01.84 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p318
「そろそろ行かないと、遅れてしまいますよ」ナカムラが申し訳なさそうに口をはさんだ。
二人の邪魔をしないようにと、彼はずっと奥に引っ込んでいたのだ。
 シドがリチャーズと話すあいだ、ノードランドとナカムラは身を刺すような冷気の中で震
えていた。やがてシドが出て来て、三人は雪の舞うコンクリート通路を導坑へ向かった。下
りのエレベーター内で、ナカムラはコーヒーの入った容器をみんなに配った。
 ひと口飲んだノードランドの眉がぐっと上がった。完璧(かんぺき)な味だ。
「どうやって淹(い)れたんです?」
「なに、簡単なことですよ。まず、湯を沸かすかたわら、五秒以上――きっかり五秒ですよ
――持っていられないくらいカップを熱くするんです。やがて挽(ひ)きたてのコーヒーの香りが
立ち昇ってきます。鼻に感じる湯気がほどよいスチームバスに入ったと思えるところで、ス
イッチを切る。三分間で出来上がりです」

852 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:03:31.62 ID:eo7E6llgo
「科学的な説明とは言えないな」ノードランドは不服げだった。
 ナカムラはうなずいて、「いかにも。しかし、いつの時代にもコーヒーをいれることは芸
術であって、科学ではありません」
「でも説明書には――」
「説明書は輸出用に作られたものですからね。海外では、なんというか、理詰めの能書きを
要求されるんです」
 ノードランドは訝(いぶか)しそうにナカムラを見つめた。「あの機械(マシーン)にずいぶんお詳しいようです
が?」
 ナカムラはさらりと答えた。「ニッポン・エンジニアリング、つまりわたしの会社なんで
すよ、あれを作っているのは」

853 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:05:01.73 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p530
「用意はいいですか、ヒデオ?」
 ナカムラはうなずいた。「明日、コーヒーメーカーの正しい使い方を伝授しましょう――
海外市場向けの、科学的なやり方をね」
「きっとですよ」

854 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:06:36.33 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p534
「水は濾過水(ろかすい)でなきゃいけません」ナカムラはそう説明した。「それをここへ入れるんです」
彼はその場所を指差した。「時間は一杯につき一分ずつ増やすこと。温度は一定にして――
いったん設定したら、ダイアルにさわってはいけません」
「本当にそれだけでいいんですか?」ノードランドは疑わし気だった。
 ナカムラは微笑(ほほえ)んだ。「いいえ。コーヒーが焦(こ)げ臭いと思ったらここに活を入れてやるん
です」彼は笑いながら、コーヒーメーカーの前面のパネルを拳(こぶし)で叩(たた)いた。「この内側にある
コネクターの接触がときどき悪くなるんですよ」ナカムラは肩をすくめた。「外国の市場で
評価を得ると、困ることもありましてね。日本の製品は完全無欠だと思われてしまうんで
す」
 ナカムラはカウチに坐(すわ)ってコーヒーをすすり、顔をしかめた。「変だな――まあいいか。
ところで、すっかり回復されましたか?」

855 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 05:08:10.34 ID:eo7E6llgo
湖底トンネル爆発!
トーマス・N・スコーシア
フランク・M・ロビンソン
山本光伸[訳]
p537
 ノードランドは言葉もなく、ナカムラの手を握りしめた。ナカムラはコートと帽子を取り
上げてドアへ向かい、思い出したように足を止めた。
「あなたのコーヒーメーカーは不良品でした。早速新しいのを送らせましょう」

856 :◆p132.rs1IQ:2023/02/24(金) 07:44:37.30 ID:eo7E6llgo
バーティカル・リミット
メル・オドム
奥田祐士[訳]
p234
「だれかの命を救おうとするのは、決して無駄なことじゃないわ」
「自然にはなんのルールもない。そのときどきの必要があるだけだ」ヴォーンは噛んでふくめるよ
うにいった。大人ならだれでも知っている経験則だ。「二人が生き残れるのなら、なぜ三人で死ぬ
必要がある?」

857 :◆p132.rs1IQ:2023/02/25(土) 12:00:40.61 ID:9RIdrzOhi
殺す人形
ルース・レンデル
青木久恵[訳]
p13
異性にとって魅力的かどうかは、肉体的な美醜に関係あり
ませんよ。さして美しくもないのに、大勢の男性に取り巻か
れている女性は少なくないではありませんか。その人たちの
魅力の秘密は、自信です。個性を磨いて、一緒にいて面白い
人、楽しい人になるのです。できるかぎり外に出て、人とお
会いなさい。そうすれば新しい友だちに巡り合うのが楽しく
て、すぐに自分のアザなんか忘れてしまいますよ

858 :◆p132.rs1IQ:2023/02/25(土) 12:02:27.58 ID:9RIdrzOhi
殺す人形
ルース・レンデル
青木久恵[訳]
p20
「もう来ないんじゃないかと思っていたよ」とブルーアー夫
人は言った。娘は母親が腰を上げないので、自分でお茶を淹
れた。
「いつもそう言うのね。遅かったわね≠ニかもう来ない
んじゃないかと思っていた≠ニか、必ずなんだから」
「そう言うのは、本当にそうだからよ。彼が車で送ってくれ
ない限り、きまって遅いんだから。今夜は彼はどうしたの。
奥方と一緒に家にいるのかい」
 母にそういう言い方をされると、マイラは泣きたくなる。
確かにその通りだった。彼は妻と家にいるし、マイラは三十
七歳だった。髪の毛はヘンナ染料で染めないと、とても見ら
れたものではない。マイラはここに来る途中、ウェスト・グ
リーン・エンドでトイレに入った。壁に落書きがあった。
この世で一番静かな音は、髪の毛が白くなる音

859 :◆p132.rs1IQ:2023/02/27(月) 11:07:13.37 ID:ubx+QlYjs
殺す人形
ルース・レンデル
青木久恵[訳]
p43
 マイラは、自分の家庭がほしくて結婚したのだった。彼女
は将来、小人数の夕食会か、大々的なカクテル・パーティー
を開くことを考えていた。洞窟のような応接間に、白木のパ
イン材と韓国製の籐細工、コーナー・ユニット、周囲にクッ
ションのついたガラス・テーブルといった、小粋なインテリ
ア用品を入れる。雇い主の歯医者夫妻が住むハムステッド・
ガーデン・サバーブの家の内部は、そんなふうにちがいない
と、彼女は想像していた。いつか雇い主のジョージ・コール
ファックスとイヴォン夫妻をマニングツリー・グローヴに招
待して、恥ずかしくない家を見せるのが、マイラの小さな夢
だった。

860 :【大凶】 ◆p132.rs1IQ:2023/03/01(水) 12:26:29.89 ID:3tGomkBTg
デイライト
マックス・アラン・コリンズ
山本光伸[訳]
p105
 司令室は大変な騒音で、まともに考えることすらできないありさまでした。誰もかれもが
怒鳴り合い、電話がいっせいに鳴っています。ノームとあたしは、目の前のモニターにくぎ
づけになっていました。南トンネルの様子を見ると、交通局の職員を残して、すっかり避難
が終わったようです。たくさんの車がドアを開けたまま放置されている光景は、とても異様
でした。まるでこの世の終わりが来たみたい。天罰が下ったか、核爆弾が爆発したあとの世
界を見ているようでした。
 北トンネルのモニターはほとんど壊れていましたが、いくつかはぼんやりとした画像を映
し出していて、ときおり人の動く姿もみとめられました。ですから、中に生存者がいるのも、
いまいましい煙をどうにかしなければいけないことも、わたしたちにはわかっていたんです。
「グレース、残りのファンのスイッチを入れろ!」ノームが言います。
「もう入ってるわ! きっと排気ダクトが塞がれているのよ」確認のため、いくつかのスイ
ッチをためしてみましたが、さらに困ったことが判明しました。「大変よ! 三番機がダウ
ンしたわ」
「畜生。空気の具合はどうだ?」
「ひどいわ。どんどん悪くなってる」

861 :◆p132.rs1IQ:2023/03/01(水) 12:28:39.28 ID:3tGomkBTg
 そのとき、ノームは電話口に呼ばれ、あたしは各モニターの画像を鮮明にしようと必死の
努力を続けました。しかし、たちこめる煙のせいで、なにが映っているのかほとんどわかり
ません。
 そのときとつぜん、おなじみの顔が画面に現われました。カメラをまっすぐに見つめ、大
きな身振りでなにかを伝えようとしています。
「ジョージ」あたしは息を呑みました。「ああ神様、あれはジョージだわ……」
 思わず涙が出てきました――このときまで、彼が生きているかどうか確信を持てなかった
んです――でも、その感情に押し流されはしませんでした。ジョージだって、そんなことは
許してくれなかったでしょう。彼の身振りにはとても熱がこもっていて、なにかを緊急に伝
えようという意図が伝わってきましたから、あたしはその意味を理解しようと必死になりま
した。
 まず彼は、ハサミを使う真似をしてみせるんです。
「ノーム、ジョージがモニターに映ったわ! なにか伝えようとしているみたい――」
「わたしは電話会議中なんだ」ノームは送話口を手で抑えながら、低い声できびしく言いま
した。「州知事が三人とも電話に出てる。そっちはまかせたよ」
 あたしはジョージから目を離すことができませんでした。なにかを切る動作をしてから、
「人民に力を(パワー・トゥー・ザ・ピープル)!」っていう古くさいスローガンみたいに、拳(こぶし)を突き上げてみせるんです。
「いったいなにを言おうとしてるの、ベイビー?」

862 :◆p132.rs1IQ:2023/03/01(水) 12:30:28.79 ID:3tGomkBTg
 ジョージはそれを何度も繰り返しました。ハサミ、それから「人民に力を」。あたしはし
かたなくカメラをパンし、手がかりを求めて彼の背後を見てみました。すると、バス――と
いうよりスクールバスらしきものが横倒しになっていて、その上から電線が垂れ下がり、火
花を散らしています。人の姿はなく、バスと火花を散らすケーブルだけが見えました。
 カメラをジョージに戻すと、まだハサミと拳を上げる動作を繰り返していて――
「電源(パワー)を切れってことなのね!」あたしは叫びました。そしてノームのほうへ椅子をくるり
と向けましたが、彼は電話にかじりつき、必死の形相で話し込んでいます。「電気を切るの
よ!」そう言ってみても、怖い顔をして、あたしを手で追い払うだけ。
「知事、われわれはベストをつくしているんですが、事態の詳細はいまだに把握できており」
ません。どのように発表したらよいでしょう? マスコミを永久に追い払っているわけにも
いきませんし……いえ、それはできません。そのような虚偽の発表を行なえば、あとあとま
で後悔する結果を招くことはわかっていますから……」
 もう一度カメラを戻すと、一生忘れられないような光景が画面に飛び込んできました。横
転したバス近くにあるガソリンの水たまりの中で、ゴムの靴底で両手を保護した女の人が、
電線をしっかりとつかんで立っていたんです。
喉から心臓が飛び出しそうになりました。あたしはノームの肩をつかみました。「ノーム、
電源を止めなきゃ!」

863 :◆p132.rs1IQ:2023/03/01(水) 12:32:15.43 ID:3tGomkBTg
 でもノームは知事と電話で話しつづけ、画面に目を向けようとはしません。だけどあたし
自身の権限では、そんなレベルの判断を下すことはできないんです。勝手に指示を出す勇気
を奮い起こしているときに、あたしたちの狭苦しい仕事場に何者かが現われ、ノームの手か
ら受話器を奪い取りました。
「あとでかけ直させますよ」その男性は言うんです。怒るというよりあっけにとられている
ノームの前で受話器を置いたその人は、驚いたことに、キット・ラトゥーラだったではあり
ませんか。
「おひさしぶりね、チーフ」ほっとして笑顔になったあたしは言いました。
「内線番号は何番だ、グレース?」
「あんたはいったい誰なんだ?」ノームが問いただします。「いったいどんな権利があって
……」
「ラトゥーラだ。以前レスキュー隊で働いていた」
「内線は八‐〇‐五よ」あたしがラトゥーラに伝えると、彼は、あまりの怒りに呆然自失し
ているノームの前で番号をダイヤルし、呼び出し音を確認してから、受話器を差し出しまし
た。
「すぐに電源を落としてくれ」ラトゥーラは火花を散らす電気ケーブルと格闘している女性
の姿を、モニター上で指さして言いました。「でないと、あの女性が死ぬことになる」
「ノーム、この人の言うとおりにして。彼は正しいわ。レスキュー隊の元隊長よ、なにをし
てるかわかってるわ!」

864 :◆p132.rs1IQ:2023/03/01(水) 12:33:54.70 ID:3tGomkBTg
 ノームは怒りをぐっと呑み込み、顔をしかめましたが、その目はモニターを追い、生と死
を賭けたダンスを踊る女性の姿をそこにみとめると、すぐに受話器を受け取りました。さす
がはノームです。

865 :◆p132.rs1IQ:2023/03/06(月) 03:19:30.86 ID:f/afogMn0
ハウス
佐藤 肇[著]
p93
「じゃ、これから三十分は食後のお休み。それから、また分担で片づけるのよ」ガリがそ
ういって、お膳を部屋のすみに寄せはじめた。
「トランプ占いやって」スウィートが、ガリに催促した。「やり方を教わりたいの」
「いいわよ」ガリが、リュックからトランプを出して、畳の上に並べはじめた。
「生命判断、恋愛問題、なんでもござれよ。さ、だれにする?」
「ファンタが食べられちゃうか、どうかを占ってみたら?」
「よし、それやろう!」
 ガリがトランプを器用にさばき、並べたり、めくったりしはじめた。
「バカらしい」マックが、突然立ち上がった。
「どこにいくの?」メロディが聞いた。
「西瓜とり? 一緒にいこうか?」ファンタが立ち上がった。
「いいから、いいから」マックがそれを制して、障子をガラッと開けた。
「まあ、きれい!」みんなが、いっせいに叫んだ。

866 :◆p132.rs1IQ:2023/03/06(月) 03:25:09.50 ID:JtFc6HM/z
 見事な夕焼け空だった。西の空を茜色に染めて、イワシのうろこのような雲が、天上に
向かってわき上がっていた。マックは下駄をつっかけて、庭に降り立った。ファンタは座
敷から、それをなにげなく見つめていた。その後姿は、夕焼けの神秘な世界の中にとけこ
んでいってしまうみたいに、淋しげだった。夏なお寒い高原の冷気が、座敷の中にまで、
忍びよって来た。
 オシャレが、障子を閉めようと、立ち上がったときだった。一陣の風が吹きすさび、あ
っという間に、畳の上のトランプを巻き上げてしまった。ガリがあわてて、拾いに走った。
座敷じゅうに舞い上がったトランプは、みんなが捕まえようとすればするほど、逃げるよ
うに、舞い上がった。
 やっと障子を閉めて、その騒ぎもおさまった。
「アッ!」畳の上に残ったトランプを見て、ガリが叫び声を上げた。
「どうしたの?」オシャレが、心配そうによって来た。
 あんなすさまじい風にも、吹き飛ばされなかったトランプが、二枚だけあった。スペー
ドのエースとクイーンだ。
「大凶よ!」ガリの声は、震えていた。

867 :◆p132.rs1IQ:2023/03/06(月) 03:28:33.09 ID:JtFc6HM/z
「どうして、そんなことがわかるの?」
「スコットランドの女王が、ギロチンで処刑される寸前に引いたカードが、これなのよ。
だから、トランプ占いでは、とても不吉なことが起るとされているわ」
「えッ?」
 みんなが、あらためてトランプを見つめた。そういえば、スペードそのものが、人間の
首を斬りおとす両刃の剣のような、不吉な模様だった。
 どこかで、大時計が、ゆっくりと、陰気な音をひびかせた。
 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……と、五つ鳴った。
 ファンタが、ふと立ち上がって、障子を開いた。夕焼けはいっそう赤く色づき、まるで
血がしたたるみたいだった。
「遅いわね、マック」
「いま行ったばかりよ」メロディが、こともなげにいった。
「でも、井戸はすぐ裏よ。こんなに時間がかかるの、おかしいわ」
「そんなに心配なら、見てくればいいじゃない」ガリが、お膳を片づけながら、みんなを
うながした。「食休みはこれで終り。さあ、手伝って」

868 :◆p132.rs1IQ:2023/03/06(月) 03:31:05.31 ID:JtFc6HM/z
 みんなが、めいめいのお膳を持って、台所へ下げはじめた。ファンタだけは心配そうに、
そっと部屋を出ていった。
 クンフーが、笑って見送った。「ホント、なんでも心配するコだね」

869 :◆p132.rs1IQ:2023/03/09(木) 02:02:35.90 ID:1HmUje4yl
殺す人形
ルース・レンデル
青木久恵[訳]
p126
 ハロルドは、自分のしていることを誰にも話さなかった。
文章を書き始める前、ひたすら読む一方だった頃も、読んで
いる本を話題にしたことはない。自分のやっていることに人
が関心を持つとは思わなかった。自分が人のことには興味が
ないからだった。この数ヵ月、子供たちは彼にとって影のよ
うな存在だった。ドリーが家にいることは意識にあった。食
卓に料理が出て、家事もとどこおりなく進んでいることもわ
かっていた。だが、めったに話しかけない。あの子には、あ
の子の友だちがいる。たとえ考えることがあっても、そう思
うだけだった。

870 :◆p132.rs1IQ:2023/03/10(金) 04:23:51.36 ID:mGpC0O0/1
クリーチャー
ジョン・ソール
飛田野裕子[訳]
p71
 ロブは三年前とはすっかり変わってしまった。
 今ではみあげるように背が高くなり、かつては二人で夢中になったことがたくさんあったは
ずなのに、彼のほうはもうそういったことに興味を失っているらしかった。
 たとえば、ウサギだ。ロブはウサギにちらりと目をやり、それからマークに訊いてきた――
そのロブの口調に軽蔑の響きがあったことを、マークは聞き逃さなかった――まだ、そんなも
ので遊んでる≠フか、と。マークは眉をひそめた。
「きみだってモルモットを飼ってたじゃないか」そういってみた。
 ロブは目玉をぐるりとまわした。「誰だってやるさ、ガキのころにはな。ハムスターとかアレ
チネズミとか」やがてにやっと笑ったが、それはマークの昔の思い出に残っている友好的な笑
顔ではなかった。「こいつらを放したらどうだ」ロブはいった。「そしたら、ウサギ狩りができ
るぜ」

871 :◆p132.rs1IQ:2023/03/13(月) 00:45:43.28 ID:0w59ynxk3
ずっとお城で暮らしてる
シャーリイ・ジャクスン
市田 泉[訳]
p28
「りっぱな古い私有地に、フェンスを張って、専用の小径を作って、お上品に暮らしてい
らっしゃる」ジムはいつも、くたびれるまでしゃべり続ける。話すことを思いつくと、で
きるだけ何回も、できるだけ何通りもの言い方でしゃべるのだ。もしかすると、思いつき
などほとんどないから、それぞれをからからになるまで絞(しぼ)りつくさなくちゃいけないのか
も。しかも、くり返すたびに話がおもしろくなると考えている。だれももう聞いていない
とほんとうに納得するまで、このまま話し続けるかもしれない。あたしは自分なりのルー
ルを作った――何ごとも一度しか考えないこと。そして両手を静かにひざの上に乗せた。
あたしは月の上で暮らしてる。月の上にあたしだけの小さな家があるの。

872 :◆p132.rs1IQ:2023/03/14(火) 03:57:33.21 ID:GFd7Bn3xW
ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ
アリ・シュロスバーグ[脚本]
小島由記子[編訳]
p73
「エミリー、餌は買ってるよ」
「付けたわ」
 エミリーは釣り竿を持って立ち上がった。糸の先にぶら下がったゴキブリが鼻先をかすめ、
デビッドは思わず顔をしかめた。
「分かった」
 エミリーはそのまま湖面に、釣り糸を投げ入れた。
「……ルアーなんか、どうでもいいか」
 デビッドも急いで生き餌をつけ、娘と並んで湖に釣り糸を垂らした。しばらくしてエミリー
の糸に強い引きがきた。
「食いついたぞ。巻き上げるんだ!」
 エミリーは歯を食いしばって釣り糸を巻き、デビッドは期待に胸躍らせて湖面を見つめた。
魚影がうごめいている。
「いいぞ! もう少しで釣れるぞ」
 デビッドがもっとよく見ようと湖に乗り出したその時、エミリーが釣り竿を引っ張り上げ、
水の中から彼の頭を越えて魚が高く舞い上がった。それは大きなマスだった。思わず悲鳴を上
げそうになったデビッドは、深呼吸してからバタつく魚をつかもうと奮闘した。

873 :◆p132.rs1IQ:2023/03/14(火) 03:59:52.18 ID:GFd7Bn3xW
 ようやく魚をつかんだデビッドは、満面の笑みでエミリーを振り返った。だが、彼女は面白
くなさそうにむっつりとしている。デビッドは顔をしかめて魚の口から針を外した。ゴキブリ
はすでに魚に飲み込まれたらしく、姿もかたちもなかった。
 魚を湖に戻そうとしたデビッドの背後で、エミリーの声がした。
「それ、食べないの?」
 ゴキブリを飲み込んだ魚を食べるだって? デビッドは耳を疑って娘を振り返った。エミリ
ーは平然とした表情で突っ立っていた。

 結局、マスは父娘の夕食のメイン料理となった。調理の際、デビッドは顔をしかめ、ゴム手
袋をはめた手で、魚の腹からまだ消化されていないゴキブリの黒い影がうっすらと見える内臓
を慎重に取り除いた。

874 :◆p132.rs1IQ:2023/03/14(火) 04:02:05.13 ID:GFd7Bn3xW
楽して暮らしてぇなぁ。
植松伸夫[著]
p33
 猪突猛進型の僕はどちらかというと張りつめ人生≠送りがちです。それ
が切れやすいことがわかっていたから、糸を太くすればいいやと思ってました。
でもね、最近ちょっと違うってわかってきた。そんな生きかただと、糸を太く
する努力に加え、さらにそれを張りつめる努力もし続けなければならない。こ
れはしんどい。できれば努力したくない。じゃ、どうするか? ココなんです
ねぇ。ココ重要ですよ。よぉく聞いといてね。テストに出るぞ。
 教えようか、その秘訣? つまりね、持ってるもんがダメだったんだよ。糸
を持ってたからダメなんだ。これをゴムひもに変えてしまうのだ。せっかく手
にした糸を切られたくないから外圧がかかることを恐れていたんだね。でもゴ
ムひもだったら、ほぉら、もう大丈夫。何が来ようがそのつどグニュ〜ンと柔
軟に姿を変えてしまう。けれども、つぎの瞬間自分本来の姿に戻ることができ
る。
 ゴムのように柔軟な自分の心を持つことさえできれば、ある程度のストレス
からは逃れることができると思います。……少なくとも、張りつめた糸よりは
ね。

875 :◆p132.rs1IQ:2023/03/16(木) 01:34:34.87 ID:5jJm51IzH
殺戮のキャンパス
リチャード・レイモン
山口 緑[訳]
p150
「だれか……」といってから、あやうく「いるのか?」といいそうになった。が、その言葉は
出てこなかった。なにもいわなければよかった。恐怖が自分の声とともによみがえり、胸をき
つく締めつけてくる。
 懐中電灯をスイングドアの上まで持ち上げてみた。光がキッチンの床にそって流れ、震えな
がら移動する。
 血が目にはいる前から、臭いだけがしていた。ローランドはその臭いをよく知っていた。ハ
ロウィンに自分の血をマヨネーズの瓶にいれ、顔に塗り付けて寮のやつらをあきれさせたこと
があるのだ。ぼくの血もちょうどこんな臭いだった――金臭(かなくさ)くて、どこか線路みたいな臭い。
 懐中電灯の光が血を探しあてた。おびただしい血だった。キッチンのなかほどの床一面に広
がっている。茶色く見える。
 死体の位置が、白っぽいテープの輪郭で示してある。
 本物になってきたぞ。
 なんてこった。
 これは本物だ。
 ぼくは大きなミスをした。ここにはなんのかかわりもなかったのに。ぼくは見当違いの場所
に迷いこんだ、おろかで間抜けな子どもだ。

876 :◆p132.rs1IQ:2023/03/16(木) 06:41:47.94 ID:7MCapOubq
殺戮のキャンパス
リチャード・レイモン
山口 緑[訳]
p250
「ほんとに秘密にすべきなのかな」スティーヴが尋ねた。「みんなが危険を知れば、それに備
えて用心もできるだろう」
「大混乱になるぞ。それともおれたちがいかれてると思われるかだ。それともその両方かな」
「それはそうでしょうが、でも……」
「引き出しの中身は秘密にしておくんだ、アップル。一両日中に見通しが立たなければ、世間
のばかどもにも知らせることにしよう。いいな? おまえが記者会見を開いてもいい。だが、
みんな食い物のメニューに載せられてるんだぞ、と世間に知らせる前に、おれたちでやってみ
ようじゃないか」

877 :◆p132.rs1IQ:2023/03/16(木) 10:00:04.51 ID:7MCapOubq
TVステーション 関東版 2019年22号
p23(「孤独のグルメ」8つの鉄板トリビア)
(8)即撮りのモノローグには
   こだわりが満載
 五郎のモノローグは食事シーンの撮影後に収録するの
で、モノローグも現場の変更に対応して脚本家が調整を
行う。また、五郎には「フッ」という特有の笑いがあるが、
「編集段階で変える時もあるので、『フッ』の声のストック
は30個くらい用意してあります(笑)」(菊池P)

878 :◆p132.rs1IQ:2023/03/20(月) 14:19:05.18 ID:Z4rfQJKx2
アルマゲドン
M.C.ボーリン
石田 享[訳]
p43
中央管制室会議室

 全員の視線が報告書を読むダン・トルーマンに集まった。報告書に記された数字はあまりに
も明快で、生々しすぎた。
 トルーマンは内心の思いが顔に出ないよう祈りながら全員の顔をみまわした。
「これで基本方針は決まった」小さな声だが、静まりかえった室内の隅々にまで届いた。「これ
から地球近傍小天体(ニア・アース・オブジエクト)回避作戦を検討する。みんな知恵を絞れ。どんなアイデアでもいい、ナプ
キンやピザの箱に書き込んだメモからパソコンのシミュレーションまでなんでも受け付ける。
 この三〇年、NASAはその必要性を問われてきた」トルーマンは語気を強めた。「いまこ
そ、その存在を示すときだ」
 トルーマンの話が終わったとたん、会議室の動きがあわただしくなった。小学校一年生のと
きから学んできた知識のすべて、高校のグラウンドで身につけたフットボールの全戦術、NA
SAでの訓練のすべて――そして思いつくかぎりの祈り――を結集して、世界最大の難問に立
ち向かう必要があった。

879 :◆p132.rs1IQ:2023/03/21(火) 22:21:55.61 ID:MFVBXRcN4
ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ
アリ・シュロスバーグ[脚本]
小島由記子[編訳]
p99
 書斎に戻ってきたデビッドは、ヘッドホンをつけて静かなクラシック音楽を聴きながら、ノ
ートにエミリーの様子を書き込み始めた。
置き換え攻撃の症状のようである。母親に見捨てられた怒りを、チャーリーで表現している。
その怒りは今、私に向けられ……
 風がいっそう強くなり、巻き上げられた小枝が窓ガラスを叩く。デビッドはヘッドホンを外
して立ち上がった。窓辺へ行って外をのぞくと、いつの間にか雨が降り始めていた。見つめる
うちに、雨足は急速に早まった。ついに嵐がやってきたのだ。
 その頃、二階のエミリーはパジャマ姿でベッドに座り、両手で目を覆って歌うように数を数
えていた。
「……八つと一〇〇〇、九つと一〇〇〇、一〇と一〇〇〇。隠れた? 捜しに行くわよ」
 エミリーは手を目から外すと、ほほ笑みながらベッドから降りて、部屋の中をぐるりと見回
した。そしてクローゼットに忍び寄り、さっと扉を開く。そこには誰もいない。
 そっと部屋から出たエミリーは暗い階段へと続く廊下を見渡し、小声で呼びかけ始めた。
「チャーリー、チャーリー……」

880 :◆p132.rs1IQ:2023/03/21(火) 22:24:19.67 ID:MFVBXRcN4
 エミリーはつま先立ちで階段を下りていき、いかにも楽しそうに辺りを見やった。それから
廊下を挟んで階段の横にあるコート用のクローゼットの扉を開けた。彼女がそこにかかってい
るコートを寄せると、奥の壁に地下室へ通じるもう一つの隠し扉があった。
 エミリーは真鍮の取っ手を回してその扉を開け、暗闇へ向かって呼びかけた。
「チャーリー、どこなの? 出ていらっしゃい!」
 しばしためらったあとに、エミリーはおずおずと階段を下り始めた。下には真の闇が広がっ
ていた。エミリーは階段の一番下までくると、手探りで頭の上からぶら下がっている金属のコ
ードをつかんで引っ張った。
 薄暗い裸電球が点灯し、錆びたガーデニングの道具や自転車、古い家具が置かれた陰気な地
下室を照らし出した。エミリーは地下室の床に下りて、辺りを見回しながら進んでいった。
 奥まった所に大きなキャビネットがあり、その扉が半ば開いていてギシギシと無気味な音を
立てていた。傍らには白いシーツに包まれた簡易ベッドが置かれ、あたかも毎晩、誰かが寝て
いるかのように毛布と枕がセットされている。おそらく昔の使用人が使っていたものなのだろ
うが、そのベッドは少女の想像力と恐怖心をかき立てた。
 背後で物音がして、エミリーはぎくりとして振り返った。
「チャーリー? そこなの?」
 震える声でそうたずねた瞬間、突然、電気が消え、エミリーの悲鳴が上がった。

881 :◆p132.rs1IQ:2023/03/22(水) 07:53:34.20 ID:Vk9hoGf8U
アルマゲドン
M.C.ボーリン
石田 享[訳]
p139
 チックはデイヴィス大佐にきちんと敬礼してから、マックスにつづいてタラップをのぼった。
ロックハウンドとヌーナンはのろのろとタラップをのぼった。抱き合うようにして輸送機に近
づくグレースとA.J.の姿を見て、ハリーはうなり声をあげた。
 ダン・トルーマンはそんなハリーに歩みよった。「地元紙の記者にわれわれの無線交信を傍受
された。ついさっきフランスの人工衛星が問題の小惑星を発見した。これから各方面に電話を
かけなくてはならない」
「それじゃ、これでお別れだな」ハリーはこたえた。
 トルーマンが手を差し出し、二人の男は握手した。「さよならは言わんでくれ」トルーマンは
頼んだ。
「まかせておけ」ハリーは口元をゆっくりほころばせた。「ビールを買って待ってろ」
 トルーマンはうなずいた。「そうだ、プリッツェルも用意しておこう……」

882 :◆p132.rs1IQ:2023/03/22(水) 07:56:24.51 ID:Vk9hoGf8U
 ハリーたちがケネディ宇宙センターへ向かっているあいだに、噂はメディアを通じて燎原の
火のごとくひろがった。

 ふたたび隕石雨が襲来するという噂が先週からずっとささやかれていました……。
 国防総省高官はそうした風聞を否定……。
 大統領が急遽キャンプ・デービッドを引き上げたことが、そうした憶測に拍車をかけました……。
 ついさきほど日本の人工衛星が問題の天体を確認……。

883 :◆p132.rs1IQ:2023/04/12(水) 09:31:34.47 ID:80fSf0dCQ
ローズ家の戦争
ウォーレン・アドラー
上田公子[訳]
p316
「わたしにとってあなたはもう問題じゃないのよ、ジョナサン」彼女は悲しげにいった。
「あなたがどうなろうとかまわない。へどが出るほどきらいだわ」

884 :◆p132.rs1IQ:2023/04/24(月) 01:15:49.49 ID:rA7sZaxvo
影なき狙撃者
リチャード・コンドン
佐和 誠[訳]
p314
 次の朝も正午(ひる)に近い連邦捜査局のニューヨーク・オフィス、その大きな一室にアムジ
ャクをふくむ四人の男たちがいた。ひとりは担当の特別捜査官だった。もうひとりはい
ましがたワシントンからきたばかりの急使だ。四人目はマーコだった。
 急使は捜査局の特別資料室のひとつから百六十八枚にのぼるクローズアップ写真を持
参した。大写しの写真のなかには複数の男性モデル、メキシコのサーカス芸人たち、チ
ェコの化学研究者たち、インディアナの石油業者たち、カナダ人の運動選手たち、オー
ストラリアの戸外興行師たち、日本の犯罪人たち、スペイン・アストゥリアの坑夫たち、
フランスのウェイター頭(がしら)たち、トルコのレスラーたち、田舎の精神科医たち、海事弁護
士たち、イギリスの出版業者たち、そしてUSSR、中華人民共和国、それにソヴィエ
ト陸軍のそれぞれ高官たちの写真がふくまれていた。ピントの鮮やかなものもあればピ
ンぼけの写真もある。さっと見ただけでマーコはミハイル・ゴメルとゲオルギー・ベレ
ゾホを識別した。だれもひとこともしゃべらない。二度目の写真の面通しで年配のほう
の中国高官パ・チャの面が割れた。五年間も毎晩のようにじっくり顔を合わせてきた甲
斐あって、彼はたとえばノースカロライナの著作権代理人だのバスク地方の羊ブローカ
ーといった顔にまどわされることはなかった。

885 :◆p132.rs1IQ:2023/04/26(水) 01:00:59.41 ID:I9GA4Lhdr
テレフォン指令
ウォルター・ウェイジャー
皆藤幸蔵[訳]
p25
「完全な隠密スパイとはどういうものだと思う、グリゴリ
?」と、ストレルスキーは挑戦するようにたずねた。
 彼が答えを待たなかったことは、タバットを驚かせなか
った。将軍連中は、めったに相手の答えを待たないからだ。
「完全な隠密スパイとは、男でも女でも、自分がスパイだ
ということを知らないスパイのことだ」と、ストレルスキ
ーはぶつけるように言った。「すばらしいアイデアだった
な、アレクセイ――実にすばらしい」
「あの当時は、そう思われた」と、マルチェンコは認めた。

886 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:22:01.42 ID:RhCotCsDw

ジョルジュ・ランジュラン
稲葉明雄[訳]
p124(『彼方(かなた)のどこにもいない女』)
 だれもが認めていたことであるが、弟のバーナードは知能的な意味で、わが家の中心人物であ
った。永年にわたって、彼が卒業証書や学位免状をいろいろ獲得していると聞いても、わたしは
べつに驚きはしなかった。まあいわば、ほかの連中が蝶や切手を集めるようなものだった。そし
て、学位をとって彼がレイ・フォールズに帰ってきたとき、わたしは大層よろこんだ。いまや、
バーナード・E・マースディン博士なのだ! その上、バーニイが汽車から降りてきて、原子核
研究所の枢要な地位に任命されたと聞いたとき、わたしはもっとうれしかった。
 バーナードは湖畔の小さな別荘に住んでいたが、そこは滝の上にあって、とても居心地がよか
った。毎朝、近くに住んでいる老婦人がやってきて、朝食の仕度をし、部屋を掃除してくれてい
た。夕食は自分で準備した。そして一年じゅう朝は湖に出て水浴をやっていた。彼はスポーツマ
ンというほどではなかったが、マースディン家のがっしりした体格を受けついでいたし、眼もお
なじブルーであった。たまたまわたしは警察署で彼と口論したことがあったが、もし手を出せば、
バーニイはわたしを苦もなく打ち倒したことだろうと思う。

887 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:23:57.75 ID:RhCotCsDw
 ところで、つぎのようなことが起ったのはまちがいないと言ってよい。
 ある夜のこと、電子頭脳に使う計算用紙のことで、バーニイは遅くまで仕事をしていた。彼は
あくびをし、伸びをして、もうそろそろ寝る時間だなと思った。だが、まず仕事のことを忘れて
しまわないかぎりは、眠ることなどできないのはよくわかっていた。いつもだと湖畔に出かけて
一服するのであるが、その夜はたいへんな雨だったので、彼はテレビを見ることにした。ブラウ
ン管が明るくなると、二人の男が現われた。二人は話しあっているようすだが、バーニイはきき
とることができなかったし、映像もはっきりしていなかった。彼は音声を調整して映像を合わせ
ようとしたが、結局は無駄だった。受信機か、中継局のぐあいでも悪いんだな、と彼は考えてス
イッチをきった。
 数日後、バーニイはある報告書をタイプしてしまうとまたテレビをつけてみた。一分ほどする
と発音のはっきりしない混乱したような男の声がきこえてきた。そしてブラウン管が明るくなっ
たときは、ただ四方八方に横切っていくぼんやりした影しか見えなかった。
「故障したのかな」とバーニイは考えながら、受信機の調整ボタンをいろいろ操作してみた。

888 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:26:13.16 ID:RhCotCsDw
 一本の手が非常に鮮明にはっきりと画面に現われたのは、バーニイがまさにスイッチをきろう
とした瞬間だった。その手は、なにかを探しているかのように手探りしていた。とすぐに、手は
かなり年とった男の顔にとってかわった。男はバーニイの方をちらっと見ると、顔をめぐらして
何かしゃべった。が、バーニイには理解できなかった。それからその顔はすべるように消えてい
った。
「なんだか、水族館の魚のようだ」と、バーニイは考えた。なおも何かはっきりしない音や、逃
げ去るような影がつづいた。これが起ったことのすべてであった。
 バーニイは時計を見て、夕刊をとりあげた。最終のテレビ放送は二十三時三十五分に放送され
るニュースのようだ。が、それが午前一時まで延長されるなんてことはありえない! とすれば、
なにか別のことなんだ。受信機を修理する必要があるのかもしれない……待てよ、もしかすると
地方の放送局で、カラー放送か、なにか新しい送信方法を試験しているのかもしれない。そうだ、
その場合だったら、映像が明瞭さを欠いていたり、音質がよくなかったりしても納得がいく。翌
朝、バーニイはディック・ローランズに電話をかけた。ディックは地方放送局の技師である。

889 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:30:00.20 ID:RhCotCsDw
「いや、目下のところ試験放送はなにもやっていない。いったい何時ごろのことなんだ」
「一時か、一時をちょっと過ぎたころだ。二日前にもそんなことがあったんだが、時間はもっと
遅かった」
「一昨日(おととい)だって……いや、何もないよ。チャンネルはどこだった」
「第二」
「それじゃ、うちの局だ。たぶん技術的に異常な状態がつづいて、どこか遠くの放送を受信した
のだと思うよ。で、アンテナはどんな種類かね?」
「室内アンテナだ」
「そいつは変だな、もし今度そういうことになったら、ぼくのほうに知らせてくれよ。すぐそっ
ちへ行くから」
 それから二日後、ふたたび例のものがはじまった。バーニイはまたぼーっとかすんだ何人かの
男のすがたを見、やっとききとれる、ぜいぜいいう言葉をきいた。
「きみの受信機はとても調子がいい」と翌朝、ディック・ローランズは言った。「きみが見たの
は、ひじょうに遠い放送局の番組にちがいない。成層圏の反射によるものだと思う。どういうわ
けかしらないが、たまたま普通の受信機でも受像されることがあるんだ」
「で、この場合どこからきたのかな? ロシア、それともオーストラリア?」
「ぼくの考えでは、そんなに遠くはないと思うがね。連中のしゃべっている言葉がわからなかっ
たかい?」
「わからないよ」

890 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:32:04.07 ID:RhCotCsDw
 わたしのポータブル・テレビを借りだした日、バーニイは自分が非常に不思議な現象にかかわ
っているという確信をいだいた。彼は例の影がべつの受信機にも出るものかどうかを知りたかっ
た。この地方局の最終の『おやすみ番組』のあとで、バーニイは二つの受信機をつけてみた。二
分たつと、例の影が二つの画面にすがたを見せてきた。
 突然、バーニイはとびあがった。それはすでに彼にはおなじみの姿と顔ではあったが、二つの
画面はそれぞれ異っているのだ! すると、遠方の放送を受信しているという可能性は除外され
る。では、べつべつの二つの放送を受信しているということだろうか。その影が消え、いつもの
ごろごろひびく音がしだいに遠ざかると、バーニイは電源をきって、パイプに火をつけた。これ
には二つの答しかないのだ。ディックが聞いたこともない、どこか遠方の、地方局の試験放送。
または……またはまったく別のことなのだ。バーニイはその最初の可能性を慎重に検討しようと
していた。もし試験放送ならば、それほど秘密の性格を帯びるものでもないだろう。なぜなら、
それは誰にでも受信できるからだ。

891 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:34:07.70 ID:RhCotCsDw
 ところが、バーニイはまったく間違っていたのだ。彼がそのことに気がついたのはそれから数
日してからだが、その日は例の音がいつもより強くひびいてきた。音量を下げようとしたとき、
彼はぺちゃくちゃとしゃべるような不思議な声をはっきりと聴きわけたのだ。と、ただちに別の
声がもっと鋭い調子でなにか答えた。それから画面が明るくなり、バーニイはしゃべっている二
人の男をきわめてはっきりと見ることができた。二人が日本人であることは明らかだった。片方
の男がふりむいて画面のほうを指さすと、二人してバーニイにむかって進んできた。(それじゃ、
ディックのいう通りだったんだな)と、バーニイはつぶやいた……たんに技術的に異常な状態が
おこって、日本のテレビ番組を受信することができたのだ。画面のなかの二人の男はしゃべるの
をやめて、カメラのほうを見つめていた。一人の男が何事かいって、人さし指をバーニイに向け
た。
 すると男は架空のコップをとりあげ、飲むふりをしてみせた。たんなる偶然の一致だな、とバ
ーニイは考えて、自分のそばに置いたミルクのコップをちらっと見た。そしてポケットのマッチ
を探していると、画面の小男も自分のポケットをさぐっているのだ。バーニイは眉をひそめなが
らもマッチを見つけ、パイプに火をつけようとした。するとその男は架空のパイプを持ちだして、
猿まねのように火をつけるふりをした。もうひとりの日本人はこのちょっとしたお芝居の観客で
あったが、笑いだすと、なにごとかしゃべった。すぐに三、四人の人間が――それもなかの二人
くらいはひどく簡素な服装だったが、仲間に加わって画面がいっぱいになった。かれらはバーニ
イのほうをじっと見つめていた。

892 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:36:09.92 ID:RhCotCsDw
 ミルクのコップ、パイプ、バーニイについて、しゃべったり見つめたりするかれらの態度、こ
れらのすべてを考えると、ただひとつの意味しかありえない。つまり、彼はあるファンタスティ
ックな実験の場に置かれているのだ。おそらく画面に現われているのは日本人の技師たちだろう
が、かれらはただの受信機にすぎないテレビを、送信と受信の両用ができる装置に変える、ある
方法を発見したのだろう。でも、この仮定だけではバーニイは満足できなかった。それで画面か
ら目をはなさず、ゆっくりとネクタイをはずしにかかった。ただちに、画面の中央にいたその男
は嘲笑しながら軽く一礼すると、バーニイを真似るふりをした。もはや疑いの余地はなかった。
「わたしの声が聞こえますか」と、バーニイはたずねたが、自分の声の調子にびっくりした。
 みんなはバーニイのほうをじっとみつめた。すると、なかの一人が早口でなにか言った。眼鏡
をかけた老人が画面の中央に進みでると、非常にはっきりといった。
「英語が話せますか」
「ええ」と、バーニイはひどく興奮して答えた。
「それで、わたしの声がわかりますか」
 かれらはまたいっせいに早口でしゃべりはじめた。そして、バーニイの所作(しぐさ)をまねていた男が
老人にひとこと話すと、老人はうなずいた。みんなの討議は、なおもしばらくつづいたが、老人
はバーニイを見つめると、こういった。
「ちょっと待っていただけますか、え、いいですか?」
「待てとおっしゃるんですか」
 と、バーニイは指で自分をさしながらたずねた。
 かれらはみんな軽くうなずいた。

893 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:38:24.52 ID:RhCotCsDw
 そう長くは待たされなかった。が、目の前の画面にきれいな若い女が現われたときには、バー
ニイはびっくりしてしまった。ひどく簡素な白い服をきた女は、長い髪を横になびかせながら前
方に進みでてきた。女は自分をとりまいている男たちをちらっと見やってから、両手が画面にふ
れるばかりのところまで進んできた。彼女はバーニイたちの会話をたしかに聞いていたのだ。な
ぜなら女はバーニイをじっと見たからである。男たちは彼女のまわりに集ってきて、なおもしゃ
べりつづけた。彼女はおしゃべりが終るのをじっと待った。それから眼をバーニイに釘づけにし
たまま英語で話しかけたが、それは完全な英語だった。
「英語で話していただけません?」
「ええ、わたしの声がきこえますか? きみは誰なんです? どこにいるんですか?」
 女は悲しそうにバーニイを見つめた。と、みんながいっせいに何かしゃべりだした。
「見たところ、あなたはあたしたちの声をきくことができるんですね。でも、あたしたちはあな
たの声がきこえないのです。おわかりでしょうか?」
「ええ」とバーニイは言って、うなずいてみせた。それから急いで机のところに行き、赤インク
の万年筆をとって、大きな紙きれに大文字でつぎのように書いた。

  『これが読めますか? きみは誰ですか?』

 これを画面のまえに置くと、
「ええ、とてもよく読めます」と、女は答えた。「あたしたちは……」

894 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:40:42.68 ID:RhCotCsDw
 しかし、女の声は周囲のひどく興奮した五、六人のがやがやしゃべる声に妨げられた。女はバ
ーニイのほうへ眼をあげると、ただつぎのように言っただけだ。
「いずれその時になったら、あたしたちはあなたの質問に答えることになるでしょう。まずあた
したちは、あなたが誰であり、またそこはどこなのかを知りたいのです」
『わかりました』とうなずいて、バーニイはまた机のところにもどり、小さなテーブルとタイプ
ライターを持ってきて、それを受信機の前にすえた。彼は用紙をさしこんで、大文字でつぎのよ
うに打った

  『わたしはバーナード・マースディン。レイ・フォールズの自分の家にいます。きみは誰で
  すか? どこにいるんですか?』

 バーニイはその紙きれを画面の前においた。身をかがめながら、若い女はそれを読むと通訳し
た。女はちょっと間をおいてから、
「レイ・フォールズというのは何ですか?」と、たずねた。
 自分のメッセージの最後の質問のところを指でさし示しながら、バーニイはレイ・フォールズ
の文字のところでうなずいてみせた。
「ちょっと待ってください、みなさんに聞かないといけませんので」と女はいって、仲間のほう
をふり向いた。

895 :◆p132.rs1IQ:2023/04/28(金) 12:43:09.88 ID:RhCotCsDw
  『きみは囚われているのですか』

 女が相談している間に、バーニイは急いでタイプを打った。
 若い女はそれを読むと、笑いだした。
「いいえ、この方たちは賢く、また非常に聡明な人たちです。みなさんのおかげで、あなたとも
交信ができるようになったのです。あたしたちがどこにいるかを説明するのは、とてもむずかし
いことです。なぜって、実のところ、あたしたちはどこにもいないからです」

896 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 04:00:24.53 ID:QbXz0Fx9w
キス・ザ・ガールズ
ジェイムズ・パタースン
小林宏明[訳]
p115
 部屋はわざと薄暗くしてあった。天井にモダンな減光器が取り付けてあるのがわかった。
天井は低く、おそらくは七フィートもなかった。
 その部屋は、最近つくられたか改装されたかのどちらかだった。趣味よく飾り付けられて
いて、もしも経済的な余裕と時間があれば自宅もこのようにしたいと思わせる内装……ほん
ものの真鍮(しんちゆう)のベッド、真鍮の把手(とつて)がついた白いアンティークなドレッサー、銀のブラシと櫛(くし)
が乗っている鏡台。ベッドの支柱には、彼女の自宅と同じにカラフルなスカーフが結びつけ
られていた。なんだか奇妙に思えた。とても奇妙に。
 部屋には窓がひとつもなかった。唯一(ゆいいつ)の出入口は、重い木の扉(とびら)だけであるように思えた。
「すてきな装飾だわ」ケイトはそっとつぶやいた。「『サイコ』のオリジナル版みたい。いえ、
リメイク版の『サイコ』に似てる」
 小さなクロゼットの扉が半分あいていたので、なかを見ることができた。だが、目に入っ
てきたものを見て、気分が悪くなった。

897 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 04:02:07.12 ID:QbXz0Fx9w
 あの男はこのおそろしい場所に私の服を全部もってきたんだわ。この気味の悪い牢獄の独
房に。私の服が全部ある。
 のこっている力を振り絞って、ケイト・マクティアナンはベッドの上にすわった。鼓動が
激しくなり、その動悸(どうき)に恐怖した。腕と脚に重い鉛が結びつけられているような感じがした。
 けんめいに神経を集中して、信じられない光景に目の焦点を合わせようとした。そして、
クロゼットのなかを見つめつづけた。
 あれは私の服じゃない、と彼女はさとった。彼は私がもっている服とそっくりの服を買っ
てきたのだ! 私の趣味と体型に合わせて。ザ・リミテッドや、チャペル・ヒルのギャップ
で。私が買いにいく店で。
 彼女の視線は、部屋の向こうにあるアンティークな白いドレッサーへと移った。愛用の香
水が、そこにはあった。オブセッション。サファリ。オピウム。
 なにもかも自分のために買ってきたのだ。
 ベッドの横には、『美しい馬』があった。チャペル・ヒルのフランクリン通りでこのあい
だ買った本。
 彼は私のことをなにもかも知っている!

898 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 07:30:17.09 ID:QbXz0Fx9w
ローズ家の戦争
ウォーレン・アドラー
上田公子[訳]
p164
 でも、過ぎたことをふり返ってあれこれ考えるのはフェアじゃないわ、とバーバラは思
った。だいたいフェア≠ニいう概念そのものがばかみたい。人生にフェアなことなんて
なにひとつないんだもの。人生はフェアじゃない、というハリー・サーモントの声が頭の
なかに響きわたった。いつか彼がそういったとき、バーバラは即座にうなずいたものだっ
た。
「天気がよければ晴れ(フエア)。優ほどよくないのは良(フエア)。どんちゃん騒ぎも祭(フエア)。でも人生はフェア
じゃない」

899 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 21:05:32.06 ID:E0CvZdvYJ
大洞窟
クリストファー・ハイド
田中 靖[訳]
p103
 スブラノ洞窟に納入された食糧のほとんどは罐詰類だったが、この日の料理当番のアリス・
ブレードンとジェイソン・リクターは、蒸しハム、ポテト、豌豆(えんどう)を材料にけっこういける料理
をつくり、ヴラセクの差入れたユーゴスラヴィア産ワインの数本がその味わいを高めた。しか
し、昼間の作業にはげんだせいか、全員が顔をそろえた食堂テントでは、会話はあまりはずま
なかった。
 食事後、一同にコーヒーが配られると、テーブルの上座についたペンフォルド博士がスプー
ンでマグの側面をこつこつと叩いて、みんなの注意をうながした。
「さて、諸君」と彼ははじめた。「きょうがきわめて実り多い一日であったことは、どなたも
異論はないだろう」テーブルのまわりで賛意をしめすつぶやきやうなずきが起こった。デイヴ
ィッドは父親のすぐ左で煙草に火をつけると、折畳み椅子に深くもたれた。おやじの食後談
話≠ヘ、考古学上の学説をめぐる重箱のすみをつついたようなおしゃべりで、一度でも経験し
た者には悪評しきりだった。デイヴィッドはさりげなく席を立とうとしたが、口実が思いうか
ばず、しかたなく斜め前方で手帳になにやらメモしているトニー・グレースをながめた。あの
男は運がいい。彼は羨望をこめて思った。先史時代の画家がつくった隠れ処の発見は、一生か
かってもめぐりあえない奇蹟で、デイヴィッドがいつも夢みていたことだった。彼は鼻孔から
二本の煙をはきだすと、父親のほうに注意を向けた。

900 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 21:07:35.63 ID:E0CvZdvYJ
「本日は、二つの注目すべき成果があった」ペンフォルド博士はつづけた。「まず、われわれ
が洞床の下層で採取した酸性土は、生体組織の保存に最適であることがはっきりした。ラボの
精密なテストを繰り返さないかぎり、百パーセントの確証はないが、メリル博士の野外調査に
よれば、土壌に含まれた活発な化学物質はタンニンであるようだ」
 マリーア・ターヴァニンとフランク・スピアーズのあいだに坐ったメリルは、控えめに視線
をコーヒーカップに落とした。
「第二の成果は、いうまでもなく原田博士とミスター・グレースによる芸術家の洞窟発見のニ
ュースだ」自分の名前を耳にしたトニー・グレースは、顔をあげて笑みをみせると、また手帳
に戻った。
「わたしとブシャール博士は、さきほど原田博士からその詳細を聞かせてもらった。秘密の岩
屋はクロマニヨン人の集団によくみられるもので、しばしば部族のシャーマン、すなわち呪術
師に提供されている。その点は、われらのスブラノ洞人にも共通しているようだ。あす、ジェ
イソンが原田博士の協力で、その岩屋に行って写真撮影をおこなう予定になっている。さいわ
い、ジェイソンは今回の調査にポラロイドの機材一式を持参してきた。われわれははるばる岩
屋にでかけなくても、その全容をかいま見ることができる。ミスター・グレースの話では、た
いへんな旅のようだからね」
「出張するのはかまいません」テーブルの食器を集めていた巨漢のカメラマンが口をはさんだ。
「ドク原田からわたしが途中で立ち往生しないという保証をいただければね」

901 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 21:09:41.59 ID:E0CvZdvYJ
 高島健治とデイヴィッドにはさまれた原田が笑った。「保証はできませんが、これだけはい
えます、ミスター・リクター。あなたは雲つく大男だが、横幅のほうはわたしとたいして変わ
らない。わたしは恥かしくてダイエットをはじめたいくらいですよ」
「ともあれ、われわれはあすにもスブラノのヴィーナス像とやらにお目にかかれるだろう」と
ペンフォルド博士が口をはさんだ。
「そうだ、あの芸術家にもふさわしい名前をつけたらどうです?」グレースが手帳から顔をあ
げて、提案した。「結局のところ、われわれがこんなところにいるのはすべて彼のお陰ですか
らね」
「とっくに骨になってらあ」スピアーズが身を乗りだしていい放った。「名前なんぞつけても
しょうがねえよ」
「わたしは意味ぶかいことだと思いますね」テーブルの後方でアラン・ブシャールと肩を並べ
たヴラセク医師がいった。「この洞窟の住人をただの骨だというのはひどい。彼もまた人類で
あり、偉大な画家だったのです」
 スピアーズはあざけるように鼻を鳴らした。
「ブルイユとつけたらいい」ふいにブシャールが発言した。「フランスの聖職者で、先史時代
の洞窟絵画を世界ではじめて発見し、世に知らしめたひとりです」
「なじみの薄い名前だね」ペンフォルドは言下に否定した。「アンリ・ブルイユ師は考古学界
でこそ著名だが、一般大衆にはなんのことかわからんでしょう」
「ユーゴスラヴィアの名前にしたらどうです?」ヴラセクが遠慮深く意見をのべた。
「それじゃぼくの読者たちが発音できそうにないな」グレースが穏やかに反論した。

902 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 21:13:58.81 ID:E0CvZdvYJ
「汗(カン)はどうかしら?」ナプキンにフェルトペンで落書きしていたマリーア・ターヴァニンが口
をはさんだ。
「失礼だが、どういう関連があるのかわからんね」とペンフォルド博士がいった。「成吉思汗(ジンギスカン)
はとても芸術家と呼ぶたぐいの人物ではないだろう」
 赤毛の女は落書きから顔をあげ、ぴくりと眉をあげた。デイヴィッドはにやりとした。あの
表情はよくおぼえている。おやじのやつ、しっぺがえしをくらうぞ。
「その汗(カン)じゃないの」マリーアは片頬で笑った。「わたしがいってるのは、コールリッジの
……」
「さっぱり飲みこめんが……」ペンフォルドが一気にしゃべろうとした。
「彼女はザナドゥの詩にでてくる男のことをいってるんですよ」グレースはすばやく割って入
った
 マリーアはうなずいた。「そうなの」彼女は食堂テントのゆるく曲線をえがいたプラスティ
ックの天井を見上げると、まぶたを閉じて口ずさんだ。

 忽必烈汗(クブライカン)はザナドゥの都にありて
 壮麗なる歓楽宮をつくりたまいき
 そは聖なる川、アルフの流れが
 人類には測りしれぬ地下洞をくぐりて
 太陽のない海のかなたへながれゆきしところなり

903 :◆p132.rs1IQ:2023/04/29(土) 21:15:42.20 ID:E0CvZdvYJ
「ぴったりじゃないか!」グレースが喜色満面で叫んだ。「歓楽宮とやらは、ここの壁画にち
ゃんと描かれている。スピアーズは第二洞で地下水脈をみつけたが、それがさしずめアルフの
流れだ。太陽のない海以外は、気味がわるいほど符合している。ぼくはカリフォルニア出身の
女性が提案する汗(カン)という名前に賛成ですね」彼はテーブル越しに日本人地質学者をみつめた。
「原田、あんたの意見はどうです? 決定権があるのは、隠れ処をみつけたあんたです」
 原田はしばらく考えてから、うなずいた。「いい名前だ」彼はいった。「力強いひびきがある。
わたしは壁画をえがいた先史人が、豪胆な人物だったとひそかに考えている。よろしい、汗(カン)と
命名しましょう。どなたも異存がなければ」
 グレースがぐるりとテーブルを見まわした。唇をゆがめたスピアーズのほか、だれもとくに
意見をださなかった。
「よし、これで決まりだ」グレースは平手でぴしゃりとテーブルを打った。「これから汗(カン)と呼
ぶことにしよう」

904 :【吉】 ◆p132.rs1IQ:2023/05/01(月) 05:42:57.44 ID:iHr5KSldS
地獄の家
リチャード・マシスン
矢野 徹[訳]
p56
 バレットの視線はテーブルにのっている道具に走った。無定位電流計(スタテイツク・ガルバノメーター)、ミラー・ガルバノメータ
ー、クォドラント電位計(エレクトロメーター)、クルックス天秤(てんびん)、カメラ、ガーゼ・ケージ、煙吸収器(スモーク・アブソーバー)、圧力計(マノメーター)、体重計、
テープ・レコーダー。まだ包装をほどいていないのは、コンタクト・クロック、検電器(エレクトロスコープ)、ライト(標準
と赤外)、最高最低温度計、湿度計、ステノメーター、螢光スクリーン、電気ストーブ、瓶と試験管の
箱、鋳型を取る材料、それにキャビネットの材料。それから何よりも重要な装置だと、バレットは満足を
おぼえながら考えた。
 かれが赤と黄と白のライトの箱をあけかけるとフィッシャーは尋ねた。
「電気が通じていないのにどうやって使うつもりです?」
「明日にはつくよ。ぼくはカリヴウ・フォールズに電話した。ついでに言っておくと、電話は玄関のドア
のそばにあるよ。連中は明日の朝、新しい発電機を据えつける」
「それで、それが使えると思っていられるんですね?」
 バレットはちょっと笑いを浮かべかけた。
「使えるとも」
 フィッシャーはそれ以上何も言わなかった。ホールの向こうで燃えていた丸太がはぜ、大きな木箱のと
ころへ歩いていたエディスはびくりとした。
 バレットは彼女に言った。

905 :◆p132.rs1IQ:2023/05/01(月) 05:47:05.97 ID:iHr5KSldS
「そいつはだめ、重すぎるよ」
「ぼくがやりましょう」椅子から立ちながらフィッシャーはエディスのそばへ行き、かがみこんで箱を持
ち上げた。「何です、鉄床(かなとこ)ですか?」それをテーブルに置きながらかれはそう尋ねた。
 バレットはフィッシャーが珍しそうに見つめているのを意識しながら箱の蓋をこじあけた。「悪いが…
…?」かれはそう言い、フィッシャーは大きな金属の装置を取り出してテーブルに置いた。それは四角い
形で、紺色に塗られ、正面に〇から9〇〇までの数字がついた簡単なダイアルがついており、赤い針はゼ
ロをさしていた。その装置の上には黒い文字でバレット・EMR≠ニ書かれている。
「EMR?」
 フィッシャーの質問にバレットは答えた。
「あとで説明するよ」
「これがあなたの機械ですか?」
 バレットは首をふった。
「いま製造中さ」
 三人は足音に気づいて拱路(アーチウエイ)のほうを見た。燭台に立てた蝋燭を持ってフローレンスがやってくるとこ
ろだった。彼女は濃い緑の長袖スェーターにぶあついツィードのスカート、それにローヒールの靴という
服装に変わっていた。「ハロー」と彼女は朗らかな声で呼びかけた。
 三人のところにやってきた彼女はテーブルに並べられてある道具を見て微笑した。彼女はフィッシャー
に視線を移して尋ねた。
「わたしと一緒に散歩してみない?」
「いいとも」

906 :◆p132.rs1IQ:2023/05/01(月) 06:06:23.06 ID:iHr5KSldS
 二人が去ったあと、エディスはテーブルの上からタイプしたリストを取り上げた。それにはベラスコ
邸で観察された心霊現象≠ニいうタイトルがついていた。

  幽霊(アパリシヨン)。物体出現消失(アポート)。物体消失出現(アスポート)。自動製図(オートマチツク・ドローイング)。自動絵画(オートマチツク・ペインテイング)。自動発言(オートマチツク・スピーキング)。自動
  書記(オートマチツク・ライテイング)。自己病理認識(オートスコピイ)。二場所同時存在(バイロケーシヨン)。生物学的現象(バイオロジカル・フエノメナ)。書籍試験(ブツクテスト)。微風(ブリーズ)。強梗症(カタレプシイ)。科学的現象(ケミカル・フエノメナ)。
  超自然写真術(ケミコグラフ)。透聴(クレアオーデイエンス)。透感(クレアセンテイエンス)。透視(クレアボアンス)。対話(コミユニケーシヨン)。支配霊(コントロール)。水晶凝覚(クリスタル・ゲージング)。非物質化(デマテリアライゼーシヨン)。

907 :◆p132.rs1IQ:2023/05/01(月) 06:08:14.31 ID:iHr5KSldS
  直接製図(ダイレクト・ドローイング)。自動絵画(ダイレクト・ペインテイング)。直接霊言(ダイレクト・ヴオイス)。未来探求隠し物発見(デイバイネーシヨン)。夢(ドリーム)。夢による対話(ドリーム・コミユニケーシヨン)。夢によ
  る予言(ドリーム・プロフエシイ)。心霊体(エクトプラズム)。幻覚(エイドロン)。電気的現象(エレクトリカ・フエノメナ)。伸長(エロンゲーシヨン)。発散放射(エマネーシヨン)。肉体外精神力活動実体化(エクステリオライゼーシヨン・オブ・モートリシテイ)。感覚
  の実在化(エクステリオライゼーシヨン・オブ・センセーシヨン)。エクストラス。超時間的感覚(エクストラテンポラル・パーセプシヨン)。遮光透視(アイレス・サイト)。模写筆記(フアクシミリ・ライテイング)。花による霊感(フラワー・クレアセンテイエンス)。
  妖怪(ゴースト)。偽外国語発言(グロツソラリア)。超記憶喪失(ハイパーアムネシア)。超敏感症(ハイパーエセシア)。観念形態(アイデオモルフス)。観念形成(アイデオプラズム)。人格化(インパーソネイシヨン)。痕跡(インプリント)。個々
  の霊言(インデペンデント・ヴオイス)。物質透過(インターペネトレーシヨン・オブ・マター)。結び目作り(ノツト・タイイング)。物体浮揚(レビテーシヨン)。発光現象(ルミナス・フエノメナ)。磁性現象(マグネチツク・フエノメナ)。物質化(マテリアライゼーシヨン)。物
  質の物質透過(マター・スルー・マター)。筆蹟による精神測定(メタグラフオロジイ)。警告(モニシヨン)。自動現象(モーター・オートマチズム)。新聞試験(ニユースペーパー・テスト)。強迫観念(オブセツシヨン)。鋳型作り(パラフイン・モールド)。

908 :◆p132.rs1IQ:2023/05/01(月) 06:10:12.52 ID:iHr5KSldS
  近距離移動(パラキネンス)。近記憶喪失(パラアムネジア)。錯感覚症(パレセシア)。衝撃(パーカツシヨン)。幻影(フアンタスマータ)。騒ぐ霊現象(ポルターガイスト・フエノメナ)。憑依(ポセツシヨン)。予知(プレコグニシヨン)。予
  感(プレセンチメント)。予視(プレビジヨン)。偽足(シユウドポツド)。心霊写真(サイキツク・フオトグラフイ)。心霊杖占い(サイキツク・ロッド)。心霊音響(サイキツク・サウンド)。心霊触覚(サイキツク・タツチ)。心霊による風(サイキツク・ウインド)。念
  動(サイコキネシス)。精神測定(サイコメトリイ)。放射線感(ラデイエセシア)。X線写真(ラジオグラフ)。叩音(ラツプ)。後認識(レトロコグニシヨン)。自動文字(スクリプトグラフ)。感覚自動現象(センソリイ・オートマチズム)。皮膚文字(スキン・ライテイング)。心霊
  写真(スコトグラフイー)。石盤書記(スレート・ライテイング)。嗅覚(スメルズ)。夢中歩行(ソムナンバリズム)。出血斑(ステイグマータ)。精神移動(テレキネシス)。テレプラズム。遠距離透視(テレスコピツク・ビジヨン)。遠感覚(テレセシ)。不
  可解な音(トランセンデンタル・ミユージツク)。変容(トランスフイガレーシヨン)。遠隔移動(トランスポーテイシヨン)。降神術(テイプトロジイ)。声(ヴオイス)。水撒き(ウオーター・スプリンキング)。異国語発言(クセノグロツシイ)。

 エディスは力なくそのリストを置いた。
 まあ大変、どんな一週間になるのかしら、と彼女は思った。

909 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 10:45:12.12 ID:GRguLV4En
テレフォン指令
ウォルター・ウェイジャー
皆藤幸蔵[訳]
p29
 すぐに議論が始まった。
 KGBでは、だれも議論などはしない、と多くの人は思
っている。彼らはKGBのスタッフを、よく訓練されて規
律正しく、筋骨たくましく、見るからにこわそうな、最も
残忍で、狡猾(こうかつ)な連中ばかりと想像している。そしてKGB
を、マフィアのハリウッド映画のソ連版で、違うところは、
重苦しい政治の話ばかりしている所と考えている。ところ
が実際には、KGBに雇われている人間の大多数は、少し
もイデオロギー論議などやらない。彼らはそれほど頭脳の
密度の濃い連中ではないのである。彼らは電話交換台のサ
ービスが悪いことや、出されたばかりの新しい書式のくだ
らなさや、カフェテリアの食事がまずくなったことなどを
ぼやくことに多くの時を費やす。KGBは、滑稽(こつけい)な官僚主
義で金縛りになっている国の政府機関の一つである。それ
は厳しく冷酷な政権の、最も強力な警察組織だから、スタ
ッフの中には、怯えて、自分の感情を押し殺している人間

910 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 10:50:40.11 ID:GRguLV4En
がたくさんいる。ぞっとするような野蛮なこともやれる、
残忍で狡猾な人間もいるが、マルクス主義を議論したりは
しない。彼らはお互いの間で、与えられた任務のやり方に
ついて、道徳的に良い悪いでなく、どうしたらうまくやれ
るかを議論するだけである。グリゴリ・タバットは――倫
理的な意味でも、セックスの意味でも――道義などという
ことを絶対に気にしなかった。KGB本部のどんな女も、
これを証明するだろう。
 いま行なわれた議論は、アメリカにいる全部のソ連スパ
イと共産諸国のスパイの援助なしに、タバットが果たして
ニコライ・ダルチムスキーを発見できるだろうか、という
ことについてであった。
「くだらん話をするな」と、ストレルスキー将軍が言った。
「いっそ、FBIに捜査の手伝いを頼んだらどうだ」
「それは、今日聞いたアイデアのうちで、最善のもので
す」と、タバットは言った。
「きっと、もっといいアイデアが浮かぶよ」と、マルチェ
ンコ大佐がその場をとりなすように言った。
「わたしを信頼してくれて感謝します、大佐どの」

911 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 12:31:57.85 ID:GRguLV4En
テレフォン指令
ウォルター・ウェイジャー
皆藤幸蔵[訳]
p34
 前方に、格納庫の屋根が見えてきた。
「窓のそばの席をとってくださったでしょうね、大佐ど
の」タバットは灰皿にタバコをもみ消しながら冗談を言っ
た。
「それよりもずっといいことをしてやったよ――ずっとい
いことを。どこの座席に坐ってもいいんだ、きみは」
 タバットはイリューシン・ジェット機に乗り込んだとき、
マルチェンコ大佐が冗談を言ったのでないことを知った。
他に乗客は一人もいなかった。ジェット機全部が、タバッ
トと彼の荷物の専用だった。くすんだ灰色のプラスチック
製のスーツケースが二個あった。たぶんその中には、アメ
リカの服と武器か機具が入っているのだろう。だれかがス
ーツケースの一つの側面に、二本のテープで印をつけてお
いた。

912 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 12:33:45.09 ID:GRguLV4En
「三分後に離陸します」と、だれかがキャビンの拡声器を
通して言った。タバットは顔を上げてみて、キャビンには
スチュワードもスチュワーデスもいないことに気づいた。
彼は一人ぼっちである。乗務員はだれも、彼に会うことを
許されないことになっていた。きっと、秘密保持のためだ。
機はスムーズに上昇して、西に向かった。水平飛行に入っ
てから二十分後に、また金属性の声が響いた。
「一二番の座席の上の箱の中に、魔法瓶が二つと食べ物が
あります」
 タバットは封のしてある箱を見つけ、封を切ると、蓋の
内側にテープで留めた封筒があった。魔法瓶の一つには濃
い紅茶が、もう一つにはブラック・コーヒーがいっぱい入
っていた。彼はコーヒーの入った瓶のキャップをコップ代
わりにして、コーヒーを飲んだ。あまりいいコーヒーでは
ないが、間もなくアメリカで、上等のコロンビア・コーヒ
ーが飲めるだろう。砂糖はついていなかったが、だれかが
――たぶん、よく気のつくマルチェンコだろう――紙マッ
チを三つ箱に入れてくれていた。マッチには、ヒルトン・
ホテル・チェーンの広告がついていた。抜け目がない。タ
バットは封筒を開いて、書いてあった指示をよく読んだ。

913 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 12:35:53.22 ID:GRguLV4En
数回読み返してから、紙をずたずたに裂き、さらに細かく
切ったうえ、四つの座席の灰皿を使ってそれを燃やした。
それから座席に寄りかかって眠った。
 三時間後、彼は拡声器の声で目を覚ました。
「いま、食事をしてください。機は予定通り飛行していま
す。降下の一時間前に、お知らせします。現在の高度は、
三万一千フィートです。途中、乱気流はない見込みです」
 タバットはパンとソーセージを一切れ食べ、リンゴを少
しかじった。しばらくクッキーは食べずにいたが、やがて
苦いコーヒーと一緒に二つ食べた。彼は無気味にがらんと
したキャビンを見回し、肩をすくめて、トイレへ行くこと
にした。少なくとも、待たされることはあるまい。そのと
き、拡声器から声が聞こえた。「一時間……降下まで一時
間」タバットが印のついたスーツケースを開くと、パラシ
ュートがあった。見慣れた型のもので、彼はそれでこれま
で十回以上も降下したことがある。もう一つのスーツケー
スには、ゴムの防水服が入っていた。彼のサイズにぴった
りのものだ。マルチェンコ大佐は、細かいことに気のつく
人だ。

914 :◆p132.rs1IQ:2023/05/03(水) 12:37:50.47 ID:GRguLV4En
 タバットは腕時計を見てパラシュートを取り出し、それ
をそばの座席に置いた。それから服を脱ぎ始めた。脱いだ
ものをきちんとたたみ、パラシュートの入っていたスーツ
ケースに入れた。下着だけになると、またキャビンをあち
こち見回し、声を出して笑った。モスクワからモントリオ
ールまでのアエロフロートの定期旅客機が、たった一人の
旅客を運んだのは、おそらくこれが初めてだろう。――い
わんや、下着姿でうろついている旅客を運んだことなど一
度もなかったろう。彼は下着も脱いで真っ裸になり、ちょ
っとマンボのステップを踏んでみて、おれのマンボもまだ
捨てたものではないと思った。それから潜水服をつけてみ
た。ぴったりだ。ロシア製の部品は一つもない。どの部品
にも、アメリカを初め世界中に防水服を売っているイタリ
アの会社の商標がついている。
 これまでのところ、すべては上々だ。

915 :◆p132.rs1IQ:2023/05/04(木) 09:55:21.15 ID:ct6pLvFBJ
インナースペース
ネイサン・エリオット
南山 宏[訳]
p140
 スクリムショーのやけになれなれしい態度は、完全に脅迫を意味していた。
「核兵器なんてものにはな、ジャック、なんの意味もないんだ。猫も杓子(しやくし)も持ってるが、使
うだけの肝(きも)っ玉(たま)があるやつなんていやしない。どうだね、わたしは間違ってるかね?」
 ジャックはまたしてもわななきはじめた。スクリムショーをおずおずと見やったが、口はつ
ぐんだままでいた。
「宇宙(スペース)はどうだ?」
 スクリムショーはつづけた。
「べつに狭苦しくないよ」
 ジャックはやっとの思いで答えた。
「空間(スペース)という意味じゃないよ、ジャック――外宇宙(アウター・スペース)さ。宇宙開発は失敗だ――きみはそ
のことに気づいたかね? 気づいている者はさして多くない。宇宙なんてものは、残骸(ざんがい)がぐる
ぐる回ってるだけの永遠のゴミ捨て場さ」
 スクリムショーは口から、煙草のかけらをペッと吐き捨てた。
「ふう……だが、ジャック、ミクロ化技術はべつだよ。こいつは本物だ。将来の主役だよ。
だれもが捜し求めてきた絶対兵器だ。ところで、だれがその絶対兵器を獲得するだろうかね、
ジャック? どこの国がミクロ化技術を制することになるのかな?」

916 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 11:48:12.09 ID:mQ5NfMGhZ
殺戮の〈野獣館〉
リチャード・レイモン
大森 望[訳]
p15
 ダナ・ヘイズは電話を置いた。汗に濡れたふるえる手をベッドカバーにこすりつけ、起き上
がる。
 いつかこんな日が来ることはわかっていた。予期していたことだし、そのための計画を立て、
その日が来るのをおそれていた。いま、その日が来た。「こんな時間にお電話してもうしわけ
ありませんが」と彼は言った。「ただちに連絡することをご希望だと思いましたので。ご主人
が釈放されました。きのうの朝です。わたしもついいましがた知らされたところで……」
 長いあいだ、ダナは寝室の闇をじっと見つめていた。足を床に下ろしたくなかった。部屋の
中の闇が薄れはじめている。もうこれ以上はぐずぐずしていられない。
 立ち上がると、日曜の朝の空気が冷水のように肌を浸した。ぶるっと身ぶるいしながらロー
ブを体に巻きつける。廊下を横切った。部屋の中から聞こえてくるゆっくりした息づかいで、
十二歳になる娘がまだ眠っているのがわかった。
 ダナはベッドのへりに歩み寄った。黄色のフランネルに包まれたちいさな肩がシーツの上に
出ている。ダナはその肩に手をあててそっと揺すった。寝返りを打ってあおむけになると、少
女は目を開けた。ダナは娘のひたいにキスをした。「おはよう」
 少女はにっこりした。目にかぶさる透きとおった髪の毛を払いのけ、のびをする。「夢を見
てたの」

917 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 11:50:10.58 ID:mQ5NfMGhZ
「いい夢だった?」
 少女はまじめな顔でうなずいた。「体じゅう真っ白の馬を飼ってるの。すごく大きくて、台
所の椅子を踏み台にしてやっと鞍(くら)にまたがれるくらい」
「すごく大きそうね」
「巨人の馬だった。ねえ、どうしてこんなに早起きなの?」
「いますぐ荷づくりして、マヴェリックに乗って旅行に出かけようかと思って」
「旅行?」
「うん」
「いつ?」
「いますぐ」
「やったあ!」
 顔を洗って服を着替え、一週間の旅行用の服を荷づくりするのに一時間近くかかかった。ふ
たりで荷物をカーポートに運びながら、ダナはサンディにすべてを打ち明けてしまいたい衝動
にかられた。もうここには二度ともどってこないのよ、自分の部屋で寝ることも、ソレントビ
ーチでのんびり午後を過ごすことも、学校の友だちに会うことも二度とないのよ、と娘に言っ
てしまいたかった。うしろめたさを感じつつも、ダナは口をつぐんでいた。
 六月の朝にはおきまりの雲におおわれて、サンタモニカの空は灰色だった。ダナは車をバッ
クさせて道路に出た。ブロックの左右を見わたす。彼の気配はない。刑務所当局は、きのうの
午前八時に、サンラフェルのバスターミナルで彼を解放した。この町に着いてダナの住所を調
べ、ここにやってくるだけの時間はじゅうぶんにある。しかし、彼の気配はない。

918 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 11:52:20.82 ID:mQ5NfMGhZ
「どっちの方角に行きたい?」とダナはたずねた。
「どっちでもいいよ」
「北はどうかしら?」
「北って?」とサンディがたずねる。
「方角よ――南とか東とか西とか……」
「ママったら!」
「ほら、サンフランシスコがあるし。あの橋の色をきちんと塗りなおしたかどうか見にいける
でしょ。それにポートランド、シアトル、ジュノー、アンカレッジ、北極もある」
「一週間で北極まで行ける?」
「その気ならもっと長い旅行にしてもいいのよ」
「仕事はどうするの?」
「留守のあいだくらい、だれかかわりがいるわ」
「了解。北へ行こうよ」
 サンタモニカ・フリーウェイはがらがらだった。サンディエゴも右に同じ。古いマヴェリッ
クは時速九十キロ少々で順調に飛ばしている。「パトカー(スモーキー)に気をつけててね」とダナは言った。
「了解(テンフオー)、ビッグママ」
「そのビッグ≠ヘやめて」
 はるか眼下のサンフェルナンド・バレーは太陽の光でまばゆく輝いている。この時間はまだ、
スモッグの黄色い蒸気も、かろうじてそれとわかる程度の染みでしかない。
「ママ≠フほうは?」

919 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 11:54:26.97 ID:mQ5NfMGhZ
「面白くないわよ」
 バレーに向かって道を下り、それからベンチュラ・フリーウェイのほうにハンドルを切った。
しばらくすると、サンディがラジオの局を変えてもいいかとたずね、チューナーをまわして93
KHJに合わせた。一時間それを聞かされてから、ダナはちょっと休ませてと言って、ラジオ
を切った。
 ハイウェイはおおむねサンタバーバラの海岸線沿いに走り、それからトンネルを抜けて、木
立ちにはさまれたコースを通って内陸のほうに切れ込んでゆく。
「本気で飢え死にしそう」とサンディが言った。
「オーケイ、もうすぐ車をとめるわね」
 ふたりはサンタマリアの近くのデニーズで休憩した。ふたりともソーセージと卵のモーニン
グをオーダーした。ダナはコーヒーの本日最初の一杯をすすりながら、満足の吐息をついた。
サンディがオレンジジュースのグラスをすすり、母親の真似をしてみせる。
「そんなにひどかった?」とダナ。
「コーヒーママ≠ヘどう?」
「ジャバ・ママ≠ナ手を打つわ」
「オーケイ、じゃ、いまからジャバ・ママ≠ヒ」
「あなたのほうは?」
「名前つけて」
「スウィーティー・パイ≠ヘどう?」
「ママったら!」サンディはげっそりした顔をした。

920 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 12:02:46.74 ID:mQ5NfMGhZ
 あと一時間走ったらどこかで給油しないといけないのがわかっていたから、ダナは朝食とい
っしょに黒くて熱いコーヒーを三杯飲むことを自分に許可した。
 サンディの皿がきれいにかたづいたのを見計らって、ダナは娘に出発の準備はできたかとた
ずねた。
「ピットストップが必要なの」と少女は答えた。
「いったいどこでそんな言葉を拾ってきたの?」
 サンディは肩をすくめていたずらっぽく笑った。
「ボブおじさんね、きっと」
「かもね」
「うーん、ママもピットストップしなきゃ」
 それからふたりはまた車に乗った。サンルイス・オビスポのすぐ北で、シェヴロンのガソリ
ンスタンドに寄ってフォードに給油し、トイレを使った。二時間後、灼熱(しやくねつ)のサンウォーキ
ン・バレーでドライブインに避難し、コークとチーズバーガーの小休止。バレーは永遠につづ
くように見えたが、ついにフリーウェイが西に向かってカーブし、空気から多少なりとも熱が
薄れた。カーラジオにサンフランシスコの局が入りはじめる。
「もうすぐ着きそう?」とサンディがたずねた。
「どこに?」
「サンフランシスコ」
「もうすぐね。あと一時間くらい」
「まだそんなにかかるの?」

921 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 12:04:39.43 ID:mQ5NfMGhZ
「みたい」
「サンフランシスコでお泊まり?」
「どうかな。もうちょっと先までいきたいんだけど。どう?」
「どのくらい先まで?」
「北極」
「もう、ママったら」
 午後三時をまわったころ、ハイウェイ101号線が下り勾配になり、サンフランシスコの一画に
入った。停止信号で待ち、曲がり、101と書かれた標識に注意して、もう一度曲がる。ヴァンネ
ス・アヴェニューを北上してロンバードを右に折れ、ようやくゴールデンゲートへと向かうカ
ーブした道路に出た。
「はじめて見たときどんなにがっかりしたか覚えてる?」とダナはたずねた。
「いまでもがっかりしてる。金色(ゴールデン)じゃないなら、あんな名前つけちゃだめ。でしょ?」
「もちろん。きれいはきれいだけど」
「でもオレンジ色。金色じゃない。オレンジゲートって呼ばなきゃ」
 広がる海のほうに目をやり、ダナは霧のかたまりの前線に目をとめた。太陽の光を浴びて、
真っ白に見える。
「あの霧見て。きれいじゃない?」
「まあまあかな」
 ふたりはゴールデンゲートブリッジをあとにした。
 入口が虹の色にペイントされたトンネルを通過する。

922 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 12:06:29.47 ID:mQ5NfMGhZ
 ソーサリートの下りランプが背後に飛びすぎてゆく。
「ねえ、スティンスン・ビーチに行ける?」と、サンディがランプの標識を見ながらたずねた。
 ダナは肩をすくめた。「いいわよ。遠まわりになるけど、ずっときれいでしょうし」ダナは
ウィンカーを出して下りランプのほうにハンドルを切り、101号線をあとにした。
 ほどなく車はコーストハイウェイに出た。せまい道だった。左車線のすぐ先が急な崖だとい
うことを考えると、道幅はせますぎるし、カーブも多すぎる。ダナは道路が許すかぎり右に車
を寄せて運転した。
 霧はすぐ沖合に横たわっていた。綿のように白く、どっしりして見える。ゆっくりこちらに
近づいてきているようだが、スティンスン・ビーチの町に到着したときには、まだ岸辺までか
なりの距離があった。
「ここに泊まれる?」とサンディがたずねた。
「もうちょっとだけ先に進みましょ。いい?」
「そうしなきゃだめ?」
「ボデイガ・ベイには行ったことないでしょ?」
「うん」
「映画の『鳥』のロケ地なのよ」
「うーっ、あれはこわかった」
「ボデイガをためしてみる?」
「どのくらい遠いの?」

923 :◆p132.rs1IQ:2023/05/05(金) 12:08:37.51 ID:mQ5NfMGhZ
「たぶん一時間」体じゅうが痛かった。とくに背中。それでも進みつづけること、一キロでも
よけいに距離をあけることが重要だった。あともうしばらくは、この痛みにも耐えられる。
 ボデイガ・ベイに着くと、ダナは言った。「もうちょっとだけ先に進みましょ」
「そうしなきゃいけないの? 疲れちゃった」
「あなたは疲れたでしょうよ。わたしは死にそう」
 ボデイガ・ベイをあとにしてまもなく、フロントガラスに霧が吹きつけはじめた。霧がその
指を路面にのばし、やみくもに手探りしている。それから、アスファルトの感触が気に入った
とでもいうように、やおら霧の本体がよたよたと道路に上がってきた。
「ママ、なんにも見えないよ!」
 濃密な白色の塊をすかして、フロントフードがかろうじてそれと見分けられる。道路の姿は
もはや記憶の中にあるだけ。ダナはすぐうしろに後続車がいないことを祈りながらブレーキを
踏みつけた。右にハンドルを切る。タイヤが砂利(じやり)を噛んだ。車はだしぬけに下へ飛び出した。

924 :◆p132.rs1IQ:2023/05/09(火) 06:16:41.10 ID:yDtY5VyAf
ゾンビ
ジョージ・A・ロメロ+スザンナ・スパロウ
藤沢良寛[訳]
p16
 またしてもスタジオに罵声が巻き起こった。博士も負けじと声を張り上げた。
「この状況はコントロールされなければならない。手遅れになる前に。彼らはとても急速に繁殖して
いる」

925 :◆p132.rs1IQ:2023/05/09(火) 11:11:58.75 ID:yDtY5VyAf
ゾンビ
ジョージ・A・ロメロ+スザンナ・スパロウ
藤沢良寛[訳]
p155
 ラジオは続けた。
「彼らは襲いかかり…そして食べるのです…温かい人間の肉だけをです…知性ですって? 表面上、
理性ある知力はほとんど、いえまったくありません。基本的な技術が残っているのは、平常の…平常
の生活での振る舞いを覚えているからです。怪物たちが道具を持ったという報告がありますが、それ
らの行動は原始的なものであり…偶然手にしたものをこん棒として使う程度です。動物ですら習慣で
道具を使います」
 モールの出入り口では、他の者たちが広大な建物に入っていく一方で、怪物たちの何人かは夜の闇
にさ迷い出た。午後ほどたくさんはいなかったが、その数はまだまだいると考えられた。何人かの怪
物たちは、ポーターズの巻き上げ式ゲートを引っ掻き続けた。マネキン人形に描き込まれた目が、外
にいるゾンビたちを見つめているようで、奇妙で不気味なモンタージュを成していた。ゲートのがた
がた鳴る音が、低い物憂げな声と混ざりあって、店内音楽をかき消した。

926 :◆p132.rs1IQ:2023/05/10(水) 05:09:30.15 ID:+2rmihGZ4
神の鉄槌
アーサー・C・クラーク
小隅 黎&岡田靖史[訳]
p145
 おもしろそうなアステロイドが有効距離内にはいってくるたびに、〈ゴライアス〉の科学
者たちはしばしば二派に分裂した――本物の対立というほどではないが、食事どきの席のと
りかたなどにその微妙な変化が見てとれた。宇宙地質学者は船を――積んでいる研究器材と
もども――動かして目標とランデヴーさせ、ゆっくり時間をとって調査することを望んだ。
宇宙論学者たちはこれに総力をあげて反対した――つまらない岩塊のために細心の注意をは
らって保持している基線を変えると、干渉計による測定がご破産になってしまうというのだ。
 それはたしかにそのとおりなので、最終的には地質学者の側が多少ともいさぎよく折れる
ことが多かった。通りすがりのごく小さなアステロイドなら、ロボット探査機を送りこんで
サンプルを採取し、いちばん基本的な調査だけ実施しておけばそれですむ。それでもやらな
いよりはましだったが、そこまでの距離が百万キロメートル以上もあると、〈ゴライアス〉
―探査機―〈ゴライアス〉の通信時間差は耐えがたいものとなった。「狙いをはずしたこと
がわかるのに一分も待たなければならないなんて」と、ある地質学者はぼやいた。「そんな
ハンマーを振りたいと思うかね?」

927 :◆p132.rs1IQ:2023/05/11(木) 22:23:47.79 ID:x60UFOrPH
閉店時間 ケッチャム中篇集
ジャック・ケッチャム
金子 浩[訳]
p263(『雑草』)
 仮釈放の朝、シェリーはおちつかなかった。ちょっぴりおびえていた。
 なんといっても、シェリーは有名人だった。なかで有名なのはかまわない。むしろ
気分がいい。でも、出るとなったら話はべつだ。インターネットで殺害予告があった。
「シェリー・ジェファーソンはいつ死ぬ? 賭けが終わったらみんなが勝者」とうた
う賭けサイトまでできていた。このサイトには、対象者に対する暴力は許さないとい
う注意書きがあったが、シェリーの死亡日を賭けの対象にしていた。参加者は、シェ
リーを殺したり、だれかに殺させたりして賭けの結果を確定することを禁じられてい
た。しかし、賭け金の総額はすでに三万ドルを超えていた。
 だから、おびえるのも当然だった。

928 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:31:10.52 ID:Lqo7FuGEh
ゾンビ
ジョージ・A・ロメロ+スザンナ・スパロウ
藤沢良寛[訳]
p7
 フランシーン・パーカーはなかなか眠れなかった。日中の出来事と過去の記憶とが、渦を巻いて頭
の中でがんがんぶつかり合い、眠れぬ夜が続いていた。今、眠っている彼女の顔は、甘やかな夢にま
どろんでいるのとは程遠い、苦悶の表情を示していた。
 二十三歳の彼女は、魅力的な、すらりとした体つきをしている。離婚ののち、眼鏡をコンタクトに
替え、ブラウンの髪をシルバーブロンドに染め、パスタやチョコレートケーキや家のなかに閉じ籠も
ってばかりいた結果の、二十五ポンドもあった余分な体重を見事に捨てた代わりに、男心をくすぐる
容姿を手に入れたのだった。
 彼女は、コミカルな夢の中にいた。もし目覚めていたら、彼女はその本質的なシンボリズムを笑っ
たことだろう――キッチンの流し台にかがみ込んで、泡立った洗剤に肘まで浸しているところへ、前
夫のチャーリーがそっと近づいて、彼女の首筋にキスをする。
 突如、そんなばかばかしい主婦の夢の中に、大勢の話し声や、電子装置の唸りが入り込んで来た。

929 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:32:56.74 ID:Lqo7FuGEh
国家的非常事態の下で、狂乱状態になっているテレビスタジオの凄まじい騒音である。フランシーン
は目を覚まし始めた。朦朧とする中で、彼女は自分がどこにいるのか判らなかった――が、やがて思
い出した。自分がミズ・フランシーン・パーカーで、WGON―TV局のアシスタント・ステーショ
ン・マネージャーであることを。今や自分は、十九歳で結婚し、二十一歳で家事にうんざりしてしま
ったチャーリー・パーカー三世夫人ではないのだ。離婚して二年、彼女は大きく成長した。――今は
自分のキャリアに酔ってる場合じゃないわ――フランシーンは国家的非常事態が自分たち局員の手に
よって左右されることを思い出した。
 突然、フランは体勢を崩してよろめいた。誰かの力強い腕が彼女の体を抱き起こした。彼女の長い
髪は油ぎって顔にへばりついていた。何日も着たままのシャツやブラウスはしわになり、体の曲線を
浮き彫りにしていた。汗臭いのが彼女自身にも判った。彼女は古いオーバーコートをはおって、壁に
もたれかかるようにして座り込んでいたのだ。
「大丈夫か?」霞の中から声がした。
 フランは若者を見つめた。誰だったかしら? 彼女は一分間の沈黙の後、何も答えずに首だけ振っ
た。
「まったくひどいもんだ」若者が言った。フランはようやく、彼が遣い走りのトニーだと気がついた。
黒髪は乱れ、オリーブ色の顔は汗と埃にまみれて赤く汚れていた。彼は次々と眠っている人を起こし
て回った。

930 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:34:36.75 ID:Lqo7FuGEh
 喧騒が増し、はっきりと聞こえて来た。その音声はモニターから流れていた。フランは相変わらず
つまらない考えをもやもやさせながら、辺りを見回した。モニタールームの向こうで騒動が起こって
いる。モニター上では、ぶざまな電子的な影たちがヒステリックに議論している。そのほかの人々も
みな興奮ぎみに怒鳴り散らしている。
「一体何が起こってるんだ? 何が原因でそんなことになったんだ」キャスターのシドニー・バーマ
ンがけんか腰で、ちぢれた黒い髪をした頭を小刻みに上下に動かしながら言った。頭に血が昇ってい
るようだ。いつも彼がトークショーで話題にしている、ハゲを防ぐ方法について、などとは比較にな
らない、これは生と死に関わる重大問題だ。ああ! 今、国中のほとんどのテレビのチャンネルがこ
の番組に合わせてあるのだ! ――バーマンはついつい試聴率について考えてしまうのだった。
「ええ、しかしそれは…」ジェームズ・フォスター博士が、熱いスタジオライトの下で眼鏡をかけた
両目を輝かせながら穏やかに口を開いた。薄くなりかけた砂色の髪は汗でべとついていた。
「それはまったく別の研究課題です」バーマンが割り込んだ。「彼らがしようとしているのは――」
「しかし、もし我々がそのことを知っていたら、我々は…」フォスター博士は身を乗り出して右手の
中指を立てた。
 バーマンはすぐにそのしぐさを目に留め、博士が我を忘れてしたのだと解釈した。
「我々はそのことを知らなかった」バーマンが反論した。「我々は、自分たちが正しく知っているこ
とについて扱うべきだ」
 フランシーンは、モニター内の議論から室内へ目を移した。コピー係たちがテレタイプシートを持
って駆けずり回っている。秘書たちは報告書をまとめるのにおおわらわだ。仕事をしている振りだけ
の不届き者もいる。ケーブルにつまづき、通路を奪いあうようにスタッフが動き回っている。

931 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:36:24.66 ID:Lqo7FuGEh
「まだ夢を見ているようだ」誰かがそう言ったのを、フランは自分が言ったのだとしばらく思いこん
でいた。だが、それは男の声だった。フランはその男を見た。さっきトニーに起こされたうちのひと
りらしい。
「いいえ、夢じゃないわ」フランは丁寧に言った。
「そのコートちょうだい」スタイルと美術を担当している若い女が言った。彼女は、フランから毛布
代わりのコートを受け取り、代わりにカップ入りのコーヒーを差し出した。フランは喜んでそれを受
け取って、思った。――何てこと。着こなしの上手な女性が、国家の非常時に見すぼらしい古いオー
バーコートを着なくちゃならないなんて!
「クルーの男たち、気が狂いかけてるわ」間違いない、といった顔で、彼女はフランに言った。「み
んなどこか投げ遣りになってる。いつまで放送を続けられるやら」
 彼女はオーバーコートにくるまり、うとうとと仮眠に取りかかった。フランはコントロール・コンソ
ールによろめきながら向かった。技術者たちはカオスとプレッシャーのせいで参っているようだった。
「2カメを見ろ! 一体どんな奴が2カメについてるんだ。盲人か?」ひとりが叫ぶ。
「フレームを見てみろ、フレームを見てみろ…」別の男が力なく繰り返し言った。「避難場所をもう
一度ロールで出せ」
「これらの避難場所の半分が被害にあったそうだ」最初の男が言った。「新しいリストをくれ」
「判りましたよ」彼のパートナーが面倒臭そうに言った。「何とかやってみる」
 フランは、まるで催眠術にかかった夢遊病者のように、狂気に満ちたニュース室の只中に立ちすく
んでいた。救いのない状況に気がついて、突然、言いしれぬ不安が全身を突き抜けた。彼女は再び、
モニター内に注意を戻した。

932 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:38:03.20 ID:Lqo7FuGEh
 シドニー・バーマンがまるまる太った手でタイをゆるめ、腹を突き出した。
「私は信じませんよ、博士。絶対に…」
「死人が蘇ってるってことを信じないのか?」博士が力強い口調で放ったその言葉に、ニュース室中
の人々が戦慄を覚えた。そういう話は毎日聞かされていたが、現実として受け止める必要があるとは
誰も本気で思っていなかったのだ。
「私はその…」押され気味にバーマンが言った。博士が言おうとしていることがようやく判って来た。
「あなたは、死人が生き返って、生者を襲っていることを信じますか?」博士は繰り返した。
「私にはまだ、信じられませんよ、博士!」
 ニュース室からドアを二、三枚隔てたところにあるスタジオでは、クルーがパニックに襲われてい
た。憤ったつぶやきが聞こえた。これはテレビシリーズのおハナシじゃない――これは現実の出来事
なんだ!
「集まった情報はすべて住民から寄せられたものなのです」バーマンが怒鳴った。「それを信じるの
はとても難しい。あなたが、人間の尊厳をすべて捨て去れ、とでも前置きを言っておかない限りは
…」
「人間の尊…何ですと?」
「人間としての尊厳をすべて捨てされ、ということです」バーマンはそのもったいぶった言い方が気
に入ったようだ。
「あなたはここでトークショーを放送してるつもりなのか? ミスター・バーマン」フォスター博士
は怒って言った。「いまはそんな道徳的なたわごとを言ってる場合じゃないんだ!」博士の顔から穏
やかさが消えた。

933 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:39:56.16 ID:Lqo7FuGEh
「あなたの話は現実から離れすぎて、我々のほとんどはついていけないのですよ、フォスター博士」
 作業員やカメラマンたちの興奮は頂点に達した。スタジオのあちこちから賛成を叫ぶ声が上がった。
博士の眼鏡が鼻から半分ずり落ちた。それは、トークショーのホストの尊大な態度と、クルーたちの
彼への明白な同意への落胆を表した恰好になった。舞台係やカメラマンたちが拳を振り上げ、悪口を
言いながら博士に近づいていった。警備員たちはスタジオ内の混乱を鎮め、廊下からどっと押し寄せ
る人波を食い止めねばならなかった。
 フランはコントロール・パネルと、スクリーン上の騒ぎを押し黙ったまま見つめた。「フラニー」男
が呼んだ。「避難場所の新しいリストを作ってくれ。チャーリーが無線で情報を受け取ってるから」
 フランはコンソール・スクリーンの馬鹿げた場面から身を引き離した。ごった返す通路をやっと抜
けて、緊急用無線装置のレシーバーを顎にはさんだチャーリーのところへ辿り着いた。
「もう一度言ってくれ…。よく聞こえない」チャーリーはレシーバーに向けて喋っていた。
「避難場所は?」フランは机の上の新聞紙をめくりながら尋ねた。
「その半分とはもはや連絡が取れない」彼は情報をメモしながら言った。「いま、なんとかして緊急
用の地域を見つけ出そうとしてるところだ。僕らがこの十二時間流した情報は古くてもう使えない」
「使えない場所へ人々を行かせるわけにはいかないわ」関心を持ってフランは言った。
「もう一度言ってくれ、ニュー・ホープ…」チャーリーが情報を書き留めながら言った。
 彼はフランに、依然としてレシーバーに耳を傾けながらメモを渡して言った。「出来るだけのこと
はする。いまのところ、はっきり判ってるのはこれだけだ。スキップとダスティも無線を使ってる。
幸運を祈るよ」そう言って、彼はノートを掻き集めて出ていく彼女のお尻をぽんと叩いた。

934 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:41:41.49 ID:Lqo7FuGEh
 フランはコンソールの所で立ち止まり、調整技師に言った。「今までの避難所の情報は止めにしま」
しょう。できるだけ早く新しいリストを用意するわ」
「ギブンズはその古いのを放送しろってよ」ビール腹で、白髪まじりの技術者がぶっきら棒に言った。
彼はいつもそういう態度を取る。フランのような若くて魅力的な相手に指図されるのを極端に嫌うの
だ。狂信的な国粋主義者――フランはギブンズから散々、この男についてそう聞かされて来た。だが、
いまは彼の態度を云々しているときではない。
「私たちは人々を閉鎖されたところに送っているのよ」フランは冷静に言った。「だから古いリスト
は捨てるの」
 彼女が他のコントロール室へ向かうと、武装した警備員に道を塞がれた。そのまま通り抜けようと
したが、押し戻された。
「おい、彼女は大丈夫だ」トニーが声をかけて通り過ぎた。
「あなたのバッジは何処にあるんです?」若い警備員はあくまで強情に尋ねた。
 反射的にフランはブラウスの襟返しに手を伸ばしたが、バッジはなくなっていた。いつなくしたの
かしら? 今朝? 昨日? ――混乱する頭でこれ以上バッジの行方について考えたらパニックを起
こしそうだった。フランはなるべく忙しく動き回り、スタジオの外で起こっている非常事態を合理的
に考えようと努めた。
「おかしいわ」彼女は叫んだ。
「その人は大丈夫だよ」レポーターのひとりが横を通り抜けながら言った。
「確かにつけてたのよ」彼女は警備員を納得させようとした。「そのままあそこで眠ってたのに…」
彼女は自分が眠っていた部屋を指さした。

935 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:43:30.89 ID:Lqo7FuGEh
「誰かが盗んだんだろう」レポーターがふたりに向けて言った。「なくした人は大勢いる」
 彼は警備員の顔を見ながら言った。「彼女は大丈夫だ。通してやれ」
 警備員はやっとどいたが、ひどい一瞥をふたりに投げてよこした。ふたりは混雑した廊下を抜け、
小さなカメラ室に入っていった。そこはまるでラッシュアワーの地下鉄のような状態だった。人で溢
れ返っている。
「不思議なものね」人波をかきわけながらフランは言った。「あんな小さなバッジひとつでこれだけ
たくさんのドアを開けることが出来るなんて。バッジひとつあればいいことなんだわ。たとえどんな
バッジでも…」
「まったく狂ってるわ」カメラ装置前に辿りついたフランは自分自身に聞かせるようにそう言った。
カメラは避難所のリストを巻き上げている機械に向けられていた。リストは生放送中の映像にスーパ
ーインポーズされていた。
 赤毛のカメラマンが、入ってきたフランに尋ねた。「新しいリストはあるのか?」
「タイプします。古いリストは捨てさせるのよ」
「しかしギブンズはあれを…」
「いいえ、古いリストは捨てるのよ、ディック。ギブンズには私に会うように話しておいて!」彼女
はきっぱりと言った。彼らに任せてはおけない、とフランは思った。ボスのように、私が決定を下さ
なければ、と。
 男はカメラをカチリと止め、煙草を取り出して操作盤から離れた。フランはスタジオへ移動した。
避難所のリストはモニターから消えていた。バーマンとフォスターはまだ議論を続けている。

936 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:45:21.42 ID:Lqo7FuGEh
 フランは中央通路を下り、舞台の五列目の端に空席を見つけ、重い疲労を感じながらぐったりとそ
こに座り込んだ。医者は彼女の肉体的疲労を指摘していたが、ここ二、三日自覚していなかった。た
だ、思いあたるのは慢性的な吐き気だけだった。
 バーマンはがんとして抵抗を続けていた。
「幽霊の存在など私は信じませんね!」
「幽霊ではない。まして人間でもない。死体なのです。損なわれていない脳を持った埋葬されていな
い死体が再び活動を始めるのです。そしてこの現実は、あなたのような大家の無責任な煽動のせいで
大衆にも無責任に扱われ、取り返しのつかない混乱を招いている!」
 まるで申し合わせたかのように、舞台係とオブザーバーたちの間からまた非難と罵倒の声が上がっ
た。
「君たちは聴いてない」フォスター博士は罵声を圧倒しようと絶叫した。「君たちは聴いてないんだ。
この三週間というもの何が起こっているのか。そしてその結果がどういうことになるのか」
 フランは溜め息をつき、居心地の良い椅子から身を持ち上げて、ワイヤーやケーブルに取り巻かれ
たスタジオへ移動した。騒音で耳が聞こえなくなりそうだった。フランの目には、バーマンと博士の
姿が操り人形のように見えた。
「この状況はコントロール可能である」フォスター博士は捧げ物のように眼鏡を眼前に差し出しなが
ら訴えた。「人々は真剣に考えてこの問題に取り組まねばならない。確かに難しいことかも知れない
…その友人や家族たちにとって…。死体は脳を破壊するか、体から切り離すかして活動を停止させな
ければならないのだ」
 またしてもスタジオに罵声が巻き起こった。博士も負けじと声を張り上げた。

937 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:47:08.60 ID:Lqo7FuGEh
「この状況はコントロールされなければならない。手遅れになる前に。彼らはとても急速に繁殖して
いる」
 フランはもうこれ以上の深刻化に耐えられなかった。博士が彼らを必死で説得しようとする姿が
痛々しかった。
 彼女は混雑した部屋を抜け出して、他の緊急用無線装置に向かった。スキップとダスティがそこに
いて、彼らは受信機に熱心に耳を傾けていた。彼らは素早くノートを書き留めていた。フランは彼ら
が真剣に作業しているところを邪魔したくなかったので、静かにふたりに近づいた。
「活動中の避難場所は?」
「まるで叩かれた蠅みたいにばたばた潰れていってる」ダスティが言った。彼は放送記者というより
は牧場を離れたカウボーイのように見えた。「ほんの少ししか残ってない。君の言う通りフォスター
が正しいと思う。我々は負け戦をしたね」
「ええ、でも敵に負けたんじゃないわ」フランは冷静に言った。「私たちは自滅の道を進んだのよ」
 友情のしるしに、彼女はふたりの働き者に生ぬるいコーヒーを勧めた。
「少ししか残ってないけど、召し上がって」
 ダスティとスキップは喜んでコーヒーをすすった。フランは大きな字幕作成機に駆けつけた。騒音
を越えて、議論する声が依然として聞こえていた。
「人々はあなたの意見に従いませんよ、博士」バーマンは感情的に言った。「私も、彼らを非難しま
せん」
「処分されない死体がすべて奴らの仲間になるんだ。生き返って襲ってくる! 奴らに殺された人々
も生き返って、また人を殺す!」

938 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:48:54.85 ID:Lqo7FuGEh
 博士の髪は乱れていた。彼の目は強く訴えるように見開かれていた。しかし望みは薄かった。バー
マンとスタジオのギャラリーは理解を拒んでいるのだ。彼らの考えは甘く、自分たちの政府によって、
すべての「悪人たち」が追い払われて、翌朝のニュースでは明るい話題とフットボールのスコアと晴
れた天気のことを話しているだろうと思っているのだ。だがしかし、少なくともここ当分の間は、以
前のようには戻れないだろう。
 フランは字幕係のところへ行って活動中のリストをつかみ、コントロール室へ駆け戻った。モニタ
ーコンソール周辺は暴動のため大損害を被っていた。さらに騒ぎは、怒鳴り散らす放送局マネージャ
ーのダン・ギブンズによっていっそう気違いじみたものになっていた。
「そんな権限は誰にもない。私はだな…」彼は大声を上げた。彼は近づいて来るフランを見たが、構
わず不満を洩らし続けた。
「ギャレット、誰が君に避難所の字幕スーパーを没にしろと言ったんだ?」
「誰も」フランは仲裁に入った。「私が没にしました。あのリストはもう期限切れなんです」彼女は
ただそう言うと、神経を落ち着かせようとした。
「私はあのスーパーを一日中放送したいんだ」ギブンズが怒鳴ると、彼のすでに赤い顔がさらにどす
黒く、深赤色に変わった。
「あなたは閉鎖された避難所に人々を送りこんで死なせるつもりなの?」
フランが言った。
「避難場所をスクリーンに映し続けなければ誰も我々の番組を観ないだろう。チャンネルを替えられ
るんだ!」

939 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:50:37.69 ID:Lqo7FuGEh
 フランは、背が高くて黒髪で、顔を真っ赤に上気させたその男の顔を信じられない思いで見つめた。
この非常時に、彼は視聴率なんて馬鹿げたことを考えているのだ。フランはただ生きてここを抜け出
したかった。いかなる賞も受賞しなくていいから。
「私は放送中はずっとあのリストをスクリーンに映し続けたいんだ」ギブンズが繰り返した。しかし、
フランが怒って反論するより先に、技師がコントロールパネルを放りだして出て行ってしまった。
「ルーカス…ルーカス、どういうつもりだ? コンソールに戻れ。ルーカス…放送中なんだぞ!」
 ルーカスは無視して肩越しに叫んだ。「一緒に車に乗ってく奴はいないか?」
 コントロール・パネルの反対側にいたふたりの男がブリーフケースを持って立ち上がり、ルーカス
の後に従った。ドアは、以前フランを阻んだ警備員に守られていた。しかしプレッシャーのためか、
彼は出ていく三人をじろじろ見ることしか出来なかった。
「何してるんだ。彼らを止めてくれ!」ギブンズが警備員に指図した。「ルーカスをコンソールに戻
すんだ…」
 コンソールが空席になったのを合図にあちこちに逆上した声が広がっていった。人々は部屋を慌た
だしく出入りした。その喧騒を圧倒するように、スピーカーからフロア・ディレクターのがみがみ言
う声が聞こえてきた。
「おい、一体何をしてるんだ? スイッチ…スイッチ…スイッチャーがいないぞ。映像が消える!」
 混乱のなかでギブンズが虚しく叫んだ。「警備員、彼らを止めてくれ…」
 若い警備員は自分の持ち場にどっと人が押し寄せたとき、一瞬彼らと向かい合った。それから決心
したようにライフルをつかみ、ドアを開けて人々を通した。警備員はもはやギブンズの言葉に耳は貸
さず、混乱を見捨てて人々とともに外へ駆け出していった。

940 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:52:25.43 ID:Lqo7FuGEh
「誰かこいつの扱い方を教えてくれ」ギブンズがコンソールに飛びつきながら叫んだ。彼は死にもの
狂いで複雑なダイヤルを操作しようとした。「来てくれ! こいつを扱える者に三倍の金を払うぞ…
三倍の金だ。我々はいま生放送中なんだ!」ギブンズは脅迫まがいに言った。フランはあきれ果てた
思いで首を振り、スタジオに向かってその場をゆっくり離れた。
 大きな部屋の緊迫感はさらに増していた。ニュース担当の人々はまじめに仕事に着手し、彼らの役
目を演じようとしていたが、表情は石のように強張っていた。どんな危機においても穏やかな表情で
いるように努める彼らの負担は、絶望的な状況の中でいっそう大きくなっていた。
「奴らが人を殺す理由はたったひとつ」フォスター博士がまるで恍惚状態にあるように言った。スー
ツの上着を脱ぎ、ハンカチで額を拭った。「奴らは食べるために殺すのだ。人を殺して、その犠牲者
の肉を食べるのだ。判るかね、ミスター・バーマン?」彼は子供に尋ねるように注意深く尋ねた。「そ
れが、彼らの生きている理由です」
 込み上げる吐き気がフランを打ちのめし、彼女は廊下の壁に寄りかからねばならなかった。
 人々は電車に飛び乗るときのような勢いで、フランの横を駆け抜けていった。フランは落ち着いて
議論の中身を考えようとした。テレビ局のスタッフたちは列をなしてフランの横を通って外へ出てい
った。何人かはうんざりしながらもスタジオに残った。

941 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:54:33.52 ID:Lqo7FuGEh
「もし皆に聞く耳があったなら…この現象を正しく扱っていれば…感情的にならずに、感情的に、な
らず。そうすればこんなふうにはならなかっただろう!」フォスター博士はまばらになったギャラリ
ーに向けて苦しげに訴えた。それからぐっしょりと汗にまみれたハンカチで額を拭い、きつい襟のネ
クタイをゆるめて、シャツのボタンをぽんと外した。ふだん穏やかな博士は、今は神経質で、怒りと
挫折に身を震わせていた。フランは、ひとりの人間がこれほど著しく変わるさまを見たのは初めてだ
った。彼女自身、体を震わせ、薄いブラウスの肩をぐいとつかんでいた。ひどく疲れを感じ、力尽き
た体を横たえ、すべてを忘れて穏やかな眠りに落ちていきたかった。
 フォスター博士は必死に呼びかけを続けていた。
「フィラデルフィアでも、他の都市と同様に戒厳令が敷かれている。市民はこの現象の…恐ろしい…
重大性を理解しなければならない。道徳にこだわったり…これらの発令に対して…感情に流されてい
ては、我々はこの蔓延を阻止出来んのだ」フォスター博士は弱々しく肩を落とした。それから立ち上
がって、片手で椅子の背もたれをつかみ、もう一方の手を挑戦的に振り上げた。
「連邦政府、合衆国大統領の指令により、市民は個人の住宅に住むことを許されない。いかに安全に
守られていようと、充分な食料があろうとだ」

942 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:56:26.52 ID:Lqo7FuGEh
 フタジオ内のフラストレーションは飽和状態に達していた。女性が絶叫を上げてどさりと床に倒れ
たり、「空気が、空気が…息が出来ない」と喘ぎ苦しむ男の姿が見られた。フォスター博士の声はひ
び割れ、かろうじて聞き取るのがやっとの状態になっていた。「市民は市の中心地に移動することに
なり…」博士は、職務を投げ出してドアへ殺到する職員たちに向かって叫んだ。放置されて不安定に
なったカメラがフォスター博士の顔を捉え、不鮮明な映像が連続した。フランは素早くぐらぐら揺れ
るカメラに駆けつけた。ギブンズに聞いていた緊急時のカメラの扱い方を思い出そうとしたが、頭の
中は空っぽだった。彼女は何がなんだか判らないまま、カメラをフォスターに向けてファインダーを
覗き込んだ。
 フォスター博士はテーブルに着いていた。シャツはズボンからはみ出し、目は野生の男のもののよ
うで、声はきーきーとうるさかった。その姿は、まるで未開社会の予言者を連想させた。
 突然、ひとりの男が群衆のなかから飛び出し、フランのほうに走って来た。彼女は人影が視野をよ
ぎったので、びくっと身を引いた。
「フラニー」
 フラニーは彼がスティーブだと判った。
「九時ちょうどに屋上で会おう。一緒に逃げるんだ」彼の言葉の力強さに、フラニーは思わずカメラ
をぐらつかせてしまった。
「スティーブン…私こんなこと信じられない…一体――」
「逃げるんだ。ヘリで」
 技師のひとりがフラニーとカメラを交代しようと歩み出てきた。スティーブはその男に聞こえない
ようにフランの体をぐいと引き寄せ、小さな声で喋った。

943 :◆p132.rs1IQ:2023/05/15(月) 07:58:45.96 ID:Lqo7FuGEh
「夜九時だ。いいな?」
「いけないわ、スティーブ。わたしたちには――」彼女は反抗した。
「我々には何も出来ないんだ、フラン。逃げた方がいい」
 スティーブは強引だった。フランは自分が愛している男の優しい茶色の目を覗いた。黒い髪は乱れ、
彼の服はよれよれになっていた。彼女よりわずかに背の高い、ほっそりした彼の体は、神経過敏と疲
れと、これから先のことに対する不安から震えていた。
「生き延びなくちゃならない。九時には上がって来てくれ。君を探しに戻るようなことのないように
してくれよ」
 そう言い残して、スティーブは足早に去っていった。フランはカメラマンにいまの計画を聞かれて
いたんじゃないかとびくびくして、後ろを見返した。スタジオは無人に近くなり、バーマンとフォス
ターの声が大きくこだましていた。
「行くんだ」カメラマンがビューファインダーを覗いたまま、静かにゆっくりと言った。「どうせ真
夜中までに放送出来なくなる。緊急用放送に引き継がれるんだ。我々の義務は…終わったんだ。先の
ことは判らん」
 フランの頭は再び朦朧としてきた。フランはポケットブックとコートを取りに部屋の隅に歩いてい
った。いまの自分に出来ることは、九時になるまでの四十分間を待つことだけだ。それから先は何を
すればいいのか? 次に一体何が待っているのか? その思いにフランは身震いした。

944 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 11:33:28.98 ID:WnNiJ5Y+u
ゾンビ
ジョージ・A・ロメロ+スザンナ・スパロウ
藤沢良寛[訳]
p94
 ふたりの大男はバリケードが築かれたドアからふたつ下の踊り場にいた。二階上の裸電球の光は今
ではほとんど届かなかった。ロジャーは懐中電灯を点けて辺りを照らした。そこがとても狭いコンク
リートの空間だと判った。下へ続く階段はもうなく、ドアがひとつあるだけだった。ピーターは彼の
背後でそっと足を下ろした。
「ここが上へ登る唯一の道だ」ロジャーが言った。
 ふたりがドアを開けると、そこはもうひとつのセメントで囲まれた空間だった。そこは狭かったが、
光に溢れていた。
 彼らが慎重に足を踏み入れると、そこがとても長く狭い廊下の端に当たることが判った。彼らのす
ぐ側には、掃除道具を置く部屋がふたつあった。そこは洗剤とアンモニアの匂いがした。大きな絞り
機のついたバケツとモップが据えつけの流しに立てかけてあった。
 彼らの目は、廊下の一方の壁を追った。十二かそこらのドアがいくつか開き、いくつか閉まってい
た。反対側には、何もなかった。
 およそ百ヤード先にある廊下の突き当たりは、モール本体の二階に向かって開いていた。
 ふたりの男たちはまったく異質の世界――迷路のような従業員通路へ出た気がして、顔を見合わせ
た。彼らは廊下を歩いて最初のふたつのドアに挑んだが、鍵がかかっていた。しかし三つ目は幸運に
も開いた。

945 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 11:35:21.04 ID:WnNiJ5Y+u
 ロジャーはライフルを構え、身をかがめてその部屋へ飛び込んだ。そこは大きな営業事務所で、会
計係や事務員の椅子がずらりと何列も並んでいた。人々が大急ぎで逃げ去ったかのように、書類が散
乱し、椅子がひっくり返っていた。
 ピーターは次のドアに進み、鍵のかかっていないそのドアを開けて中へ飛び込んだ。そこはふたつ
の金属製の机と、二、三脚の椅子があるだけの、さらに簡素な部屋だった。何台かの電話機が、質素
な金属テーブルの上にきちんと並べてあった。深緑色の備品と二、三枚のピンナップ写真と女性のカ
レンダーを除いてこれといった特徴のないことから、そこが保安室だと判った。一方の壁にはモール
の大きな地図があり、表面を覆うアセテート製のカバーに旗の形をしたピンが刺してあり、なぐり書
きがされていた。部屋の反対側の隅には大きな配電盤があり、サーキットブレーカーと数字のコード
をもう一枚のモールの地図上に示す仕かけになっている、一連のつまみを備えていた。
 ピーターの背後の壁には大きな黒板と金属製のキャビネットがあった。開けっ放しのキャビネット
の中には、手工具と電気工具、さまざまな種類の工具が入っていた。サーキットテスター、携帯無線
装置、色分けされ数字のコードが記入された何百もの鍵を束ねた輪がいくつかあった。
「王国への鍵だぜ」ピーターの後から足を踏み入れたロジャーが鍵の輪のひとつをつかんで言った。
 彼らは新しいおもちゃを試したがっている子供のように廊下へ飛びだした。ロジャーは鍵を選びな
がら、事務所と思われる部屋のドアノブに試した。ドアは美しく豪華な玄関広間に向かって開いた。

946 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 11:37:21.41 ID:WnNiJ5Y+u
そこには深い赤錆色のカーペットが敷き詰められ、マホガニー色の羽目板が、明らかに巨大なモール
の本部へと続いていた。相互に連絡しているオフィスの迷宮は、すべてクロムと革と磨き込まれた木
で装飾されていた。ピーターとロジャーはふた手に別れて秘書室の間を行き来しながら連結している
会議室で落ち合った。オフィスはすべてデザイナーによって、大きな絵画や彫刻や駐車場の向こうに
森が見渡せるどっしりした見晴らし窓などで飾られていた。
 隊員たちは遂に鍵のかかった内側からも廊下のドアからも近づけない部屋に辿りついた。真鍮製の
名札には『C.J.ポーター 社長』とあった。
 ロジャーは廊下に出ると、そこでピーターに加わった。彼らは廊下の端のすぐ近くまで来ていた。
そしてごく一部であったが、明るく照明されたショッピング・エリアが見えた。
 彼らは自分たちが権力の中心地にいることに気づいた――だがそれがどれくらいの力なのか判らな
かった。ポーターは合同産業の経営者で、このショッピング・モールは織物工場や紡績工場、全米に
拡がるデパートメント・ストアのごく一部に過ぎなかった。このとてつもなく巨大なモールを彼が本
部に選んだのは華々しい億万長者の気まぐれのほんの一例に過ぎなかった。
 ピーターとロジャーが立っているバルコニーは、一階へ下りられるように続いていた。眼下の広大
な中庭の向こうには反対側のバルコニーが見えた。反対側では二軒の店先が見えたが、どちらも網戸
が閉まっていた。
 いつか彼らがベトナムで地雷原を横切ろうとしたときのように、ふたりは自分たちが危険な行動に
取りかかっていることに気づいた。彼らは顔を見合わせ、やがてそれぞれ通路の反対側の壁にぴたり
と身を寄せながら前進した。モールの本体に着いたところで、ふたりは慎重に各自の曲がり角を見回
した。

947 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 11:39:17.06 ID:WnNiJ5Y+u
 見たところ、二階のバルコニーが建物の広大な内部をすっかりと囲んでいることが判った。数箇所
では、一方から他方へ橋が架かっていた。マーケットプレイスの中のように、さまざまな種類の小さ
な店がバルコニーに沿ってずらりと建ち並んでいた。それぞれの端には大きなデパートメント・スト
アへのアーチ状の入口が、寺院の門のようにあった。両方のデパート――ポーターズとステイシーズ
――はもちろん合同産業の一部だった。
 多くの店は網戸が閉まっていたが、二、三軒は開いているようだった。しかしポーターズの入り口
は門が下りて錠がかけられていた。あちこちで、高い木が、死にもの狂いで自然の光を求めるかのよ
うに二階の天井の明かり取りへ向けて腕を伸ばしていた。
 生ける死者たちの姿がないことがはっきりと見て取れた。男たちには彼らの魔性の存在が感じられ
たが、ひとりとして二階のバルコニーに現れなかった。
 ふたりはゆっくり移動し、手すり部分にしゃがみ込んで下を覗き込んだ。下は壮観な眺めだった。
そこは消費者が喜ぶような不思議の国だった。さまざまな種類の店が華やかに商品を陳列していた。
衣類、電気製品、カメラ用品、オーディオ製品、ビデオなどがあり、スポーツ用品店ではショーウィ
ンドウに銃までもあった。近代的なスーパーマーケットの他にも、美食家向けの店や、食品店がたく
さんあった。本屋、レコード屋、不動産屋、銀行、ノベルティショップなどが隣にあった。それぞれ
の店は、通りがかりの買い物客を立ち止まらせて見させようと磨かれ、目新しかった。それぞれの端
には――二階の中央広場と同じく――大聖堂の端の祭壇のように、巨大な二階建てデパートメント・
ストアが消費社会の象徴として建っていた。

948 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 11:41:19.61 ID:WnNiJ5Y+u
 モールの設計は、すべての店が外側に向いていることを別にすれば、ピーターに、メキシコにいた
ときのことを思い出させた。磨き込まれた大理石の床に小さな売店があった。そこは壁を建てる余裕
はないが、ただ商品を売りたがっている消費社会の田舎者の商売の場所だった。庭園の間や公園のベ
ンチには煙草の専門家たちがいた。模造品の金のネックレス、指輪、ブレスレットを売っている陳列
台、それに、母親が余裕があるときに、身ぎれいにされて泣き叫ぶ子供が、初めての写真を撮るため
に連れて来られるポートレート屋などがあった。レストランやスナック・バーもあり、消耗し、疲れ
て空腹になった人々にもっともっと品物を買わせるエネルギーを与えていた。
 アーケードがあり、子供のおもちゃから血圧計まで売っている自動販売機が備えられていた。今で
は止まっているターンテーブルの上には、最新型の車が展示されていた。他のターンテーブルには未
来的なデザインの家庭用品など、典型的な買い物客には手の届かない商品がたくさん展示されていた。
人々はそれらを買うことも出来ないのに、ぽかんと見惚れたり、いつか買うことができると空想した
りした。
 すでに文明の偶像と慣習が滅び去ったことに思いをはせる、ふだんあまり深く考えないロジャーと
ピーターにとって、見慣れた風景が、いまや考古学的発見として現れて来るのだった。いかなる文明
にも遺物や化石がある。彼らはそんなことを思いながら、眼下の大聖堂の廊下へ静かに歩いていった。
正常な環境から切り離されていたがために視野を歪められたふたりは、宝物の山に向かって歩き出し
た。彼らは二十組の虚ろな目がじっと見張っていることに気づかなかった。

949 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 13:34:26.78 ID:WnNiJ5Y+u
マンハッタン狩猟クラブ
ジョン・ソール
加賀山卓朗[訳]
p255
「早くしないと学校に遅れるよ」
 新しいシャツ――リサイクルショップの古着ではなく、本物の新しいシャツ――にものをこ
ぼさないように、用心深くまえ屈みになって、ロビーは椀の中のシリアルを食べ終え、ティリ
ーのまえに置かれた縁の欠けたコーヒー・マグに眼をやった。
「飲もうなんて考えないで」ティリーは読んでいた二日遅れの新聞から眼を上げようともせず
に言った。「成長が止まってもいいの?」
「お願い、ティリー」とロビーは懇願した。「コーヒーを飲んでる子はたくさんいるよ。水筒
で持ってきて――」
「あなたはたくさんの子とはちがうの」とティリーはさえぎって、ロビーを睨みつけようとし
たが、彼にはついウィンクをしてしまうのだった。「いい? ひと口だけよ。それで文句言わ
ない? すぐに学校へ行くね?」
 ロビーは、信じられないと言うように眼を見開いた。「本当にいいの?」彼は大きく息を吸
った。
 最後の瞬間にマグを取り上げられるか、お仕置きに殴られるのだと心の中で確信しながら、
恭(うやうや)しくマグを眺めた。
 それとも両方かも。

950 :◆p132.rs1IQ:2023/05/16(火) 13:35:57.52 ID:WnNiJ5Y+u
 ティリーは、ジンクスが初めて彼を共同住宅に連れてきた日のことを憶えている。あまりに
怯えていたので、ひと晩じゅう寝ずに彼のベッドの横に坐り、手を握ってやったのだ。ロビー
はまた通りに捨てられると信じきっていて、長いことどこへも行こうとしなかった。誰かが近
づくと、殴られると思っているかのように身を縮こめた。両親が彼を捨てたのは、むしろいい
ことだったのではないかとティリーは思うようになった。学校が始まると、最初、彼は行こう
としなかった。共同住宅の誰か――ロビーの知っている人間――を学校の外の歩道に必ずいさ
せると約束して、やっと危険を冒すことを承知させたのだ。その日は六人交替で歩道に立ち、
ついに学校が、大勢のホームレスが近所をうろついて困ると警察に苦情を持ち込んだ。しかし
ロビーはその日を生き抜き、共同住宅に無事帰ってきた。そのうち学校の一区画手前まで送っ
ていき、同じ場所に迎えにいけば事足りるようになった。たとえ一分でもボビーをひとりにし
たらティリーの逆鱗に触れることを、共同住宅の誰もが知っていた。
 徐々に、本当にゆっくりとだが、ロビーはまた人を信じるようになってきた。今、湯気を立
てるコーヒーを油断なく見つめる彼に、ティリーはマグを少し押しやった。「大丈夫よ。噛み
つきゃしないから。でも熱いよ。好きじゃないかもしれない」
 ロビーはマグを手に取り、唇に当てた。液体が舌に触れると、眼をぱちりと開け、素早くテ
ーブルに戻したので、中身が服のまえにこぼれそうになった。「おえっ! 誰がこんなもの飲
むの?」
「あなたじゃないようね」とティリーは言い、マグを取り戻した。「さあ、準備して。遅れる
よ。ねえジンクス、この子をなんとかして」

951 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 11:09:14.25 ID:w7tFGWQtB
宇宙戦争
H・G・ウエルズ
宇野利泰[訳]
p39
 火星人がどうしてそのように、迅速かつ無言のうちに、地
球人を殺戮してのけたか、いまだにわれわれにとつて、大き
な謎といえる。ある者はそれを、かれらが完全な絶縁体であ
るシリンダー内部で、なんらかの方法を用いて、強烈きわま
りない熱をつくり出すことができるからだと解している。目
標がさだまると、かれらはその強烈な熱を、磨きあげたパラ
ボラ鏡によつて、平行光線にかえて投射するのではないか。
そのパラボラ鏡が、どのようにしてつくられているかは、む
ろんわれわれには不明であるが、おそらくは灯台にそなえつ
けてある鏡面と同一の構造であろうと推察されている。しか
し、それを細部にわたつて、完全に説明できたものは、だれ
もいない。
 要するに殺戮が行われた。そして、その武器が熱線であつ
たことに疑いはなかつた。眼に見えぬ不可視光線。それが触
れれば、あらゆる可燃性の物質は火を発す。鉛は水さながら
に溶けてながれ、鉄は軟弱に、ガラスはひび割れ、融ける。

952 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 11:10:56.41 ID:w7tFGWQtB
それが水中につき刺されば、水はたちどころに、蒸気になつ
て発散する。
 その夜、砂採り場の付近では、四十にあまる死体が、星あ
かりのもとに横たわつていた。どれもみな、だれと識別でき
ぬまでに、黒焦げに焦げている。ホーセルからメイベリーに
つづく公有地は、朝の光がおとずれるまで、生きているもの
の姿を失い、ただ赤々と、夜空に焔ばかりがかがやいてい
た。
 大虐殺のニュースは、チョバム、ウォーキング、オターシ
ョーの各町に、ほとんど同時につたわつた。ウォーキングで
は、悲劇が勃発すると、商店はいつせいに大戸をしめ、耳に
した話に興味をひかれた多くの人々が、ホーセル橋を渡り、
公有地へむかう街道の、生け垣がつづいているあいだをいそ
ぎだした。その日一日の仕事をおえて、めかしこんで遊びに
出ようとしていた大勢の若い男女が、この珍事の見物を愉し
もうと、つれ立つて足をむけたのは当然のことである。昏れ
ちかい街道ぞいに、笑い声がながれているようすが、諸君の
眼にもうかぶことと思う。

953 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 11:14:37.54 ID:PAd0HVEZL
 しかし、むろんそのときには、シリンダーの口がひらいて
いたことを知つているものは、ウォーキングの町にはほとん
どいなかつた。ただひとり、あわをくつたヘンダーソンが、
夕刊記事に間にあわせようと、特別電報をメッセンジャー・
ボーイにもたせて、郵便局へ走らせた程度だつた。
 これら見物人が、それぞれつれ立つて、公有地の広場にた
どりついてみると、何人かのグループが、興奮して、声高に
しやべりあいながら、砂採り場の上に回転している鏡をなが
めているところだつた。その場の興奮状態が、新しく到着し
た連中に、即座に感染したことはいうまでもない。
 八時半には代表団が殺されたのだが、そのころまでに、現
場にあつまつた人々の数は、おそらく三百を超えていたであ
ろう。そのほかに、火星人に近づくために、街道をはなれ
て、砂採り穴まですすんだ連中も何人かいる。これには、警
官が三人くわわつていて、なかのひとりは騎馬巡査だつた。
かれらはステントから指図されて、見物人の群れがシリンダ
ーに近よるのを防止するのに汗をかいていた。人があつまり
さえすれば、意味もなくうれしがつて、無鉄砲なまねをやり
たくなるやからが、どんな場合にも存在するものだが、ここ
でもまた、その連中がさわぎ立てていたからだ。

954 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 11:16:21.85 ID:PAd0HVEZL
 そうしたさわぎの発生をおそれたステントとオーグルヴィ
は、火星人の出現を見ると、すぐさまホーセルの兵営に電報
を打つて、異星から飛来した生物を、弥次馬の暴力からまも
るために、一個中隊の派遣を求めておいた。そのあと、ふた
りはあらためて、代表団の先頭に立ち、運命の行進についた
わけだが、群衆が瞥見したかれらの死の情景は、ぼく自身の
観察したところと、まつたく印象がおなじだつた。みどりの
煙が、三回、立ちのぼり、ひくく、こもつたような音のあ
と、焔が燃えあがつたのだ。
 しかし、弥次馬たちこそ、ぼく以上に危険なおもいを味わ
つている。ヒースの生い茂つた砂地の山が、わずかに熱線の
下部をさえぎつて、かれらの命を救つたのだ。パラボラ鏡の
角度が、わずか数ヤード上方にむいていたら、かれらは生き
てその経験を語れなかつたにちがいない。かれらの見たとこ
ろは、焔がひらめくとともに、人々が倒れだした。いわば眼
に見えぬ死の手が、草むらを燃えあがらせながら、夕暮れ
のうすらあかりをつらぬいて、かれらにせまつてくるのだつ
た。竪穴のなかにつづいていたひくい唸りが、たちまちつん
ざくようなひびきにかわると、熱線はかれらの頭上をかすめ

955 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 11:18:07.18 ID:PAd0HVEZL
て、街道に沿つて立ちならぶブナの木の梢を火につつみ、ま
がりかどに近い家の煉瓦をこわし、窓ガラスをくだき、窓わ
くを燃えあがらせ、破風の一部を粉々の状態にかえるのだつ
た。
 そして、それが音を立てて崩れ、火のついた木々があかあ
かとかがやくと、恐怖に打れた群衆は、かえつて足がすくん
で、逃げる分別も失つたらしい。小枝は火花を散らして、道
に落ちはじめ、降りちる葉の一枚一枚が、みな、焔をあげて
いる。帽子や服にも火がついた。つづいて、公有地から、か
ん高いさけび声があがつた。悲鳴と叫喚。騎馬巡査が一騎、
群衆を踏みわけるように、馬を飛ばしてきた。手をかかげ
て、大声にさけんでいる。
「こつちへくるわ!」
 と、女のひとりが、悲鳴をあげた。それが合図になつた
か、だれもがウォーキングにむけて走りだした。まえの者を
つきとばし、逃げまどう羊の群れのように、めくらめつぽう
に走つていた。道が土堤にはさまれ、せまく暗くなるあたり
では、群衆のあいだに争いがおこつた。そして、死傷者が出
た。すくなくとも三人、女がふたりと子供がひとり、無残に
も踏みつぶされ、恐怖と暗闇のなかにとりのこされた。

956 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:05:46.52 ID:PAd0HVEZL
宇宙戦争
H・G・ウエルズ
宇野利泰[訳]
p47
 思うに、その金曜日におこつた奇怪な出来事のうち、とり
わけ奇怪というべきことは、あれほど異常な事件が発生して
いるのに、われわれの社会秩序にみじんのゆるぎも見られな
かつた点だ。一般大衆は平常どおり行動して、その日常習慣
は、なんの変化もしめさなかつた。やがてはそれが、われわ
れの社会秩序を、根底からくつがえしてしまう結果になると
いうのに。
 その夜、かりにコンパスをもつて、ウォーキングの砂採り
場を中心に、半径五マイルの円を描いたとすれば、火星人さ
わぎの波及したのは、その円周内にとどまつた。

957 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:07:31.12 ID:PAd0HVEZL
 天文官ステント、自転車で見物にきていた三、四人、ロン
ドンからわざわざ駆けつけた男たち――この連中は、やがて
死骸となつて、公有地に横たわる運命になるのだが――その
身寄りはべつとして、円周内に住む人々で、この夜の火星か
らの新来者によつて、その感情や生活習慣に影響をこうむつ
たものは、ひとりもいなかつたといつてもまちがいではない
のだ。もちろん、奇怪なシリンダー状金属塊のうわさは、大
多数の人々の耳につたわり、雑談のタネにはなつたが、それ
もしよせんは、ドイツへ最後通牒を送るほどのセンセイショ
ンもひきおこさなかつたことは事実だつた。
 その夜ロンドンにあつては、飛来した異物が、徐々にその
蓋を開きつつあるというヘンダーソンの電文は、虚報である
と判断された。かれの勤務先である夕刊新聞社は、念のため
に、かれにたいして確認を求めてみめたが、返事さえなかつ
たことから――そのころ、ヘンダーソンはすでに死亡してい
たのである――特別版の発行はとりやめることに決定した。
 五マイルの円周内にしても、大多数の人々は無関心ですご
していた。ぼくが話しあつた男女については、前章でそのあ
らましを述べたが、この地方の住民のほとんどは、それと似
たりよつたりの状態で、いつもとかわりなく夕食をとつた。

958 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:09:20.01 ID:PAd0HVEZL
一日の仕事をおえた労働者たちは、家庭園芸のシャベルをに
ぎり、子供たちはベッドに送りこまれ、若い男女はそぞろ歩
きに恋をささやき、学生たちは机にむかつているのだつた。
 もちろん、この怪事件のうわさは、村の通りのそこかしこ
で、立ち話の材料となり、居酒屋では、新しいトピックとも
てはやされ、それを伝え聞いた連中、ないしは実際の目撃者
の話が、興奮の渦をひきおこした。それにつれて、あちこち
と走りまわるものもあらわれ、さけび声をあげるさわぎも聞
かれた。しかし、大部分の住民のあいだでは、働き、食べ、
飲み、眠るという日常生活のうごきに、いささかの変化もな
く、数百年来おこなわれているままにつづいていた――まる
で、火星などという惑星は、天空に存在していないかのよう
に。それは、ウォーキング駅にあつてもそうであり、ホーセ
ルやチョバムの村にあつても、おなじことがいえた。

959 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:11:00.96 ID:PAd0HVEZL
 ウォーキング乗換駅では、その夜おそくまで、列車が到着
し、発車し、その一部は待避線にひきこまれ、旅客たちが降
り立ち、つぎの列車を待機し、すべてがいつもとかわりなく
行われていた。もつとも、新聞売りの数はまし、町からきた
少年が、スミスのナワ張りをおかして、その日の午後の特報
をのせた夕刊を売つていた。貨車を連結する音、機関車が吹
きならすするどい汽笛にまじつて、火星から人間!≠ニさ
けぶ売子たちの呼び声がひびいていた。
 九時ごろになると、信じがたいニュースに興奮した人々
が、停車場構内にとびこんできた。しかしそれは、酔つぱら
いがわめき立てるほどの動揺もおこさなかつた。ロンドンの
方向にむかう旅客は、車窓の前にひろがる暗闇をとおして、
火の手がまだ、ホーセルのあたりにのこつているのを見るこ
とができた。かなり弱まつてはいるものの、なおあかあかと
夜空に映えて、うすい煙のヴェールが、星影をかすめてなが
れていく。しかし、それを見る旅客たちは、今夜もまた、野
火が燃えているなといつた程度にしか、考えてみようともし
なかつた。いくらかそれを気にしだしたのは、列車が公有地

960 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:12:46.42 ID:PAd0HVEZL
のはずれにさしかかつたときのことで、ウォーキングの村は
ずれで、バンガローが五、六軒、燃えているのだつた。三つ
の村の公有地に面したがわの家では、どこもみな、あかるく
灯をともして、夜があけるのを待ちかねているのがわかつ
た。
 公有地から、チョバムとホーセルへわたるそれぞれの橋に
は、不安な顔つきをした群衆が集まつて、個人々々の出入り
はあつても、全体の人数はすくなくなるようすがなかつた。
なかで、冒険好きのひとりふたりが、闇の公有地へしのびこ
んだ。火星人のすぐま近かまで匍いよつた形跡はあつたが、
二度と、生きてもどつてくるようすはなかつた。ときどき、
戦艦のサーチライトに似た光が、公有地を掃射してすぎた。
おそらくそのあとには、問題の熱線がつづいていると思われ
る。それをのぞけば、広漠たるこの公有地は、音もなく闇の
底に沈み、人のうごきはいつさい見られず、黒焦げの死体だ
けが、星空の下に、横たわっているのだつた。それはつぎの
日もおなじことで、ただ、ハンマーをたたくような音が、砂
採り場の堅坑からひびいてきて、多くの人々の耳をおどろか
すのだつた。

961 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:14:32.60 ID:PAd0HVEZL
 金曜日の夜における情勢は、以上述べたとおりである。年
老いたわれらの惑星、地球の膚に、毒矢のようにつき刺さつ
たシリンダーが、この事件の中心とはわかつていたが、その
猛毒がおそろしい効果を見せるまでにはいたらなかつた。現
場周辺は、黙々と声もない公有地で、各所に煙がいぶり、い
くつかの黒く汚れた物体が、ひきつつたような姿勢のまま、
あちこちに倒れている。草むらや立木が、いまだに燃えつづ
けているところもある。とはいえ、興奮の地域には限界があ
つて、そこを越えると、火の手はまだ延びてきていない。そ
のほかの世界では、太古以来の生命の流れが、なんの変化も
なく継続している。やがては、動脈静脈のへだてなく、われ
われの血液を凍らせ、神経を麻痺させ、頭脳を破壊しつくす
ことであろう戦争熱も、燃えあがる段階にまでは達していな
かつたのだ。
 その夜一夜、火星人たちはうごきまわり、ハンマーをふる
いつづけたらしい。眠りもやらず、疲れることも知らずに、
かれらが用意する必要のある機械を仕上げるのに努力してい
たと思われる。ときどき、うすみどりの煙が、星のあかるい
夜空に舞いあがつていた。

962 :◆p132.rs1IQ:2023/05/17(水) 17:16:15.00 ID:PAd0HVEZL
 十一時ごろ、歩兵一個中隊がホーセルの村をすぎて、公有
地に到着し、その入口に哨戒線をはつた。すこしおくれて、
第二の一個中隊が、チョバムを通過して、これは公有地の北
がわに展開した。その夜、もつとはやい時間に、インカーマ
ンの兵営から、何人かの将校が公有地の偵察に派遣されてい
たのだが、そのうち、イーデンという少佐が行方不明になつ
たとの報告があつた。連隊長自身、チョバム橋まで出張し
て、深夜にいたるまで、群衆からの情報を漁つた。軍当局
も、いまや事態の重要性に気づいたと思われる。つぎの事実
は翌日の朝刊で知つたのだが、その夜十一時、軽騎兵一個大
隊、機関銃二個中隊、さらに、四百名にあまる、カーディガ
ン連隊の歩兵が、オルダーショットを出発していたのであつ
た。
 十二時をすぎて、数分したとき、チャートシー・ロードや
ウォーキングにあつまつていた群衆は、またしても星がひと
つ、西北方の松林に落ちるのを見た。それは、みどりがかつ
た光彩を放つて、真夏の稲妻さながらに、音もなくきらめい
て消えた。これが第二のシリンダーだつた。

963 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:42:43.93 ID:5GfE0XDHB
インベーダー
キース・ローマー
平井イサク[訳]
p87
 スロールはしんしんと冷えこむ人影のない通りをぬけ
て、黙々と車をはしらせた。道端には、葉のおちた無気味
な木が、ものいわぬ衛兵のようにならんでいる。町並が切
れると、彼らは見すてられた葬儀場のような、古びた大邸
宅が立ちならぶ、生垣にはさまれたまがりくねった道にそ
ってはしっていった。
「ゲートウッド・ハイツだ」スロールはいささか誇らしげ
にいった。「町でも最高級の住宅地だよ。一八八〇年代か
ら、私の家はここに住みついてるんだ。今残っているの
は、もちろん、私だけだがね」彼は指さして、「あれがス
ロール荘だよ、あそこの岡の頂上にあるのが」空のうす明
りを背景に、無気味にそそりたっている輪郭を、デイヴィ
ッドは見た。ヴィクトリア朝風の塔の上の方から、一つだ
け灯りがもれている。

964 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:44:17.53 ID:5GfE0XDHB
 スロールは二本の石の門柱の間に車を乗り入れると、雨
にえぐられてあちこちに穴のあいた砂利道づたいに玄関へ
むかった。生い茂った雑草が車の下側をたたく。彼はくさ
った雨どいが弧をえがいてたれさがっている広い車寄せに
車をとめた。
「この家はちょっと手を入れる必要があるんだ」彼は車を
おりながら元気よくいった。「研究に時間をくわれちゃう
んで、ほったらかしにしてあるから……」
 デイヴィッドは車をおり、気味悪く迫る、つる草がは
い、ペンキがはげおちた家の正面を見あげた。スロールが
先に立って広い階段に案内する。のぼりきると、彼は足を
とめて、束ねた鍵をじゃらつかせていたが……
 板の折れる音が、デイヴィッドに警告をあたえた。さっ
ととびさがると、今、彼が足をのせ、体重をかけようとし
ていた段がくずれ、ポッカリと黒い口を開けた穴に、踏み
板が消える。こだまが、彼にその穴の深さをつげた。

965 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:45:53.58 ID:5GfE0XDHB
「ああ――注意しておくべきだったかもしれないな、ヴィ
ンセントさん」スロールがいった。「古い材木の中には、
くさってるのがあるんだ。手入れしとかなきゃいけなかっ
たんだが、手がまわらなくてね」
「気にしないでいいんだ、スロールさん」デイヴィッドは
さりげなくいった。「これでわかったから、もっと用心す
るよ」
 一瞬、二人の視線がからみあう。やがて、不意にふりか
えると、スロールは大きなドアを開け、中に入った。
 そこは、かつてははなやかだったに違いない壁紙に雨も
りのしみがうかび、かびのにおいがこもった、天井の高
い、広い部屋だった。家具はどっしりとしていて、古めか
しく、ほこりだらけ。スロールは色のさめた絨毯の上を横
ぎって、開いている両開きのドアに案内すると、灯りをつ
けた――部屋の真ん中の、ごてごてと飾りたてた大きなシ
ャンデリアの中で、一つだけポツンとついている電球。

966 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:47:34.49 ID:5GfE0XDHB
「書斎だ」スロールは使い古した深い皮張りの椅子、本の
びっしりとつまった壁、火の気のない煖爐にむかって手を
ふりながらいった。「坐ってくれ、ブランディーを取って
くるから。冷えこんでるから、何とかして火を起そうじゃ
ないか」
「酒はいらない」デイヴィッドはいった。「何か見せてく
れることになっていたんだぞ」
「わかってるよ」スロールはうっすらと微笑をうかべて、
「じゃ、よかったら、私の研究室へ来ないか」
「科学者なのか?」デイヴィッドは男の後について、ぐる
っとまわって暗い回廊に通じている装飾のついた階段にむ
かいながら訊いた。
「普通の意味での科学者ではないよ。しかし、組織的な方
法で、問題の解決にあたろうとしてきているんだ。データ
を分類し、それをあるきびしい試験にかけて――わかるだ
ろう?」
「まだわからないね」デイヴィッドはいった。「しかし、
すべてをはっきりさせてくれるものと確信してるよ」
「そうできるといいんだがね」スロールがつぶやく。「も
うすぐ……」

967 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:49:13.91 ID:5GfE0XDHB
 彼らはおどり場をすぎ、さらにせまい階段にかかった。
スロールは彫刻をほどこした手摺りをにぎり、肩ごしにふ
りかえって、
「長い階段で悪いな。下りる時はもっと楽だよ」
「一歩一歩をたのしんでるんだ」デイヴィッドはいった。
「何かに近づきつつあるっていうカンがするんでね」
「そのとおりだよ、ヴィンセントさん……まさにそのとお
りだ」
 のぼりきった所から、絨毯のない殺風景な廊下が左右に
のびていた。スロールがデイヴィッドにむかって先にいく
ように合図する。
「先にいってくれ」デイヴィッドはいった。
 スロールは鋭い視線をなげかけると、傍らをすりぬけ、
先に立って廊下のはずれにあるドアに案内した。彼は大き
な磁器の把手に手をかけて、
「このドアのむこうにあるものを見た人は、ごくわずかし
かいないんだ、ヴィンセントさん。覚悟はできてるだろう
な――肝をつぶさないように」
「できてるよ」デイヴィッドはいった。

968 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:51:08.63 ID:5GfE0XDHB
 スロールはぶっきらぼうにうなずくと、
「それじゃ……」彼がさっと大きくドアを開け、手をのば
して、スイッチを入れると、部屋中に煌々たる明りがあふ
れる。デイヴィッドはすすみ出ると、スロールごしに部屋
をのぞきこんだ――が、その場の光景に全身が硬直してし
まった。白タイルの壁、磨きあげられた床、螢光灯の下に
おかれた、長さ六フィートの細い詰物入りの台、その傍ら
に同じ大きさのステンレスのケース、ピカピカの器具がず
らりとならんでいる、詰物入りの台よりは小さいテーブ
ル。一方の壁面には、さまざまな装置や格子窓、何列にも
ならんだボタンやパイロット・ライトのおさまったパネル
がある。
「おどろいたかね、ヴィンセントさん?」スロールはおだ
やかにいった。
「手術室みたいだな」デイヴィッドはいった。

969 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:52:44.42 ID:5GfE0XDHB
「うっかりいい忘れていたけど、私は外科医としての教育
をうけたんだ。医者として働いたことはないんだがね――
誤解のないように断っておくが。そういったことを管理し
ている機関が、私が免状をとれないように手を打ったん
だ」最後の方になると、スロールの声は荒々しくなってい
た。「とはいっても、経験の方は充分に――」彼は途中で
言葉を切ると、「しかし、あんたの聞きたいのはそんなこ
とじゃなかったな、ヴィンセントさん?」
「僕はわれわれの間にいる異星人のことを聞きたいんだ」
デイヴィッドは相手の顔を凝視(みつ)めながらにべもなくいっ
た。
「気の毒だが、私は何もかも腹蔵なくあんたに話したわけ
じゃないんだ」スロールはいった。「私は、もし侵入者が
この地球にいるものなら、われわれの組織に介入すること
によって、しっぽを出すかもしれないという結論に達し
た、といったんだ」
 デイヴィッドはうなずいて、「かもしれないな」

970 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:54:22.68 ID:5GfE0XDHB
 スロールが彼の方にかがみこむ。「もう出してるんだ
!」彼はおどかすようにいった。そして、歯をむいて、残
忍な笑いをもらすと、「奴らはすべての地球人をバカもの
として軽蔑してるんだ――何もわからない、だまされやす
いバカものとしてな! しかし、奴らは間違ってるんだ、
ヴィンセントさん! 私はだまされなかったんだ! 一度
として、連中の中のいかなる奴にもな! 自分の眼でたし
かめてみろ!」すばやい身のこなしで、スロールはステン
レスのケースのかぶったテーブルの足もとにあるレヴァー
を倒した。細長い貝殻のように、真ん中で割れているカヴ
ァーが両側に開き、死後長時間を経過した男の、うつろに
見開かれた眼、肉がおち、やせこけた胸、そしてひからび
た脚が現れる。

971 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:56:06.11 ID:5GfE0XDHB
 ひからびて茶色っぽく変色した肉、切り開かれた胸の、
ぞっとするような傷、脳天をきれいに切りおとされた頭、
骨だけになった手、切りきざまれた得体のしれないものな
どに対する反応を顔に出さないようにつとめながら、デイ
ヴィッドはこのおそるべき光景にじっと眼をそそいだ。
「これが頭がいいとうぬぼれていた奴の最期なんだ」今
や、スロールの声には一人北叟笑んでいるようなひびきが
あった。切りきざまれた解剖用の死体ごしに、その眼が野
獣のそれのようにギラギラと輝いている。「奴はここへ…
…」スロールは言葉を切って、突っぱった唇から忍び笑い
をもらすと、「私をわなにかけようとしてやってきたんだ
――この私の家でな、あのバカが! われわれの知能を、
奴らはあくまでも低く見てるに違いないぞ、ヴィンセント
さん! 私について、この私の秘密の部屋へまで来て、こ
の私の――しかし、そのことは、あんまりいうべきじゃな
いな。最後には、奴もどちらが上手(うわて)かを知った、というだ
けで充分だろう」

972 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:57:39.82 ID:5GfE0XDHB
「〈宇宙監視・交信協会〉の会合で彼に眼をつけたのか?」
デイヴィッドはさりげない口調で訊いた。
「とんでもない。〈宇宙の光の子〉の集会さ。奴は私に…
…」――また忍び笑い――「星座の内的意義についておし
えようと申し出たんだ。で、私は自分の天文台をもってる
っていったんだよ――そうしたら、そのかわいそうなバカ
ものは、だまされているのはこの私だと思いこんじゃった
わけさ!」
「それで、奴を殺したんだな」
「もちろん。奴はわが地球に対する脅威だったんで――」
「そして、解剖した、と」
 スロールはうなずいて、「解剖学的な相違を発見するた
めにやったんだ。私の研究の成果が発表されれば、政府と
しては、異星人の確認がしやすくなるわけだからな」

973 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 07:59:19.45 ID:5GfE0XDHB
「で、彼は……異星人だったのか?」
「もちろんさ! じゃなかったら、私が殺すわけがないだ
ろう?」
「どういう風にやったんだ――殺し方のことだぞ?」
「これでやったのさ」スロールの手がケースのかげから現
れ、その手ににぎられた銃身の短いリヴォルヴァーがピッ
タリとデイヴィッドの胸にむけられる。
「で、今度は……?」デイヴィッドはおちつきはらってい
った。
「今度は――あんたの番なんだ、ヴィンセントさん!」ス
ロールは前かがみになり、唇をなめると、「正体を見破ら
れずにすむと思ってたのか――とたんに見破られずに?
あらゆるちょっとしたことの端々に、しっぽが出ていたこ
とに気づかなかったのか? この私をだませると、ほんと
うに思ってたのか、この間ぬけめが?」
「なぜあなたをだますことがあるんだ?」デイヴィッドは
おだやかに訊いた。

974 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:00:56.63 ID:5GfE0XDHB
「いいかげんにお芝居をやめたらどうだ、ヴィンセントさ
ん――その名前もでたらめだろうがね。どうせほんとはブ
ズズクフルクスとかズンクルンクスとかいうんだろう!
お前の正体はわかってるんだから、とぼけてもむだなん
だ! 私には、あのぞっとするような角や、牙のはえた口
や、なめし皮みたいな翼が見えるんだ! お前のまわりに
は、超自然な放射物がもやもやしてるんだ! 私はお前の
変装の奥にある――」
「どんな変装をしてるっていうんだ?」
「お前が今かぶっている肉体の仮面だ! そんなことして
もむだなんだよ――私にはわかってるんだから! 地球は
すでに遠い世界から来た異星人に侵されているんだ! そ
してお前は――お前は奴らの一人なんだ」
 デイヴィッドは相手の眼をじっと凝視(みつ)めながらうなずく
と、
「あんたは頭がよすぎて、とてもわれわれの手にはおえな
いってことがわかったよ、スロールさん。地球人がみん
な、あんたみたいに頭がいいということがわかっていた
ら、われわれもこんなことはしなかっただろう」

975 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:04:36.36 ID:5GfE0XDHB
 一瞬、スロールの表情がゆらぐ。狂暴な笑いのかげに、
何か別のものがうかんだのだ――小さな、怯えたようなか
げ。やがて、彼はピストルを冷たくふった。
「そんなことはどうでもいいんだ。ところで、お前を殺す
前に――情報がほしいんだ」スロールは言葉を切ると、不
意にからからにかわいてしまった唇をなめて、「お前はど
こから来たんだ? 何をしにここへ来たんだ? お前は―
―」彼は思いつめたような表情をうかべ、ピストルでデイ
ヴィッドをつつくと、「私が医大をしくじったのは、お前
のせいだったのか? 私の結婚の申し込みを断るように、
グウェンドリンにいったのは、お前だったのか? 私の父
に告げ口をして――」彼は不意に言葉を切った。その手が
震えている。「もちろん、みんなお前の仕業に違いないん
だ」彼は不意に抑揚を失った声でいった。「私はどこまで
盲だったんだ。私の事業を失敗させたのもお前だし、私の
財産に対する税金をあげたのもお前だし、アップル・サイ
ダー・ヴィネガー系の大統領候補のノミネーションで私を
負かしたのも、お前なんだ! それに――それに――」

976 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:06:12.57 ID:5GfE0XDHB
「それだけじゃないぞ」デイヴィッドはいった。「われわ
れはこの家を包囲しているんだ。ずっとあんたを見張って
たんだよ、スロール。気がつかなかったのか?」彼は無気
味な微笑をうかべて、「彼らは、僕がここにいることを知
ってるんだ。彼らが僕をここへよこしたんだからな――あ
る目的のために」
「その……その目的ってのは何だ?」スロールは窓ぎわま
で後ずさりして、すばやく外の様子をうかがった。その瞬
間に、さっとデイヴィッドの手がのび、傍らのテーブルか
らメスをつかむ。
「たいへんだ!」スロールの声は震えていた。「車がある
ぞ――あそこの道端にかくれてるんだ……」彼はさっとデ
イヴィッドの方にむきなおると、「しかしお前は、生きた
ままここから逃れるわけにはいかないんだ――」
「待て!」デイヴィッドはたたきつけるようにいった。
「僕はある目的のために来たといっただろう。それを聞き
たくはないのか?」
「私を殺すためさ」スロールがあえぐ。「私はお前たちに
とって、あまりにも危険な存在なんだ。お前たちには、私
を亡きものにして――」

977 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:07:56.70 ID:5GfE0XDHB
「バカな」デイヴィッドはいった。「われわれにはあんた
が必要なんだ。あんたほどの頭脳の持ち主は、もったいな
くて殺せないんだよ。それなのに、あんたの仲間の地球人
には、それがわからないんだ。われわれのために、力をか
してくれないか、スロールさん? もし協力してくれれ
ば、この地球が征服された暁には、あんたはこの惑星の大
総督になれるんだぞ」
「だ――大総督? しかし、あんたはうそをついてるんだ
――わなにきまってるんだ!」
「あんたを殺したいんだったら、先週だって殺せてたんだ
――おぼえてるか?」デイヴィッドは頬を汗が流れるのを
感じた。彼は部屋をはさんで向いあっている男が、今はか
ろうじて彼をつなぎとめてくれている糸が切れて、いつい
かなる瞬間にピストルを乱射し始めるかもわからないまま
に、その場その場の思いつきで、何とか間をもたせている
のだった。
「先週?」スロールは眉をひそめた。「というと、あの橋
でか?」
 デイヴィッドはうなずいて、「そうさ」

978 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:10:11.75 ID:5GfE0XDHB
「あの時は、たしか――しかし……」
「その前の時だって同じさ」デイヴィッドはいった。「あ
んたが事態に気づいているということを、われわれは知っ
ていたんだ。われわれはわざと、どういうことになってい
るのかを、ちらっとあんたに見せたんだ。私がここへ来た
目的は、あんたを殺すためじゃないってことをわかっても
らうためにな」
「しかし、私があんたをここへつれてきたんだぞ……」
「そうかな、スロールさん?」デイヴィッドは微笑をうか
べて、「キャブリトを殺したのもあんただし、危うく僕に
当りそうになったあの梁を落したのも、あんただろう?」
「いや――それは違う。しかし……ああいうことがあった
ということと……あの下に車がいるってことは……」
「われわれは大挙してここへ押しよせて来ているんだ」デ
イヴィッドは冷やかにいった。「あんたとしては、決心を
かためる時がきたってわけだぞ、スロール! われわれに
味方するか――それとも、誰にも認められず、自分の仲間
に軽蔑され、変人として見くだされながら、たった一人で
戦いつづける方をえらぶか?」

979 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:11:56.24 ID:5GfE0XDHB
「断ろう」スロールはいった。ピストルを突き出した彼の
顔にうかんだ笑いは、こわばり、ゆがんでいた。「私は敗
残者かもしれない――しかし、わが地球に対する裏切り者
では、けっしてないんだ!」
 デイヴィッドが横に身をおどらせ、死体の容器にぶつか
って、スチールのケースとそのぞっとするような中味が突
きとばされるとともに、銃声がとどろきわたる。最初の弾
丸は金属に当ってはねかえり、二発目がデイヴィッドの頭
から一インチはなれた木の部分にしっかりとくいこんだ―
―その時、スロールがしわがれた悲鳴をもらす。重いケー
スが彼を後ろに突きとばし、頭をダイヤルのならんだパネ
ルにたたきつけたのだ。デイヴィッドが立ちあがると、体
の上に横ざまにのっている死体の手にふれるのをさけよう
として、スロールが苦痛にゆがんだ顔をそむけているのが
眼に入った。
「あ……脚が」スロールがささやく。「お前のおかげで、
脚が折れちゃったんだ」

980 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:13:30.39 ID:5GfE0XDHB
 デイヴィッドは怯えあがっている男をとびこえて壁のス
イッチへかけよると、灯りを消した。暗闇の中で、スロー
ルの泣き声を聞きながら窓ぎわへ行き、雑草ののびた芝生
と、道路との境ののび放題の生け垣にむかってほの白くう
かびあがっている道を見おろす。小さな黒い車がとまって
いるのが、星の光を反射しているフロント・グラスでかろ
うじてわかった。
「あれは誰の車だ」デイヴィッドはたたきつけるように訊
いた。
「さっき……あんたは……」
「さっきはお互いにわけのわからないことをさんざんいい
あったんだ」デイヴィッドはいった。彼は重いケースをス
ロールの脚からはずし、その傍らにひざまづいて、「よく
聞くんだぞ、スロール――俺は侵入者じゃないんだ! 俺
があの集会に行ったのは、あんたと同じ理由からなんだよ
――奴らの手がかりをつかむために行ったんだ!」
「じゃ……あんたは……奴らがこの地球に……われわれの
間にいると信じてるんだな!」スロールの声ははげしい痛
みにかすれていた。

981 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:15:05.64 ID:5GfE0XDHB
「われわれは二人とも、重大な危険にさらされていると信
じてるよ」デイヴィッドはすばやくいった。「どうやら、
ここまで後をつけられたらしいんだ。だから――」
「しかし――あのキャブリトは……」スロールはいった。
「あんたが……射ったんじゃないのか?」
「俺じゃない――そして、あんたでもないんだ! もう一
人、別の奴がいたんだ、スロール! あの時は、あんたも
奴らの仲間かと思ったんだが、今はそうは思っていない。
あんたは誰一人殺してないんだ」
 スロールの眼がわずか数インチはなれたところにころが
っている、ぞっとするような死体の顔、黄色くなった歯に
ひからびた唇がへばりついている死体の顔にむけられる。
「彼を……忘れてるんじゃないか?」
「それは医学の研究に使う解剖用の死体なんだ。下側を見
れば、フォルマリン・タンクの底に長い間横たわっていた
ためにできた傷があるのがわかるよ。悪ぶって俺を脅かそ
うなんてことはやめるんだ、スロール! 俺たちには重大
な危険が迫ってるんだぞ! そして、俺にはあんたの助け
が必要なんだ!」

982 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:16:33.70 ID:5GfE0XDHB
「そ……そんなこと、うそだ!」ふたたびおそいかかって
きた恐怖に眼をギラつかせて、スロールはいった。「あん
たは先週、あの橋で起ったことも知ってるし、その前の、
木のところで起ったことも……」
「調子をあわせて、あんたをごまかしてただけだ」デイヴ
ィッドはいった。「あんたがピストルを突きつけてたんで
な、忘れたのか? 俺としては――」
「一番まずいことをするほかなかったってわけだ!」スロ
ールはあえぎながらいった。「私はけっして仲間の地球人
を裏切るようなことはしないぞ! もうお前の仲間がお前
を助けようとしても、手おくれなんだ! この家からは、
絶対に生きては出ていけないぞ! わながしかけてあるん
だからな、バカヤロー! 侵入者(インヴエイダー)をつかまえるために、わ
ながしかけてあるんだ! そしてもう……そしてもう…
…」彼の声が次第に低まり、うめき声にかわった。眼がつ
りあがり、一点を凝視(みつ)める。頭がぐらっと横に倒れた。デ
イヴィッドが負傷(けが)をした男の脈を取る。脈は弱々しく、不
規則に搏っていた。

983 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 08:18:09.58 ID:5GfE0XDHB
 デイヴィッドは立ちあがった。彼の考えは二、三のこと
に関してはピッタリとあたっていたが、他のことに関して
は、まったく見当違いだった。そして、その誤りは致命的
なことにもなりかねないのだ。下にとまっているあの車に
しても、あるいは何の関係もないものかもしれなかった
が、オペラ・ハウスの裏の路地の入口にとまっていた車に
ひどくよく似ている。さらに、スロールの警告――あれ
も、あるいは錯乱した心の生んだたわごとにすぎなかった
のかもしれない。しかし、もしほんとうだとしたら……
 デイヴィッドが窓に背をむけかけた時、ガラスの割れる
音がして、背後の天井に弾丸があたるにぶい音がした。彼
はさっと床に伏せた。銃声は聞えない。脅(おびや)かすように静寂
が迫ってくるだけだった。
 これで疑問が一つ解決したぞ――彼は思った。さて、生
きてこの家を出られるかどうか、やってみるか……

984 :◆p132.rs1IQ:2023/05/19(金) 10:13:09.80 ID:5GfE0XDHB
インベーダー
キース・ローマー
平井イサク[訳]
p173
 近くで、声が聞える。
「……わけがわかりませんね、中尉殿。どこかのとぼけた
野郎が戦車を盗んでこっちへむかったって知らせが入った
んで、追いかけてきたわけでしょう。奴が見つかってもう
こっちのものだと思ったら、流れ星が空いっぱいにふって
きたんですよ! そうしたら、あの――とにかくああいう
ものが現われやがったんだ! 俺はこの眼で見ていなが
ら、幻覚じゃなかったとはまだ断言できないような状態な
んですよ――お訊きしますがね、中尉殿、俺たちはあそこ
で何を見たんです?」
「俺は何にも見とらんぞ、軍曹」頑固そうな声がかえって
くる。「お前もバカじゃなかったら、そうしとくんだ」

985 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 00:58:19.04 ID:d4qgUmKHf
呪われた村
ジョン・ウインダム
林 克己[訳]
p101
 ゼラビーはしみじみと相手の顔をみつめた。リーボディ氏
はなおも話しつづける。
「あのこどもたちはいつたい何者なのでしよう? 妙な色の
目でひとを見る、あの目つきはどこか一風変つているじやあ
りませんか。彼等は――たしかに見知らぬ人(ストレンジヤーズ)ですね」ここで
ちよつと言い淀んだが、また言葉をつづけた。「まあ、こう
いう考え方をあなたに押しつけるわけではありませんが、こ
れはおそらく何かの試験(テスト)にちがいない。何度考えても、わた
しはこういう結論に戻らざるを得ないのです」

986 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 00:59:55.58 ID:d4qgUmKHf
「しかし、何の試験(テスト)をだれがやつたのだろう?」と、ゼラビ
ーは言う。
 リーボディ氏は頭を振つて、
「それは分らない。恐らく分らずじまいでしよう。試験(テスト)の結
果だけはこうして見せられているけれども。そうして、こう
いう立場に追いこまれたにはちがいないが、いくらでも拒否
することはできたはずです。それを拒否しなかつたのは、わ
れわれが自身で解決すべき問題として受け入れたからだと思
います」
「それが正しい態度だつたと思いたいものですな」
 リーボディ氏はゼラビーのこの言葉にびつくりして、相手
の顔を見た。
「では、何かほかに――?」
「分りません。相手が見知らぬ人(ストレンジヤーズ)では――分るはずがないじ
やありませんか」

987 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 14:27:25.28 ID:d4qgUmKHf
バッド・エデュケーション
ペドロ・アルモドバル
佐野 晶[訳]
p5
 真っ白なキャンバスに絵を描くのは苦手だった。会ったこともない人物を創造し、見た
こともない場所を空想し、ゼロから物語を紡ぐことができない。まったくの虚構はすべて
が可能だが、同時に空疎であった。彼にとってそれは魂のこもらないお人形ごっこであ
り、吠(ほ)え声ばかりの怪獣ごっこなのだ。ではエンリケ・ゴデはいかにして映画を作るの
か? 彼は単なる映画監督ではない。作家だ。企画から脚本、音楽、撮影、編集、すべて
を手がける。手がけずにはいられないのだ。
 一九八〇年。エンリケは初めてマドリードの中心街にオフィスを構えた。それはこの三
年間に撮影した三本の長編がスマッシュヒットを続けたお蔭(かげ)で手に入ったものだ。オフィ
ス奥のエンリケの個室には大きなデスクと彼専用の真っ赤な革張りのオフィスチェアがあ
る。彼はそこに座ってハサミを手にしながら新聞を読んでいた。身体つきは引き締まって
おり、細身のピンクのシャツに黒のスラックスがよく似合っている。
 彼のデスクの向かいには映画製作者のマルティンが座っていた。アロハシャツを着た坊
主頭の大柄な男だ。年齢は四十代の半ば。迫力のある鋭い目つきをしている。

988 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 14:29:02.56 ID:d4qgUmKHf
「寒波による最初の犠牲者が出た=v
 エンリケが新聞の記事を声に出して読み上げる。少女のように小さな口と薄い唇だ。彼
の細面の顔の中のパーツはどれも繊細だった。鼻筋の通った細い鼻、首筋に届く長さの緩
いウエーブのかかった濃い色の髪。ただ濃い茶色の目は大きい。瞳(ひとみ)はまるで少年のように
澄んでいたが、人を見据える時には力強さがあった。人の心の中を見通してしまいそう
な。そして笑うとシニカルな印象を与えた。
 エンリケが読み上げた新聞は昨年のものだった。彼は忙しくて読み逃した新聞は決して
捨てずにストックしていた。
「高速四号線でバイクに乗った男が運転中に凍死した。だが死後もバイクは九十キロも
走り続けた=v
 エンリケの瞳が夢見るように輝く。
「停止命令を無視したために二台の白バイが追跡した。しばらく並走したがまったく反
応しないために死亡していると判断し……
「不気味だ」
 マルティンがつぶやいた。ストレートな反応だ。彼の意見がエンリケの意を強くした。
「いや、最高の映像だ」
 エンリケの目はさらに輝きを増している。

989 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 14:32:21.35 ID:d4qgUmKHf
「凍りついた草原をバイクで走る死んだ若者」
 マルティンがうなずく。
「そして彼を騎士のようにエスコートする白バイ警官たち」
 エンリケの言葉にマルティンが目を見開く。脳裏にその映像が浮かんだのだろう。その
反応にエンリケは興奮した。マルティンに質問してみる。
「酷寒の夜にその青年はどこに行こうとしてたんだ?」
 マルティンの答えを求めていたわけではない。マルティンもそれは承知だ。余計なこと
は言わずにエンリケの答えを待つ。
 エンリケは唇を噛(か)み締めて、想像力を羽ばたかせる。つかめそうだ。何か大きなものが
その先にはある。ああ……。
「会いたい人がいたんだな」
 エンリケの瞳には尋常ではない輝きがあった。目の前のマルティンの姿も映ってはいな
い。つぶやくようにエンリケが言った。
「ドラマだよ」
 恐れと畏(おそ)れがエンリケを襲う。自分にならモノにできるという自負、同時につかみきれ
ないもどかしさに不安がよぎる。物語が展開していくかもしれない。しかし弱いか……。
エンリケはハサミを手にして記事を切り抜いた。スクラップブックに貼(は)り付けるためだ。
それでエンリケは少し気持ちが楽になった。少なくとも苦しむのは先延ばしにできたの
だ。そうした記事はスクラップブックの中はもちろんデスクの上にも山積みになってい
た。

990 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 14:34:06.64 ID:d4qgUmKHf
 彼は身の回りに転がっている事物から物語を紡いでいく。一九七〇年代に八ミリで短編
映画を撮り始めた頃から変わらない手法である。グラムロック、ダンス、美しい家具、絵
画、同性愛、女装趣味、異性愛。登場するのは犯罪者、犯罪ギリギリの人々、破戒僧、破
戒尼、アブノーマルな性愛者たち……。彼の身近にいた人々、そして彼自身だ。誰も裁か
ないし、裁かれることもない。彼らがタブーに挑み、せめぎ合い、憎み合い、愛し合う。
やがて観客の喉(のど)元にナイフを突きつける瞬間が訪れる。エンリケの鋭い視線は人々がいつ
の間にか抱いている形骸(けいがい)化したモラルという名の偏見を看破する。それだけではない。笑
いと愛と哀しみさえ感じさせる。現実の混沌(こんとん)から飛翔(ひしよう)し、物語を示唆に富んだ寓話(ぐうわ)にまで
昇華させるのだ。その集大成とも言える長編デビュー作はカルト人気を超えて彼自身が予
想しなかったほどの多数の人々に支持された。以降の二作もやはり彼の身近にあった事物
に取材した作品であった。この三作はゴデ三部作として好意的な批評と観客の熱狂をもっ
て迎えられた。
 だがそこから彼の創作活動はぴたりと止まり、スクラップブックばかりが厚くなってい
った。大衆に迎合しようと思ったことは一度もない。そう思ったとしても彼にはできなか
っただろう。彼は自分の欲望の奴隷であった。映画を作り得る情熱を掻(か)き立ててくれるテ
ーマがなければ決して撮影には入れなかったのだ。トップスターを何人も使えるほどの出
資の申し出が各方面からあったが、彼にはテーマがなかった。撮りたいシーン、語りたい
セリフがなかった。スターの笑顔など誰にでも撮れる。

991 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 14:36:55.50 ID:d4qgUmKHf
 オフィスのチャイムが鳴ったがエンリケは気づかなかった。テーマを探していたわけで
も、凍死した青年のことを考えていたのでもない。ほとんど無心になってその記事をスク
ラップブックに貼り付けていたのだ。何も考えずに済む作業のなんと甘美なことか。つい
つい夢中になる。
「僕が出るよ」
 マルティンが身体に似合わず身軽に立ち上がって入り口のドアに向かった。
「どなたです?」

992 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 16:42:31.31 ID:9YBvN8WwA
スピード
グレアム・ヨスト
石田 享[訳]
p13
 ダウンタウンの一角にそびえる高層オフィスビル――その四六階にある会議室の窓
からはスモッグにかすむロサンゼルスの広大な街なみが見渡せた。
 ちょうど会議が終わったところだ。
「きょうはここまで。ご苦労さん」
 パサディナ旅行社の最高経営責任者ダグラス氏が告げた。
 ダグラス会長は若手役員の出世頭マーティーと握手をかわした。
「さすがだな、マーティー。案外イケるかもしれんぞ」
 いまやゾンビタウンと呼ばれているロサンゼルスにいかにして観光客を呼び戻すか。
 これが会議のテーマだった。
 それならいっそのこと危険を売り物にしたツアーを催したらどうだろうとマーティ
ーは提案した。
 日本人とかドイツ人とかのんびりした観光客に「管理された危険」を疑似体験させ
ようというのである。
 やぶれかぶれの爆弾企画だが、沈滞気味の旅行業界に喝を入れるにはいいかもしれ
ない。

993 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 16:44:10.09 ID:9YBvN8WwA
スピード
グレアム・ヨスト
石田 享[訳]
p46
「近づくんじゃねえ。こいつを押したら、貴様の相棒は粉々に吹き飛ぶ。掃除がたい
へんだぞ」そしてハリーに声をかけた。「死ぬ覚悟はできてるか?」
 ハリーは吐き捨てるように言った。
「くたばれ(フアツク・ユー)!」
「国のために捧げる命が一つしかなくて残念だ。知ってるか、これ? 二〇〇年前、
イギリス軍に吊された若者が残した辞世の言葉だ。ところがいまどきのおまわりとき
たらファック・ユー≠ネんて汚い言葉を口にするていたらくだ。情けないご時世だ
ぜ、まったく!」

994 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 20:49:34.93 ID:aF6+V4yPa
ダンテズ・ピーク
デューイ・グラム
伏見威蕃[訳]
p72
 ハリーは、森にかこまれた湖岸をひとりで歩きだして、枯れた植物や水棲動物の屍骸を捜
した。そうしたものの存在は、地震活動によって湖の底で異常なレベルの二酸化炭素が放出
されていることを示している場合がある。
 二酸化炭素は、火山学者にとって赤旗である。大気や動物の呼吸および代謝の正常な構成
要素である二酸化炭素は、大量にあれば生命を奪う。血中に炭酸が生じ、死にいたる酸毒症
を引き起こす。地中に大量の二酸化炭素があると、やはり酸素を欲する樹木の根が、動物や
人間とおなじように窒息する。つぎに来るときは地中のガスを測定する装置を持ってくるこ
と、とハリーはメモした。
 彼は、さらにあたりの風景に目を配った。魚が何匹か浮いており、その先には藻(も)のたぐい
が枯れて浮かんでいる。岸では樅(もみ)が何本か倒れる寸前だった。ハリーは腰をかがめ、岸辺の
露出した地面を調べた。虫や動物が棲む穴がない。ハリーの考えでは、それらが存在しない
のは火山活動によって二酸化炭素が放出している可能性を示す徴候だった。まだ確実なこと
はいえない。そうはいっても……。
 その小さな湖の深い水をのぞきこみながら、ハリーは、それに似た美しくまったく無害そ
うな青い湖から二酸化炭素が一気に噴出した、じつに奇怪なおそろしい瞬間のことを思い出
していた。

995 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 20:51:25.05 ID:aF6+V4yPa
 それは十年前、アフリカのカメルーンのナイオス湖という、きれいな青い火口湖でのこと
だった。何累代ものあいだ底から動かずにいたガスをふくんだ重い水が、小さな火山性の地
震で揺さぶられた。冷たい水が底からあがってくるとともに、水圧で抑えられていた二酸化
炭素が泡となり、煙突のような形にまとまって、すさまじい勢いで水面めがけて上昇した。
ガスの泡が水面を破り、百五十メートルという信じられないような高さまで水柱が噴きあが
った。死の霧が湖と付近一帯をおおい、千人の人間と牛その他の動物の命を奪った。遠隔地
でもあり、生存者がほとんどいなかったので、知らせが伝わるまで何週間もかかった。
 そういえば去年の冬、ハリーは、故郷の近くで森林警備隊員が山間部のパトロールをおこ
なっている最中に二酸化炭素の仕掛け罠(ブービートラツプ)に出くわしたという奇怪な話を聞いたことがあった。
カリフォルニア中部のロング・バレーのカルデラに大きくひろがっているマンモス山は、四
百万年ずっと活動をつづけていると見なされている火山で、かなり研究も進んでいる。その
眼鏡をかけたずんぐりした森林警備隊員は、激しい吹雪から避難するために、ほとんど雪に
埋もれかけた小屋へ行った。跳ねあげ戸からもぐり込み、小屋のなかにはいった。息ができ
なかった。脈拍が二百まであがった。目の前に星がちらついた。どうにかよじ登り、入口か
ら体を半分出した格好でしばらくのあいだ深く呼吸して、ようやく回復した。
 それが二酸化炭素の狂暴な罠(わな)である。無色、無臭で空気より重い二酸化炭素が、地中に隠
れた火山からにじみ出し、小屋の床のあたりにたまって、雪のために封じ込められた。あと
二回ぐらい呼吸していたら、その森林警備隊員はたちどころに死んでいただろう。
 ハリーが視線を転じると、レイチェルが子供たちと遊んでいた。いま、こうした話を彼女
にする必要はないだろうと思った。彼はランドクルーザーにひきかえした。

996 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 21:17:18.61 ID:aF6+V4yPa
ダンテズ・ピーク
デューイ・グラム
伏見威蕃[訳]
p194
 大きなオレンジ色の太陽が西の葡萄(ぶどう)色の山々に姿を消すと、いつものように晩がたの寒気
がダンテズ・ピークの町をくるんだ。カスケード山脈の上に出ている雲は、痣(あざ)を思わせる紫
と黄色だった。一年に何回も見られないようなすばらしい夕焼けで、翌日が穏やかな晴れた
一日になることをうかがわせた。
 遅れた数人が、〈坑夫(マイナーズ)のふるさと〉の旗の下の両開きの扉を通り、急いでハイスクールの
体育館にはいっていった。
 マイクを用意した舞台では、レイチェルが事情説明を終えようとしていた。ハリーが、保
安官や水道局長とともに舞台にいて、体育館に詰めかけたひとびとに話をする順番をそれぞ
れが待っているところだった。
「――自分の家を出るというのは、考えるのもつらいことだと思います」レイチェルがつづ
けた。「しかし、いますぐにそうするのが、責任ある行動です。それに、仮になにも起こら
なかったとしても、あとで後悔するより無事なほうがいいでしょう」
 聴衆がまわりの人間のほうを向いて、大声でしゃべったり、意見を交わしたり、たいへん
な騒ぎになった。それだけ聞けばじゅうぶんと考えたものたちが、ドアに向かいかけた。

997 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 21:18:58.01 ID:aF6+V4yPa
 郡の老人医療施設の看護婦見習いのスーザンが、前のほうで席を立った。「待っていなけ
ればならないの?」騒音よりひときわ高い声で質問した。「つまり、いますぐに避難したい
としたら?」
 聴衆が静かになった。
「もちろん、待っている必要はないわ、スーザン」レイチェルがいった。「いつでも好きな
ときに出ていっていいのよ」
 スーザンが、すこし当惑した様子で笑い、着席した。
 事情をすっかり知るために最前列に近い席にいたエリオット・ブレアは、その言葉の意味
をはっきりと察した。ウォレルに、聞こえよがしにささやいた。「大騒ぎになる前に行くよ」
立ちあがり、通路をすたすたと歩いて、出口に向かった。
 ドクター・フォックスが、口惜(くや)しそうにむっつりした顔でブレアを見送っているレス・ウ
ォレルのほうを向いた。「これで安楽な老後もパーね」
 ウォレルが、毒のある視線を彼女に向けて、立ちあがり、うつむいたままブレアのあとを
追った。これがおれの人生だ、と考えていた。あしたブローカーに電話して、コンピュータ
で計算させよう。ドカーン! みんな破産だ。
「われわれが出ていったあと、家や店は守られるの?」カレン・ポープが叫んだ。「盗難を
ふせぐ手だては?」
「州兵軍に召集がかけられています」レイチェルがいった。「午前零時に到着の予定です」
 質問がとぎれたとみて、レイチェルは向きを変えた。「では、ハリー・ドールトン博士に
説明を引き継いでもらいます」

998 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 21:20:42.63 ID:aF6+V4yPa
 ハリーが、演壇に歩み寄り、マイクを持った。上を向いている顔を見まわした。もう名前
も知らない群集ではない――名前を知っているもの、顔見知りがおおぜいいる。
「はっきり申しあげます」ハリーは、力強い声でいった。「これは単なる予防措置です。け
っしてパニックを起こしては――」
 ハリーの目の前の水差しの氷がカタカタ鳴った。ハリーは、そこから目が離せなくなった。
まるでひとりごとのように、小声でつづけた。「――なりません」
 体育館が揺れた。たいした揺れではなかったが、緊張している聴衆の注意を喚起(かんき)するには
じゅうぶんだった。

 臨時観測所では、書類を見ていたテリーが、怪訝そうに顔をあげた。「みんな感じたか?」
 ドレイファスが、不安のにじむ顔で見まわした。
 彼らは一日ずっと微弱な群発地震を記録していたが、それは非常に敏感な地震計と犬にし
かわからない程度のものだった。

 ダンテズ・ピーク・ハイスクールの体育館では、聴衆がそわそわとささやきはじめた。そ
のとき、もう一度、小さな揺れがあった。
「みんな、どうか落ち着いてください」ハリーがいった。「冷静でいればだいじょうぶです。
では、出口に近いかたから……ゆっくり出ていってください」

999 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 21:22:14.26 ID:aF6+V4yPa
 また揺れた。こんどは大きかった。
 だれかが悲鳴をあげた。不意に、山火事のようにパニックがひろがった。集まったひとび
とが、出口へ殺到した。
 バスケットボールのゴールが、激しく揺れた。旗がたるきから落ちた。

1000 :◆p132.rs1IQ:2023/05/20(土) 21:24:54.33 ID:aF6+V4yPa
華氏451度
レイ・ブラッドベリ
宇野利泰[訳]
p183
 モンターグの耳のなかで、蛾が羽音を立てた。
 ――モンターグ、聞くんじゃない! こいつは、水をかきまわして、泥だらけにする!
「ほう、ばかにおびえているじゃないか」と、ビーティはつづけた。「むりもない。きみが頼り
にしている書物の知識を逆用して、きみをやりこめようというんだからな。どこから攻めてこよ
うとも、おれはおそれるものじゃない。きっさきはみんな、受けとめるぞ! およそ本ぐらい、
裏切り者はないんだ。援助してもらおうと思っていると、どっこい、あべこべに、敵方になる。
だれだって、利用することはできるぞ。ところが、つかえばつかうだけ、泥沼のまん中で、うご
きがとれなくなるのが落ちさ。名詞、動詞、形容詞の大波におしながされてしまうだけよ。
 まあ、そういったわけで、おれの夢は、おれが《火トカゲ》に乗りこんで、きみにこう話しか
けるところでおわった。おい、モンターグ、おれといっしょにくるか? とね。するときみは、
すなおに乗りこんできた。そこで、おれたちふたりは、しずかな祝福にみちたこの役所へもどっ
たので、万事、平和におさまったというわけさ」
 そしてビーティが、にぎっていたモンターグの手首をはなすと、その手はどすんと、テーブル
の上に落ちた。
「おわりよければ、すべてよしだ」

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